55:報復するは我にあり
開いた扉の先に足を踏み入れた千歳は、背後で扉が閉まる気配を感じつつ、光になれた目で室内を見回した。
そこはとてつもなく広かった。横を見て、果てを見定めようとするものの、薄暗い灯りの中では闇の中へと消えてしまい、判別することはできない。いや、そもそも、この部屋がまばゆくライトアップされていたとしても、消失点の向こうへと消えてしまっているのではないだろうか。その広大さはこの部屋だけで神国基地と同等か、それ以上かもしれない。天井もどこまであるのか。この場所が奥深くに隠されているのは、なにも機密保持の為だけではないのかも知れない。
この縦と横の広さに反して、千歳の正面までの距離は狭かった。レムリアの背中には壁があり、そこまでは一〇メートル程度だ。あまりに横長な空間である。
「最後の楽園というより、世界の終点といった方が正しいんじゃないか」
神国基地地下二〇〇〇メートル――その目的地に到達し、千歳はそんな言葉を洩らした。ここに総ての真実があるのならば、ここは世界の終点と呼ぶに相応しい気がしたのだ。
「ここは確かに世界の終点だけど。それをいうならこの星自体が世界の終点と呼んだ方が正しい」
「この星が?」
自分の軽口にレムリアが真面目に反応を返したものだから、千歳は意表を突かれた。
レムリアは千歳に何事か話そうと、いつものどこか不機嫌そうな、それでいてやはり感情の発露を見せない表情で口を開きかける。が、何事かを考えてそれを止めた。億劫そうにレムリアは千歳の前に立っている雷華に顔を向けた。レムリアがなにを云いたいのか理解した雷華は、苦笑しながら頷く。
「ギルトのこと以外は大抵話したから大丈夫よ」
「ならよかった」
そう応えるレムリアの様子は傍目には無愛想に写ったが、それなりに付き合いの長くなった千歳は彼女があからさまに安心しているのを見て取った。どうやら、多くのことを語るのは面倒なようである。こんな場所まで来ても相変わらずの様子に、千歳は安堵した。人は物をひとつでも多く知るごとに世界の見方を変えてしまう生き物だ。それでも変わらない物があることを改めて知ることによって、精神は普段の落ち着きを取り戻す。
「この世界以外に、平行して存在する世界があるとは聞いただろうけど、実際、その世界はもうないの。だから、ここが終点というのはなかなか的を射てる。
ギルトは管理プログラム――バグの掃除、好奇心の機能が暴走した結果、平行して存在していた世界をバグと判断して排除しだした、っていう。まあ簡単に云ってしまえばそういうこと。きっと、未来視が正常稼働しなくなったのは、だからかも。あれ、一番類似する平行世界をのぞき見ているものだし」
「終点、つまり他の世界は全部無くなっている、ということか。無限と分岐する箱庭の世界を片っ端から滅ぼすってのは、随分と規模のでかい話だな」
「あら、兄さん、随分と落ち着いているんですね。わたしはもっと驚きましたけど」
「驚き疲れて顔に出ないだけだ。充分驚いてるよ。そんな世界を喰らうのか、とな。……やれやれ、最後に知ったのは俺か。妹に先を越されたのは、少しばかり恥ずかしいな。
それで、まだ聞きたいことがある」
千歳の中で、まだ疑問は数多くある。ここまで聞いてきた話だけが総てとは、とてもではないが思えない。
皇ヶ院がギルトの襲来を予見できたのは――石塔家の未来視によって知ったのかもしれない。必要なことはほとんど聞いていると思えるが、千歳にとって必要な情報はなにも世界の破滅だの神が作った人外の破壊生命体なんてモノのことだけではない。半月の時間が経っても目に焼き付いて離れない、死に様。
「俺は〈狂剣〉の、あの行動の意味を知りたい」
千歳の口から〈狂剣〉の名がでた時、裂夜の表情がこわばった。恐らく、この場で〈狂剣〉の真相を知るのは裂夜ひとりだ。こればかりは、ギルトや〈鬼獣〉のこと、世界の真相をかいま見ている雷華やレムリアでは判らない。
急に落ち着きの無くなった裂夜を見て、千歳はもう一度懇願する。
「お前なら知っているんだろう。頼む、教えてくれないか。この半月の間、ずっと考えていた。でも、判らなかったんだ。だから裂夜、俺に……」
