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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
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7:軽薄な白衣の黒幕

 上空には蒼い機体がいる。眼下の人間達に熱風を浴びせない程度の高度で滞空すると、頭を左右に振って辺りをカメラで見回した。

「で、この機体はどこの格納庫に行けばいいんだ?」

 〈天斬〉を通常稼働の状態で基地の上空に浮遊させている千歳はレムリアの方に顔をあげた。が、何故かレムリアは不機嫌そうに顔をしかめる。

「あまり見上げないで、こっちはスカートなんだから。デリカシー皆無」

「……いや、今更だな。飛行機の中で散々大立ち回りしてただろうに」

 それに見上げたのも今が初めてでもないだろう、と半眼で見返す。だいたいわざと覗こうと座席から身を乗り出さない限り、席の角度からして千歳にはレムリアの顔しか見えない。

「気にしているような状況じゃなかったし。それにこういうのは気持ちの問題」

「そうか、悪かったな。で、どこに降りればいいんだ?」

 疲労のせいもあり、千歳はレムリアを軽く流して指示を求めた。眼前のモニターには〈天斬〉のカメラが見下ろす基地の風景が表示されている。千歳が確保したGAのパイロットとテロリストが両手を背中側で拘束され、兵士達に連れて行かれていた。その横では、真っ二つに大破した〈防人改〉が車両で輸送されている。旅客機内のテロリストも無事確保されたらしく、乗客も軽傷の人間しか出ていないようだった。

 ここは神国の帝都であり、首都――そこにあるひとつの軍事基地だ。千歳の目的地であり、新たな職場。〈天斬〉を自動操縦(オートパイロット)で発進させたのもこの場所である。レムリアからひとまずここに帰還しろ、といわれたので遅れて到着した一個少隊に先導されて訪れていた。

「もうちょっと先にある……そう、あのひとつだけ離れた格納庫。あそこに降りて」

 彼女に従い、千歳は飛行用のエンジンの推力を調整しながらゆっくりと〈天斬〉を格納庫の前に着地させた。膝が曲がってわずかな慣性も相殺する。

 神国軍特殊汎用装甲試験機動部隊、それが千歳の配属された部隊の名称だった。準機士や機士の延長線上にある技術で重機士に匹敵する機体を造り上げることをコンセプトにして、試作機〈天斬〉を開発、運用をしていると千歳はレムリアに聴かされた。

 重機士は、準機士や機士とは使用されている技術が異なる。人間が造ったことは同じだが、ある根幹にかかわるシステムや動力が別物なのだ。そしてどれもワンオフ機であり高性能な重機士は量産機に比べて圧倒的な力を発揮する。さらに量産機ではとてもじゃないが扱えない強力な武器も有している。反面、重機士は一機の開発期間や開発費、さらにパイロットにもある制約が存在するため、開発/運用が酷く難しい。神国内では、四、五年に一機重機士が開発できれば良い方とすらいわれている。それほどまでに重機士は規格外だ。しかも開発できたとして、実戦に投入できない可能性もある扱いが難しい機動兵器。

 もしそれに近い性能の機体をコンスタントに開発、投入できれば〈鬼獣〉に対して有効な手段になり得る。まあ性質柄、簡単に量産ができるわけでもないしコストが馬鹿みたいにかかりそうなので、もし実現してもエース級パイロットにしか乗り込めないだろうが、それでも劇的な効果がある。

 格納庫の巨大な扉は開いており、整備士を踏み潰さないよう足下に注意を払いながら〈天斬〉は中へと入る。機体をハンガーで固定しながら、千歳は一般機とは違う待遇に感想を洩らした。

「試作機だと、やっぱり他とは扱いが違うんだな」

「……理由はそれだけじゃないけどね」

「は?」

「すぐに分かる。心配しなくてもね」

 含みのある言葉に首を傾げながら、千歳はコクピットを解放する。ぷしゅっ、と炭酸が抜けるような音を発して胸部中央の装甲が口を開いた。コクピットの目の前にはキャットウォークが伸びてきていて、千歳は足場になるように開いたコクピットの下部装甲に足をかけると向かいに飛び移った。少ししてから、〈天斬〉の動力を停止させたレムリアもコクピットから出てくる。

