50:Loudness
ミサイルが落ちてきた。それはなんの比喩でもなく、そのままの意味だった。
千歳たちから数百メートルと離れぬ地点に、ミサイルが着弾する。衝撃で浮遊感に襲われた千歳がミサイルの炸裂に息を呑んで、死を覚悟する――が、予想していた爆風は襲ってこなかった。
〈夜叉姫〉の身体に斃れ込んだ千歳と裂夜が身体の痛みに顔をしかめて起き上がる。当然のように那殊はそんな騒動などなかったといわんばかりに平然と突っ立っていた。
興味もなさそうに先端が潰れたミサイルを見て、那殊が爆発しなかった原因を言ってのけた。
「爆薬の代わりに別の物が仕込まれておったようじゃな。なんとも、派手な輸送方法じゃ」
「輸送……そうか、コンテナを降下させるといっていたな」
まさかミサイルを輸送機代わりにして叩き込んでくるとは、夢にも思わなかった。基地に輸送へ裂ける人員がいなかった故の手段なのだろうが、それにしても豪快といわざるを得ない。千歳は、あのつかみ所のない主任なら面白がって撃ち出したといわれた方が納得できるのだが。
「どんな代物を寄越して来たんだか」
「どちらにせよ、時既に遅し、じゃがな」
オーバルがどれほどおかしな代物を寄越したにせよ、殲滅すべき敵がいなくなったのだから、使い道などあろうはずもない。
「いや、待て。まだ〈狂剣〉の奴がいる」
敵対していなかったために忘れていたが、〈狂剣〉と千歳は幾度も剣を交えている。ギルトがいた時は、敵の敵は味方、といった風になし崩しの共闘をおこなっていたが、決着がついてしまった今、再び〈狂剣〉と千歳たちは敵同士のはずだ。
相変わらず、ギルトの前で棒立ちの〈狂剣〉を見て戦闘を主張する千歳を押しとどめたのは裂夜である。千歳の肩に手を添えて、首を振る。
「その必要はありません、兄さん。兄さんだけはこのまま、〈防人〉で基地へと帰還してください。あとはわたしが始末をつけます」
「なんだって?」
「どの道、わたしはあちらには戻れません。人を斬っているわけですから、拘束されてしまうでしょう。逮捕されて罪を償うことには異存ないのですが、僭越ながら、わたしにはまだやらねばならないことが残されているのです」
裂夜が基地で兵士を手にかけたのは、遠からず感染者と化して味方殺しを働く運命にあった者たちであるものの、そういったところで、戦友を殺された者たちの怒りが収まるわけではない。無差別に人を殺していたわけでないにしても、自らの意志でもって裂夜は手を下したのだ。仕方なかった、必要悪だった、で済ませられる話ではない。特に、裂夜のような生真面目な人間が、恩情で罪を赦されることを良しとはしないのだ。
それでも、裂夜の行動の真相を知ってしまった千歳は――兄としては、裂夜が罪に問われるということは、御しがたい抵抗を生んだ。理屈では判っているが、感情の面で承伏しかねた。
「それは、そうだが。……罪に問われるのは仕方がないとしても、これ以上なにをするつもりなんだ、裂夜。まだ感染した者を斬り続けることが、使命なのか?」
「いいえ。わたしの行動理念の根源は――〈狂剣〉を冥府に送ることです。感染者は……たかだか辻斬りの小娘ひとりが対処しようとしても不可能ですが、〈狂剣〉は、アレだけはわたしの手で息の根を止めねばならないのです」
「裂夜、何故〈狂剣〉に執着する」
なにがそこまで裂夜を駆り立てているのか、千歳には判らなかった。兄の問い掛けに、裂夜は悲しげに頭を振った。まだ裂夜は千歳に隠していることがある。こうして本当の意味、再会を果たせたのに、まだ兄妹の溝は埋めきれていなかった。
「こればかりは。兄さんには、お話できません――」
「お主ら。そんな無駄話をしておる場合では、ないようじゃぞ」
いつの間にか、那殊の表情が陰鬱なものへと変わっていた。その視線の先は夜闇の天を眺めている。
那殊に釣られて、千歳も空を見上げる。そこには欠けた月を掲げ、地上の灯りで雲の輪郭を浮かび上がらせる夜空があるばかりだ。
「なんだ。なにも、な、い……」