千歳は危うく舌を噛みそうになった。突然、地震が襲ってきたのだ。
全員が身をかがめて揺れをやり過ごす。が、その振動は断続的に襲ってきた。これは地震ではなく、意志ある者の故意によるもの。
千歳の前で、雷華が忌々しげに舌を打つ。
「ついに嗅ぎつけてきたわね、奴ら。まあ、ここまでよく隠し通せたってところかしらね」
「案の定、ギルトの仕業ってわけか。ここに自衛能力は?」
「あるわよ、目の前に」
「目の前?」
この振動で真上から瓦礫が落ちてこないか注意を払っていた千歳は、雷華の言葉を訝しみながら前を見る。が、視線の先にはレムリアと裂夜、それとふたりの背後にある壁だけだ。
「……どれだ?」
「これ」
レムリアが軽く拳を作って、背後にある壁をこんこんと叩いた。それでようやく、千歳はレムリアと裂夜の背後にあるものが壁ではないことに気づいて唖然とした。
見上げる。果ては見えない。左右。こちらも果てが見えない。壁と誤認してしまうのも無理はなかった。この部屋と同じくらいの大きさなのだから、人がこんな近くから見ても全容を窺い知ることなんてできるわけがないのだ。
「これは――まさか、〈GA〉!?」
あまりに規格外の大きさだった。世界で一番巨大な〈GA〉は鑞国が保有する〈機神〉である龍神〈ズメヤ〉であったが、これはそれを軽く凌駕している。比較するのも馬鹿らしくなる大きさだ。
レムリアが壁――否、その〈GA〉の装甲を撫でながら、機体の名を口にした。
「〈天斬〉の完成系、それがこの子。ようやく、本当の姿になれた」
「これが〈天斬〉……。随分と様変わりしたものだ。俺が乗っていた〈天斬〉は、この機体のための戦闘データの収集をするためといったところか」
「そういうこと。お陰で、ようやく完成させることができた」
「そそ、いやあ、苦労したんだよ。何よりこれ、大きいからね。ホント苦労したんだ」
高い男性の声が聞こえてきたかと思えば、暗闇の向こう側からぬるりと白衣の男が現れた。眼鏡の男、オーバル・オレニコフである。
「〈天斬〉で散々遊んだんだから、これくらいの苦労はしてもらわないと資金提供したこっちが困るわ」
「仕事はちゃんとしたんだからいいじゃないの、皇ヶ院のお嬢さん。もう昔のことは水に流そうじゃないか。それより、もう時間はないんじゃないかな。このままだとギルトにやられちゃうよ?」
雷華の苦言を飄々と受け流しながらオーバルが指摘すれば、雷華もそれには渋々同意せざるを得なかった。文句を言い足りない様子のまま、雷華は千歳の方へ振り返る。
「聞いての通り、あれは〈天斬〉の完成系。そしてアンタはそのテストパイロットだった」
「つまり、あれに乗れというわけだろう。乗ってやるさ。死ぬ気はさらさらないんでな」
「それだけじゃない」
レムリアがまっすぐに千歳の目を見据えた。いつにもまして真剣な表情だった。
「これに乗るからには、ギルトを返り討ちにするだけじゃない。殲滅しなければいけない。これは対ギルトのために作られた、ただそのためだけの兵器だから」
「宇宙にいって、親玉を叩けというのだろ。もう覚悟の上だ。俺も宇宙にあがらなければいけない理由ができたんでな」
レムリアはならばいいと頷いた。
千歳もまさか雷華のいっていたものがこんな規格外とは知らなかったが、この場に至っては納得する。ギルトなんて化け物を斃すには、こちらはそれ以上の怪物を持ち出さねばならないのだ。
ここに来る前から千歳は元より戦うつもりだった。頭上からギルトが迫ってきていようが、そんなことは関係なかった。ここに来るまでの間に様々なことを知ったが、それが千歳の戦意を奪うことはまったくないのだ。
ドォン、と一際大きな揺れが地下を襲った。
音――真上。
砕かれた瓦礫が〈天斬〉の巨体の上に落下する。ぱらぱらと降り注ぐ破片を手で払って、千歳が叫んだ。
「もう来たのか!」
「さっすがギルト、といったところかしらね。こんな時までがんばんなくて良いのよ、あの粘土細工は!」
――キイイイイイイイイイイイイイ
耳を覆いたくなる甲高い雄叫びが部屋の中に響いた。暗くて見えないが、室内に流れ込んでくる血なまぐさい空気が頭上にあの化け物がいることを嫌でも感じさせた。
レムリアが焦りを顔に浮かばせて、千歳に手を伸ばした。
