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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
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8:追いすがるは過去

「嗚呼……久しいな、陵の(せがれ)よ」

 もしかして自分のことなど長者番付に名を連ねるほどの人間である雷禪は覚えていないのではないか――と一瞬不安になりもしたが、それは千歳の杞憂だった。老人は耄碌した様子など微塵もなく、千歳を真っ向から見返していた。わずかだが、視線に優しいものが混じる。まるで孫を前にした好々爺のようだった。初対面の人間ではわからないほどの変化であるが、千歳にはそれだけで充分だった。

 その光景を前にして、レムリアは目を白黒とさせる。当たり前だ。大物中の大物である皇ヶ院雷禪とただの軍人が顔見知りであるなど、信じられることではない。驚くのも無理はなかった。だから、千歳としてはあまり知られたくはなかったのだが。

 しかし、不思議なことにレムリアの表情が変わる。驚きから、納得に。雷禪と握手を解いた千歳はその変化に気づき、内心で小首を傾げる。驚いてしまうならわかる。が、次の納得はなんなのだろうか。

 疑問に思うが、訊ねることは出来なかった。刺すような視線が目の前の少女から注がれていたからだ。

 皇ヶ院雷華、一八歳。背は一五六ほどと小柄で、体格もよろしいとはいえない。下手をすると中学生と見間違えかねない外見だった。なのに、纏った近寄りがたい雰囲気は中学生のものではなく立派に成熟した人間のそれであり、荒波に揉まれながらも大成した経営者に似ていた。

 髪を両脇で結び、俗にいうツーテールにした少女のことを千歳は知っている。知っているからこそ、再会したくはなかった。彼女が嫌いではない。会うのが、後ろめたかった。彼女と出逢ってしまう資格がないのでないかと。

 神国本土に呼び戻されることが決定した時点で察しておくべきだった。軍に多額の援助をおこない、そのため上層部に顔が利くほどに皇ヶ院財団は巨大である。むしろ陰の支配者とすらいえるほどに、軍と密接な関係があるのだ。尉官とはいえ、それを無理やり引き抜くなどという荒技ができる者などこの世界にそう多くはない。しかも千歳は神国からほぼ独立した人工島にいたのである、神国軍の重役ですらこんな要求はできないだろう。人工島と神国軍に援助をおこなう皇ヶ院財団だからこそ許された行為だった。

「……スポンサーとは、皇ヶ院だったのですか。それなら、この待遇には得心がいきました」

 雷華から雷禪へと目を泳がせる。千歳がなにもいってこないことで少女の無言の圧力が強くなった。

「この格納庫や人員、資材の大半も私共財団から捻出した資金から成っているからな。当然だろう。軍も開発に噛んでいるが、こちらの負担額の何分の一だ」

 それでも、オーバルの話を思い出せば軍上層部は渋い顔をしていたという。この計画の予算はそれだけに膨大であるのだ。千歳は財団の途方もない資金力には感嘆を通り越して呆れすら抱かされてしまう。

「お父様、お身体に障ります。長話は控えてください」

 雷華がここにきて始めて声を発した。刺々しい声だが、雷禪の身体をいたわっているのは本当のようだった。

 雷禪は娘、というにはあまりに年の離れ過ぎた雷華の注意に顔をしかめる。

「そんなに年寄り扱いをするな。このくらい、なんの問題もない」

「お医者様の忠告を聴いてください。本当はベットで眠っていて欲しいんです。陵千歳へ現状の説明はわたしがおこないますから」

「……そこまでいうなら、お前に任せよう」

 さしもの雷禪も、娘の言葉には折れるしかなかった。

「しかし、」と、雷禪が断りをいれる。「寝室に戻るのは〈天斬〉の状態を訊いてからだ」

「それもわたしがいたしますから……」

「こればかりは譲れん。この機体のことばかりはな。心配するな、ひとりでなんとかなる。お前は陵の倅の相手に専念すればよい」

「……わかりました。ですが、どうか御自愛なさってください」

 雷禪は鷹揚にうなずくと、肘掛けに付けられたボタンで車椅子のモーターを起動させ、機械仕掛けの車椅子を動かした。雷禪がオーバルに声をかけ、何事かを真剣に話し始めたころに、雷華が千歳を睨んだ。

「場所を変えます。ついてきなさい。……レムリアは、ここで待っていて」

「ん、わかった。ごゆっくり」

 レムリアは口元に笑みを浮かべていたが、その些細な変化に千歳はまだ気づくことができなかった。返答を待たずに歩き出した雷華に千歳は慌ててついて行く。

 格納庫から外に出て、離れた場所にある建物に入った。外見は質実剛健な印象だったが、軍の施設としては少々華やかに思える。

 内装も華美ではないけれど、軍の敷地内にあるにしては住む人間に気が使われていた。

 千歳が周囲に目を向けていると、雷華が無言でエレベーターに乗り込んだので、それに続く。扉が閉まり、身体が地面に押し付けられるような上昇感。機械の駆動音だけがする密室であっても雷華は一言も喋ろうとはしなかった。千歳から話そうにも、彼女の背中が話しかけることを拒絶している。

