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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
55/60

54:幼年期の終わり

 閉鎖された空間というのは、外の音を遮断すると同時に内部の音を籠もらせる。

 足音ひとつひとつが分厚いコンクリートの壁にぶつかり、天井、床と跳ね回って千歳の鼓膜を震わせた。静謐な密閉された空間に響く足音は、ふたりだけではなく、もっと大人数の物であるのではと錯覚させた。

「地下二〇〇〇メートルにこんな施設があったなんて思いも寄らなかったな」

「ここまで奥深くにして隠匿していなきゃ不安だったのよ。秘密の宝物を簡単に見つけられては困るじゃない」

 神国基地地下二〇〇〇メートルに千歳と雷華はいた。

 基地の直下の奥底に、この施設は隠されていた。千歳もつい先程、高速エレベーターでここまで降りてくるまで知らなかったことである。雷華を含めた極一部の者しか認知していない機密の施設なのである。でなければ、人目を気にしてこんなところに建設などしようはずがない。

 こんな地下に人が活動できる空間を作るのは並大抵の労力ではない。酸素の供給は必要であるし、空調設備を整えて気温を一定に保たねばならないのだから、こんな深くに、しかも人に悟られずに建設するのは想像を絶する困難を乗り越えねばならなかっただろう。

「そこまで隠す価値のあるもの、か」

「そして、人に悟られてはならない程の機密である、ということよね」

「危険、ということか」

「危険ね。ここには核がかすむほどの武力と、そして人の精神をくじかせるほどの真実がある」

「人の精神をくじくほどの真実?」

「そうよ。誰しもルーツ、アイデンティティは大事でしょう。それが壊されるほどのものが、ここにはあるのよ。開けたが最後、希望と一緒に汚泥にまみれてしまう。パンドラの箱ね」

 雷華は千歳を振り返らずに先を歩き続けながらも、喋ることをやめなかった。疑問のせいで声音が変わってしまう千歳とは違い、彼女の口調には驚きや悲哀といった余剰な物による濁りは一切なく、よどみない語り口であった。台本を読み上げるというより、すり切れる程に目を通した書物の内容を暗唱するような口調だった。

「例えばアンタは〈鬼獣〉にどういう認識を抱いているのかしら」

「人類の敵、か。世界共通のような気もするが」

「その通り。まさしく、人類の敵よ。近代兵器と類似する効果を及ぼす生体を備えた、無限と現れる忌まわしき災厄。

 さて、じゃあそれを指揮をする鬼人――わたしたちの国としては、式神、かしらね。それはどう思ってる?」

 難しい質問だった。〈鬼獣〉を操る者たちは、無論敵だ。赦されざる脅威であり、〈鬼獣〉よりも率先して撃滅する必要がある対象群だ。が、それは鬼人の話であって、式神は別である。

 式神は〈鬼獣〉勢力から離反し、人間に味方した者たちのことである。国家の在り方の関係で神国にしか式神は存在しないが、彼らは人の味方である。かつてはどうだったかしらないが、式神と呼ばれる者は既に味方なのである。

 千歳は桜姫を思い出す。彼女は敵――この場合は〈鬼獣〉――に対しては手心なく粉砕していた。痛みを極力与えない瞬殺の仕方は慈悲深いとすらいえた。人への対応は誠実であったし、融通が利かないと苦言を呈されるほどに真面目であった。彼女は下手な人間よりも人間らしい高潔な女性である。

 人を殲滅する鬼人と、その式神は同一の存在であるが、一緒にラベリングしてしまうのはどうにも難しく、抵抗があった。

「鬼人は斃すべき敵だが、式神はそう思えない。確かに人の敵であったし、殺しもしたのだろうが、同列に扱いたくはない」

「そうね。まあ、神国のお国柄からそう答える人が大半よね。個人的に恨みがあったりするならまだしも。でも、そんなわたしたちの国の人間でさえ、式神を心の奥底では肯定していない。迫害している。何故だか判るわよね」

「人間ではないからか」

 鬼人は人と限りなく近い。生体の情報は人と酷似しており、受精の確立こそ低いが正常に子も宿すことができる。

 しかし、お互いに子を作れるからといって、山羊と人が同じであると思う者がはたしているだろうか。答えは否である。山羊が人の精子で妊娠できるとしても、山羊は人などということには断じてならない。だから鬼人も、式神も、あくまで人に類似している生物として認識されている。

