5:幻の大陸/レムリア
胃の辺りに不安という名の重石が落ちる。たかだかハイジャックをするカルト集団がGAなんて代物を持ち出してくるとは夢にも思わなかった。全高一五メートルの巨人は維持するだけでも大変だ。資金も使うし、整備にも専門的知識がいるが、なにより隠し場所に困る。こんな巨大なものを隠匿するのは容易ではない。
そこで千歳は、この間も似たような事件があったことを思い出す。
「GAを使ったハイジャック……俺の部隊担当じゃなかったからあまり聞いてなかったが、前にも合ったよな」
「ええ。人工島から神国行きの飛行機をジャックし、思想の布教をしていました。……実際は、政府と交渉して身の代金をふんだくったようですが」
「よく支払ったな、政府も」
まあ救出部隊を送ろうにもGAがいたのでは不可能に近い。長距離からの狙撃でGAを破壊するにしても、今度は中にいるハイジャック犯を止められない。まずは機内の実行犯を取り押さえない限り、GAの破壊はできないのだ。実際はモデルガンで武装しただけの集団でも、外部からでは確認する手だてはない。常駐している警備員も癇癪玉を炸裂させてから銃を突きつけて拘束すれば、無力化するのはさほど難しくはないだろう。コクピットには、客室乗務員を脅して通信で開けさせれば侵入は容易い。
テロリストがつけていたパラシュートは、いざという時に脱出するのに使うのだろう。交渉決裂なら機体を真っ二つに折ってもいいし、成功したならハッチを開けて降りればいい。GAが仲間を回収し、離脱する。飛行機に爆薬を仕掛けたといえばこの瞬間を狙われる危険もない。それに交渉役は外部にいるだろうから、やはり内部がわからないと手が出せない。
もう千歳はテロリストが実弾どころか、刃物すら持っていないであろうことを知っているが、こちらは外部にいるGAに対抗する手段は一切持ち合わせていなかった。外部に連絡する手段もない。携帯電話は圏外である。
おとなしく出ていくのも有り得ない。そうするとまず間違いなく千歳とこの女性は拘束される。千歳はともかく、女性だと見せしめとして乱暴をされることもある。
なら、テロリストを実力行使でたたき伏せる? 武器を持っていない相手だから、難しくはない。飛行機の通路は狭いので、包囲される心配もなくお誂え向きだ。でもそうすると、GAが仲間ごと飛行機を撃つ可能性がある。狂信者なら、それくらいやってのけることを前提で行動するべきだろう。
「あなた、GAの操縦はできるっていってましたよね」
「ああ、パイロットだからな。それがどうした?」
女性はなにか悩んでいるようだったが、「背に腹は変えられない」と決心したらしかった。
「五分前に衛星通信でハイジャックが起こったことを管制塔に連絡しました。が、残念ながら間に合いません」
女性が端末を指でさす。衛星通信なら、こんな場所でも連絡は問題なくとれるようだった。
「間に合わない、とは?」
「犯人達は一三時五〇分までに身の代金を口座に入金しろ、さもなくば旅客機を撃墜すると要求しているようですが、今は一三時三五分……残り一五分では人工島の軍も神国の軍もGAは救援にこれません」
一般的なGAの最高速度は時速一七〇〇キロ、旅客機のおよそ倍の速度だが、連絡されたのは五分前だ。この飛行機が発進してから五〇分は経っている。人工島からはまず間に合わない。
「神国からでも駄目なのか?」
「まだ距離は一二〇〇キロ以上。数一〇〇キロ離れた距離から飛行物体を狙撃できる人間がいれば話は別だけど」
「……無理だな」
GAと飛行機の距離はあまり離れてはいない。もし仮に撃墜できても爆発に巻き込まれて終わるだろう。まずは引き離さなければいけない。
不可能の三文字が脳内に浮かび上がる。救援は期待できないのに、こちらは無手。外には一五メートルの巨人。何百人もの人質。絶体絶命とは、まさしくこのことだ。