いいながら、千歳の言葉が凍った。夜空、月、雲、違和感のない夜空。誰もが異常を感知せぬ空だ。しかし、間違い探しに成功してしまったものは、そこの変化に絶句する。
「まさか――」
夜空を見上げて、その間違いを探し当ててしまった千歳は、戦慄で身体を震わせた。隣で空を見上げる裂夜も、千歳と同じ様子だった。
自分が目で見た信じがたい光景に、千歳はその巨大というより広大なソレに声を張り上げた。
「この雲が全部ギルトだっていうのか――!?」
そうだ。今、千歳たちの上空にある、ひとつの巨大な雲。地上の人の営みによる光でうっすらと照らし出された雲はは白く、広い。そのひとつだけが、雲の姿でありながら異常だったのだ。
頭上で浮遊する、空に蓋をするような大きさのギルトは、先程千歳が戦ったものとは比較にならない。数字にすると、どれほどの面積になるのか、考えたくもなかった。千歳の見上げる夜空の六割以上を占領した、雲と見間違える大きさのギルトは、理不尽ともいえる暴力と肉の塊だ。
頭を抑え付ける圧迫感を与えてくる相手を傷だらけの〈防人〉一機でどうにかできるわけがなかった。〈天斬〉だったとしても無理だ。そもそも単独で戦える相手ではない。あんな規模のギルトと戦うには、軍隊の、国の総力を挙げなければ、到底不可能。
ギルトと死闘を繰り広げたばかりの千歳は、身体から抜けていこうとする力を抑えて、絶望感を必死に堪える。強い意志でもって感情をねじ伏せていなければ、とてもではないが正気を保っていることができそうになかった。
――オオオオオオオオッ
上空のギルトに反応して、黙っていた〈狂剣〉が慟哭した。
すると〈狂剣〉の姿がかき消える。次に現れたのは何もない空中だ。途切れた映画のフィルムを再生するように断続的に〈狂剣〉が宙に現れ、消え、現れ――ギルトへ肉薄した。雄叫びのままに刀を広大なギルトの肉体に突き刺す。深々と突き刺さる刃に、ギルトは痛みに泣くことはなかった。そのギルトの感覚が、さっきまでのギルトとは違うわけではない。痛くないから泣かなかった、ただそれだけのことだった。
夜天を覆うギルトからすれば、〈狂剣〉などただの蚊だ。蚊に刺されて痛みを感じる者などいない。痒いと、その存在を煩わしく思うのみ。あのギルトにとって、神国を騒がせた〈狂剣〉という狂気でさえも所詮はその程度でしかなかったのだ。
気づいた蚊は、当然、はらわれる――。
〈狂剣〉が刀を突き刺した周囲に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。その亀裂が、ゆっくりと開いた。裂け目から覗いたのは赤黒い肉と、亀裂にそってずらりと綺麗に並んだ歯だ。それは生物としてはあまりに乱暴で乱雑で暴力的な、ものをすり潰すための口だった。
その口が、ばくんっ、と蝿鳥草のように〈狂剣〉の上半身を呑み込む。数千メートルと離れた地上にいながら、千歳は〈狂剣〉の骨が折れ、肉がひしゃげる音を聞いた気がした。
血を滴らせ、打ち上げられた魚のように足をばたつかせていた〈狂剣〉の姿が消える。短距離転移によって歯から逃れ、なにもない空中に〈狂剣〉は身を躍らせ――触手に捕まった。
真っ白いギルトの身体の一角から、触手が束となって生まれていた。一角といっても神国基地と同じかそれ以上の面積から生えた数えきれぬ肉の鞭は、〈狂剣〉を易々と呑み込んだ。圧倒的数と力による抗いがたい嵐のような暴威は理不尽と形容する以外に術がなかった。
「駄目……」
ぼそりと、肉に蹂躙されていく〈狂剣〉を見上げて、裂夜が呟いた。
「それをわたし以外が殺していいはずがない!」
「裂夜?」
悲鳴に似た声をあげた裂夜に、千歳は驚いた。裂夜の声があまりにも切羽詰まっていたからだ。千歳に応える余裕もなく、裂夜は那殊を振り返る。
「〈夜叉姫〉を使わせてもらう。早くしないと、アレが……」
「駄目じゃ」慌てる裂夜とは裏腹に那殊は冷めた声で斬り捨てた。「今のお主に〈夜叉姫〉を使わせてやることはできぬ」