 それになにより、あの人とは思えぬ超常の力だ。あんなものを行使できる存在が人間であろうはずがない。

「人の面を被った悪魔だ、なんてことを神国の外ではいわれているそうだな。人のふりをした悪魔なのだから、人権など適用されていないと寸刻みにされて研究材料となるのが、神国以外の常識だと、そう聞いている」

 千歳はアリスとイリス、デュラハンのことを思い出した。彼、彼女たちもその思想の犠牲者だ。人間であった夫は悪魔に魂を売ったとして殺され、妻の鬼人は技術の発展のために消費され、ハーフのふたりは便利な道具として利用された。

 いつどこが戦場となり人が喰われて死ぬかわからぬ世の中だ。適切な常識という秤がなくなってしまったも同然であるのだから、わざわざ人の形をした者にまで良識を適用させている程の余裕は世界に残っていない。

「そうね。彼らは人と違うのだから、そうしてしまっても構わない。わたしたち人間の間ですら人種差別やらで戦争があったんだから、こうなるのは必然よね。しかもわたしたちを殺している種族なんだから、迫害は当然の帰結だしね。

 でも、戦っている相手を正しく認識してしまった場合、今の人類はどうなるのかしらね」

「それでは、今の認識が間違っていることを知っているみたいじゃないか」

「事実、そうよ。わたしは知っていた。鬼人の正体を」

 雷華が口にしようとしていることは、この世界を維持している根底を覆す事実であると千歳は察していた。他人に聞かれてしまってはならない、見えない爆弾。ただしこの通路で千歳たち以外にあるものといえば、汚れも飾り気もない鼠色の壁だけだった。

「鬼人はね、わたしたちなのよ」

 言葉は今までと同じように反響した。四方八方から包み込むように聞こえてきた声は、雷華のものでないような恐ろしさを千歳に伝えた。反響ではなく、壁と床と天井が雷華にあわせて唱和したのではないだろうか、と。そんな馬鹿馬鹿しい考えが千歳の中で浮かんだ。鼻で笑ってしまいそうになる妄想であったが、それはけして空想ではないかもしれない。きっとこの施設は知っていた。地下二〇〇〇メートルという光届かぬ孤独な世界で、この施設は世界の真実を内包していた。中身を知らぬ宝箱などないのだ。

「それは、つまり人間ということか」

「いいえ。違う。わたしたち、よ。より正確にいうなら、鏡に映ったわたしたちね」

「意味が、わからない。クローンとでもいうつもりか」

「惜しい。きっと世間の事実を知ってる人が出せるもっとも近い答えね」

「焦らさないでくれ」いつの間にか千歳の心臓は鼓動を高く刻んでいた。「お前は何がいいたいんだ」

「平行世界って信じるかしら」

「ファンタジーだな。シアターで使い古された題材だ」

「そう、その平行世界。こういうと余り現実味のない、巫山戯た言葉よね。だけど、事実として、わたしたちの可能性の分岐として存在するifの世界というのは過去現在未来と存在しているのよ。

 鬼人はその平行して存在していた世界でのわたしたち人類。だから彼らはわたしたち、ということになるのよ」

「なるほど。対立していた相手は人間で、しかも自分自身となると、人の精神はまともじゃいられない。実感を持った認識はできなくとも、自分と殺しあっているなんて考えは狂いそうになるだろうな。だが信じがたい。突飛すぎる話だ。雷華を疑うわけではないが、荒唐無稽すぎやしないか」

「嘘は人を惑わすために複雑であり、真実とは人が理解する必要のあるため単純である。と。失せ物が実は手元にあった、なんてことみたいに、簡単すぎて気づかないなんてよくあることよ」

「それにしても、な」

「箱庭よ。わたしたちは第三者によって観察モデルとして世界を与えられた。同じ材料で同じ箱庭を作った第三者がいる。そういう世界ができあがるように仕組んだ存在がいた、だからこの世界……既存の言葉でいうなら平行世界、ができたの」

「第三者、そう聞くとまるで神だな」

「宗教であがめられるような全知全能の人の知覚外に住まう神ってものだったかはともかくとして、神様といえばその通りなのかもね。もしかしたら、彼らが住んでいた世界こそが本物で、自分たちを模して平行世界と呼ばれるいくつもの観察モデルを形成したのかもしれないし。もっとも、彼らは自分の創造物に駆逐されたわけだけどね」

