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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
57/60

56:月は無慈悲な夜の女王

 バケツを墨汁で満たし、塵芥をいくつも浮かべる。黒に染まる小さな塵は、人の目に届くことはない。つまり宇宙に転々と存在する星々など、世界を俯瞰できる存在がいるとすれば、その塵芥となんら変わらない。

 故に――、塵芥と等しき存在がそのバケツをひっくり返せるほどの存在と対峙するには、熾烈にして苛烈なる闘争を行う必要があった。

 〈輝駆槌〉は、星の数ほど破壊された右腕を時間逆行で再生させる。引きちぎられていた肩から先が、映像を逆再生するように元の屈強な腕を形成する。

 〈輝駆槌〉は闇より深い暗黒を漂っていた。宇宙だ。頭を振るえば宝石よりも青い惑星が目に入るし、太陽と呼ばれる恒星も確認することができるが、見ることができなければないのと同じようなものだった。今〈輝駆槌〉はこの世のシステムにあるまじき生命の系統樹、その頂点と相対しているのだ。

 鬼神、〈輝駆槌〉。その巨人の大きさは、三〇メートルと〈鬼神〉としては一般的なサイズだ。灼熱のように揺れる頭部の鬣型スタビライザーは獅子を思わせ、神話に伝えられていてもなんら不思議はないような雄々しい外観である。太陽を背後にした逞しい肉体は、灼熱を体現する獣。我を失ってしまいそうになるほど知覚仕切れぬ広大な宇宙にあって、なお猛々しく力強さを感じさせる獣のなんと頼もしいことか。

 しかしその獣すら圧倒し、弱々しいと感じさせてしまう化け物が月を背にして君臨していた。

 ギルト。そうであることは間違いなかった。白き肉体であり、生身の人間と見まごう筋肉の集合体。〈輝駆槌〉と敵対しているものが〈鬼獣〉であるわけもなく、ギルト以外であるはずがない。そうでありながら、すぐにギルトであると頷けないのには理由があった。

 人なのだ。

 その体長は二〇キロメートルを超えており、ギルトを人とすれば、〈輝駆槌〉は地べたを這いずる蟲だ。しかも、そのような常識外れの巨体でありながら、そのギルトは人型をとっていた。今までの不格好な腕をはやし、口を描いた模倣ではなく、完全なる人の形状。腕を組んで真上から〈輝駆槌〉を見下ろす――あくまで、〈輝駆槌〉から見た真上だが――ギルトは、現代に二週間のうちに現れたどの個体とも合致していなかった。

 ただ、〈輝駆槌〉を操る神蛇侘だけはギルトの姿に動揺はしていなかった。既知の事実に今更動揺するわけもない。彼は知っている。いくつもの平行世界をたどってきた、時の旅人たる〈鬼獣〉、鬼人は忌まわしきギルトのことを嫌という程に知っていた。

 こうして拳を交わすのも初めてではなく――そして、同じ数ほど敗北していた。

 ここにきて、さらに黒星が増えようとしていた。ただし今度は打ち止めだ。この世界が最後の平行世界という水槽であるならば、ここを砕かれては中の魚が生きる術はない。

「那殊、神臓の調子はどうだ」

「いつもと同じでなんの問題もなく。妾の時間操作と直結し、〈輝駆槌〉はさながら閉じた輪。永遠に壊れることはないし、永久に破れることはない。今までと同じく」

 〈輝駆槌〉のコクピットにあたる、肉色の空間に神蛇侘はいた。声を出して答えたのは那殊だ。那殊は〈輝駆槌〉の左胸、動力炉である神臓と呼ばれる部位にいた。離れていても声が届くのは、マイクが内蔵されているからだ。〈GA〉と違い、純機械の兵器ではなく生物を利用した兵器として作られた〈鬼神〉だが、機械技術といったものも取り込まれている。無機物と有機物のハイブリットとして精製されたのが、神蛇侘たちの世界の兵器だった。

 那殊の得意とする鬼人としての能力は時間操作であり、その時間を巻き戻すといった行為には当然大量の力を消費する。その力を〈鬼神〉の動力炉でまかなえば、那殊が生身でおこなっていたものとは比べものにならない再生能力を発揮することができる。その再生能力を神臓にも適用すれば無限にエネルギーをくみ上げることができ、よってここに〈輝駆槌〉は永久に戦い続ける機関と化した。