 重い静寂だったからか、エレベーターが目的の階層に到着して扉が開くまでが酷く長く感じた。実際は一分もかかっていなかったのだろうに。

 雷華はエレベーターを降りると、廊下を早足で進む。そして一番奥の木製の扉を開いた。

 その部屋は、最早軍事施設のものではなかった。企業の会議室ほどの広さを持つ部屋には、ベットやチェスト、クローゼットに大画面液晶テレビなどがスペースに余裕をもって配置されている。ここは人が生活するための空間だった。広さは明らかに過剰過ぎてはいたが。

 雷華が靴を脱いで部屋に上がる。千歳は玄関――といっていいだろう――で靴も脱がずに立ち尽くしていた。ここは上がるべきなのか、立っているべきなのか。自分の生活範囲ではお目にかかれない空間に戸惑う。

「早く来なさいよ」

 ふたりきりになってから、ようやく雷華が口を開いた。幾ばくか安心しつつ、許しが出たので千歳は靴を脱いで部屋にあがった。家具などは外国由来のものがかなりあるのに、靴を脱ぐという習慣が未だにあるのも神国の文化的特徴である。他の機軸国では土足のままであるそうだ。

 千歳は、今の服装が私服でよかったと密かに安堵する。これで軍服を着ていたら場違いにもほどがあった。洒落た服装というわけでもないが、軍服よりは彩もある。

 雷華がベットに腰掛ければ、千歳はチェストに座ろうとする。それを見て、雷華は相変わらず目を細めて睨む形にしたまま自分の横を叩いた。どうやら、ここに座れといいたいらしい。千歳は少し躊躇するものの、ズボンの埃をはたいて雷華の隣に腰を下ろした。ギシッ、とスプリングがきしむ。身体を受け止める弾力や、掌に伝わる肌触りは上質なものであることは素人にでも簡単にわかった。そんなベットに座ってしまってよかったのかと気後れしてしまう。

 次に口を開いたのは、千歳だ。

「久しぶり、だな」

「…………」

「連絡もしなくて、すまなかった」

「……場所はわかってたのに、わたしもしなかった」

「ああ、お前のおかげで俺はあの島の軍にいられたんだよな」

 千歳は三年前まで神国本土に在住していた。しかし、千歳は雷華に頼んで人工島の軍に入隊できるように手回しをしてもらったのだ。人工島だったことに意味はなく、当時の千歳は神国から離れられればそれだけでよかった。

 ここにいては、思い出が千歳を苛むから。

 雷華には悪いことをしたと思っている。まだ一五歳の女の子だった時にそんな仕事を頼んだのだから。しかし、雷華にはそれだけの能力がすでに備わっていたし、なにより千歳が頼れる人間はもうほとんど残っていなかった。

 千歳の父親はある業界ではそれなりに知られた人物で、皇ヶ院家とも交流があった。だから千歳は雷禪と雷華を知っている。特に雷華とは、幼い頃から顔を合わせていた。親しい人間はもう雷華をふくめて数えるほどしか生きていない。

「感謝している。お前がいなければ、きっと俺は腐って死んでた。ここから離れることができてよかった」

 三年前の惨劇。あの後、千歳は食事すらままならなくなった。精神的に追い詰められて、流動食すら吐き出した。点滴で最低限の栄養を補給して、それでも胃液を吐いて、毎日を生き長らえる。このまま死んでしまえば楽になれるのかと毎日考えていた。点滴を抜いて針で心臓を突こうかとも思うほどに、あの毎日は悲惨だった。

 だから、千歳の苦し紛れで神国から離れてみればいいのかもしれないという提案に乗ってくれた雷華には感謝している。

 雷華は間をおいて、つぶやく。

「……んたは、……だろうけど」

「なんだ?」

 雷華に顔を向けると、握り拳が飛んできた。華奢な腕から繰り出される拳は千歳の頬を捉える。避けられないほど鋭くもなく力も強くはなかったが、身体は痛みを訴えた。

「あんたはよかっただろうけど!」

 雷華が立ち上がり、千歳の胸ぐらをつかむ。目と鼻の先に怒りで震えた雷華の顔があった。可愛らしい顔は憤怒で歪んでいる。

「あんたはよかったかもしれないわよ、でもわたしにとってこの三年間は長かった! 本当に、すごく、気が遠くなるくらいに。こっちが連絡しなきゃあんたは手紙すら送ってこないんだから!」

 雷華の態度は、もう皇ヶ院財団跡取りの少女のものではなかった。三年も連絡を寄越さなかった者に対する純然たる怒りを露わにする少女だった。

「……すまん。心配、させてたな」

 心の底から千歳はそう思う。本来なら、もっと早くに連絡をするべきだったのだ。

 雷華は手を離して、そっぽを向く。

「別に、あんたの心配なんてしてない。けど、ちょっと気になってただけよ」

 突き離すような台詞だったが、雷華の声音には隠しようのないほど安堵が混じっていた。

 雷華はまたベットに座って、うつむく。

「ただ、まあ、その……元気そうでよかった」

 隠せていない小さな耳が紅くなったのを千歳は見逃さなかった。それに微笑して、わずかに悩んだ後千歳は手を雷華に伸ばした。彼女の髪の毛を梳くようにして頭をなでる。髪の毛が指の間を流れた。