 勝手が分からない千歳はレムリアに案内されるがまま、キャットウォークを下りる。

 地上では、白衣の男が待っていた。ノンフレームの丸眼鏡をかけた男は千歳を見ると笑みを浮かべる。軽薄なイメージ、しかしレンズの奥の瞳には強い意志の力が窺えた。

 清潔な白衣姿は、鼻をつく臭いのする格納庫の中でとても浮いている。彼はGAの格納庫よりも、病院で患者のカルテとにらめっこをしている方が似合っているように千歳は思えた。

「やあ、ようこそ。陵千歳くん、ぼくは君を歓迎するよ」

 男は大仰に白衣の裾を揺らして両手を開いた。オーバーリアクション、そんな芝居掛かった態度に違和感がないのは白衣が吸血鬼の黒マントのようにはためいたからだろうか。いや、そもそもこの男の格好が風景とミスマッチでこれ以上の違和感を抱けないだけかもしれない。

 白いシャツと白衣に紺のスラックス、と動き易そうな衣服の男は続ける。

「ぼくはオーバル・オレニコフ、一応君の上司。付き合いが長くなるか短くなるかは君の寿命によるが、まあ今後ともよろし――ィ?」

「それよりも陰険眼鏡さん、お話しがあります」

 オーバル・オレニコフの自己紹介を半ばで遮りレムリアは白衣越しに相手の肩を掴んだ。指が肩に喰い込み、骨が軋む嫌な音がする。

 こめかみに冷や汗を浮かべながら、オーバルが両手を胸の前で振った。

「は、ははは、落ち着きなよレムリア。まずはその手をどけて話し合おうじゃないか。人と人は歩みよって相互理解を深めることで争いを止めるのが最良の手段だというのが一般論じゃないか」

「つまりお前の論理は何も知らされていない人間をハイジャックされる予定の飛行機に送り込むことなんですね、ちょっと歯を喰いしばれ」

「いやいや待て待て、君に殴られたら歯が折れるからゴフゥ! ほ、本当に殴ったね? 普通はしようとするフリだけじゃないかい?」

「それは一般論ですね。私の論理はお前の眼鏡を叩き割れと仰っています」

「ごめん。ごめんなさい。すいません、申し訳ございません。だから早くその腕を引っ込めてください」

 少なく見積もっても一〇歳は年が離れている女性に男が必死に謝る姿は笑いを通り越して憐憫すら覚えさせるほど情けない光景だった。

 千歳はレムリアを怒らせると物理的に驚異的なので彼女の逆鱗には二度と触れぬようにと再度認識する。

 とりあえず気が収まったのか、レムリアはオーバルの肩から手を離した。鼻を鳴らして、彼女は白衣の男を睥睨する。

「さて、納得いく説明をお聞かせねがえますか、オーバル開発主任様?」

「うん、君が不自然に敬称を付ける時は大抵怒ってるということは重々承知してるから、そんな全身で憤怒を露わにしないでくれるかな……?」

早く(ハリー)早く(ハリー)

「えー、〈天斬〉の有用性を軍上層部の人間にしらしめる為です」

 棒読みで急かすレムリアに身の危険を感じたのか、オーバルは慌てて弁明した。

 千歳が不思議に思って、単語を反芻する。

「有用性……?」

「そう、有用性。〈天斬〉はまだ実戦経験がなかった。パイロットがいなかったからね。お偉い様方は膨大な開発費を注ぎ込んだGAがいまだになんの活躍をしないことに苛立っていたのさ。レムリア、今の君のようにね」

「この流れでいわれると殺意が沸くので話を戻してください」

「う、うん、わかったよ……。上層部が懐疑的になると、予算とか開発を続けるための場所を提供してもらえなくなるんだ。まあ、ぼくらについているスポンサーは軍に圧力をかけられるから大丈夫だろうけど、このままじゃ研究がやりづらかったのさ。そんな時、〈鬼の従者〉がまたハイジャックするって聴いてね。だからレムリアと千歳くんには同じ飛行機に乗ってもらったんだ」

