6:狩猟の獣と天翔る翼
準機士級〈GA-18 防人〉――否、その機体を独自に改修した〈防人改〉のコクピットに、独りの男がいる。
彼はハイジャックしたテロリスト達からはハイエナと呼ばれていた。無論、偽名だ。男は彼らの仲間ではなく、ただ雇われているだけなのである。不用意に名を明かす必要はない。
名前とは、記号だ。記号がなければ、なにを示しているのかがわからない。例えば、スギや白樺が同じ場所に生えていても、木というジャンルでのみにくくられてしまっているだけでは問題がある。スギは夏に花粉を生産し春近くにそれを飛ばすが、白樺はそうではない。同じ木でも別物、それらを区別するのに名前がある。
"ハイエナ"は、裏社会においてこの男を指し示し区別するために必要だから付けた記号だ。この名前にした意味はないし、理由もない。ただ呼び掛けられる時には記号がないとどうしようもなく不便なのである。
『ハイエナ! 貨物室に二人逃げ込んだ奴らがいる、同胞も二人拉致された。対応を頼む』
やはり、記号は重要だ。真に記号であることを求めるならアルファベットだけでもいいのだが、それでは少々味気ない。人間であるなら、それらしい名前の方がいい。ハイエナが、人間らしい名前かは疑問だが、少なくともただのアルファベットよりは生きている感じがする。
はいよ、と通信にハイエナは応えて機体の高度を下げて、旅客機下部の真横に移動する。といってぴったり寄り添っているわけではなく、距離はいくらか離している。下手な接触の仕方で旅客機を墜落させては間抜けを通り越して滑稽である。
逆に下手な接触の仕方でなければ、多少のことなら平気な程度には旅客機の安全性は確保されている。
相対速度を合わせたまま〈防人改〉の両手で旅客機を掴み、上下に揺らした。力加減は間違えない。揺らし過ぎると真っ二つに折れてしまう。その辺の精密動作が可能なのがGAの利点でもある。
――もっとも、GAの殺し合いではそんなものたいした役に立たないが。
あくまで操縦方法の関係の副産物である。
機体を揺らすと〈防人改〉を旅客機から離し、外部マイクのスイッチをいれた。
「貨物室に存在する人間に告ぐ。速やかに客室へと引き返せ。さもなくば実力行使で貴様らを排除する」
音量は高めにする。そうでなければ音声は後ろに流されてしまうし、エンジン音にもかき消される。音など所詮空気の振動なのだから。
「今からしばらく猶予をやろう。それまでに戻らなかった場合、貨物室に穴を開けさせてもらう」
無論、猶予などあってないようなものだった。ハイジャックした連中が貨物室に入らないでわざわざ連絡してきたのはハッチが閉じられたからに違いない。そして内側からではハッチは開かないように出来ている。荷物に紛れて何が入るかわかったものではないからだ。
外部マイクをいれたままカウントダウンを始めたのも、交渉を有利に進めるため。仲間が脅している機長達にも聞こえているだろうから、切羽詰まった声で管制塔に要求を呑むよう検討してくれというだろう。
それに今呑まなくとも、予定時間の二分前に貨物室に穴を空ける。これで決断を迫られることになる。しかも機長に連絡させたのはついさっき、対策を練る時間を向こうに与える気もない。
後は、ハイエナの暇つぶし。
ハイエナにしてみればこのハイジャックが成功しようがしまいが、関係ない。前金はたっぷりもらっているし、成功したら報酬が山のせされるだけだ。どうせなら成功してほしいが、贅沢はいわない。軍を脱走して、戦場に捨てられた半壊の〈防人〉を改修して傭兵をやっているハイエナは、余計な欲を出すと自身を滅ぼすことを知っている。だからもし指定時間になれば容赦なく旅客機を破壊する。まあ、信用をなくさないように依頼主くらいは助け出すが。
