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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
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46:Yaksni

 自分の目の前に現れた少女を見て、千歳は瞠目した。彼女の姿は千歳にとって己の罪科の集約であり結晶であり、そして悪夢の擬人化に他ならなかったからだ。

 それが時を経て、再び千歳の前に現れた。妹に続き、元凶とまで再会を果たしてしまったという事実は、身構えていなかった腹筋に拳を叩き込んだように千歳のことを揺さぶった。

 乾涸らびて水を欲した喉をひくひくと痙攣させながら、千歳は譫言を呟くように声を上げた。

「どうして、お前が、ここに」

「知る必要はなかろう。それとも、妾のために何かしてくれるというのかね?」

 千歳が苦痛を伴いながらはき出した言葉を、那殊は素気なく一蹴した。でも千歳が一番堪えたのは拒絶されたことの方である。何かしてくれるのか、といわれた。かつて千歳は彼女との約束を違った。その結果、あの大惨事が発生することとなったのだ。無論、だからといって那殊があの惨事を引き起こして良い道理はない。それでも千歳が那殊の心を踏みにじってしまっていたこともまた変わりはなかった。

 ここに来て、先程まで裂夜を止めようと息巻いていた千歳の勢いはなくなっていた。ただただ眼前の少女に対する畏怖と罪悪感で押しつぶされようとしていた。

 千歳を見て、那殊は喉を鳴らして、愉悦に頬を歪ませる。悪戯を成功させた子供の笑みだった。そこに邪気が多分にあることを除けば。

「悪かったのぅ。厚顔無恥に開き直られては堪らぬが、今でもこんな言葉でそこまで揺さぶられてくれようとはな。いやはや、嬉しい限りじゃ。今でも愛されていると思えば怒りなど抱こうはずがない、妾もな。

 それに免じて訳を話してやりたくもあるが――」

「――貴様、口を開くな!」

 狂剣と息もかかる距離で殺し合いを繰り広げている裂夜が、那殊の言葉にめざとく反応した。その一喝に、那殊は肩を竦めて苦笑する。

「――この通り、話すこと叶わぬ。すまぬな、千歳よ。

 なあに、ただ狂剣の命を奪いに来ただけのこと。そうかっかするでない。すぐに立ち去る。さあて、それまで妾に付き合ってくれぬかな。なにぶん、久方振りなもので。妾もこうして姿をさらして困惑しておるのだよ」

 千歳は何を言うべきなのか、まったく判らなかった。妹と那殊が通じており、こうして目の前にいる。そしてここまで狂剣を殺しに来たのだと嘯く。事態の急転に、思考が止まっていた。いや、千歳の脳はこんなことで機能を停止するほど脆弱ではない。命のやりとりをする場での迷いは例え一瞬であろうと、その命運を別つものだ。なのに頭が働かないということはつまり、千歳が意図的にその活動を休止させているからに他ならない。

 狂剣と裂夜の死闘は、ここに来て終焉へと向かって転がり落ちていた。狂剣の圧倒的劣勢。まだ五体満足で切り結んでいることが奇跡だった。辛うじて急所を外しているようだが、身体の至る所に裂傷がはしり、その出血量は生死に関わるほどに酷かった。あの様子では、もう勝負は見えたも同然だった。死の間際に狂剣が死なば諸共と打ち込んだとしても、それでも、きっと裂夜には届かない。

 〈鬼神〉を操ることから、狂剣もまたただの人ではない。現状で命尽きるとは考えにくいが、このままでは裂夜に殺されることは明白だった。

 裂夜が少しでも手を汚さぬようにしたいのに、今の千歳は無力。足がすくんで動けない。

 そんな千歳に変わって那殊に罵声を浴びせかけたのは、千歳の背中から前に出た雷華だった。視界にある死体の数々に対するおぞましさを那殊への怒りでねじ伏せて、雷華は那殊に挑みかかった。

「ついに見つけた――アンタが、那殊ね。陵の家を滅ぼした、おぞましき悪鬼!

 この後に及んで、何をするつもりなのかは知らないけど。こうして敵の懐に飛び込んで来たからには、相応の覚悟は決めているんでしょうね」

 雷華はドレスの裾の中から護身用の短銃身リボルバーを取り出すと那殊に突き付けた。多少なりとも射撃の心得がある雷華が銃爪を引けば、その鉛玉は確実に那殊を撃ち抜くことだろう。

 那殊も、構えられた銃がぴったりと自分の胸を狙っていることを判っていて、尚も表情を変えることはなかった。

「おや、お主は以前一度顔を合わせた者ではないか。そういえば、あの時お主を殺した記憶はなかったのぅ。徹底が足りなかったようじゃな。随分と大きくなったではないか。人の成長を見守るというのは、何度味わっても感慨深い」