「……やっぱり私に陵千歳を迎えにいかせたのはそういうことでしたか。入れ違いになって旅客機内で落ち合うことになりましたよ」

 そしてお互いにテロリストと誤解していて危うく戦う羽目になるところだった、などオーバルは夢にも思っていないだろう。

「〈天斬〉の出撃が早かったのも、敵がGAを使うことを前提としていたのですか」

「GAか〈鬼獣〉を〈天斬〉で叩きのめさないと、上は納得しないからね。これで開発を続けられるよ」

「これでテロリストまで貴方の差し金だったら、本気で怒りますが」

「そこまではしないよ。自分が全部仕立てあげるならもっと危険の少ないことをする。怪我人とかが出るといささか面倒だからね」

 怪我人を出すのが嫌なのではなく、その後の処理が面倒なのだ。と臆面もなく公言するオーバルに千歳は少し不満をもった。だいたい、あらかじめハイジャックを起こされることを知っていたなら、軍や警察に連絡をいれておけば簡単に解決できたのではないだろうか。

 そんな心の内が知らずに外に出てしまって、千歳を見たオーバルは肩をすくめた。

「君まで怒らないでくれよ。いわんとしてることはわかるがね。ぼくはこの機体を完成させたいのさ。それに、君達ならテロリストくらいに遅れをとらないと思っていた。……とるような人間なら、そもそも必要とされないしね」

 騙されている気分であったが、ここは納得はしておく。中身のない個人の感情だけの問題を長々と続けるのは不毛だ。

 気を取り直して、千歳はまだおこなっていなかった着任の挨拶をする。

「本日よりこちらに配属されました、陵千歳少尉です。以後、よろしくお願いします」

「はいはい、よろしくねー」

 オーバルは手をひらひらと振って笑った。次に〈天斬〉の蒼い身体を見上げる。その装甲にはライフルの弾丸により抉られた傷跡が刻まれていたが、貫通したものは一発もない。だが、試作機である〈天斬〉には内部に問題が多々あるようであった。

「さて、ぼくはこいつを修理してやらなきゃね。いきなり実戦だったからなあ、中身がイかれてるかもしれない。最大速度でかっ飛ばしたからねえ」

 ぽりぽりと頭を掻いて白衣を翻し、オーバルは整備士達の方へと歩いていく。それを千歳が呼び止めた。まだ聴いていないことがある。この疑問はレムリアの含んだ言葉とも関係あるはすだ。

「あの、さっきいっていたスポンサーとは?」

 オーバルは顔だけで振り返り、

「すぐにわかるよ。彼女にはぼくが連絡したからね」

 それだけいうとオーバルは整備士達と何事か話始めた。光子剣の過剰な負荷で回路が焼き切れているだとか、動力炉が安定しないなどが洩れきこえてきて、これ以上訊ねるのははばかられた。

 千歳は顎に手を当て、眉間に皺を寄せる。

 ――軍に影響力のあるスポンサー?

 しかも、試作機の開発に協力している。〈天斬〉のような明らかに大量生産を目的としていない機体のスポンサーになるなんて、一般企業ではまずない。次期の量産機を目指して開発しているのではないし、こんな成功するかわからない――仮に成功しても利益が出るかわからない――無謀とも思える計画に巨額の投資をするとは考えられない。

 そう、このような高性能機を造り上げるには目もくらむような大金が必要になるのだ。つまりかなりの財力を持った団体がバックにいる。総資産が億なんて話ではきかないような存在が。

 千歳がテストパイロットとして勤務するようになった職場は、少しばかり複雑な事情がありそうだった。

「俺みたいな、ただの軍人がなんで呼ばれたんだか……」

「不満なの? 〈天斬〉に乗るのが。高性能ワンオフ機で、貴方がそれを操れるのに」

 レムリアが〈天斬〉を指差す。力強く美しいその造形に、千歳も文句はない。性能も充分過ぎるほど伴っている。ただ、だからこそ嫌だった。

「……こういうのは俺みたいなのが乗る機体じゃない。もっと華々しい活躍をしたエースが選ばれるべきだ」

 もしこいつが量産機のベースとなるのならば、いい。新たな兵士の武器の礎になるならば、別によかった。しかしこれは違う。どういう理由で千歳が選抜されたかは不明だが、これは専用機である。世界でただ一機の準重機士級。