棒読みのカウントが刻まれる。半分ほどを過ぎた辺りで飽きてくる。もう穴を空けてしまおうか、と早まりそうになるが、それを押し止める。いや、今のも暇つぶし。本当はする気もないことを考え、手を伸ばし、引っ込める。この一連の動作をおこなうことにより気を紛らわせていた。
やがて、カウントがゼロになる。
「時間だ」
腰のウェポンラッチから高周波振動ナイフを引き抜き、躊躇せず旅客機の下部に突き刺した。気圧差以前に旅客機の装甲ではナイフを防ぐことはできない。〈防人改〉の関節にすらなんら負担を与えることもできなかった。
ナイフを引き抜くと旅客機から離脱し、得物を腰部に収納する。傷口が外側にめくられていく様を飛行しながら眺めていた。すると、人がふたり吐き出される。カメラの倍率を高めると、雇い主のテロリストだった。
「助けないわけには、いかんよなあ」
こんな高度で投げ出されれば凍え死んでしまう。
〈防人改〉に二人の後を追わせて――レーダーに反応。ハイエナはカメラの端に映る影に気がついた。
「なんだ……鳥?」
そんなわけはなかった。この高度を飛ぶ鳥類など聞いたことがない。だが、軍が来るには速すぎる。空戦特化の重機士級ならあの速さはあるだろうが、そんなものがこの近辺に配備されていただろうか。
悩むが、現にその機体は目の前にいる。それは紛れもない事実だった。
ならば、戦うしかない。
「そのために、雇われたんだしなァ」
突然現れたGAが遅れて旅客機から落ちたふたりを回収しているのを見て、ハイエナもテロリストを〈防人改〉で受け止めた。
凍えるテロリストを、背部の腰部分にマウントした衝撃吸収材入りのケースに放り込む。全方位からエアバッグが展開されているような箱の中でケースを閉じると生命維持に必要な環境を整えてくれる優れもの。窮屈だろうが、我慢してもらうしかなかった。
*
敵である〈防人改〉がテロリストを回収し終えたのを千歳とレムリアも確認していた。〈天斬〉を飛ばす千歳にレムリアが釘をさす。
「撃破しないで、出来る限り。軍に引き渡す」
「勝てることが前提なんだな」
「〈天斬〉を使うんだもの。当然」
「とはいわれても……」
〈防人〉は準機士級だ。GAの中で性能自体は低いが、代わりに抜群の信頼性がある。幾多の戦場を駆け抜け、問題点をひたすらに埋められてきた。千歳も飛行ユニットを取り付けた〈防人〉を運用したことがある。あれも兵器として洗練されていた。さらにあの機体、見たところ相当な改造が施されている。〈天斬〉の稼働できるタイプとは違う固定翼の飛行ユニットによる加速も侮れない。パイロットの技量も不明である。
対して、〈天斬〉。性能は機士の〈切人〉を軽く凌駕し、準重機士の名は伊達ではない性能ではあるが――
「だけどこいつ、相当な暴れ馬だぞ……!」
試作機、それは実戦をまともに行わず現段階の技術を最大限に盛り込んだものということ。それは量産されている機体と違って遥かにバランスが悪い。
――乗り手を考えていない、こいつは。
〈天斬〉は、まだその段階に至っていない機体だった。
「この子じゃないと間に合わなかったんだもの、しょうがない。ちゃんと乗りこなして。これは貴方の愛機になるんだから」
「なに――」
敵機からの銃撃。それを右に回転して躱した。
回避性能、悪くない。千歳が今まで使ってきた機体では間違いなくダントツ。しかしマシンパワーが高すぎて、制御仕切れない。量産機と同じ感覚で使うとどうしてもオーバーアクションになってしまう。
――認識のずれ。
GAは人間と同調してパイロットの意志を汲み取り行動する。人の脳を鋼の巨人に搭載しているようなものなのだ。これは人体と構造の同じGAを動かすには理想的なシステムであり、より柔軟でダイナミックな動作を可能とする。
だが、それ故の欠点。
今まで乗っていたGAから乗り換える場合、感覚に齟齬が生まれる。もし仮に、ごく普通の青年の意識がプロのアスリートに移植された場合、彼は自由にその身体を動かせるだろうか?