「早く! 掴んで!」
言葉の意図するところは判らなかったが、千歳は一刻の猶予もないと走り出す。彼女の手を掴むと、それは思いの外柔らかかった。すくなくとも軍人の手とは思えない。
「どうする、こんな大きさだ、コクピットまで行くには――」
「黙って。舌を噛む」
いつの間にか千歳の眼下に雷華たちがいた。
「――は!?」
その異常な状況に一瞬頭が混乱したが、千歳はすぐに理解する。何故か自分が空中に浮かんでいるのだ。
「喋らない」
レムリアの声がすぐ近くで聞こえた。彼女になにか言い返すよりも、千歳は舌を噛み切らないために歯を食いしばることを余儀なくされた。
ぐんっ、となにかに引っ張られる。あっという間に雷華たちの姿は足下に広がる暗黒の中へと消えていった。千歳の視界から裂夜が消える間際、彼女が何か云おうとしているのが見えたが、いったいなにを伝えようとしていたのかは今となっては知ることはできない。
――キイイイイイイイ、と奇声がする。
はっと千歳が顔を声のする方へと向ければ、分厚い天井から半身を突き出したギルトの姿。身体が大きすぎるせいで自分の開けた穴を通れず、肘すら見えていない両腕を振り回して藻掻いている。その両腕が風を裂く凶悪な音を上げながら、空中の千歳に向けて迫った。空中では避けようもなく、そもそも〈GA〉の身体よりも大きな腕を躱すなど人間には到底不可能。
一気に千歳の血の気が引き――瞬間、視界がぐるんと竜巻のように回った。
身体に痛みはない。腕に打たれたわけではないのだと背後で天井が粉砕される音を聞きながら理解する。
呼吸も難しい高速で空中を振り回されたせいで身体の節々に現れる痛みで眉間に皺を寄せた千歳は、浮遊感の中で唯一確かな感触を思い出す。わけもわからず中空で振りまわされながら、ずっとそこにあった人肌の暖かみだ。
レムリアの手を握る手に力を込め直して、存在を再確認した千歳は彼女の方へと頭を振る。
「レム、リ……ア……」
光が目に突き刺さる。目の前で電気を点けられたような、眼球に痛みが走ったと錯覚するほどの光。とっさに目を閉じた千歳は、まぶたを力尽くでこじ開ける。まばゆい逆光に耐えながら、千歳はレムリアの腕の先を見る。
光はライトから発生していたわけではない。目の前の女性が発しているものだ。青白い輝き。それはいつか見た覚えがある。そう遠い日のことではない。そうだ、まだ最近と呼んでもいい頃――身体を包み込む、暖かみを感じさせる光――。でもその光は孤高で、孤独で、哀しい光。独りであったがために暖かく、だからこそ哀しい光――。
その光はレムリアの頭髪から溢れていた。いや、それが頭髪だと判断できるのは、頭から続いているものが光っているからだ。
それはもう髪ではなく、翼だった。大きく広げられた一対の翼は長い長い蒼い髪を羽根のように舞い散らして羽撃たく。一度翼で宙を叩けば、あり得ないほどに加速して迫り来るギルトの腕を回避する。
発狂したように両腕を振り回すギルトも、小さな人の俊敏は動きを捉えることは叶わない。千歳は目まぐるしく揺れる視界で悉く空振るギルトの腕を見送る。そして気を見計らい、一気にレムリアが降下した。飛行機から飛び降りた時よりもずっと早い速度で、千歳の眼前に〈GA〉の装甲が迫る。
ぶつかる、と覚悟して腹の底に力を溜めるが、まるで空に見えない地面でもあるかのようにレムリアが足を突き出し、千歳が〈GA〉にぶつかって脳漿をまき散らす直前で急停止した。
「ついた」
簡素に事実を報告したレムリアは、寝転んでいる〈GA〉の装甲に設置されたハッチを器用にも翼の先を指のように曲げて開く。成人男性が両手を広げた程のサイズのハッチからでてきたタッチ式の画面を翼の先でなぞると、横にあったコクピットハッチが開いた。こんな規格外な大きさの〈GA〉でありながら、当然ハッチは人間サイズで、それが滑稽であった。
千歳の頭上で、ふたりを掴もうとギルドが手を振り回している。それでもここまでは届かず、レムリアはギルトに一瞥もくれずコクピットの中へと飛び込んだ。その〈GA〉――新生した〈天斬〉は、おなじみの複座式だった。