「名誉なことなんだろうな、こいつに乗れるのは。でも俺は、〈防人〉や〈切人〉で戦っている方がよかった。〈天斬〉にはレムリアみたいに因子量が飛び抜けていたりする特別な人間が乗り込めばいい。俺には荷が重すぎる」

 こういうのは物語の主人公みたいな人間が乗っていればいい。辺境で何年も軍人をしていた千歳には過ぎたものだ。こいつに乗る資格はない、と千歳は〈天斬〉から目をそらした。太陽のように眩しく感じる機体を千歳は直視していられなかった。

 途端に喉元にまで不快な感覚がせり上がってくる。気を抜けば胃液で床を汚してしまいそうだった。嘔吐しそうになるのをわずかに息を荒くしながら、千歳はなんとか抑える。瞼の裏には嫌な映像が投影されていた。三年前の出来事。しかし、思い出したのは仲間が死んだ時のものではない。

 家族がひとりの少女に惨殺された時の映像だった。

 無惨に引きちぎられた死体。内臓を見せびらかすように引きずり出した死体。壁に肉片を張り付けるようにして殺された死体。死体。死体。死体。死体。死体。

 口の中に血の臭いが広がる。歯を喰いしばり過ぎて、歯茎から血が流れていた。鉄臭いそれのせいで、危うく嘔吐しそうになる。

 なすすべもなく傍観しているしかなかった自分を思い出した。それがとても嫌だった。

 レムリアが千歳の異変に気づき、訊ねる。

「怖いの?」

 余計な飾り気のないナイフのような言葉が千歳に突き刺さる。簡潔に、的確に、こちらの葛藤を見抜いた一言。

 不思議なことに、千歳はそれを不快にすら思わなかった。嘲る色も労る色もない、ただ純粋な言葉に苦痛を感じる余地もない。刀による斬撃のごとき切れ味に痛みはなく、一種の清々しささえ感じた。それはこの場において慈悲深いとすら思うほどに。

 だからか、反論する気も起きなかった。変わりに千歳は滔々と語り出す。

「……ああ、怖い。俺はこいつに乗るのが怖い。もし〈天斬〉が俺のミスで破壊されて、戦局が変わる可能性の存在することが恐ろしくて堪らない。それによって周りの人間がどうなるか想像するだけで嫌なんだよ」

 量産機が一機やられたところで、戦局は変わらない。チームで行動していれば役割分担が崩壊し、その部隊が危機に陥るが、一機の撃墜だけで致命的に不利な状況にならないよう軍人は訓練を受けている。状況は悪くなっても、一機が戦いを左右するわけがない。

 だが、この〈天斬〉の性能はどうだ。

 どのスペックも〈切人〉や〈防人〉とは段違い。たった一機で戦闘を優位に進めることが可能なほどのポテンシャルを持っている。同時に、この一機がやられれば優位はなくなってしまう。〈天斬〉みたいな高性能機が墜とされれば、士気が低下する恐れもある。それは戦局を覆してしまう失態だった。

 責任が両肩にのしかかる。それを背負えるほど、自分は強いのだろうか。

 おそらく、昔の千歳ならばその責任を背負った。たとえそれが自分の身に余るほどのモノだったとしてもだ。無謀、蛮勇、若かったが故の過大な自尊心。それに支えられて、与えられた責任を真っ当しようとした。失望されないように、自分自身に幻滅しないように、自分の可能性に挑戦するために。

 あれから月日が流れ成人した千歳からしてみれば、当時の己の姿は忌むべき存在だ。その慢心が不幸をもたらす。しかも周りの人間に。愚か者の尻拭いは、いつだって善良なる者がおこなう羽目になる。そのしわ寄せは、間違いなく他人を蝕む。まるで千歳がカビで、周りの食物を傷めるように。