答えは否、である。
軽く走ったとしても、出力される結果は段違いのものになる。肉体のスペックが別次元なのだからいつもと同じ、が通用するわけがない。
千歳と〈天斬〉はその例と同じである。今まで〈防人〉や〈切人〉といった機体に乗ってきた千歳は、〈天斬〉の性能に意識が混乱していた。
冷や汗をかきながら自分の中で感覚を矯正しつつ、レムリアに叫ぶ。
「武器はっ?」
「正面ディスプレイに表示。接近戦なら右腰部ウェポンラッチに光子剣!」
ラッチが開き、せり出した柄を〈天斬〉が引き抜く。右の掌と柄の接触面で接続され、刀身形成用のエネルギーが動力から供給される。プラズマを発生させることにより発電される高出力の動力炉、そこで生み出されている光子を柄に充填して、さらに刀身形成用のエネルギーを加えて剣としての指向性をもたせることにより、光の帯が柄から現れ眩い剣をなす。刃渡りおよそ六.三メートル。
弾雨を縦横無尽に避けながら、〈天斬〉はブースターとスラスターの推力を背部に集め一気に加速し〈防人改〉へ肉薄する。
光子剣を縦一閃。
それを〈防人改〉はウェポンラッチから逆手で抜きはなった高周波振動ナイフで受け止めた。バヂィ、と甲高い激突音。粒子が拡散せぬよう操作された光子剣は、実体剣と拮抗する。
GAの高周波振動ナイフはその性質上、熱に対しての強い耐性を持つ。でなければ、振動による熱で刀身自体が保たない。それを防ぐため極力負担をかけぬよう何らかの物体に接触していない時は振動を停止するよう設計されているが――安定性を求め、数分の振動では自壊しない強度を持たされている。
光子剣は高熱によって目標を溶断する兵器、それと打ち合える耐久性をナイフは持っている。にも関わらず、〈天斬〉の光子剣は瞬く間にナイフを浸食/切断した。斬撃の直線上にある〈防人改〉の右肩を破壊し、巨人の腕は真下へと落下した。
「なんてエネルギー量だ!」
千歳は破壊力、ひいてはそれを実現させる粒子の密度とエネルギー総量に瞠目する。
通常、光子剣を扱う機体は少ない。高周波振動ナイフより長大で破壊力はあってもエネルギーを大量に喰ってしまい、継戦に支障をきたすのだ。どの機体にもブレイドエンチャントのエネルギー供給の機構は備わっているが、高周波振動ナイフの方が動力炉の消費を抑えられ安定性がある。
なのに、この〈天斬〉の光子剣はさらに出力が高められていた。千歳には無茶苦茶としか思えない。
意識を戻して、千歳は返す刀で光子剣を跳ね上げ〈防人改〉の胴体を薙ごうとする。
が、〈防人改〉は剣が跳ね上がる前に〈天斬〉の腕を片足で踏みしめ制止させた。もう片方の足で〈天斬〉を蹴り飛ばす追い打ち。
吹き飛ばされ、崩した体勢を一回転して立て直す。腰部にはテロリストを収容したコンテナがあるので傷つけるわけにはいかない、と意識してしまったのもあるが、なにより〈天斬〉のスペックに千歳の頭が慣れていなかった。どうも隙が大きい。
それにあのパイロット、あれは訓練された兵士だった。しかも実戦を積み、マニュアルの戦闘ではなく自分の戦い方として身につけた熟練者。あの子供だましなテロリスト達とは訳が違う。これは分が悪い。
パイロットスーツを身につけていないため、いつもより強いGに晒されながらも、千歳はディスプレイに表示された武器を確認する。
「……って、武器なんてほとんどないじゃないか!」
「速度を上げるためにライフルとかの外部火器は外したの。量産機とは規格が違ったから整備も出来てなかったし」
現在使用できるのは光子剣と七六ミリ頭部機関砲二門のみ。七六ミリの機関砲は口径からしてGAにも通用する破格の威力を孕んでいるだろうが、それでも数秒当て続けなければならず、やはり光子剣と比べればどうしても頼りない。それに頭部の可動域にしか撃てないのと、腕の可動域に射撃できるのでは、前者が不利。ドッグファイトには持ち込むのは避けるべきだ。
「エネルギーなら心配しなくていい。量産機とこの子じゃ単純な出力でも三倍は違うから」
「なら、このまま押し切るか――」
近接戦しかできないなんて敵に知られたら間合いを詰めるのが困難になる。次の一太刀で決める。
天斬/千歳の視界で〈防人改〉を確認して、目を瞠る。
敵はなんと旅客機にライフルの照準を合わせていたのだ。
コクピットのモニターでは時刻が一三時五一分に後数秒で変わろうとしていた。
タイムリミット、という言葉が脳内に浮ぶ。あのGAのパイロットは抗戦中にも拘わらず有言を実行しようとしているのだ。
「マズい!」
さっきの蹴りで〈天斬〉は〈防人改〉から距離を離された。空中戦では当然機体は常に飛行しているから、離れた距離もだいぶんある。〈天斬〉といえど瞬間的な加速力で〈防人改〉が引き金をひくより早く斬り捨てるのは難しい。
でも、引き金をひいた瞬間にならば、あるいは――
考えてる時間はない。
「レムリア、光子剣へのエネルギー供給を最大まで跳ね上げろ!」