千歳は躊躇せずに〈天斬〉のコクピットへと入る。千歳がシートに座ると、コクピットハッチは閉鎖された。千歳の背後にある複座でレムリアが〈天斬〉の動力を稼働させ、真っ暗だったコクピットに光がともった。計器類が発光し、光学センサの見た情報がモニターに表示される。搭乗者の身体よりも大きいモニター一杯にギルトの醜悪な顔が表示された。先程まで争っていたギルトとは別に、もう一体いたのだ。赤々とした歯茎をむき出しにしたギルトは、俳優のような白い歯を〈天斬〉の頭部に突き立てた。〈天斬〉があまりに大きすぎて頭部に噛みついたギルトの姿が光学センサの死角に入り、歯が装甲を締め付けるギリギリとした音だけがスピーカーから溢れだした。千歳の両脇に設置されたサブモニタの表示が切り替わり、頭部と胸部にいるギルトの姿が表示される。
ドオッ、と機体が揺れた。千歳たちを襲っていたギルトがついに穴から這い出て〈天斬〉の上に着地したのだ。その身体はあまりに大きい。今まで確認された中でも最大級だ。ざっと全長五〇〇メートルクラス。そして、サブモニタにはコクピットに食らい付くギルトの姿が映し出される。〈防人〉や〈切人〉も易々と喰い破り、咀嚼する悪魔じみた顎の力が〈天斬〉に襲いかかっていた。
それでいて、千歳はギルトのことなど見ていなかった。千歳の関心は今、後ろにいるレムリアに向けられていた。
〈天斬〉に乗り込んでからずっと黙っていたレムリアが、重く口を開く。普段の人の目を気にしない性格が嘘みたいに、彼女の声には恐怖が宿っていた。
「……驚いた?」
震える子犬のような声に、千歳はなんとなしに彼女が怯えているのだと思った。拒絶されることに震えているのだ。
千歳は少し間を置いて、言葉を吟味しながら答えた。
「驚いたが、予想外というわけでもなかった。驚愕してる自分の他に、納得している俺がいるよ」
レムリアがただの人間ではない。改めて目の当たりにすると動揺はしたが、千歳としてはそれまでだった。思えば初対面の時から彼女は並外れていた。まず、〈GA〉に乗るための適正とも云えるプログレス因子の保有数値があり得ないほどに高かった。理論値に迫っている。雷華の話を聞いた今では理由も判る。鬼人は人間よりも強くプログレス因子を持っているのだから、保有数が高いのも当然だ。
円卓十三機士との戦いの時に見た蒼い光、ひとりで機士団を足止めした能力。どちらも、気づく兆候はあった。ただ最初に訊ねた時に否定されたし、わざわざ神国でその素性を隠す意味が判らなかったから違うと否定していただけだ。
「そう。やっぱり、隠し切るなんてできてなかったんだ」
「同じ機体で戦場に何度もでているんだ、気づけるさ。しかし、思い過ごしかもしれないが、お前の力は鬼人のものとも違う気がする。どうなんだ?」
がりがりがりと、ギルトの歯が〈天斬〉の装甲を削る。構わない。千歳は思考から彼らのことを排除して話を続ける。レムリアから反応が返ってくるまで静かに待った。
いうまいかどうか逡巡していたレムリアは、一度口の中に溜まった唾を呑み込んで、訥々と話し出す。
「〈天斬〉は、〈GA〉ではなかった」
彼女が語り始めたのは自分のことではなく、〈天斬〉のことだった。それでも千歳は口を挟まず、その話に耳を傾ける。
「あるとき、ギルトのひとつにイレギュラーが発生した。数多の人を取り込んだために自我が生じたギルトが誕生したの。彼――性別なんてなかったけれど――は、本来の役目を曲解して世界を滅ぼし出すギルトに我慢できず、ついには離反してしまった。彼は強かったけれど、多勢に無勢で勝てるわけない。彼は負けてしまい、数ある世界のひとつに漂着してしまった。
彼は死に往く身体を人の形に模して、分離させた。そのままその世界で生活して、子供を作った。ギルトと人間の間に子供ができたのは、奇跡ともいうべきものだった。その子供は女の子、でもふつうではなかった。
だって、翼がはえてくるんだから、それは人間なわけがない」
「それが……」
「そう、その時生まれた子供が私。――さあ、どう。私は人間でも鬼人でも、ましてやその両者の子供でもない。今〈天斬〉を喰らおうとしてる醜悪な化け物の遺伝子で構成された、人の形をしたギルト。それでも、私を怖くないと思えるのかどうか」