「人の話を……っ」

「いや覚悟といわれてもだな。散歩へ行くのにわざわざ意気込む者などおるまいに」

「この……!」

 激情で銃爪にかけた指に力を込めようとした雷華を止めたのは、顔を真っ青にした千歳の手だった。大きな手で銃を掴んで、雷華の発砲を押しとどめた。

「千歳、邪魔しないで!」

「やめて、おくんだ」

「どうして!」

「……無駄だから」

 雷華の疑問に答えたのはレムリアだった。表情を滅多に表さないレムリアの表情も、今では険しくなっていた。眉間に眉を寄せて、那殊を注視している。

「ああ、そうであるとも。そんな豆鉄砲が例え千挺あろうが、妾には傷ひとつつけること叶わぬよ。まあ、それでも。もし妾を害そうと銃爪を引いたなら、さんざ辱めて死んでもらっておるところだったよ」

 那殊の言葉がただの大言壮語でないことは、千歳がよく知っていた。那殊ならば、例え相手が機士であろうとも傷を負うことなく破壊せしめる。それがこの規格外の化け物である那殊の力量というものだった。那殊にとっては、この基地にいるのと公園にいるのとで差したる違いはないのだ。ただ煩いか、そうでないか。精々その程度である。

 こんなものを目の前にして――どうして人が正気でなどいられよう。

「千歳はともかくとして。そちらの女は中々に見る目があるではないか。……それに、面白い臭いをしておる。ならばこそ、かの?」

「さっきから、やけに口数が多い。命が惜しいならそれ以上口を開くのはオススメしない」

「それは脅しにすらなっておらぬな。自分でそんなことができるなどと思ってもおらぬ癖に」

 悠然と。扇を口に当てて、見た目からは想像も付かぬ、睦言を囁くような妖艶さで那殊は笑う。賢しい子供と一笑することは、この少女を目の前にすれば誰もができなくなる。これは単に子供の皮を被っただけの老獪なる悪魔なのだ。蠍のように、その小さな身体には致死の毒を持つ悪魔。

「これじゃあアンタを殺すことができないだなんて、そんなこと知ったことじゃないのよ。ただ、わたしはただ気に喰わないだけなんだから。陵の家をあんなにしておいて、軽薄にけらけらと笑うその顔が!」

「よく吠える娘であるな。その威勢の良さは嫌いではないぞ。ただし、千歳の隣にいるというのがどうにも気に喰わぬ。妾、ここ数年、そこに再び立つことを楽しみにしておったのだぞ? あまり気安くその場にいて欲しくは……ないものじゃなあ」

 雷華の一方的な敵意が、ついには双方向の敵意となった。一触即発のただならぬ空気が両者の間に生まれる。その危険な状態を切り裂いたのは、幸か不幸か狂人の雄叫びによるものだった。

 狂剣の傷はもはや致命的である。このまま放置していても、その命尽きることは誰の目にも明かなほどの負傷だった。腱こそ切れていないが両腕には深々とした刀傷があり、動脈からは血が止まることなく流れている。

 だからその叫びは最後の足掻きによるものだった。

 虚空を切り裂き、狂剣の〈鬼神〉――〈狂剣〉が現れる。全長十五メートル以上の巨人は狂剣の身体をすくい上げると、開いた血みどろの胸部に収納して、その胸を閉じた。またしても、転移を妨害するこの地に〈鬼神〉が現れた。基地は蜂の巣を付いたような騒ぎになっていた。

「ふむ、妾がここへ来る時に改竄した転移妨害術式の穴をついて呼んだか。相も変わらず、その腕前の秀逸さには賞賛を送らざる得ぬのぅ」

 その騒動の中でも那殊は泰然自若としている。自分が踏みつぶされるかもしれないという恐れは一切なかった。

 だが、それでも〈狂剣〉相手では那殊も裂夜も生身で挑むのは無茶な話である。準機士、機士程度ならどうにでもなろう。だが〈鬼神〉である〈狂剣〉が相手となっては話が別だ。

 この時、初めて裂夜が那殊の方へと目を向けた。

「おい!」

「ああ、よいとも。使うがいい。そのために妾もここにおるのだからして」

 裂夜の呼びかけに飄々とした様子で那殊は頷く。ふたりに必要な会話はこれだけだった。

 裂夜が己を踏みつぶそうと迫る足の裏を見上げながら、声を張り上げた。

「――来い、夜叉姫!」

 突然、〈狂剣〉は横合いから殴りつけられて基地を巻き込みながら倒れ込んだ。

 〈狂剣〉を殴ったのは、手。それも〈狂剣〉と同じスケールとして考えた場合での手であった。

 〈狂剣〉に続き、新たなる〈鬼神〉がこの基地に現れていた。

 返り血で赤さびを浮かべた漆黒の侍が〈狂剣〉だとするならば、その新たに現れた〈鬼神〉は月夜の許で舞う艶美なる夜叉の姫。

 白髪のような繊維を頭部から降ろし、着物を模した布状の装甲材を纏った、狂気と優美さを併せ持った〈鬼神〉だった。

 〈鬼神〉は肉感的であろうとも、やはりただの人をもした戦闘兵器――そう認識されているはずなのに、その〈鬼神〉は女性であり、美しく、舞う姫のようだと。誰もがそう思った。それも夢見て手を伸ばそうとも、するりと手から抜けて遠くへと去っていく、幻想のような美女であると。