打開策は必死に探せば、無謀といえるものでも見つかるのだと千歳は知っている。諦めるくらいなら、それにしがみついて決行する度胸もある。だが、今はどうだ。さっきから頭をフル回転させてGAを破壊し、乗客を助ける方法を模索しているのにまったく見つからない。ならば、足枷となっている条件を一度切り捨ててでも思考する。だが、それでも見つからない。そもそも、天空の密室にいる身でその外を飛び回る鋼鉄の翼人を打ち斃そうなど無茶としかいいようがなかった。
「せめて、武器くらいあればいいんだが……いっても始まらないか」
「ありますよ」
「ハンドバックの中に?」
「あれはハッタリです」
「……そうじゃないかとは思ってたよ。なら、機長室に備え付けられてる武器でも受け取りに行くのか? 正反対だぞ」
「そんな子供だましではGAの装甲板ひとつ傷つけられませんから、時間の無駄」
「じゃあ、どこにある?」
「GAに対抗できる兵器は、今から来ます」
「来る、だって?」
GAに対抗できる兵器は同じGAだけだ。でもそれは先程、時間が足りないと結論が出た。ならば、なにが来る。どこからやって来る。この女性は何者なのか。ただの軍人ではないことだけは確かだった。
「お前は、いったい……」
「さっきからお前お前とやけに高圧的ですね、貴方。年はさして変わらないはずですが」
むっ、と女性は不満気に千歳を睨む。緊迫した状況には似合わないその態度に千歳は肩の力を抜いた。
――緊張するな。緊張は動きを鈍らせる。
軍として活動しないのが久しぶりだったからか、感覚が狂っていた。昔はいつも独りだったのに。
一度認識すると、気が楽になった。初対面の女性に悟らされるのは、少しばかり遺憾ではあるが。
「仕方ないだろ、お前の名前を知らないんだから」
「またお前っていいました」
「いやだから名乗ってくれないと……」
「普通、名前を訊ねるなら自分からするべきと思いますが」
「……陵千歳だ!」
器用に小さく叫ぶと、何故か女性は驚いたようだった。目を見開き、千歳の顔を凝視する。
意外な反応に千歳は戸惑う。
――まさか、『陵』の名を知っているとは思えないが。
すると女性は千歳から目を逸らし、眼前の壁を射殺しかねない勢いで睨みつけた。
そして、
「そういうことか、あの陰険眼鏡ェッ!」
バゴォッ、と力一杯蹴り飛ばした。
「うおぅ……」
突然の変容に千歳が喉奥から意図せず声を洩らした。
女性の踵は壁にめり込み、アルミの骨格をひしゃげさせていた。パイルバンカーでも撃ち込んだように陥没している。どう考えても女性の、いや人間とは思えない馬鹿力だった。桜姫が感染者を斃した時を彷彿とさせる力である。
「……式神?」
「人間ですが」
「すいません」
ものすごい勢いで睨まれたので脊髄反射で謝ってしまった。
がこっ、と残骸を転がしながら足を引き抜いて、変な空気を誤魔化すために女性は咳払いをする。
「失礼、取り乱しました。ところで陵千歳さんにお願いがあるのですが、とりあえずテロリストを一人か二人のしてください。全滅はさせないように」
「いきなり物騒なことを簡単にいうな」
「簡単でしょう? あれくらい。それに、迷ってる時間はありません」
もうそこにいますので。
女性の台詞と同時に、通路からテロリストがちょうど二人飛び出してくる。片方は拳銃、もう片方はライフルを手にしているが、両方ともモデルガン。ライフル使いも拳銃使いも銃身を握り、銃床を頭にして鈍器と同じ使用法をしているからだ。銃を玩具と見破られているのをわかっている。
先頭のテロリストがライフルに渾身の力を込めて真っ向から振り下ろす。モデルガンといえど、振り下ろせばその銃床は人の頭をかち割れる程度には頑丈。しかもこのテロリスト、銃器を元から鈍器として使うことを念頭において改造している――。
それでも当たることを前提にして、テロリストが当てることを考えてない時点で千歳にはなんら驚異ではなかった。
相手がライフルを握る右手と左手の隙間、つまり先端より遙かに力がかからない部分を左腕で受け止め、振り下ろしきって勢いがつくより先に制止させる。続いて右拳を軽く握りしめ、真下から振り上げた。顎を寸分の狂いなく殴り、たったの一発で意識を刈り取る。
