44:Dawn of the Dead
石塔 千里。
墓地での戦闘を仲介した女性こそが、千歳たちが会いたがっていた人の名前だった。
あの場にいた全員は場所を寺院の講堂へと移していた。冷たい床に座らせられる――ということはなく、講堂には不釣り合いな座布団とお茶が人数分置かれている。どれも、まだ暖かい。何時に誰が来るか正確に計っているかのようだった。
座布団に座り、熱いお茶に口をつけながら、千歳は違うと否定する。
計っているのではない。彼女は識っていたのだ。より正確にいうなら、視ていたのだろう。彼女の能力は未来視。つまり、墓地での戦いも、千歳たちが今ここでお茶を飲んでいる時間も、彼女にとっては未知ではなく既知。
こうして些細なもてなし方ひとつに、石塔 千里がただ者でないことを思い知らされる――。
熱く、渋いお茶を平然とした顔で飲むと、千歳は口から茶碗を離して目だけで辺りを見回した。千歳の右隣には雷華がおり、さらにその横にはレムリアがいる。軍人ふたりで要人を警護しているようだといえば、その通りでもある。
さらに千歳は目を左側へ。お誕生日席といえばいいのか、千歳の左斜め横に彼女は正座していた。姿勢はただしく、置物のように綺麗だ。生まれてこの方武道をやり続けた千歳が見ても感心するほどなのだから、その姿はまさしく理想的である。しかもそれが堅苦しいと感じられず、彼女の自然体なのだとわかるのが、彼女の凄いところだった。
最後に、千歳は石塔 千里の隣でふてくされている少年を見た。
少年、年齢は――中等部に入ったばかりの頃合いであろうか。若い。まだ男女の性差が見た目に出ていないぐらいの年頃だ。ガキ大将、と。その少年のことを一言で表すならば、まさしくその通りだろう。あぐらを掻いて座る少年は、口をへの字に曲げてあらぬ方向を見ている。誰が見ても、少年が拗ねているのだとは一目でわかった。
少年の名は墳墓 応理。
さきほど墓地で千歳たちに襲いかかってきた者の正体だった。
千里がまぶたを開かぬままに、柔和な笑顔のまま、応理に苦言を呈していた。
「応理様。今日は来客があるとあらかじめ報告していたではありませんか。いきなり襲いかかるなど、殿方のすることではありませんよ。わたくしのことを守ってくれているのはわかるのですが、もう少し慎重になっていただかなければ」
「守るって、ただそうしないと落ち着かないだけだ! アンタ無防備すぎるんだよ!
それに、この女! 人のこと散々馬鹿にしてくれたんだぞっ」
年齢故に年上女性に免疫がないのか、墳墓 応理は顔を赤くしながらも、雷華を指さした。その顔色はなにも照れているだけではなかったようで、怒りの色もいくつか混じっていた。
突然に指を指された雷華は心外だ、と顔をしかめる。
「そんなことでいきなりナイフを向けられるだなんて我が侭にもほどがあるわね。図星を突かれて怒るのは子供の証拠よ。癇癪は起こさないように」
珍しい年下との会話だからだろうか、雷華はやたら強気で不遜だった。弟に対する姉の対応といえば、雷華の振る舞いは説明しやすい。得意げにいわれて、応理は今にも食ってかかろうと腰を浮かせる。
「こ、こ、この断崖絶壁女……!」
「失敬なこというわねこの脳筋。これは着やせよ!」
「お二人とも、そういきり立たないでくださいね。これでも神聖な場なのですから」
千里が場をいさめると、とっくみあいを始めようとしていた雷華と応理は渋々座布団の上に座り直す。千歳は、その様子をやや呆れ気味に見ていた。見ている方からいわせればどちらも子供である。それにこれ以上の諍いはこりごりだった。
「それにしても。どうしてずっと目を瞑っているの?」
喧嘩が一段落したところで、お茶菓子を黙々と食べていたレムリアが千里に訊ねた。
千里は墓所で出会った時から一度たりとも目を開けていない。糸目、ということもない。まったく眼球は窺えない。
ああ、と千里は苦笑した。
「それは、わたくしは目が生まれた時から見えませんから。目を開ける必要がないんです」
「……失礼なこときいた」
「いいえ、謝ってくださらなくとも結構ですよ。目は見えなくとも、視えますから」
「視える……?」
「言葉にするのは難しいのですが……。そうですね、頭の中に計測機械が埋め込まれているとでもいいましょうか。自分の何メートル上に天井があって、何メートル背後に壁があるのか。そういうことは、すべて識っているんです。そういう数字の情報が集まって、疑似的な視覚となっているんですね。おそらく、未来視の影響だとは思います。本物の目が使えなくとも、不自由を覚えたことはありませんから、お構いなく」
「そう。それはよかった」
石塔家は代々未来視を持つ者が生まれる。が、未来視を備えてこの世に生を得た者はすべからく視覚を持たない。常人とは異なる外界認識手段を持つからだ。
というのが、石塔家の特殊性のひとつでもあった。納得したレムリアは、またお茶菓子を黙々と食べ始める。お茶菓子は順調に数を減らしていた。
レムリアの食欲に目を奪われているわけにもいかず、気を取り直して雷華は千里に用件を切り出した。
「それで、頼んでいた件なんですが」