「俺も、雷華が元気そうでよかったよ。大きくなったな」

 二歳下の少女は、小さくうなり声をあげるものの千歳の行為に抵抗はしなかった。

「……子供扱いしないでよ。それに大きくなったって、イヤミ?」

 自分の背丈にコンプレックスを持っているのか、雷華は不満気にいう。千歳にそんな意図はなく、本当に大きくなったと思っていた。

「そんなんじゃないよ。本心だ」

「でも、もっと大きい方が好きなんでしょう。胸とか」

「…………はい?」

 いきなり何を仰るのだろうか、この娘は。

 突拍子のない言葉に千歳が動揺していると雷華はさらにたたみかける。

「レムリアとずいぶん仲が良さそうだったわよね。そう、ああいうのが好みなの。へえ、まあ彼女はDもあるし。悪かったわね、貧乳で」

 どうやら、会話しているところを見られていたらしい。後ろめたいことはなにもないのだが、その誤解は放置できない。

「なんでそうなる! 確かにレムリアと仲は悪くないだろうけど……」

「ふーん、レムリア。レムリアねえ? 呼び捨てなんだ。レムリア少尉とかじゃなくて。たった数時間でそんなに親密になったんだ。女誑し」

「いやそれは、違っ……」

 なにからいえばいいか、頭の中がこんがらがる。レムリアと仲は悪くない。好意がないわけではないが、恋愛感情ではないし、勘ぐられるようなことはなにもないのだ。弁解しようとしても、総てが言い訳にしか聴こえなさそうで迂闊に口を開けない。かといいってなにもいわなくとも疑いを深めるだけだ。悪循環。

 雷華がじと目で見続けてきて、背筋に冷や汗が流れる。これは戦場とはまた違った焦燥感である。

 いつもは冷静な千歳がおおいに慌てる姿に、雷華が堪えきれずに噴き出した。

「あっはは! 冗談冗談! この手の話には耐性ないよね、全然。……でもその様子、あながち間違いでもないのかしら」

「間違いだ、間違い。大間違い! いきなりこんな話を……何事かと思ったぞ」

 けらけらと名の表すとおり華のように笑う雷華に、千歳は眉をつり上げる。まさかあのタイミングでからかわれるとは思わなかった。

「だって、ずっと暗くて無愛想な顔してるだもん、千歳は。そういうのを見せ続けられたら、いじりたくなるじゃない」

「……雷華なりに気を使ってくれたのはわかったよ。でも、最近の顔はずっとこんな感じなんだよ。無愛想で悪かったな」

 最後に顔を合わせてから三年も経ってしまっている。しかも人格の形成途中の思春期である一七歳から、それがほぼ完成される二十歳にかけてだ。それはただの三年ではない。人間を劇的に成長、変化させるのだ。別人のように人が変わることもある。

「じゃあ、最近じゃなくて昔の顔を見せてよ。せめてわたしといる時だけでもさ。駄目?」

 上目遣いで首を傾げられて、千歳は言葉に詰まる。雷華の大きい宝石のような瞳、これに千歳は強く出れない。抵抗する気力を失って、いわれるままに頷いてしまった。

「……努力は、するよ」

「よろしい」

 満足そうな雷華の動作に両側頭部でツーテールが陽気に揺れた。それを前より長くなってるな、と感想を抱く。手入れをきちんとしているようで櫛の通りも良さそうだった。髪の色に違和感もないし、エクステンションでもないだろう。

 仕草や口調は懐かしく感じるが、三年という月日は少女にもひとしく変化をもたらしていた。本人が自虐したとおり、雷華の体型はお世辞にも恵まれているとはいえない。が、成長していないわけではないのだ。千歳の記憶の中より背だって伸びているし、笑い方ひとつも可憐になっている。年下の幼なじみといっても、それを意識してしまう。

 そして、一般のそれと比べて広大だったために認識が遅れてしまったが、一応ここは雷華の寝室である。今腰を下ろしているのも彼女のベットだ。ドキドキしないといえば嘘になる。実はさっきから、心拍数は常より高くなっていた。すぐ隣にいる雷華の芳香が鼻腔を刺激していて、記憶の中とのギャップに戸惑う。

 今更なにを――とも思うが、一度意識してしまえば手遅れだった。これまでは特に関心を持っていなかった所作のひとつひとつが新鮮に見えた。それに、彼女には警戒心がない。長いつき合いの――それこそ小学校低学年の時には風呂だって一緒に入ったことがある――千歳の前だからか、無防備なのである。

 その態度には緊張しながらも呆れてしまった。

 ごほん、と千歳は咳払いをする。落ち着け、本来の目的を忘れるな。自分はいったいなにをしに来たのだ。己に言い聞かせて、本題を切り出した。

「それで、何故俺が呼ばれたんだ? わざわざ人工島から連れ戻すなんて面倒なことまでして。〈天斬〉の開発経緯は知っているが、わざわざテストパイロットとしてだけで呼び戻したわけじゃないんだろう?」