まるでボクシングの十字防御のように腕を交差させる体勢になった千歳は、右手で斃れゆくテロリストの握ったライフルを掴んだ。銃床に近く、遠心力によるダメージの増加は見込めないが、問題はない。
ライフルのテロリストが斃れるとすかさず拳銃使いが千歳の頭を狙ってハンマーのごとく獲物を振るった。
鈍器は壁に風穴を空けるが、攻撃目標の姿はテロリストの視界から消え去っている。
動揺。
テロリストは、あまりに無防備な姿を晒していた。
攻撃をしゃがんで躱した千歳は身体の発条を使って砲弾のような勢いで立ち上がる。
「――――ッ!」
ライフルの銃床を振り上げ、テロリストの顎を打ち上げた。単純な衝撃ならプロボクサーのフックを超えるそれに耐えられるわけもなく、二人目のテロリストも白目を剥いて斃れ伏す。
通路に折れ重なって斃れるテロリストを見下ろし、千歳はモデルガンのライフルを捨てた。
「まあ、難しくはないな」
他のテロリストは二人の仲間が瞬く間に昏倒させられた事実に戦慄したのか、すぐには向かってこない。
「これで材料は揃いました。では、その二人を連れて私についてきてください」
「あ、おい、待てって」
千歳がテロリストを両肩に軽々と担ぎ上げると他の連中が騒ぎだすものの襲ってくる勇気がないのか足踏みしていた。それを一瞥して、千歳は通路を奥へと進む女性を追う。
そういえば、と千歳が訊ねた。
「結局、俺はまだお前の名前を知らないんだが」
女性もいわれて思い出したのか、顔だけ振り返って応える。
「レムリア。レムリア・オルブライト」
レムリア、その名前は聞き覚えがあった。テレビの特集番組で見た記憶がある。確か意味は、
「……レムール?」
「――ふんっ!」
その一言で千歳は振り返ったレムリアに腹筋を殴られることになった。
わりと本気で。
「ふごぅ! ……ぐほぁ?」
旅客機の壁を蹴り破る人間の放つ拳を受けて、胃の中身を吐き出さないのもテロリストを落とさなかったのも奇跡的としかいいようがなかった。
それでも顔を青くして今にもテロリストと仲良く斃れそうな千歳は殴られた理由をまったく理解できない。
短い付き合いでも表情に感情の起伏が現れないタイプの娘、と千歳が判断していたレムリアは憤然と眉を寄せていた。なんの脈絡もなく、千歳は怒っても泣いても美しいのが美人の条件だと思った。それでいえば彼女は間違いなく美人に分類される。
だが、その美人が怒るとかなり怖い。恐ろしい。もしかしたら外に浮かんでいるGAと同じくらい、この瞬間のレムリアは千歳にとっての恐怖だった。
「最低。最悪。死ねばいいのに」
「今まさに死にそうですが……」
レムリアは鼻を鳴らして通路を歩き出す。先でかがみ込むと、ハンドバックからなにやら機材を取り出した。カード型の物体にきしめんのようなコードが複数伸びていて、先程レムリアが使っていた端末に繋がっている。
近くに設置されたカードキーの読みとり機、そのスリットにカードを差し込むと、彼女は端末を操作しだした。
「……なにしてるんだ?」
背中から目視できるほどの不機嫌オーラを放出しているレムリアに恐る恐る訊ねると、機械の音声と同じ起伏のない――怒りを押し殺したような――声で淡々とした返答がくる。
「貨物室の扉の鍵を解除しているんです」
「それは違法なのでは……」
「緊急事態なので。テロリストがこじ開けたということにすれば問題ありません」
「ずいぶんとまあ、アウトローなことで」
時たま、千歳は背後からテロリストの仲間が追ってこないか注意を払う。
それから少しするとレムリアがカードキーを抜き取り、端末からコードを外してそれだけハンドバックに押し込んだ。
「開きました。降りましょう」
千歳の返事を待たずに床のハッチを開くと、とっとと中に引っ込んでしまった。
まだ怒ってるんだろうな、と申し訳ない気持ちになりながら千歳もレムリアに続いてハッチをくぐった。と、先行するレムリアから声がかかる。
「ハッチは閉めておいてください。追っ手が面倒なので」
「こういうのは閉めたら内側からじゃ開けられないんじゃなかったか? そんなことしたら俺達も戻れないぞ」
「戻る必要はありませんから」