「どうしてこんな時に!」
「死にたがりに使わせて壊されては構わぬ。それに裂夜、お主が〈夜叉姫〉であそこまで向かったとしても、〈狂剣〉をギルトから引きはがすのは無理じゃ。ギルトを殺すことはできようがな、アレを助けることはお主でも無理であろうよ」
「うるさい! 貸さぬというなら良い機会、ここでお前を斬り捨て〈夜叉姫〉を使わせてもらう!」
裂夜が腰にはいた刀に手をかけるが、相変わらず那殊は冷めた目でその様子を眺めていた。軽蔑というわけではない、ただただ冷静に熱くなった裂夜を眺めている。
「なにがなんだかわからんが、〈狂剣〉を引きはがせばいいんだろう」
裂夜が動揺する訳はわからなくとも、彼女がおこなおうとしていることを把握した千歳は、〈防人〉のコクピットに飛び乗った。ハッチに足をかけて、千歳がふたりに向かって手を伸ばす。
「乗れ。やれるだけやってやる」
「兄さん?」
「事情は知らんが、俺はお前の兄だぞ。偶には頼ってくれ」
「……今だけはお言葉に甘えさせてもらいます」
裂夜が千歳の手をとろうとして、先に那殊が千歳の手を掴んだ。そのままひょいとコクピットに乗り込んだ那殊は裂夜を振り返り、鼻を鳴らしてあからさまに小馬鹿にした。
「まだまだ修練不足じゃな」
「この盛った女狐、人の兄にまで手を出してっ」
本当の意味で手を出されていたことは、さしもの裂夜といえども梅雨とも知らぬことであった。微妙に複雑な気持ちになりながら千歳は裂夜もコクピットへと招きいれると、ハッチを閉じる。
本来ひとり用として設計されたコクピット内は、三人も入ると余剰スペースがなく非常に窮屈だった。那殊と裂夜は千歳の膝の上に身を寄せ合って座った。
「もっとそっちへ行きなさい、女狐」
「いや、さすがにそれは無茶じゃ。物理的にスペースがないではないか」
「自慢の能力を使えばいいでしょうに。時間を操るなら次元や空間に干渉くらいしてみればいい」
「ここを壊してもよいなら拡張くらいならできるのじゃがな。さすがにそこまで便利ではないわ」
「役立たず」
「のぅ、千歳。これはさすがに不当な要求ではないかの」
「やかましい、人の膝の上で喧嘩をするな」
無理難題を吹っかけられた那殊に同情しないでもないが、ただでさえ狭くて動き難いのだから騒がれては堪ったものではない。
戦闘稼働に移行させた〈防人〉を千歳が立ち上がらせると、裂夜との言い争いを切り上げた那殊が訊ねる。
「ところで、千歳よ。ああはいっておったが、どうする腹づもりなのじゃ。まさか、この木偶人形であそこまで赴こうというのか」
「〈防人〉じゃ近づいた瞬間に撃墜されるのがオチだろう。こいつを使わせてもらう」
地面に着弾したミサイルへと〈防人〉を近づけさせて、千歳はいった。
オーバルが威力だけは折り紙付きと称した兵器。先程の戦いでは出番がないままであったが、これを有効活用させてもらわぬ理由はない。
〈防人〉のマニュピレーターでミサイルの壊れかけた外装に手をかけて、引きはがす。鋼鉄の指によってこじ開けられた外装の下に眠っていたものを掴んで引きずり出すと、千歳は目を見開いた。
「これは、〈天斬〉!?」
傷だらけの蒼色の装甲、ここ数ヶ月ですっかり見慣れたフェイスがミサイルの中から現れたことに千歳は驚愕したが、それは手足のもがれた状態だった。シンボルであった背中の翼は以前として焼き切られたままであったし、トルソーとなった〈天斬〉の状態は痛々しい。仮にも自分の愛機とした〈GA〉がこんな無惨な姿を曝していると、どうにも千歳はやりきれない。これも総て自身が至らなかったせいだと、胸が痛んだ。
〈天斬〉の背部から頑丈なカーボン製のチューブが伸びており、それはミサイルの中へと続いている。千歳が〈防人〉にチューブの先から物を引きずりださせると、それは巨大な砲身だった。基盤と砲身含めて、その全長はおよそ五十メートル超もあり、〈防人〉の三倍以上はある大きさだ。月明かりを浴びた黒光りする鋼、その持ち手と思わしき場所を〈防人〉に握らせると、掌部との接触によるデータ交換がおこなわれた。コクピットのディスプレイに表示された兵器のステータスに、千歳は得心いったと頷く。