 テストパイロットが欲しいなら、適任は探せばいくらでもいる。特に皇ヶ院財団の力ならそれを引き抜くのも容易い。

 ああ、と雷華はまだだった千歳への説明をする。

「〈天斬〉の戦闘パターンは遠距離より近距離での白兵戦に重点を置かれているの。それに関してなら、あんたほどこの国で最適なのはいないでしょう? 神国の墓守(はかもり)御三家のひとりで軍人である者、なんてのはね」

 千歳は、沈黙。

 墓守御三家。その名は聴きたくなかった。

「陵の家は剣術に秀でた一族、さらにあんたは軍人としても鍛えられ、実力も申し分ない。本来なら、陵家の次期当主に任命されるはずだった強靭な戦士」

「やめてくれ、俺は戦士なんかじゃない。そんなに強くはないんだ。剣術だって、たいして……」

 そうだ、陵家を引き継ぐなど無理だったのだ。神国の歴史の中、古から連綿と受け継がれてきた剣術の頂点を名乗るなど、陵千歳には不相応だった。継ぐなら、もっと適任がいた。素直に譲ればよかった。そうしていれば、ああはならなかった。

 だから、嫌いだ。〈鬼獣〉と同じように自分を追ってくる墓守御三家の名が忌々しかった。一般人には知られない、限られた業界だけで力を発揮する名前だったとしても。

「いつまで逃げてるのよ、あんたは」

「…………!」

 雷華の言葉が氷のような冷気を孕んだ。それに千歳の身体が固まる。

 逃げている。そう、逃げている。あの日から現実に背を向けていた。情けないことに、直視ができない。三年経っても、未だに。

 硬直する千歳に、雷華は溜息を吐く。

「……ごめん、いい過ぎた。でも、いつまでそうしてるのよ」

「あんなの、忘れられるわけがないだろう」

 千歳の声に怒りが籠もった。取り乱して叫んだりはしない、しかしわずかに声色が変化する。

 忘れたくても消え去らない記憶というのは、確実に存在するのだ。今も千歳の胸の中に。

「……それで右手の調子は、どう?」

 このままでは空気が悪くなる一方だと感じた雷華が話を変えた。気を使わせたことを悟って千歳は自分の不甲斐なさを呪う。

「平気だ。もう問題ない。最初の頃は違和感があったけど、今じゃすっかり身体の一部だよ。雷華が再生治療の資金を出してくれたお陰だ、本当に助かった」

 右手を閉じて、開く。

 この手は千歳のものではない。本来の右手は三年前に治療不可能なまでに破壊された。挽き肉にされた手を治療するなら、いっそ一から創り出す方が簡単だった。再生治療は義手と違い、人間の失った部位を寸分違わずに創り出し取り戻せる技術だ。それはきちんと成長もするし、年齢による劣化もする。難点をいえば、目もくらむほどの治療費を要求されることか。千歳の右手はまだよかったが、腕一本など再生箇所が大きければ大きいほど埒外な資金を要求されてしまう。雷華は、その資金を全額負担をしてくれた。彼女が助けてくれなければ、今頃千歳の片手は義手になっていただろう。

 これには感謝するしかない。

「治療費は、ちゃんと返すよ。今なら預金を全部下ろせばなんとか返せるはずだ」

「いいわよ、今更。わたしからして見れば、あんなのちょっと高い寄付をしたようなもんなんだから」

「でも、」

 それでは雷華に悪い。数千円とか、これはそんな軽い単位の金額の話ではないのだ。それを踏み斃す勇気など千歳には振り絞れない。

「人の善意を受け取れない奴ねえ。……あ、ならわたし達結婚しちゃう? そうすれば払わなくてもいいじゃない」

 まるで名案を思いついたといわんばかりに、雷華は笑みを浮かべる。

「ば、馬鹿いうな。そんなことできるわけないだろう」

「え、なんでよ。わたし達って婚約者でしょ?」

「それは昔の話だ! 今じゃ立場もなにも違い過ぎる!」

 千歳は顔を真っ赤にして反論した。

 今は亡き千歳の父は生前、皇ヶ院雷禪と深い親好があった。年の離れたふたりが何故あんなにも仲がよかったのか千歳も知らないが、雷華ともその縁で知り合っていた。幼い頃から英才教育を叩き込まれていた雷華だが、雷禪の教育方針で定期的に休日を与えてもらっていて、その度にお付きの人間と陵家に訪問していたのである。

 陵家は、墓守御三家などと裏では呼ばれているが表向きは歴史ある名家だ。木造建築の屋敷も周りの家には比肩するものがないほど立派である。

 そのようなことが重なり、千歳と雷華は本当に婚約者だった時期があったのだ。

「別に立場とか、そういうのはどうでもいいと思うけど。世間体とか気にしなくてもいいじゃない。……それとも、わたしじゃ駄目かな?」

 ぐいっ、と千歳の腕に抱きついて首を傾げた。密着してくる雷華の感触に千歳は息をのむが、長年の付き合いもあってかすぐに相手の腹の内を見抜いた。こんな態度をする雷華は十中八九、