必要なことはいった、とレムリアはどんどん奥に進んでいく。慌てて千歳はテロリストを一人脇におろしハッチを閉鎖すると、また重い荷物を抱え直して彼女を追った。
貨物室はいくつかのブロックに別れており、大量の荷物を輸送するため広大だ。レムリアは手近なブロックを選び、扉を開いた。これには特に鍵はかかっていないようだった。
千歳も扉をくぐると、意外に貨物室の中は暖かかった。ここも空調があるのだろう。息苦しさも感じない。無機物から生き物まで様々な物品を収納する場所なのだから、高度七〇〇〇メートルの外と同じマイナス四〇度近い室温のわけがないのだが。
レムリアが端末の画面に表示された時刻となにかの進行状況を確認する。
「一三時五〇分まで、後六……いや、五分」
レムリアの隣で、千歳は大量に積み上がったアルミ製のコンテナの群を見回す。こうして眺めると無味乾燥なコンテナでも壮観な眺めだった。
「で、ここに来てどうする? まさかこの旅客機がGAを運搬してるわけでもないだろう」
「せっかちですね、陵千歳。落ち着きを持ってください」
「お前……レムリアがなにも話さないからだろうが」
じろりとねめつけられたので言い直すと、ここにきてようやくレムリアも話す気になったのか口を開く。
「それは――――」
その先を千歳が聞くより早く、立っていられなくなるほど足場――飛行機全体が揺れた。
直下型の大地震ほどの揺れに一瞬足が浮き上がり、千歳とレムリアは体勢を崩して床に転倒する。
金属が軋む不吉な音がそこらかしらから発せられ、機体全体が甲高い悲鳴をあげていた。
この揺れを千歳が体感したのは既に二度目である。GAによる脅迫行為に他ならない。
『貨物室に存在する人間に告ぐ。速やかに客室へと引き返せ。さもなくば実力行使で貴様らを排除する』
GAに搭載された外部スピーカーを使った投降の呼び掛けだった。
しかし、ハッチは内側からでは開けられない。テロリストの要求は無茶苦茶としかいいようがなかった。どちらにしろその要求を呑むことは不可能である。これではGAが実力行使に出るのを避けることはできない。
「違う……あいつ、最初からそうするつもりなんだ」
千歳とレムリアは音声がした方から離れて、コンテナのうしろに隠れる。二人のテロリストは未だに気絶したままだったが、担ぎ直すのも面倒なので引きずってつれてきた。
『今からしばらく猶予をやろう。それまでに戻らなかった場合、貨物室に穴を開けさせてもらう』
「白々しい演技」
外からの音声にレムリアが毒づく。それには千歳もまったくもって同意見だったので、頷いた。
「確かにとんだ三文芝居だ。でも、マズいんじゃないか。こんな上空で穴なんか開けられたら墜落するぞ」
「穴の規模にもよるけど、最近の航空機には例外なく損傷を塞ぐ応急処置機能が付いているからその心配はないはず。でも、私達は危険かも」
この高度は人間が生存していられるほど生易しくはない。故にその高度を飛行する航空機は例外なく人間の生命維持に問題が生じないように、気圧や気温を調節している。外は極寒の空、そうでなければ世界一の標高を誇る雪山を登頂するくらいの装備をしていなければならない。
もし機体に穴が開けば、気圧差によって生まれる力で千歳とレムリアはそんな場所に放り出されることになる。別に真空の宇宙に投げ出されるわけではないからすぐに死ぬわけではないが、七〇〇〇メートルから落下して生きていられる人間はいない。待っているのは確実な、死。
そこで千歳は自分の近くに転げた二人のテロリストの背中を見る。ちょうどパラシュートがふたつもあった。
「まだ天は見放してないらしいぞ」
「そうみたいね」
二人はテロリストからパラシュートを剥ぎ取ると急いで背負った。外からはテロリストのカウントが聞こえている。もうすぐ猶予時間は過ぎ去ろうとしていた。
レムリアが端末を閉じてハンドバックにしまい込み、落とさぬように紐を腕にきつく巻きつける。
「あのテロリスト、四八分に穴を空けるつもりみたい」
「期限の二分前、脅しに使うつもりか。効果的ではあるな」