「ひとつ聞きたいんだが、実は本当の姿があって、それはあのギルトによく似た姿だったりするのか」
千歳が考える仕草も見せずにすぐ訊ねてきたので、レムリアは翼を揺らしながら否定した。
「今の姿が本当の姿だけど」
「ならコンプレックスなんて抱く必要はないんじゃないか。その姿はどっからどう見ても人間なんだからな」
「でも、人間にはこんな翼はない」
「人に翼をつければ天使だ。そんな夢想をしてあがめるのが人間だぞ、そのくらいなんともないだろう」
「私は人間とは違う。人だって簡単に殺せるし、さっきみたいな無茶なことができる。鬼人にだって勝てる。そんなものが人間だなんて……」
「レムリアにしてはやけに悲観的じゃないか」
いつもは絶対に見せない弱気なレムリアの姿を千歳は珍しいと洩らした。それだけ、この悩みは彼女の中では大きいのだ。口ぶりからして、この身体のせいで迫害された経験があるのだろう。だからこそ、彼女の中で自分が人間とは違うという意識が強くなっているのだ。
人々に差別された経験がある以上、そうではないと彼女の悩みを否定するのは、現実をみていない優しい嘘だ。他人を使った言葉を伝えるのはやめて、千歳は自分の言葉をレムリアに伝えた。
「少なくとも、俺は絶対にレムリアを怖がらない。お前は今、いきなり俺の心臓を引っこ抜いたりはしないだろ」
「それは、当然」
「なら怖くない。俺はいきなり心臓を引っこ抜かれて潰された経験があるんだ、レムリアがそんな姿だったからって怖くもないし、恐れない。今まで通りだ。
それにその姿、どうせ雷華も知ってるんだろ。あいつは隠し事をしている奴と仲良くしようとなんてしないからな」
ただ、まあ、と千歳は言葉を句切る。レムリアの悩みはこんなことで簡単には氷塊しない。長年時間をかけて形成された自己への引け目なのだ。
「俺は哲学できるほど、頭は良くない。だから、お前が人間かどうか、なんて、答えを出してやれそうにないけど」
千歳はシートから腰を浮かせて振り返る。不思議そうに千歳を見てくるレムリアの頬に手を伸ばした。抵抗はなく、千歳の掌がレムリアの頬に触れる。柔らかく、人肌のぬくもりがする滑らかな肌だ。
千歳はその頬を――つまんだ。
「……痛ひ」
「俺だって、こうされたら痛いだろうな」千歳は手を離して、レムリアを正面から見た。「人と痛みを共有している、人と同じぬくもりがあって、同じ柔からさがある。ならもうお前は人間じゃないか」
「なんて、馬鹿な理論」
「子難しい話は専門の人に訊いてくれ。俺が出せるのはこの程度のものだ」
千歳はシートに座り直す。自分の中にあった言葉は総て伝えた。これが彼女に云ってやれる千歳の限界だった。
千歳は、背後でくすくすと笑うレムリアの声を聞いた。呆れている。
「じゃあその話を聞くために早く終わらせないと」
「そうだな。その時は乱暴な本性は隠しておけよ、ばれたら一発でアウトだ」
ごつ、と千歳の後頭部がレムリアの踵で蹴られた。軽い一発のはずだったが、思った以上に力強くて千歳は危うく気絶しかけた。
頭を振って、千歳は操縦桿を握り締める。〈天斬〉と感覚が繋がり、身体と認識が一気に拡大される。蟻が人の身体を得たら、おそらくこうなるのだろう。
今まで乗ったこともない機体、それなのに千歳は認識のずれを感じることはなかった。懐かしい機体に乗っているように思える。そうだ、とこの感覚の正体を思い出す。これは前の〈天斬〉に乗っていた時と同じだ。
「なるほど、こいつは確かに〈天斬〉だ」
「〈天斬〉はかつてギルトを離反した彼――私の父が死に際に残した輪廻核を使って作られている、いわば私の兄弟だもの。前の〈天斬〉からそれだけはちゃんと移植してある、だから同じ〈天斬〉だから」
「兄弟か。では、改めて飛ぼうか。――兄弟!」
〈天斬〉の手が顔に張り付いたギルトを握り潰した。蟲のように小さなギルトを輪廻核ごと粉砕した〈天斬〉は、そのまま拳を腹の上に乗った巨大なギルトに叩きつける。
横臥したままとは思えぬ威力のボディブローを受けて、ギルトは悲鳴を上げてコクピットから引き剥がされた。
もう雷華たちは室内から避難していた。気兼ねすることなく思う存分に戦うことができる。
――キイイイイイイイイイ!