 その人型は、もはや戦闘兵器という規格から逸脱する、人と紛うことなき芸術品であった。

 その姫が裂夜をすくい取ると、着物の中へと誘う。〈鬼神〉――〈夜叉姫〉に裂夜が呑み込まれると、その〈鬼神〉の動きが裂夜のものとなる。〈夜叉姫〉は背中に背負っていた太刀を掴んだ。鞘ではなく包帯のような布で保護されていた刃は、前に突き出されると、〈夜叉姫〉自身の手で布を引きちぎられた。布の下から現れたのは、息を呑むほどに鋭利な刃だ。

 布を捨てた〈夜叉姫〉が、太刀を構えると体勢を立て直した〈狂剣〉へと刃を振るう――。

 そこから先はまさしく歌舞伎の舞台を見るかのような光景だった。

 白髪を振り乱し、見た目の美しさとは裏腹の力強い挙動でもって〈狂剣〉に肉薄するや、空中に白刃を滑らせて、流水がごとく動きでその首を断ち切らんとする。その〈夜叉姫〉に相対する〈狂剣〉の動きは、荒々しく無粋な下郎であると評されてしまう。得意の短距離転移で、次々と急所へと繰り出される刃から逃れながら、敵のリズムを崩そうと斬りかかるのは、舞の作法もしらぬ無礼者の所業だ。それに戸惑いも乱れもしないのが、夜叉の姫。アーティスティックな動きは、適宜相手の動きに合わせられている。いや、〈狂剣〉が意図的にそのリズムになるように操られている。

 〈狂剣〉は〈夜叉姫〉の前では、ただの童でしかなかった。

 その戦いの圧倒的差。それ以上に千歳を驚かせていたのは、裂夜が〈鬼神〉に搭乗したことだ。人が〈鬼神〉に乗るなどと。敵が操るものを駆るなどと。その前例がなかっただけだが、驚愕すべきことである。〈鬼神〉を人間に提供した鬼人がいることに。

「あの機体は――那殊、まさか、あれは……お前の?」

「然り。あれは本来妾が操るべき〈鬼神〉よ。本来であるならば、妾以外にあれを扱わせるという屈辱など許し難いわけなのじゃが――まあ、よい。今あれに乗っておる娘になら、特別に使わせてやらぬわけでもない。

 妾は太刀などと無粋なものを使う気はなかったのじゃが。やれやれ、好き勝手してくれおるわ」

「なにが、そうまでして……。なにをしようとしているんだ……俺はわからない……」

「先程も釘を刺されたのでな。そう簡単にいってやることはできぬよ。安心するがいい。他の者はどうかしらぬが、今この場で妾はお主を危険に晒すようなことなどせぬからして」

「危険に晒さない? いったいどの口がいっているんだか」

 那殊の言葉を雷華が嘲笑した。

「感染者を差し向けておいてよくもそんな口がきけるわね。こっちの行く場所にわざわざ奴らを寄越すだなんて、よっぽど後ろめたいことでも企んでいるんじゃないの。陵の家を破滅させ、ひとつの士官学校を破壊したようにね」

 自分たちの平穏だった世界を壊した――そんな相手を許せないと。激昂した雷華は言葉を吐く度に怒りの本流が那殊に叩きつけられる。

「アンタのような、奴が――!」

「――待て」

 雷華の言葉で、ここまで変わることなく超然としていた那殊に変化が訪れた。

「感染者といったのぅ」

「この程度を聞き逃すなんて口調通り耄碌してるようね」

「どうやら言葉に間違いはないようじゃな」

 目を閉じて黙した那殊からは、先程までの玩具で遊ぶ子供のような雰囲気は窺えなかった。

「なに、今更後悔と懺悔でも始めたわけ」

「そんな後ろ向きなことをする妾でもないしのぅ。そもそも自分で殺そうと思って殺したのであるから、そのことに後悔などするはずもなかろうに」

「この……っ」

「ただひとつ。妾から伝えておかねばならぬことがある。

 そんな感染者など妾は放った覚えなどない。先日イレギュラーな感染者をこの場で目撃したこともあったが、妾が最後に操った感染者は人工島に潜り込ませておった一体きりよ」

「え――?」

 人工島の感染者。気になる言葉であっても、千歳がそれに今この場で切り込むことはできなかった。那殊の目が千歳も、雷華も、レムリアも見ていなかったからだ。

「……時間切れというやつじゃな」

 那殊が呟いた言葉の真偽は、確認するまでもなかった。

 その答えの方がやってきたのだから。


 ――空が割れた。

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