「わざとやってるな、お前」

「ああ、バレた? やっぱり、からかうのは楽しいわ」

「帰る」

 千歳が立ち上がると、雷華から余裕が剥がれ落ちて慌て出した。

「ごめんって。怒らなくてもいいでしょ」

「いや、違うけど。もう時間だって経っているから、帰ろうと。お前だって仕事があるだろう」

 紛らわしかったとは千歳も思うが、そろそろおいとました方がいいと判断した。それに雷華は今や財団の事実上トップ、その彼女にこれ以上時間を割かせるのはよろしくない。

 立ち去ろうとする千歳の腕を雷華は両手で掴み、引き止める。

「わたしはまだいいの。財団っていうのはひとりで動かすものじゃないんだから。千歳も今日は暇でしょ? 正式な配属は明日からなんだから」

 予定外の事態で早くも任務をこなしてしまったが、確かに今日一日は千歳にとって休日といえる。今のところ、するべきことは特にない。

「久しぶりで積もる話もあるし、夕飯くらいは食べていきなさいよ。ね?」

「そうまでいうなら、お言葉に甘えさせてもらうか」

 そういってから、千歳は気づく。

 まだしばらく、雷華と二人きりなのだと。

 それはそれで、内心の劣情と戦うのが大変そうではあった。


     *


 結局、千歳が雷華の部屋から退出した時には既に日が沈み、時計の針が総て頂点を通過した頃だった。三年の空白を埋めるのにはそれ相応の時間を要するのである。夕食も雷華の部屋に運ばれてきたものをいただき、さらには備え付けの風呂にも入れさせられた。無論、ひとりでだ。本当はこのまま泊まれ、といわれたのだかそれはさすがに遠慮しておく。色々と問題がありすぎる。

 長いようで、あっという間の時間。正直に告白するなら、楽しくて時を忘れてしまった。

 しかし、

「これからどうしたものか……」

 黒天の空に浮かぶ月を眺めながら、静寂に包まれた基地を見渡した。

 辺りに人影はなく、来たときにあった活気はなくなっている。深夜ともなれば仕方ない。夜中も騒いでいては、近隣住宅から苦情が来てしまう。だから、作業をしている人間は全員格納庫や部屋に閉じこもっているのだ。

 これでは誰にも訊ねられないじゃないか、と困った。千歳は肝心なことを雷華に訊き忘れていた。

「俺はどこに行けばいいんだ?」

 つぶやいてみても、答えは返ってこない。言葉はむなしく闇夜に溶けた。着任して、ここの兵舎に入る手筈だったのだが、何分始めて来た場所で勝手が分からない。

 戻って訊きに行くのも間抜けだし、なにより雷華を起こしてしまう。別れ際の彼女は眠そうに目をこすっていた。多分、今頃は夢の中だろう。

 寒い夜風に身震いしながら途方に暮れていると、地面を照らす一筋の光を見つけた。発信源に振り向けば、それは〈天斬〉の格納庫だった。巨大な扉は閉じられているが、それとは別の人間用の扉から光が漏れている。

 ちょうどいい。誰かいるなら、場所を訊ねよう――と千歳はそちらに向かった。

 飾り気のない鋼鉄の引き戸に手をかけ、開く。照明に一瞬目をくらませた。

 中に人はたったひとりしかいなかった。千歳は見覚えのあるその金髪の女性の名を呼んだ。

「レムリア?」

 〈天斬〉の状態を表示するモニターに向かっていたレムリアが、呼び掛けに反応して振り返る。

「陵千歳……なんでここに?」

「いや、兵舎の場所がわからなくてな。どこにあるか教えてくれないか?」

 知り合いに会えてよかった、と安堵しながら千歳は彼女の方に近づく。モニターには様々な状態が表示されていた。GAパイロットである千歳はそれらを理解できるが、一度に大量の情報が画面に表示されているせいで頭が痛くなる。

「別にそれは構わないけど……?」

 レムリアは不思議そうな目で千歳を眺めた。なんでここにいるのか、との問いかけに他ならない。まあ、確かにこんな時間まで兵舎にも行かずにいた人間への当然の対応だ。

「雷華……皇ヶ院の後継者様から話を聴かされていたんだ。それが思いの外長引いてな」

 雷華、と呼び捨てにしそうになったのを訂正する。財団創始者の娘である雷華を呼び捨てにすれば、あらぬ詮索を受けてしまう。もしくは身の程知らずの馬鹿の烙印を押されるか、だ。雷華にとっても好ましいことではない。