 それを、過去に千歳は否応なく突きつけられた。代償とばかりに自信を、アイデンティティを、陵千歳を構成するモノを根底から破壊して。

 ――できるか、俺に。いいのか、俺で。許されるのか、そんなこと。

 脳裏で言葉と記憶は泡沫(うたかた)のように浮かんでは消え、千歳をさいなむ。

 〈天斬〉を注視して葛藤する千歳にレムリアがかけた言葉は、やはり情け容赦のない辛辣なものだった。

「男の癖に女々しい。情けない。意気地なし」

「……否定はしないけどな」

 全部図星だ。否定する気は毛頭ない。

「そうやって諦観したフリをしてるの、正直どうかと思う。そもそも、貴方は勘違いしてる」

「勘違い?」

 いったい何を、勘違いというのだろう。怒りはなく、素直に彼女の発したものの理由が気になった。

 千歳に頷いてレムリアが告げた事実は恐ろしく単純で、故に千歳が見落としてしまっていたことだった。

「貴方が独りで乗るわけじゃない。〈天斬〉には私も乗ってる。勝手にもしものことで悩まないでほしい。これからは、パートナーなんだし。……あくまで仕事上ではだけど」

 千歳は目を丸くした。そう、〈天斬〉はひとり乗りではない。複座式だ。コクピットには常にレムリアがいる。

「パートナーのサポートが私の役割でもあるんだから、そんな心配はする必要はない。もし貴方のミスで〈天斬〉が撃墜されそうになったら、私がフォローするもの」

 でもそれでは、また誰かに不幸を押し付けてしまう。そうなってしまうのが嫌だから千歳はただの一兵士でありたかった。

 なのに、どうして、彼女の言葉でこんなにも安心してしまうんだろうか。

 もし千歳がミスをおかしたり、おかそうとしたり、間違った判断をしてしまいそうになっても――そうだ、レムリアがいる。また手厳しい一言で、追い詰められた心を連れ戻してくれるのだ。

 それは依存してしまうことになるのではないか。甘えてしまえば、戦闘中にそれが隙として反映されてしまうかもしれない。

 いや、これこそ無用な心配だ。レムリアが依存させてくれるほど甘い人間だとは思わない。そうでなければ、こんなことはいってこない。

 彼女が許すのは、共存。片方が支えるのではなく、両方が対等に道を歩くことだ。けして、甘くはない。

 そして千歳は、レムリアを優しいと思った。聴こえがよく、都合のいいことをいうのではない彼女は不器用でありながらも人の心情を察する人間だ。

「貴方がしっかりしてくれないと困ります。一応、私の命を預けてるんだから」

「……そうだな、悪かったよ。思いのほか責任重大だったから戸惑っただけさ」

 千歳は苦笑して、レムリアに謝った。操縦を任せているパイロットが弱気では、同乗者として不安を感じるのも致し方ない。

 そうだとも、と千歳は頷く。現状に不平をたれるより、現状に順応する方がよっぽど有意義だ。もう千歳はひとりのGAパイロットではなく、相棒を乗せて戦うようになったのだから。

「あー、ありがとうな」

「……なんですか、藪から棒に」

 意図が分からないのか、レムリアは訝しげに柳眉を寄せる。千歳としては、自然と喉元を駆け上がってきた単語を吐き出しただけだ。それをいっておかないといけないように感じてしまったから。

 素直に、感謝したかった。それだけだ。しかしいってから、少し恥ずかしくなった。なので理由は語らない。総ては千歳の心の内で完結する。

「深い意味はないさ。おとなしく感謝されといてくれ、ちょっと恥ずかしいからな」

「意味がわかりません。自己完結は自己満足です。いわれた方は不気味なんですが」

「だから気にしないでくれ」

「そういわれると人間は余計に知りたがる生き物だと心理学で証明されているのですよ」

「たいしたことじゃないんだよ。……なんか、お前には逆らえない気がするな」

「私、アブノーマルなことはあまり好きではないんですが」

「そっちの意味じゃないんだが」

「わかってます、冗談ですから」

「そうかい」

 自然と笑みがこぼれる。レムリアと今日会ったばかりとは思えなかった。ハイジャックでの吊り橋効果というやつだろうか。危険な状況に男女が陥って心拍数が跳ね上がり、互いに恋愛感情だと錯覚してしまうもの。いや、千歳のこれは恋愛感情ではないから違うだろう。回りくどくない彼女のはきはきとした台詞がとても心地よかった。(うみ)の底で沈澱してヘドロと化していた鬱屈な感情(どろ)をかき回して酸素を送り込み、汚泥を分解してしまう。