いいながら、千歳は自分/天斬の背中に意識を集中し、羽撃いた。
*
「なんて機体だ……速すぎる!」
ハイエナは〈天斬〉の性能に舌を巻く。さらには高周波振動ナイフごと腕を両断する光子剣の破壊力は驚異的だ。〈防人改〉ではあれを防ぐ手段は持ち得ない。後一太刀も喰らえば、終わる。
あの機動力と武器の威力はやはり重機士級に匹敵する。軍の重大な戦力である重機士なら性能はわからなくとも外見的特徴なら噂で流れるはずなのに、こうして戦ってみてもハイエナにはあの機体の正体はわからない。まさか新型がたかだかテロリスト相手に初陣したというのか――と訝しむが、ずばりその通りだとはハイエナも考えてはいなかった。
「まあいい」
その存在は半信半疑だが、目の前にあるからには信じざるを得ない。そして対応し、生き残るのが傭兵である。考えるのは生き残ればできる、ならばこの時間にしかできない生を掴み取るために集中する。
幸い、蒼い機体の動きは隙が多い。回避運動や斬り込み方は鍛えられたものだったから、おそらくパイロットはあの機体での戦闘が始めてなのだろう。
パイロットが認識のずれに手間取っているうちなら、準機士に毛の生えた〈防人改〉でも対応できる。逆をいえば早く斃さねば勝機はなくなる。あのスピードだ、逃げても追いつかれる。豚箱か地獄、生きれば前者で死ねば後者。どちらも嫌なら殺すのみ。
接近されてはこちらの主武装がライフルなので不利、かといってただ撃つだけでは躱されよくて数発が装甲を傷つけるだけだ。ドッグファイトを繰り広げても後続の軍が到着して終わる。
そこで目に付いたのは〈天斬〉との戦闘によって離されてしまった旅客機であった。どんどん遠ざかっていく白いボディとコクピットの時計を見比べる。
一三時五〇分五二秒。
「……時間、だな」
ハイエナはその名の示す通り、獲物を前に痩けた頬に獰猛な笑みを張り付けた。ライフルの照準を旅客機に合わせる。
ロックオン。
トリガーを、ひく。
マズルフラッシュ。
弾丸の群は獲物に殺到――
*
直撃。弾丸が装甲にいくつも命中する。
旅客機は無論軍用ではなく民間機、なら対弾性など考慮に入れないし、つもり攻撃には脆い。決定的に。GAが狩猟者なら攻撃手段や防衛手段も持たない旅客機は鳩である。
鳩に猟銃の弾丸が当たればどうなるか、それは子供でもわかる。
死。
そして旅客機に弾丸が当たれば、
爆散。
テロリストは脱出するかもしれないが、乗客は例外なく死亡し、操縦士や客室乗務員の亡骸も落下し海の藻屑となる。
そのはずである。
が、旅客機は健在だった。
それは、弾丸がえぐった装甲が〈天斬〉のものであったからに他ならない。いくら旅客機でも、当たらなければ落ちずに飛び続ける。
「間に合ったかッ」
〈防人改〉が引き金をひいてからでは間に合わない。しかし上手くいけば引き金がひかれた後、その銃弾の先に回り込める。そう判断し千歳は〈天斬〉で射線に割り込んだのである。
結果、本当に間一髪で間に合った。
「早く、避けて。さすがに当たり続けると痛い」
「今避けたらまだ旅客機にあたる可能性がある」
「なら……」
「無力化する、奴を!」
レムリアは千歳の言葉通り、光子剣の出力をあげていた。刀身の長さが〈天斬〉の身の丈を超えて引き延ばされ、まばゆい光を撒き散らす。
およそ機体の三倍の長さにまで延長された光子剣は、神話に記された天地を斬り裂く開闢の剣のようであった。
敵はその異様に怯み、間合いを離そうとする。
「逃がすか」
そのための光子剣、フル稼働。
〈天斬〉は透明の壁でも蹴るように加速、ゲラートが模擬戦でそうしたように叩きつけられる弾雨には目もくれない。
ただ今は早く、速く、疾く、敵に到達する――
斬ッ
狙い違わず、光子剣は左腕ごと〈防人改〉の胴体を両断した。
飛行する力を失った〈防人改〉が自由落下を始める。千歳は光子剣を柄の状態に戻して腰部に収めると、敵機の上半身と下半身を捕らえた。
千歳は額に浮かぶ汗を服の裾でぬぐい取ると深呼吸する。吐き出した息には疲労の二文字が見える気がした。
「終わった、か……」
「お疲れ様。ギリギリ及第点だけど」
「そうかい」
「まあ、これからの活躍に期待かな」
「……は?」
なにか不穏な言葉を口にしなかったか、この娘は。
千歳が振り仰ぐとレムリアは相変わらずの無表情だった。美しい金髪に触れながら、彼女は千歳を見下ろす。
「陵千歳少尉の転属先である神国軍特殊汎用装甲試験機動部隊、この子――〈天斬〉は貴方の愛機となります。私はレムリア・オルブライト少尉。今後ともよろしく」
千歳は今日で何度目かもわからぬうめき声をあげた。
「冗談だろ……」
夢なら醒めてくれ、と千歳は海溝より深い溜息を吐いた。
ここまで目を通していただきありがとうございました。
この話でとりあえず一区切りです。
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ではでは。