 とっさに嘘をついたが、深夜まで話が続いたなどという話はさすがに無理があった。いってから千歳は後悔する。もっとマシな言い訳をするんだった。

 だが、レムリアの反応は千歳の予想とは違った。まるで妹の失態を聴いた姉のように落胆する。

「ああ、失敗したの……」

「は?」

「いや、あながち失敗でもないのかも。行くとこまでは行った可能性も……」

「レムリア?」

 名前を呼ぶ声に反応して、彼女の目が千歳を見る。

 そして、ぼそりと、

「シャンプーの香りがする」

 千歳が触れられたくない指摘をおこなった。

「……ぃっ!」

「兵舎にすら行ってないのにこの香り……なるほどなるほど」

「なに勝手に頷いてるんだ!」

 からかうような笑みを口元に浮かべるレムリアに千歳がすかさず喰いついた。でも、ここで説明を求められても困る。素直に雷華の部屋の風呂を借りた、などといえばそれこそ一大事だった。

「だからこんなに遅かったの。泊まらせはできなかったみたいだけど」

「泊まらせ、って……?」

 なんだか、聞き覚えのあるものが彼女の口から出てこなかったか。

 状況が把握できない様子の千歳に、レムリアがネタをばらした。

「雷華にそうするように提案したのは私だもの。知っていて当たり前でしょう」

「なん、だと……?」

 衝撃の真実に開いた口が塞がらない。そもそも、なんでレムリアが雷華を呼び捨てにしていて、親密そうな口調なのか。千歳が事態が飲み込めないのもお構いなしに、レムリアは続ける。

「それにしても、再会して早々で手を出すなんて顔に似合わず思い切りがいいのね。……久しぶりだから燃えたの?」

「ちょ、ちょっと落ち着け。お前は盛大な誤解をしている。というかまず俺に落ち着くチャンスをくれ」

「幼児体型好きがパートナー……ある意味安心かも。このロリコン」

「だからそれは誤解なんだ! そんなことはしてない!」

「うわあ必死」

「――――――っ!!」

 脳の処理能力が限界を超え、発した叫びは意味を成さなかった。ただ羞恥心がとめどなく湧き出し、胸を満たしていた。

 茹で蛸のようになった哀れな男の惨めな様を一通り観賞してお腹一杯になったのか、レムリアはふぅと息を吐いた。

「満足」

「こ、この女は……っ」

 怒りに全身を震わせるがレムリアは気にした素振りもない。本当にいい性格をしているな、と睨みつけるがやはり効果はなかった。肝の座り方も半端じゃない。

「まあ冗談はこれくらいにして、どうだったの?」

「どうもこうもあるか。風呂に入らされただけだ。お前が勘ぐるようなことはない、断じてだ」

 と、レムリアがあまりに雷華のことを親しげに話すのでツッコミ所を見失っていたが、千歳には疑問がある。

「なんでお前は皇ヶ院のご令嬢のことをそんなに知ってるんだ?」

「雷華で構わないけど、私の前なら。そう呼んでるんでしょ?」

「そうだが……」

 怪訝そうにする千歳にレムリアは肩をすくめる。

「なんで、といわれても、雷華とはよく話すからとしかいえない。私がここに来てからだけどね」

「……仲、いいのか?」

「男にいえない秘密を共有するくらいには」

 どんな秘密だ。といえばまたデリカシーにかけるといわれるので千歳は黙っておいた。

「あの雷華が、か。人間不信は治ったのか……」

 千歳は、感慨深くつぶやいた。

 雷華は、人間不信だ。原因は父親と母親の年の差に対しての周囲の反応だった。

 結婚当時は既に巨大な財団を作り上げていた雷禪老、彼と結婚した女性はなんと二十代だったのである。親と子ほども年の離れたふたりの結婚、しかも男は大富豪の老人。話題にならぬ訳がない。しかも、世間やマスコミは面白く話にし易い見出しを付けたがる。

 ――女は遺産狙いだ、と。

 それは定期的にささやかれ、雷禪が体調を崩しただけで新聞には『若妻の陰謀』などと無責任なタイトルが踊った。雷華を産んだ後も世間から白い目で見られ、身体の弱かった母は心労の末に病を患い死去してしまった。

 それが当時幼かった雷華のトラウマになったことは不思議なことではない。それ以降、彼女は民衆とマスコミを嫌悪した。メディアに顔出しをしないのもそれが原因になっている。千歳も始めて雷華と会った時は人間嫌いに手を焼かされたものだった。