「〈天斬〉の動力炉と直結させて高出力のエネルギーを得ることにより使用可能な光学兵器、か。使用後極端に機能が低下するため、単独戦闘機会が多い〈天斬〉での戦果は期待できない、とはな。テストをする前にこんな結論がでているというのに、どうして製造したのだか」
それに、確かにこれは〈防人〉や〈切人〉では扱えない。現状、〈GA〉が携行可能な光学兵器は光子剣に限られており、それすら準機士や機士にとってはエネルギー効率が悪く手に余る代物だ。今よりも高出力の動力炉を量産することは難しいため、ジェネレーターの出力が不足しているのである。重機士には陰陽兵装と呼ばれる、現代兵器だけでは実現しえない威力を発揮する専用兵器があるので、わざわざ光学兵器など積もうとはしない。
このような中途半端な立場の兵器は、両者の中間にある〈天斬〉にはとてもお似合いだった。
「こいつであの触手を薙ぎ払う。あとは〈狂剣〉次第だ。本当は、助けたくなんてないんだがな」
〈狂剣〉に斬られた仲間のことが脳裏に浮かぶ。人工島で世話になったゲラートや桜姫もまた、刀の錆びになるところであった。そのことを思い出すと、〈狂剣〉も一緒に撃ち抜いた方がよいのではないかと考えさえする。
「安心してください。どちらにしろ、〈狂剣〉は斬ります。わたしが。だから、助けるのではありません。……殺すために、あそこから引きはがすんです」
矛盾を孕んでいるのは、裂夜も承知の上で口にしたことに、千歳は納得することはできないが、〈狂剣〉を撃ち抜くことは堪えることができた。まずは裂夜がやろうとしていることに手を貸してやる。
千歳は〈防人〉に腰を下ろさせて銃を天に向けて構えると、〈天斬〉の動力炉を起動させる。レムリアがいなくとも、〈天斬〉の心臓は問題なく鼓動を刻み始めた。もしこの瞬間、〈天斬〉は目覚めたのだとすれば、いきなり四肢と翼を失った状態の自分をどう思っただろうか。そんな不思議な感慨に囚われながら、千歳は上昇していくエネルギーゲインを見つめた。
〈天斬〉から供給される力が光学兵器――名称、天羽々矢のチェンバーに供給されていく。炉が焼け付く限界まで駆動させられたジェネレーターから流れ込むエネルギーで、天羽々矢が引き絞られた。
チャージされていく天羽々矢、その一秒一秒がもどかしく、裂夜が非難するような声を上げる。
「兄さん、まだですかっ」
「あと五秒待て! 四、三、……」
カウントを刻みながら、狙いを定める。光学カメラの倍率をあげて、焼き払うべき触手の束を標準にいれた。そこから、自力だけではなく〈GA〉に内蔵された補正システムを使って狙いを微調整する。デリケートで搭乗者ごとに個体差がある〈GA〉での調整なしでの遠距離射撃、困難だが、あれだけ的がでかければ、やってやれないことはない。
「二、一……ゼロ!」
かけ声に応えてディスプレイに表示された、充填完了、ALL COMPLETEの文字に千歳が銃爪を引いた。
瞬間、光の矢が解き放たれた。
夜闇のベールが、地に現れた陽の光で一気にはぎ取られる。音よりも早い閃光が、ギルトの触手を根こそぎ焼き払い、その広大な身体を撃ち抜いたのだ。
熱波を放出しながらの天羽々矢による射撃は、〈GA〉が携行可能な火器どころか、基地に備え付けられたどの兵器よりも破壊的な武器であった。モニタ越しでも目を開けていられぬほどの閃光で薄目になりながら、千歳はその威力に舌を巻いた。威力だけは折り紙付き、その言葉に嘘偽りはなかった。
光は雲海のようなギルトの身体でさえも貫通して、空の彼方に消えていく。身体の面積からすると、その穴さえもけして大きなものではなかったが、肉を抉られ、傷口を超高温で焼き塞がれたギルトはその痛みで醜い口を四方八方に広げて絶叫した。
――――オオオオ――――オオオ――オオ――――!