「……間に合うかな」
レムリアがつぶやいたのが時間切れの合図だった。
『時間だ』
瞬間、貨物室に衝撃が走る。白兵戦用兵器、高周波振動ナイフを斜め下から突き刺したのだ。〈鬼獣〉の殻すら切り裂くそれは、アルミ合金のボディをバターのように貫いた。
「陵千歳、そこのテロリストをギリギリまで掴んで、踏ん張る」
「また無茶をいう!」
千歳が両手でふたりのテロリストを捕まえると、GAのナイフが引き抜かれる。
そして、一気に空気が抜けた。
気圧差により台風の風速以上の勢いで空気が外部に流れ出し、熱を帯びた切り口が外側に向かってメリメリとめくれあがる。
穴との間にコンテナを挟んでいた千歳とレムリアは、その勢いに歯を食いしばって耐えていた。
「お……い、もう保たないぞ!」
「……そ、いつら、放り投げてっ」
千歳がテロリストの身体を投げ出すと、風穴に吸い込まれてあっという間に高度七〇〇〇メートルの世界に舞った。
そこで千歳とレムリアの抗っていた力も尽きる。風穴に吸い寄せられて二人も極寒の空にダイブした。
途端、全身が氷付けになったと錯覚するほどの冷気が突き刺さる。しかも落下していることで風を受けるものだから体感温度はさらに低い。このままでは全身の水分が氷結してしまいそうだった。酸素も旅客機内に比べたらないにひとしく、苦しい。
両目を腕でかばいながら薄目を開けると、千歳に向かって腕を伸ばしているレムリアの姿があった。一緒に飛んだからか、距離はあまり離れていない。千歳は身体をそちらに近づき、彼女の腕を掴んで引き寄せる。
まるで映画の一シーンだな、と口にすることはできないので胸の内でつぶやいた。
抱き合うような形になって、千歳は初めて気づく。
レムリアが笑っていた。
こんな状況にも拘わらず。
その理由が、千歳にもわかった。
エンジン音がした。飛行機ではないし、テロリストのGAとは出力が違いすぎる。
外部の空気を取り込み推進材も燃焼させながら、風を切り裂いて天空を駆け抜ける何か――。
それを、千歳も目撃する。
今自分達を包む蒼天のような深い色合いと、機体全体を縁取るように施された白いラインの塗装。まさしく空、といった蒼と白のツートンカラーの人型。
細身なシルエットながら四肢には溢れんばかりの力がみなぎっていて、頼りなさを感じさせぬそれは虎のようにその身体には洗練された絶対的なエネルギーを内包している。足りないのは雄々しい鬣のみだが、その代わりに人型の背中に展開しているものがあった。
一対の翼。だが旅客機の固定翼のようなものではない。強いていえば、猛禽の翅を機械的に再現しているようなものだった。機体の真上から見れば背中からV字型に伸びているのがわかる。
そして、速い。
傾斜した装甲が所々に見え、風の抵抗を考えない複雑な構成が見受けられるのに、その機体の速度はどう軽く見積もっても二〇〇〇キロをオーバーしていた。GAの飛行速度を余裕で超過している。
まさしく、疾風。
「……パラシュート、開い、て」
風にかき消されそうになるレムリアの声を辛うじて聞き取り、千歳はパラシュートの紐を引いた。
ばっ、とパラシュートの傘が開いて身体が上空に引っ張られる。お互いのパラシュートが絡まらないように、レムリアは時間差で傘を開いた。
自由落下が収まって体感温度は上昇したが、まだ人間が生活できるような気温でなく、身震いがする。しかも酸素が足りない。意識を喪失してしまいそうだった。
蒼い機体が速度を緩めて両手を伸ばし、千歳とレムリアを受け止める。冷却装置が効いているのか掌は火傷するほどの熱を持っていなかったが、極寒に晒されていた千歳にとってはストーブと同じで、有り難い。
胸部のコクピットが上下に解放される。パイロットはおらず、無人。両手がコクピットの前に移動して、レムリアが中に飛び込むと千歳も続いた。
コクピットが閉鎖され、内部の空調が稼働する。気圧を調節し、人間が生存するに最適な空間へ仕立てあげてゆく。
凍りついて針金みたいになった髪の毛を手で払いながら、千歳は機内を見回す。
「こいつは、いったい……」