 それに、誰かに似ている。そして千歳はそいつにも逆らえなかった。

 ――あいつのことは、思い出したくもないけれど。

 急に、吹雪が吹き荒れた。

 無意識の内に、右手をさすった。痛みはない。神経も繋がっている。生身の右手だ。血も通っている。なんらおかしくはない。人間の、陵千歳の右手。

 右手を左手で握りしめると鈍い痛みが生まれる。当然の痛覚。こうして、ただ痛みを確認したかった。

 ギリギリ、と千歳が左手で右手を捻り潰しそうなほどの力で握りしめていることにレムリアが訝しむ。

「またどうかしたの?」

 千歳は慌てて右手を掴む手を離した。手には赤い手形がくっきりと浮かび上がっており、加えられた力の強さを物語っている。爪を切っていなければ、突き刺さっていたところだった。

「あ、いや、別に……」

「そうやってまだ隠し事を――」

 からん、と。

 車輪の廻る音がした。

 格納庫の中に静寂の帳が落ちる。故障、損傷の点検や資材の運搬で騒がしかった格納庫が一瞬で静まり返っていた。

 レムリアさえ、そこで話すことはしなかった。変わりに、背後を振り返った。千歳は彼女の目の向く方へと顔を向ける。

 そこには、この異常を作り上げた張本人がいた。

 頭髪が総て白くなってしまった老人が車椅子に座っている。齢は既に七〇を超えているであろうご老体、なのに今格納庫の空間を支配しているのが彼であることは疑うまでもなかった。けして身体が大きいわけでもなく、身体的に目立った特徴があるわけでもない。強いていえば、白髪が長く肩より下にあるくらいだった。

 なのに、まるで獣に睨まれたような圧力を見るものに与えさせる。顔にこそ深い皺がいくつも刻まれひび割れてしまっていたが、両目の眼光だけは活力に溢れていた。

 和装の老人。彼を知らない者はこの神国には絶対いないだろう。千歳もその名を知っている。

 皇ヶ(おうがいん)の姓を持つ、世界中の人間に認知されている神国を代表する、世界有数の資産家。

 皇ヶ院雷禪(らいぜん)

 その貫禄と威圧感はとても還暦を過ぎた人間のものとは思えなかった。

 さらに、千歳は雷禪の車椅子を押している少女に釘付けになっていた。

 皇ヶ院雷禪には娘がいる。結婚が還暦を過ぎた後だったため、孫ではない。娘だ。若い妻が早くに亡くなったため彼女に兄弟はいないが、逆境にめげず年若くして父譲りの手腕を振るっていると有名である。テレビの取材など、そういう表舞台に堂々と顔こそ見せないものの、実質その娘が皇ヶ院を取り仕切っていると噂されている。

 名を、皇ヶ院雷華(らいか)

 彼らは総資産一〇兆円以上を誇る皇ヶ院財団のツートップなのだ。そんな重役が、護衛もつけずここにいた。

 千歳は緊張で動けない。金縛りにあったように固まっている。

 雷禪とその車椅子を押す雷華が千歳とレムリアの前に現れた。

 雷禪は作業を止めた整備員達に目を向ける。

「こちらは気にせず続けよ」

 静かな、しかし雷のように轟き響き渡る声だった。

 その一言で魔法が解けた。整備員達は各々の作業に舞い戻っていく。オーバルだけは、ずっと〈天斬〉のステータスを格納庫に設置された端末で確認していたが。

 作業が再開されたことを確認するよりも早く、雷禪は視線を千歳に移していた。

 この目は苦手だ、と千歳は思う。まるで獣に至近距離で睨まれているようで気が抜けない。しかもその獣は狗や鴉の類ではなく、闇夜で遭遇した狼。防衛本能が首をもたげるほどに、人間離れした眼力である。

 雷禪が、枯れ木のような手を千歳に差し出した。

 千歳が、その手を取る。見た目に反して雷禪の握力は結構なものだった。

 いくらか迷って、しかし千歳は礼儀としていわざるを得ないことがあった。

 目をしっかりと合わせて、

「お久しぶりです、雷禪老」

 と。


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