大空に浮かぶ雲海の悲鳴は音の塊だ。鼓膜を潰されそうなほどの質量の音が頭上から叩きつけられて、千歳は咄嗟に耳を塞いだ。耳元で最大音量のスピーカーから音楽を流されたと錯覚するほどのラウドネスに、身構えていなければ胃の中身が逆流してしまいそうだった。
その中であっても、裂夜はモニタに映った触手の群れから半身を覗かせて落下する〈狂剣〉を見つけていた。
「〈狂剣〉、あれで、おそらく、無事でいてくれるはず……」
「じゃが、それよりも先に真上のあやつをどうにかせねば始まらぬぞ。どうやらこちらを見つけおったようじゃ」
音ではなく、天羽々矢による衝撃から〈防人〉を守るために無理をしたのか、涙目になっていた那殊がモニタ越しにギルトを指さした。液晶で蠢く雲海の化け物は、その広大な身体一面に所狭しと眼球を浮かべて、〈防人〉を凝視していた。夜空に浮かぶ目眩をするほどの数の眼球に睨み付けられて、千歳も肝が冷えた。びっしりと密集した目に見つめられて、全身が粟立つ。
「……さて、ここからどうするべきか」
「考えておらなんだのか」
「考えたところでどうにかなる状況とも思いませんでしたけどね」
〈防人〉で頭上のギルトを斃せなどと、米粒で人を殺してみろというようなものである。考えたところでどうにかなるものではない。千歳は〈狂剣〉をギルトから引きはがすという行動を完遂したまでのことだった。そこから先は、考慮の外である。
「那殊、なにか策はあったりしないのか」
「なあ、お主ら兄妹は妾を魔法使いか何かと誤解しておらぬか。妾にだってできないことくらいある」
「つまり手詰まりってことだろう」
天羽々矢の二射目――は、無理だ。中央ディスプレイの表示では、〈天斬〉の動力炉が冷却中になっており再度のチャージはおこなえない。あと一二〇秒は必要だ。ただし充填が完了したとして、あのギルトを斃すには目視できない輪廻核を奇跡的な幸運で持って撃ち抜く必要がある。雲海のギルトの中心が何処か、それを当てることすら困難。
「こうなったら、わたしが〈夜叉姫〉で惹き付けます。〈狂剣〉のことを気にしなくて良くなったのですから、今なら気兼ねなく相手にできますからね」
「裂夜ひとりに行かせられるか。それに〈夜叉姫〉もさっきのギルトとの戦いで傷ついているだろうが」
「ならどうしろと……!」
このまま手を拱いていては、みすみすギルトの餌食になってしまう。ここは裂夜の提案通りに〈夜叉姫〉に頼らせてもらうか、それとも――。
「――?」
その時、〈防人〉に通信があった。音声ではなく、テキストによる文章だった。それは簡潔に、伝達事項だけを記していた。
――『そこを絶対に動かないように』
「……レム、リア?」
「むっ?」
那殊が顔を上げたが、それはレムリアの名前に反応したわけではなかった。背後、コクピット内でなければ、基地が見えているだろう方へと顔を向けたのである。
「この反応は、真逆〈機神〉? 否、それとは、また違う、なにか……」
思慮にふけった那殊にどうしたのかと訊ねるよりも、〈防人〉が捉えた反応に千歳は気を獲られた。
「熱源、接近――」
再び、夜空が切り裂かれる。
輝ッ、と閃光が天空を薙ぎ払った。
空を覆った規格外の大きさの生物を、端から光が呑み込んでいく。光がウィルスのように真っ白な肉塊を貪り――喰らう。
――――――!
ギルトは啼く暇さえ与えられなかった。闇夜を裂いた光は、瞬く間に大空に居座る悪夢を吹き飛ばしたのだ。たったの一撃で、空を焼き払ったのだ。
冗談のような光景は、あまりに超常的であったがために人の目を光で覆い隠し、目視することすら赦さぬ神の所業であった。
突然の光にマニュピレーターで光学センサを抑えるという〈GA〉ならではの人間くさい動作で呻きながら、千歳は〈防人〉に背後を振り向かせる。光が撃ち出されてきた場所、神国基地を見た。倍率を最大まで引き上げられた〈防人〉の光学センサが、数キロ離れた基地の異物を発見した。
「あれは……手?」
距離が離れているせいで目測が曖昧だが、鋼鉄の腕が神国基地の地面から生えていた。ただ、そのサイズはよくわからない。周囲の建造物と比較してみようとして、目を疑った。まるで騙し絵を見ているようであった。だって、見たものをそのまま信じるなら、その腕はあまりにも大きすぎる。最初に戦っていたギルトなど、指先で押しつぶせてしまうような大きさだということになるのだ。それは、あまりにもおかしな話だった。
コクピットハッチを開いて、千歳は膝の上に那殊と裂夜のふたりを乗せたまま、天を仰いだ。
「いったい、なにがあったのだか」
疲労と、再び訪れた美しい夜空に溜息をつく。落下してくる肉塊すら残さず、大空にあったギルトは、それこそ夢から覚めるようにこの世から消し去られた。