 問題は、無限にリトライできても〈輝駆槌〉はこのギルトには勝てない、その事実だ。

 当初神蛇侘はこの地球に存在する人間を根絶やしにし、〈鬼獣〉で武装し、ギルトと戦うつもりだった。相互理解の元に人間と手を取り合うのは、これまで不可能であったからこそ踏み切った策である。それも予想より早いギルトの登場によって破綻した。このために、神蛇侘――〈鬼獣〉はこれまでとまったく変わらない状態でギルトと交戦する羽目になったのだ。

「さて、こちらの心が折れてしまうのが先か、ギルトがこの世界を食い付くしてしまうのが先か。どちらだと思う?」

「こちらの勝利が先だ!」

 〈輝駆槌〉が右手を横へ突き出す。宇宙空間にも関わらず、〈輝駆槌〉の腕に炎が灯った。火は広がることなく、渦を巻いて〈輝駆槌〉の掌に収縮する。その温度は燦然と輝く太陽を遙かに超越していた。

 腕を振るう。火は槍となってギルトの頭目掛けて疾駆した。

 その速度は超音速を超えた光の速さ、よって躱すこと叶わず、ギルトの頭で炸裂した。

 風なき空間に爆風が生まれる。辺りで浮いていたデブリや人工衛星の残骸が核弾頭を易々と超える爆発の余波で焼滅した。

 〈輝駆槌〉の最大出力による焔の槍。地球程度なら一撃でぶち抜けるほどの規格外な破壊力であるが――。

 視界を塞いでいた炎が消え失せて現れたのは火傷ひとつないギルトの姿だった。

 ギルトが首を傾ける。首の関節をコキリと鳴らす、宇宙に響くはずのない音が神蛇侘は耳に届いた気がした。

 ギルトが腕を振り上げる。来る、と意識した時には既に〈輝駆槌〉はギルトに殴り飛ばされていた。

「ゴ――」

 〈輝駆槌〉は背中に斥力場を展開し、うしろへと進む力を相殺する。それでもギルトの巨体はかなり遠退いていた。比較対象のない宇宙で目視に頼り切ることはできないが、〈輝駆槌〉の攻撃がもっとも有効に作用しないほど離れていると判ればそれで十分だ。

「もう一週間はこの繰り返し。神蛇侘よ、いつまで続ける気じゃ」

「無論、奴がくたばるまで」

「もう諦めた方が賢明ではないか。これでは、駄々をこねる子供と変わらぬではないか。まだ生き足掻くのか」

「なんと殊勝な言葉だ。珍しい。大人しく死ねなどとお前の口から出てくるとは思わなかったな」

「いいや事実じゃ。妾たちではアレには勝てない。絶対に」

「そんなことがあってたまるものか!」

 〈輝駆槌〉が宇宙空間を跳んだ。ギルトが拳を振り上げる。互いの拳が激突した。

 力負けして、〈輝駆槌〉の肘がへし折れた。ギルトは〈輝駆槌〉を掴み、自身の背後に放り投げる。野球ボールのように投げられた〈輝駆槌〉は月に叩きつけられ、衝撃で下半身が千切れ飛んだ。クレーターと呼ぶには深すぎる穴を月に穿った〈輝駆槌〉は、起き上がろうとするものの再生が傷に追いついておらず、出力があがらない。それに度重なる酷使に〈輝駆槌〉が限界に来ていた。時間逆行による疑似的無限再生――だがそれはやはり疑似に過ぎず、那殊の時間逆行しきれていない部分からボロボロと崩れだしている。そして彼女の能力の性質上、任意の箇所を再生するなどということはできない。あくまで数秒前に戻しているだけなのだから。

「だから後は任せてみようではないか」

 神蛇侘は言葉の意味を宇宙に光る一筋の閃光で理解した。


「宇宙での射撃はさすがに初めてなんだが、当たったか?」

「命中。効いてないけど」

 推力だけで大気圏を突破してきた〈天斬〉は、そのまま敵対象と思われるギルトに向けて発砲していた。地上にいたギルトを一発で殲滅した威力は折り紙つきのビーム砲であったが、目の前の相手はそれらと比肩する者ではないようだ。

 千歳はレムリアの素っ気ない返事に肩をすくませたが、怯むことはなかった。そのまま立ち止まらずに、〈天斬〉を白い巨人――ギルトにぶつけた。

 ギルトの両肩を掴み、〈天斬〉は背中の一対の翼を羽撃たかせる。実体を伴った翼ではなく、光でもって形を成した翼は重機士や〈鬼神〉と同じく斥力を放射して突き進み、勢いのままにデブリへ叩きつけた。千歳はトリガーを引き、両手の掌部砲を撃つ。