 それが、治ったのだろうか。もし人間嫌いが薄らいだのなら喜ぶべきことである。が、レムリアは首を横に振る。

「人間不信は治ってない。人前だといつも無口だし」

「……そうなのか?」

 なら、レムリアはどうやって雷華と親しくなったのか。それは興味がある、と千歳がいえばレムリアは渋い顔をした。

「……貴方はいつも人のこと詮索するの?」

「すまん、これからは気をつける」

 マナー違反だったかもしれない。反省しつつ千歳は首を引っ込めた。

「まあ、私達も色々あったの。だから今度友達の婚約者がやって来るって聴いたから、ちょっとお節介を。まさかGAパイロットの陵千歳がそうだとは知らなかったけどね」

「元婚約者だ。もうあの話はとっくに白紙になってるよ。最初から冗談みたいなものだったんだ」

 そもそも前提として、軍人と大富豪が結婚など無理に決まっている。あんなのは父親同士の悪ふざけであり、それを気にするのは子供の時までだ。

 軽い調子でいう千歳をレムリアはしばらく無言で見つめていた。

「……あの娘もそう思ってるとは限らないけどね」

「なにかいったか?」

「なんにも」

 急にいつにも増して投げやりな口調になったレムリアに千歳は目を瞬いた。何故気分を害しているのか全然わからなかった。

 レムリアは千歳からモニターに視線を移すと、それを操作しだした。

「兵舎に行くのはちょっと待ってて。これが終わったら私も帰るから」

 すっかり脇道に逸れてしまっていたが、千歳がここに顔を出したのは元はといえばこれが原因だった。

「わかった。それにしても、随分仕事熱心なんだな」

「意外?」

「そういうわけじゃないけど。ただ、ひとり残ってまでやってるのはなんでかなって……ああ、これも詮索だな」

 かりかりと頭を掻いて誤魔化す。自覚してみると、簡単にわかる。どうやら陵千歳という人間は意外にも他人に関心をよく持つらしい。

 レムリアは少しキーボードを操作する手を止め、またすぐに活動を再開する。

「隠したいことじゃないからいい。理由は……特にない。強いていえば、この子が好きだから、かも」

 レムリアの言葉を聴いて、千歳は〈天斬〉の巨体を見上げる。重機士に肉薄するのを目指しているからか、全高は二〇メートル以上と平均より大きめだ。が、それを意識させないほどに洗練された力強い四肢を持っていた。無駄がない、格闘家のような滑らかなフォルム。蒼と純白が目を引くカラーリングは天空を人型に転写しているようでもあった。光をともさぬ双眸は眠りについている猛獣を思い起こさせる。

 人であり、獣であり、それは機械の巨人である。

 自分の愛機となる機体を見上げて、千歳の心に去来したのはいいようのない不安だった。

「俺は……怖い、かな。こいつが」

「〈天斬〉に乗るのが?」

「それとは違うんだよ。今の俺は〈天斬〉が怖いんだ。自分でもよくわからないんだけど」

 乗ることにより引き起こされる恐怖も克服したとはいい難いが、それを許容することはできた。だから今この胸に現れた不安は別のものである。

 〈天斬〉という機体からは得体の知れない悪寒を感じた。敵意や殺意とか、自分に悪意が向けられる感じではない。身体に刻み込まれた生存本能から警告。奈落の底に落ちれば人は死ぬが、穴に殺意はない。が、結果として人は死ぬだろう。間違いなく。だから身体は警告を出す、それと同じだ。

 〈天斬〉に悪意はない。ただ生存本能が『あれは己を殺すかもしれない存在だ』とささやいてきた。

 だから、千歳は〈天斬〉が怖い。落ち着いて見るまで気づかなかったが、自分は〈天斬〉に不安を抱いている。疑いようもなく。それが、かすかなものであっても。

「……気のせいでしょう。〈天斬〉が試作機だから、貴方はその安全性を疑っているだけです。私が機体のコンディションを常にチェックして、貴方がやられないよう戦えば、この子は私達を殺しません」

「……だよな。変なこといったな」

 レムリアにいわれてみると、この不安はとるに足らないものだと感じた。夜だから不安な気持ちが煽られたのかもしれない。事実、今日千歳はこの機体に命を救われたではないか。

 気にするほどのことでもない。

 レムリアがモニターの電源を落とした。どうやら作業は終わったようだった。

「じゃあ、兵舎に案内するからついてきて」

 照明を落としたレムリアの後を千歳はついていく。格納庫の扉をレムリアが閉める時、千歳は暗闇の中に佇む〈天斬〉に目をやった。

 蒼い機体は、

 まるで意志があるように千歳の目を見返していた。

 そんな、気がした。


     *


 そこは人間の、人類には到底理解の及ばぬ異質な空間だった。

 いや、理解をしたくないだけかもしれない。ただしくここを理解すれば、その人間は狂気に犯され自害するだろう。

 ひしめく赤。赫。朱。紅。緑。碧。黒。白。血。血色。鮮血の紅。

 それは〈鬼獣〉の群だ。途方もない数の、群。大群、ですらない。所見ではそれらがいったいなんであるかも理解できぬほどに密集した怪物。節足、四足、二足、の吐き気を誘う悪魔の巣窟。

 見渡す限り、空も大地も世界の果ても埋め尽くすそれらを見れば、人類は絶望するだろう。

 ――嗚呼、こんなのに勝てるわけがない。

 いくら強いGAがあろうと、いくら破壊力のある兵器を作ろうと、核爆弾を量産しようとも超えられぬほどにその壁は分厚かった。認識できぬほどの無限としか表記しようのない化け物達の空間に、人がいる。

 身長は、標準的な人間のものである。人型の化け物ではない。れっきとした人間の姿の者達。

 中身までが人間であるとはいわないが。

 中空に浮かぶいくつもの瓦礫、そこには椅子があった。瓦礫が斜めになっても椅子は動かぬし、だいたい石の塊が浮かぶことも本来ならば有り得ない。

 椅子の上には少女がいた。年の頃は一五歳くらいで、和装に隠された身体つきも未発達なものだった。しかし、和装の裾から覗く組まれた足はどこか艶めかしい。

 串で編まれた美しい頭髪は、解けば床にまで届きそうなほどに長い。髪の毛の合間に見える少女の顔立ちも、幼さを残しながらも一国を傾かせる悪女のような妖艶さを伴っている。