 長々と話したせいで疲れてしまったのか、雷華は少し間を置いて息を深く吸うと、また語りを再開させる。

「第三者、便宜上神と呼称するけど――神は世界の管理プログラムを作成した。だって、人の手で管理するには手に余るし、いつだって機械的プログラムによる運営は必須であり、効率的だもの。

 その結果が間抜けなもので――いくつものバグをクリアしたと思ったら、仕様として存在させた知識欲のせいで自分たちにも制御できなくなったのよ。管理プログラムは知識の蒐集のために神たちを喰った。元がゴミの掃除用プログラムであったから、駆除はお手の物だったってわけ。

 もういうまでもないかしら。それがギルトの正体」

「掃除用の管理プログラムがあんな化け物とは、その神とやらのセンスには疑問を抱くな。……あまりにも醜悪だ」

 千歳は頭痛を堪えるように右手をこめかみに添えて、眉を寄せた。質の悪いジョークだ。自分たちは創造主によって作られ、さらにこの身を脅かす驚異を生み出したのも創造主で、しかも恨もうにも創造主はとうに死んでいる。怒りの矛先すら与えられないとあっては、どうにもやっていられない。

「敵は神の遺物と平行世界の自分たち、か。軍で害虫駆除をしていたと思ったら、いきなりスケールの大きな話だ。これが夢といわれてもなんの疑問も抱けそうにない。でも、それにしたって、鬼人が、式神が自分と同じとは感じられないな。同一のモデルとして作成されたのに、彼らはどうしてああも俺たちと違うんだ」

「いいえ、同じよ。アンタは自分がどうして〈GA〉を動かせると思う?」

「それは、プログレス因子があるからだ」

 人体には、大なり小なり個人差はあれどプログレス因子と呼ばれる細胞が備わっている。身体能力、免疫機能の補助を担っており、自己進化により人としての機能を成長させることができる。世代を経るごとに人は強靱になっていき、過去の人々とは比べものにならない能力を保持しているのだ。かつては人体に潜伏しているだけで、この因子が開花し正常な活動を始めたのは近年に入ってのことであるが。

「プログレス因子を介して人と〈GA〉の意識を部分的に接続して、並列処理し、身体の延長線上として扱う技術――ファクターフィードバックシステム。〈GA〉に乗ったことのない者だって知っているような常識だな」

「ええ、そうね。じゃあ、鬼人の高い身体能力と世界の法則に部分的な干渉を行える能力、これはどうやった過程で得たものだと思う?」

「どうやった過程といわれても」

 そう一度沈黙しかけた千歳は、その答えが先程自分の口にしていた情報と直結するのではないかと気づいてしまった。

「まさか、それもプログレス因子による進化の産物とでもいうんじゃないだろうな」

「まさかもまさか、そのまさか。プログレス因子による肉体と免疫、生命としての生存能力全般をより強く発達させたのが、彼ら鬼人。その過程で脳の未使用領域の解放と高度なバイオコンピュータを手に入れた。この世界が神によって作られた箱庭なら、そのプログラムを操作して細工を施すのは不可能じゃないわよね。個々人によって改変の得手不得手はあるようだけど」

「自分もいつか鬼人みたいになるのかと思うのは信じがたいな」

「ああ、それはないわ。だって彼らの異常な成長は自分たちでやったことだもの。

 ギルトに攻められた彼らの世界は、プログレス因子の研究施設を爆破し、空気感染で細菌を散布、人のプログレス因子を刺激して強制的な進化を促したのよ。まあ、総人口の九割は感染者みたいになったみたいだけどね。〈鬼獣〉の血液にある感染能力はその時の細菌の名残よ。平行世界同士の相互干渉によって、プログレス因子が学習したお陰でわたしたちに空気感染のリスクはないけど」