 視界を覆う閃光。灼熱し、粉砕されていくデブリから〈天斬〉は距離をとり、静止。宇宙での活動は初めてだったが、細かい補助は〈天斬〉と機械が自動でやってくれていた。

 崩れていくデブリをかき分けて現れる白い巨人。さすがに至近距離から放ったからか、ギルトの両肩は熔解し、抉れていた。が、敵はギルト。既に再生が始まっている。それも地上で戦っていたギルトとは桁違いのスピードだ。こうしている間にも治癒しかかっている。

「さすがに一筋縄ではいかない、というわけか」

 そもそも、そのサイズからして地球にいたギルトとはかけ離れていた。千歳は、最初人型のギルトの姿に驚きはしたものの、規模には感心を払わなかった。それは〈天斬〉と同じ大きさであったから、むしろしっくりきたくらいだ。が、そのしっくりとくるのがおかしい。千歳の乗っている〈天斬〉は既に二〇メートルの巨人ではない。いうなれば、巨人〈天斬〉とでもいうべきものだ。今の〈天斬〉とほぼ同じ大きさということは、尋常ではない。

「あれは他のギルトと同じと思わない方がいい。一種の管理者権限持ちだから。人がゲームの中の人物から怪我をさせられないみたいに、あのギルトには攻撃はきかない」

「今の攻撃は効いていたようだったが」

「この子だけは例外。〈天斬〉の動力は輪廻核――つまり、姿形は違っても、ギルトと同じ存在」

「なるほど、人間は人間に殴りかかれる、か」

「ただし、距離は近ければ近いほどいい。遠距離からの攻撃は相手に届く前に、自身にとって無害な物質に変換される」

「そのために俺が選ばれた――今ようやく得心がいった」

 前の〈天斬〉が射撃よりも接近戦に比重を置き、さらに千歳をパイロットに選んだ理由がようやくはっきりとした。あのギルトに対抗するには至近距離での泥臭い殴り合い、斬り合いがもっとも理想的なのだ。そのための陵の使い手であり、機体。

「と、いうことはあるんだろう。おあつらえ向きな武器が」

「もちろん。両手首、光子刀天津風、光子刀時津風」

 千歳は左手首から光子刀天津風を引き抜く。光子剣と違い、形状は刀の形に光子を固定してあった。性質上、この形状の変化が機能的にどのような効果を及ぼすのだろうか。それは疑問であったが、千歳にとってはもっともなじみ深く、しっくりときた。光子剣では得られないこの充実感、それだけで意味は十二分にあるような気がした。

「行くぞ――!」

 一気呵成、人型のギルトに千歳は斬りかかった。〈天斬〉の巨体を感じさせぬ素早い切り込みからの一太刀は稲妻が如く。

 その太刀を、ギルトも同じく刀でもって受け止める。

「なにっ」

 実体を持たぬ光子刀と、ギルトが自分の身体より生み出した白き刀。

 両者ともに通常ではあり得ぬ材質での刃。音の響かぬ宇宙での剣戟でありながら、鼓膜に真実と錯覚する刃金の残響が響いた。

「奴も同じ得物を使うかっ」

「戦うのは初めてだけど、予想外だった。ますます、おあつらえ向き」

「なら後は勝つも負けるも――俺の腕次第か!」

 鎬を削る〈天斬〉とギルトはお互いに反発しあって距離をとる。

 両者は間合いを計るために輪を描いて飛び、同じタイミングで飛び込んだ。

 何合もの斬り合い。膂力は互角。よって力押しすることは叶わず、技量で圧倒するしかない。

 ギルト、と侮れなかった。離脱、接近、激突。このパターンを幾度も繰り返すが、〈天斬〉の刃もギルトの刃も相手に届かない。敵も相当の思考能力を有する。剣の心得などないだろうと侮っていては、斬られる。

「こいつ、やる――だが――!」

 ぶつかりあい、離れる。その時、〈天斬〉の腰部ビーム砲を相手に向けて放った。距離が離れきっていない状態の射撃攻撃ならば、通用する。

 発射直前に千歳の狙いに気づいたようだったが、回避は遅い。一門は躱したものの、もう一門の射撃に右足を付け根から吹き飛ばされた。

 なにも剣の腕を競っているわけではないのだ。力で勝てないならあらゆる技術を使って制する。それが凡才で築き上げてきた戦闘技術。

 主翼とスラスターを噴かせてギルトから離れようとする機体を無理矢理押しとどめ、急接近。怯んだ相手の右腕に斬りつける。接近してくるこちらを迎撃しようとしていたせいで、身体を守ろうと腕への意識がおろそかになっていたのだ。