輪廻核を潰されなければギルトは止まらない。〈天斬〉相手にマウントをとって、ギルトは太い豪腕でコクピットを殴りつけた。衝撃は機体を突き抜けて、ベッドにしていた床を破砕した。
襲ってくる衝撃を千歳は耐える。他の〈GA〉でコクピットに喰らっていたら内臓が潰れていたことだろう。だが今の〈天斬〉を運用するにあたって、慣性制御の機能は飛躍的に上昇していた。係数をあげなくとも、巨体を生かして大型、複数の慣性制御ユニットをとりつけて機能を向上させているのだ。
「レムリア、武器は?」
「いいのがある。両掌部の内臓型掌部砲」
武器情報――確認。千歳は〈天斬〉の両手で逃さぬようギルトの身体を掴むと、操縦桿の銃爪を引いた。
カッ――、とまばゆい閃光がギルトを引き裂く。至近距離から放たれたふたつの掌部砲は圧倒的な火力で五〇〇メートル級ギルトの身体を吹き飛ばした。輪廻核ごと焼き尽くされたギルトを押しのけて、〈天斬〉は両手を天井に突いた。
「このまま、一気に行くぞ」
基地から送られてくる神国基地の戦闘状況確認。攻撃範囲に味方機なし。その情報を確認して、千歳は掌部砲を天井に放った。超高温の一撃が二〇〇〇メートルの隔壁を消し飛ばす。
どろどろと溶け出して溶岩状になった天井に両腕をねじ込んで引き裂くと、〈天斬〉は無理矢理上半身を起こした。
「い、く、ぞおおおお」
〈天斬〉のブースターを一息に解放して、隔壁を破壊しながら世界最大の〈GA〉が日の光の下へと躍り出た。
土埃の尾を引いて青空の下に姿を見せた〈天斬〉の光学センサ/目が周囲を見渡し、聴覚で情報を聞き入れる。
味方機の情報がなかったのも納得の惨状が〈天斬〉の眼下に広がっていた。今までで最大級の物量でギルトが攻めてきていたのである。数は一〇〇や二〇〇ではきかない。数えたわけではなかったが、千歳はレーダーを埋め尽くす敵を表す赤いマーカーの数にそう当たりをつけた。レーダーは画面の半分以上が赤い点に埋め尽くされているのに対し、味方機のマーカーは一〇、二〇、その程度だ。神国基地の保有している〈GA〉戦力からして、一割も残っていなかった。
「目障りだ。消し飛ばす」
「両腰部可動式ビーム砲、いつでも撃てる」
「ぶちかませ!」
〈天斬〉の腰部に設置された一対二門の砲身がギルトの集団を捉えた。
カッ、と目の前が真っ白になるほどの閃光が砲身から迸る。さらにふたつの砲身は左右に開いていき、内側から外へとギルトを薙ぎ払った。
「敵残存勢力なし」
レーダーから綺麗に消え去った敵のマーカーを確認して、〈天斬〉は飛翔する。
蒼い装甲の合間からツインアイをまばゆく輝かせ、〈天斬〉は信じられないほどの巨体を輪廻核による出力に支えられた驚異的な推力で大空の点へと変わっていった。
基地から飛び去っていく巨人を見送って、銃身の焼け付いた狙撃銃を構えていた〈切人〉のパイロット――真二・トゥファン・不知火がぼやいた。
「なんだ、あれ」
「そんなこと、判るわけないだろう」
真二の〈切人〉の隣で、片腕を失った〈切人〉に尻をつかせて、ジャック・モルダー=ブラウンは安堵に息を吐いた。
「ともかく、九死に一生を得た。そういうことらしいな」
もう立っているのもやっとといった〈切人〉に、相棒と同じように尻をつかせて、真二は〈切人〉の頭部をあげた。大空を光学センサでモニターに映しながら、嘆息した。
「あんな怪物を乗り回すのはひとりだけだな。こっち押し出して飛んでったんだ。精々派手にやってきやがれ、根暗野郎め」
もうこっちが怒る必要なんて、ないのかもしれないが。真二は戦場がなくなったことで脱力しつつ、自分が奴に抱いていた感情が流れて消えていくのを感じた。
あとはただ、決着の行方を天へと委ねた。