見たことも聞いたこともない機体だった。コクピットも千歳がいる下段と、レムリアが器用に登った上段がある。パイロットを二名要する、複座式のコクピット。GAは例外を除いて、基本的に単座が主流だ。人型の兵器を動かすために必要な煩雑な処理をCPUによるサポートとGAが運用された中で蓄積された戦闘データによりシステムを最適化したからである。
だが現にコクピットがふたつあるというのなら、この機体は例外に他ならない。そして驚嘆すべき飛行速度。"通常のGA"を超えられるのは、通常の範疇に含まれない機士級以上の機体だけだ。
千歳は呆けたようにつぶやいた。
「重機士級なのか、これは……」
「正確には、準重機士級」
「準重機士って……そんなの聞いたことがない」
「既存のGAの分類に当てはまらないから、この機体に与えられた仮の形式だもの」
上段の座席にレムリアが腰をかけ、ハーネスで身体を固定する。
「あなたも早く。この機体はそっちの座席が戦闘担当なんだから」
疑問を追求している場合ではないか、と千歳はいわれた通り下部の座席に腰を下ろして身体を固定し、操縦桿を握る。パイロットスーツを着ていないからか、機体と繋がる瞬間のいつもより激しい痛みに顔をしかめた。
前方のモニターには、この機体のカメラが捉えた外部映像が映し出されている。テロリストのGAが旅客機から離れ、落ちた二人の仲間を回収していた。
千歳が機体を戦闘稼動に切り替える。いくら見慣れないコクピットといえども、この辺りのシステムは共通だった。高速飛行のためにフル稼働していたのか、動力炉の音は変わらない。
しかし千歳はモニターに表示された内容に目を疑った。
「慣性制御機構初期稼働数値が六〇固定だってっ? 同調率も……。こんなの並みの人間じゃ扱えない!」
「貴方の因子量は七一でしょう。問題ない」
――GAを動かすのには、適正値がある。
モニターに表示される因子量、それはパイロットの適正値を意味している。
GAを最強たらしめる慣性制御の機能、これにはリスクが伴う。この機能は近くの人間、つまりパイロットの人体にまで干渉し悪影響をあたえるのだ。が、人間は生まれた時にそれに対抗する因子を体内で生産している。その因子量によって、慣性制御の機能の稼働率は変わってくる。
さらにGAの操縦にこの因子は関わってくる。因子を媒介にして人間はGAに意志を送り、文字通り肉体の延長線とすることが可能なのである。これを同調率という。それが高ければ高いほど機体とパイロットの一体感が上昇するのだが、自分の因子量より同調率をあげるとこれまた人体に悪影響が出てしまう。
因子には個人差があり、軍人を含めて平均は五〇の数値を下回る。なので初期値が六〇のこの機体は、大多数の人間にはまともに操縦ができないことになる。
千歳は平均値以上だったからともかく、これではまともな軍事兵器とはいえない。
「それで、レムリアは平気なのか?」
「私は九六だから」
「……今日は夢の中の一日みたいだ。驚くのにも飽きたよ」
因子量の上限値は一〇〇――GAの慣性制御機構を最大まで稼働させてもまったく問題ない人間、を指す――で、その数値を持つ人間は現在確認されていないが、レムリアはそれに限りなく近い存在であることになる。千歳の記憶では軍事力に定評のある"衆国"のトップガンでも因子量は九四だったはずだ。しかもそれは他国に対する牽制のためのデータで、本来は九二かそこらのはずである。
「私は機体の制御がメイン。操縦はそちらに一任されるから、よろしく」
「レムリアの方が適任じゃないか?」
「因子量とパイロットの技術は直結しないの」
自分に降りかかる慣性、重力を軽減し、ブースターを噴かせて滞空していた蒼い機体の双眸がこちらを捉えたらしい敵機を捕捉する。
レムリアが、まるで家族を愛おしむように目を閉じて、肘掛けをなでた。
ゆっくりと瞼を押し上げるとモニターに表示された敵を確認する。
そうしてレムリアはこの名を呼ぶ。
「LGGA-01〈天斬〉――」
「――行くぞ!」
〈天斬〉の両目がオレンジに染まり、蒼穹を背にして疾走した。