「それで、鬼人たちの世界はどうなったんだ?」

 判りきったことを聞いていると、千歳は自分の口から出てきた言葉を嘲笑した。ただ目を背けたい事実であり、もしかしたら、と希望に縋ろうと咄嗟に漏れ出したのだ。

「決まってるでしょう。滅んだわ。生き残りは〈鬼獣〉っていう生体兵器と一緒に、今はこっちの世界よ。他の世界を転々とした末にね」

 雷華はかつかつと規則的な靴音をどこまでも続いていきそうな通路に響かせる。

 頭上で等間隔に設置された灯りは通路の輪郭を浮かび上がらせるだけで、足下もはっきりと目視することができない。千歳は今ほど夜目が聞く生物をうらやんだことはなかった。人間以外の生物は〈鬼獣〉によってほとんどが滅ぼされてしまったので、やはりうらやむ対象も既にいないのかもしれないが。プログレス因子とやらは、もう少し視覚の向上をして欲しいものだった。それとも、これが進化した視界なのか。だとしたら、昔の人間はどれほど頼りない世界で生きていたのだろう。もしこれ以上暗い視界であったのなら、千歳は平静を保つことができなかったかもしれない。淡々と告げられる真実は、廃村の井戸でも覗き込んでいるような不安を千歳に与えた。

 そうした言葉を千歳に投げかけながらも雷華の語気は変わらず、歩みに乱れもない。その小さな背中を見て、千歳は焦っている自分が酷く恥ずかしく思えて、精神の手綱を握り直した。

「お前はいつからそのことを知っていたんだ」

「物心ついた時から、かしらね。元々、わたしたち皇ヶ院の人間はギルトに対するカウンターとして成長した一族だもの。まあ、成長っていっても、ほとんど先代のお父様がやったことなんだけど。石塔の未来視をたまに利用したりしてね。裏技ってやつよ」

「そんな小さな時からこんな事を知っていて、ずっとお前は平然としていたんだな。すごいよ。本当に」

「そんな時に教えられたから、それがわたしの常識だったわけだし、むしろショックはなかったわよ。ああ、そういうものなんだ、ってね。でも、まあ、不安がなかったわけじゃないけど、ほら、不安に打ちのめされて動けなくなっていられるような家でもなかったから、気づいたら図太く育っていたってオチよ」

 苦笑の気配。顔は千歳の位置から見えないけれど、雷華が今している表情がどんなものであるか想像することは容易かった。諦観混じりの苦笑い。常に人と反発しているような快活を絵に描いたような雷華には、あまりに似合わない笑みだった。それが無性に千歳は悲しかった。彼女をしてこんな顔にしなければならないほどに、この世界は残酷に形成されていたのだ。

「そんな、黙らないでよ。アンタだって同じような家に生まれたじゃない」

「それは、そうだが」

「勘違いしないでよ。別に嫌でこんなことしてるわけじゃないんだからさ。わたしはわたしなりに納得したうえでこうしているわけ。悲観もなければ後悔もない。それに自分の生まれを嘆くよりも、その中で出来ることを探す方が遙かに有意義じゃないの。不平不満だけを垂れ流して世界を恨んで蹲っているような生き方の方がよっぽど不幸だわ。

 それに、こんな立ち回りって損なことばかりじゃないのよ。良いことだってあった」

「例えば?」

「アンタとかレムリアとか裂夜ちゃんとか、普通じゃ会えないような奴に会えた」

「それは光栄だな」

 雷華の言葉に千歳は微笑で応えた。なるほど、なんとも強い少女である。女性は男性よりもしたたかで強いというが、そういうものではなく、彼女は彼女だからこそ強いのだと、そう思わせる。心配など端から杞憂であった。雷華は千歳が案じる必要もないくらいひとりで地に足つけて自分の世界を歩いている。むしろ何度もふらふらと迷っていた自分の方がよほど頼りない。身体ばかりが大きくなってしまったものだと、高くなった自分の視点を意識して肩を竦めた。

「さて、他にも聞きたいことはあるだろうけど――後はわたしより詳しい人に任せるとしますかね」

 雷華が立ち止まる。果てのないと思っていた通路はいつしか終わりを目の前にしていた。薄暗い照明のせいで姿を隠していた扉が、目で見える距離に物言わず立っていた。

 扉の右の壁に設置されたパネルに雷華が手を添えると、生態情報を読み取って扉が音もなく左右に滑って消えた。

 部屋の中から溢れる光に、暗闇になれていた千歳は目を手で庇う。目を細めて指の間から部屋の中を覗くと、自身の相棒と妹の姿があった。

 鋼鉄の壁を背にしたレムリアが、千歳の姿を認めて、無表情で歓迎した。

「ようこそ、最後の楽園(ラスト・リゾート)へ」

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