 体勢を崩したギルトに向けて、〈天斬〉は光子刀を跳ね上げる。人体と〈GA〉の肉体のシンクロだからできる精密な剣士の動作は、足場のない不確かな空間で放ったとは思えぬほど美しくギルトの身体へ吸い込まれた。

 しっかりとした手応えが操縦桿を握る千歳の手に返る。

 これが通常の相手なら殺せた、と確信できたが、相手がギルトならば輪廻核を潰さねば意味はない。千歳は〈天斬〉に距離をとらせて、両断した相手に注意を払いながら背後にいるレムリアに問い掛けた。

「やったか?」

「……輪廻核の反応はない」

「しとめた、か」

 身体の中央を狙うように切り込んだ。それが輪廻核を消滅させたというのなら、安心だ。肩の力が抜けそうになる千歳に、レムリアが困惑した様子でいった。

「違う。輪廻核の反応がないの。最初から」

「なんだって?」

「戦闘中、ずっと様子を探ってた。対輪廻核用のセンサーを内蔵したから、それで。なのに、ないの。あれはギルトのはずなのに、〈天斬〉だって搭載している輪廻核の反応が――ない」

 光学センサが捉えたギルトは再生を始めていた。千切れた足が生え替わり、裂けた身体が接合を始める。そうするための力がないのにもかかわらず。

 どういうことだと悩んでいる場合ではなかった。判らないことがあるものの、敵が体勢を立て直そうとしているのを黙って見過ごすわけにはいかない。

 斥力場を噴かせ、〈天斬〉は再生しきっていないギルトに光子刀を振り下ろす。

 刃が、腕が動かなかった。限られた時間の中での剣戟は、数瞬の遅延ですら腕が静止したものと錯覚させた。

「重力異常が――」

 レムリアが言葉をいい終わる前に〈天斬〉が殴り飛ばされていた。スラスターを噴射してなんとか体勢を立て直すが、ギルトとは距離は遠く。

 それは相手の間合いからも外れたはずなのだが、再生を粗方済ませたギルトは両手で構えた刀を振り上げていた。

 ぞくりと背筋を走る悪寒に、千歳は咄嗟に〈天斬〉を横へ飛ばせる。

 走る。

 刀が振り下ろされる。

 走る――。

 斬撃が〈天斬〉を直撃した。

 コクピット内に鳴り響くアラーム。〈天斬〉のステータスが赤く染まる。重大な損傷。右肩から左脇腹に抜ける裂傷があった。傷口は両断こそされていないが深く、機能に無視できない障害を報告する。

 ギルトは刀を振り下ろしただけで動いていない。まるで斬撃が跳んだようにしか思えなかった。

「戦闘続行は?」

「可能。ただし稼働率は三〇パーセントまで低下している。輪廻核による自己再生開始、完治まで九〇秒」

「それまで敵も待って――くれるわけないか」

 ギルトが畳みかけるとこちらに飛びかかって来る。ぐんぐんと光学カメラの中で大きくなるギルトに向けて、効かないと判っていても腰部のビーム砲を放った。光の速さで撃ち出されるビーム、その悉くをギルトは紙一重で回避する。

「いや――ねじ曲げている!?」

 ギルトの軌道は完全に直線、当たらぬ道理がない。その現象に動揺している間に、もう〈天斬〉の目と鼻の先に敵はいた。

 胸部のコクピット目掛けて突きが飛んでくる。千歳は額に汗を流しながら、身体をずらして回避する。だが〈天斬〉の巨体故に躱しきれない切っ先が肩を抉り取っていった。

 迂闊に光子刀で受けて、先のようなイレギュラーに遭遇すれば終わりだ。考え無しに手は出せない。

 返す刀で今度は刀が薙ぎ払われる。これは躱せないとやむなく光子刀で受け止めた。

 それに、受けに回っていれば凌ぐ自身はあった。敵の太刀筋は単純でこそないが、千歳の予想内の動きをする。対処は容易だ。教科書の中に載っている動きを相手に苦戦するようなことはない。千歳にとって、このギルトの動きとはそういうものだった。