 天才芸術家が死ぬ間際にキャンパスに描き出した最高傑作。それが人間の認識できる三次元空間に飛び出してきたといっても信じられるほど、少女が纏った雰囲気は幻想的で、非現実的で、故に恐ろしさを抱かせた。

 瑞々しい唇を震わせて、少女は聴く者の心を魅力する魔性の響きを奏でる。

「実に、退屈だ」

 心底、世界を蔑むようだった。

「こんなにも世界が退屈であったとは、知らなんだ。わらわは、こんな世界にいたいのではない」

「……つい先日は、あんなにも愉快そうであったのに、どういう変化だ?」

 少女の言葉に反応する男がいた。

 少女は別の瓦礫に直立した青年を気だるげに見つめる。

 燃えるような烈火の髪に、古傷が幾重にも幾重にも刻まれた露出している両腕。黒革に似た質感の服を押し上げる胸板は分厚く、銃弾すら弾き飛ばせそうだった。

 少女が芸術家の最高傑作なら、青年は真理を極めた武術家だ。闘うために生み出された、神にも匹敵する戦鬼。

 鉄さえ容易に粉砕する轟腕、地上のどの生物よりも速く疾走できそうなほど屈強な両足。

 全身凶器の青年は、どれも少女とは対極だった。

 少女が権謀術数や己の美貌で男を籠絡し、国を滅亡させるというのなら――青年は身体ひとつで国の人間を皆殺しにしてしまうだろう。

 ここにいる人間の姿をした者とは、〈鬼獣〉よりも恐ろしい邪悪の化身だった。

「目的のモノがいなくなってしまったのよ。これでは、時間をかけた意味がない。舞台を整え終わったというのに、なんと酷い仕打ちか」

「では、整え終えた舞台はどうするつもりだ? そのまま投げ出すか」

「そんな勿体無いことはせぬよ。なにより、わらわの労力が無駄になることが許せぬ。やる気は、まったくもって起きんのだがの」

 終始怠惰な少女に、青年は目をきつくする。大きな変化ではないにも拘わらず、それは人をすくみあがらせるほどの眼力を持っている。

「お前は、新天地を渇望する気はないのか」

「おぬしほどないのは確かだよ、神蛇侘(カンダタ)。わらわはそのやる気がどこから来るのか知りたいくらいよ」

 神蛇侘と呼ばれた青年は、いう。

「世界のためだ。我らの世界を護るために必要なのだ」

「世界、ねえ。わらわらの世界など遠の昔に滅び去ったが」

「だから、だ。これ以上世界は滅ぼせない。だからこの世界の人間を抹殺せねばならない」

「矛盾、しとらんかな」

「していない。この世界の人間では、世界を護れない。協力は、無駄だ。前にも他の世界に干渉した時は、結局間に合わなかった。最善は人間を殺し我々が世界を統治することだ。そもそも、お前が他人の思想を矛盾といえるような者か?」

「それもそうよな」

 少女は小さい喉を鳴らして愉しそうに笑った。所詮、自分達は世界の狭間の住人。縛るルールはない。行動基準は己が決める。他人に干渉する気はない。そして干渉されるほど弱い者はここにはいない。軟弱な者は遙か昔に淘汰された。ここに存在するは飛びきりの『我』を持った者達だけである。

「せっかく作った花火、綺麗に打ち上がってくれるだろう。――はあ、つまらんな、それは」

 少女は落胆する。花火が綺麗に打ち上がる。当然すぎて話にならない。自分が作った花火が打ち上がらぬわけがない。ないからこそ、失望する。花火をかき消す者がいないことに。

 退屈。予想を乱されないなんて、あくびが出る。

 何百回と自分の方法が成功する瞬間を目撃し、それで抵抗する気をなくした人間を数多く見てきた。

 ――そうさ、折れぬ剣はもういないのだから。

 結果は、変わらないだろう。

「ふむ、あそこには裏切り者が一名いるのだったな……我が行ってもよいのだが」

「お前が行ってはわらわの苦労の意味がなかろう。おとなしくしておれ、戦闘狂」

 神蛇侘は仕方ないか、と身を引く。奴が行ってしまえば、例外など発生することもなく敵対象を滅するだろう。文字通り塵も残さず。

「では、任せるぞ。那殊」

「いわれるまでもない」

 少女、那殊は目を閉じる。

 ――千歳、わらわは苦しい。お前を想って、胸が苦しい。どうしてくれる、この恋い焦がれる気持ちを。

 三年間も、会っていない。顔を一方的に確認するだけで、言葉も交わせていなかった。この恋慕はそんな状況でも絶えることはない。ならば、これは恋を超越し、愛となった。

 ――待っていろ。これを終えれば、またわらわが――

 愛情を込めて、

 壊してやろう。

 那殊は、嗤う。


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