 千歳がギルトと争っている間に、レムリアは収集した敵の情報から何らかの確信を得ていた。

「わかった、さっきの攻撃。このギルト、重力を操ってる」

「重力? だから射撃も歪曲して逸らしたのか!」

 それでは光学兵器ではどうにも分が悪い。先程の行動遅延もその仕業か。

 ギルトが繰り出してくる刀と千歳は幾度と打ち合う。刀とは元来消耗品とされていた面もあり、よって何合と打ち合うことは原則あり得ない。それでいてなおこの拮抗。互いが必殺と放つ太刀を、お互いに防ぎ、いなし、攻めている。

 その中でギルトが右手を柄から話、掌に力を込める。太陽の光が歪曲する。ギルトの右手が不自然にブレ、度の違うコンタクトでもつけたように歪んだ。

「高重力場検知――」

 掌部重力波攻撃――

「真っ向から打ち砕いてやる――」

 ならこちらも同じ方法で相手になる。

 相手の刀を受け止めたまま、千歳は〈天斬〉の右手を離して掌部砲を起動する。

 ギルトと〈天斬〉の掌が激突する。

 総てを捩じ曲げ、押しつぶし、圧縮し、解体する不可視の暴力。ブラックホール。

 それを再生すら中断させて確保した輪廻核からのエネルギーを使って受け止める。無限再生を成す力によって弾き出された光が暗黒とぶつかり合う。

 〈天斬〉の右手がひしゃげ始める。マニュピレーターが先から崩壊を始め、枯れ木のように折れていく。

「ね、じ、き、る」

 ぐっ、と掌に力を込める。崩壊を始めたかに見えた掌の動きが止まり、ギルトの掌部を押し返す。光さえ呑み込みかき消す重力の波をそれ以上の光でもって超越する。

 ギルトと〈天斬〉が衝撃で吹き飛ばされた。〈天斬〉は己の発するエネルギーの負荷に耐えきれず腕を、ギルトは己の生み出すブラックホールを制御しきれず腕を呑み込まれた。

 弾かれた両者はともに再生をスタート。〈天斬〉の方が先に受けていた傷の分損傷が多い。

 まるで鏡写しだが、押されているのは千歳たちだった。

『手を貸してやろうかの?』

 コクピットの中に見覚えのある声がしたものだから、千歳は〈天斬〉に頭を振らせた。すると〈天斬〉の肩に手を突いた赤い〈鬼神〉を見つけた。雄々しい鬣の、獅子を彷彿とさせる〈鬼神〉だ。千歳がギルトと戦闘を開始する前から交戦していたものである。

 〈天斬〉のステータスが急速に回復していく。いや、巻き戻っていく。損傷がなかった時に。この声、この能力。該当するのはひとりしかいない。

「那殊か」

 別れ際のすぐにでも息絶えてしまいそうだった姿が脳裏に浮かび、千歳は今の声に安堵する。あの時の口ぶりと那殊らしき能力の発現、それらの情報から生きているとは思っていたが、実際にこうして無事を確認してみるとやはり違う。もっとも、気を抜いている場合では、あいかわらずないのだが。

『素っ気ない反応じゃなあ。もう少し喜んでみたらどうじゃ』

「これでも喜んでいる。無事でよかった。お前との話は後だ。今はギルトの相手をさせてもらう」

『ん? ん、そうか。喜んでおるのか。ならいいのじゃ。まあ確かに長話しておる場合でもあるまい。こっちも長話を好まん奴がおるしな』

『話はすんだか』

 〈天斬〉のコクピットの中に、那殊とは別に男の声が響いた。その声は一度だけ聞いたことがあり、苦々しい記憶を千歳は思い出す。二週間前に千歳たちの前に現れ、〈狂剣〉を吹き飛ばしていった男の声だ。

「お前は、あの時の筋肉達磨か」

『そういう貴様は無様に女の背中に隠れた雑魚か』

 たった一言言葉を交わしただけで剣呑な空気が流れ出す。致命的にソリが合わないと両者は確信した。

「こんな状況で口喧嘩してるなんてどっちも馬鹿で充分」

 今にも殴りあいそうなほどに険悪なムードの中でレムリアが馬鹿にアクセントを置いて吐き捨てたものだから、千歳は頭に冷水をぶっかけられたような心地になった。お陰で血が上っていた頭が冷静さを取り戻した。男――確か神蛇侘と呼ばれていた――は納得いかないと不機嫌そうであったが、さすがに状況を理解しているのか口をつぐんだ。

 そんな短いやりとりの間に〈天斬〉の損傷が完全に回復していた。生身の時とは比べものにならないほど時間操作が可能な秒数が増えていた。

 〈天斬〉の再生が終わると〈輝駆槌〉が〈天斬〉の肩を蹴って宙へと浮かぶ。蹴る足も今にも引きちぎれそうな有様だった。

『こんなところかの。残念じゃが妾にできるのはこの程度らしい。こちらも再生が中途半端でな――それに、こちらの攻撃は奴になんら痛痒をもたらさぬと来ておる』

「ああ、下がってろ。お前には〈狂剣〉の正体のこと、ちゃんと話してもらわなければいけないからな」

 だからこんなところでお互いに死んでたまるものか。那殊が鬼人で神蛇侘も鬼人、そして〈鬼獣〉を指揮する者だとしても、今この場で相手にするのはギルトである。〈鬼獣〉の方との問題はその後、またきっちりと人間たちで決着をつける――。

 ――まだ〈狂剣〉のことを知らないのは、どれほど遅い行動なのだろう。

 ふとそんな思考が胸の裡に去来する。後で聞くというのはあまりに遅すぎるのではないだろうか。今すぐ訊ねて、真実だけ教えてもらえば心残りを無くして戦いに集中できる。そうした方がいい、と千歳の胸中でうそぶく。

 ――早く訊ねないと。

 千歳は頭を振って思考を振り払った。

「……誰だお前は」

 頭の中に当然のように声がして、それが自分のものと錯覚した。違う。今、胸の中に響いていたのは千歳のものではない。唐突に降って湧いた考えは、自分以外の誰かのものだ。どこに視線を置けばいいかもわからず、千歳は引かれるように目の前を睨み付けた。モニタには〈天斬〉と同じく再生を終えたギルトの姿がある。

「千歳?」

 つい千歳が洩らした言葉の意味がわからずに、レムリアが訝しむ。それに答える余裕もなく、千歳はギルトに魅入られた。しっくりと腑に落ちる。なんの証拠もなく、確信した。今の声の正体――発信源――それはあのギルトであると。

 ――なんだ、早々にばれたか。

「人の頭の中で騒ぐな!」

『せっかく独りにしか聞こえないように工夫を凝らしたっていうのに、なんとも、無粋なものだ』

 〈天斬〉のコクピットの中に、見知らぬ男の声が流れ出した。

「この声は?」

 レムリアが眉を顰める。おそらくあのギルトの声なのだろうが、レムリアも知らぬようだった。地球で生まれたレムリアが、ギルト内部のことを詳しく知らないのも当然であるが、それでも相手はレムリアを知っているようだった。

『君があいつの子供か。ああ、奴の名前がないことがもどかしいな。これだから群体っていうものは。面影があるかどうかなんてわからないけど、面白いものだ。同じ起源を持っているのに、こうやって楯突いてくるのだから』

「同族殺しなんて人間ならよくあること。貴方たちには理解できないだろうけど」

『その感情は理解する必要はないだろう? イレギュラーだね、まったく。〈鬼獣〉なんていうものが生まれた時も充分驚いたけど、こうしてこちらを傷つけられる兵器が生まれたこともイレギュラーだ。この世界が最後なんだよ、平行世界を滅ぼすなんていう途方もないことを完遂できそうだっていうのに、邪魔はしてほしくないものだけどね』

「巫山戯たことを……」

 そのギルトの口調が、千歳の怒りに触れた。その声、言葉、どれをとっても癪に障る。神蛇侘の時は理由がある、しかしこの相手にだけはそれがない。一目会った瞬間憎悪が生まれた。理由のわからない怒りに震えた千歳の言葉に、ギルトの声は苦笑したようなニュアンスがスピーカーから伝わってきた。モニタの中にいる人型のギルトは笑みのひとつどころか身動きすらしていないが。

『いやいや、巫山戯たことはそちらの方さ。なんで、今すぐにでも、〈狂剣〉のことを聞きだそうとしないんだい? どうして、そのことを君はひた隠しにされているんだい? どうして、もっと無理矢理にでも聞きだそうとしないんだ? きっと無理をいえばすぐにでも話してくれるだろうさ。そういう相手だと思うよ、彼女はね』

 那殊は黙っていた。通信はどうやら切れていないようだったが、それでも意図的に沈黙していた。

『お主……そうか、もしやと思っておったが、そうか、お主は……』

『さあ云ってあげるといい。端から見ていた僕だって気づいたんだ、剣を交えた人間が気づかぬわけがない』

 ギルトが笑っている。表情に表れていなくとも、千歳はそんな気がした。

『〈狂剣〉は君が陵 千歳の父の死体で作り上げた死体の兵士だってね』

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