「ええ。わかっております。まずは、陵 裂夜様のことからお話ししましょうか」
早速その名が出て、覚悟していたとはいえ、千歳の身体に力が入ってしまう。そういってもわずかに眼球が揺れただけで、ふつうは気づかれないほどの動揺であったが、石塔家の眼にかかれば簡単に察せられてしまった。
年齢不詳の女性は、千歳の方へと顔を向けて、気負わぬようにと微笑みかける。
「そう緊張なさらずともよいですよ。すぐに力は抜けますから。なに、小娘のたわいない言葉です。死地に向かうような面持ちで挑む必要はありませんよ」
そんな感情を顔にまで出したであろうか。と千歳は不安になるが、この女性の前で取り繕ってもおそらく無駄だろう。どんな詐欺師であろうが、彼女の前では虚飾は無意味になり果てる。未来が見えているのだ。さらに、視覚も常人とは別である。彼女は盲目でありながら、どんな人よりもものが見えている。彼女の年齢をうやむやにしているのは、そこからくる余裕だろうか。未来が見える故の余裕。
それとも、それは未来が見えてしまうがための諦観か。
ふと、未来が見えてしまうことへの思索にふけりそうになったが、千歳はそれを早々に打ち切った。そんなこと、考えるものではない。人の心に土足で踏みいるような、恥知らずな行為である。今はそれよりも、彼女から話を聞くことが先決だ。
千歳の方へ笑みを向ける千里を見て、応理は鼻を鳴らして千歳を小馬鹿にした。
「ふんっ、なっさけねえ。こんなことでびびってるなんてな。これだから陵家は没落すんだよな」
「……応理様。いくらなんでもそれはいってはなりません」
応理のぶしつけな言葉に、千里の表情が陰った。ずっと明るい、燦々と降り注ぐ陽光のようだった千里がそういう顔をしたものだから、応理は大いに戸惑った。
「だ、だってよお……」
「応理様」
「ち、千里さんよお……」
「応理様」
「……うー、はいはい悪うござんした!」
有無を言わせぬ千里の言葉に、応理が折れて頭をさげた。
「わかればよいのです。みなさんも、無礼な言葉、お許しください。応理様も、まだものの道理を理解できているわけではないだけで、根は良い子ですから……」
「いや、気にしていない」
これ以上ないほどの侮辱をされたはずなのだが、千歳は怒るというよりもむしろ微笑ましくて笑ってしまった。これがまったく別の人にいわれた言葉だったなら、ショックで息もできていなかっただろうが、どうして応理がそんなことをいったのかわかってしまったから、気が抜けてしまった。
ようするに、応理は千里が男に笑顔を向けるのが気に喰わないわけだ。
応理の落ち着かない様子にも納得する。別に女性に慣れていないというだけではない。好意を持っている年上の女性が隣にいるのだから、それは緊張するに決まっている。そういう年相応の反発は、今のくらいの年齢になってしまうと、むしろ好ましく見えるものだ。しかも千里が応理を叱っているのだから、これ以上口を挟む余地もあるまい。
そのやりとりで自然と気が抜けてしまった千歳と千里の眼があう。いや、千里の顔が千歳の方を向き直ったというだけなのだが、感覚的にそう思ってしまったのである。今、千里は千歳のことをまっすぐと見ていると。
にこにこと暖かく微笑んでいる千里が、こう語りかけているように思えた。
――ですから、すぐに力が抜けますと。そう申し上げたでしょう?
「さて……話を聞かせてもらってもいいかしら」
「はい。では、視たものを語らせていただきますね」
未来視の結果を何事もなかったかのように語り始めようとする千里の横顔を見て、千歳は改めて彼女の能力を強く意識し、今まで神国で重宝されている理由を身をもって理解した。
これは――信仰されるに値するものだ。
自分とは縁遠い、才覚というものを見せつけられた。年下か年上かもわからない女性に、千歳は心の中で畏怖した。
「それでは、裂夜様のことについて、わたくしが視たものをお伝えさせていただきます。
ですが、あらかじめ断っておきますと――非常に曖昧なことしか申せませんが」
「曖昧?」
「ええ、最近、わたくしの未来視の力は衰える一方でして。時折、不明瞭にしか未来を識ることができないのです」
衰えて――この予知能力だというのか。それとも、この超常の未来視を妨害できるほどの力が裂夜の周りで働いているとでもいうのか。
千歳はこめかみに鈍痛を覚えた。無論、誰にも殴られたわけでもない。ずくんっ、と、そこに埋まっていた芋虫が身じろぎでもしたような、異物感と嫌悪感を伴う痛みだった。
超常の力を妨げるほどの異常能力。
本来破られるはずのない、複数の式神によって都市部に展開されていた空間転移改竄術式。
あの日、街で見た影――。
千歳は口内に堪っていた唾液を呑み込んだ。苦汁のようにその唾液は不味く、逆にその味が思考を復帰させた。
それは、所詮は自分が想定する最悪と断定したピースを無理矢理、つぎはぎにしたに過ぎない。恐怖心に突き動かされただけの誇大妄想だ。この想定はそもそもありえない。裂夜も家を直接滅ぼした者のことを知っている。
あまりにも、無意味な、妄想だ。
今度は雷華ではなく、千歳が続きを促した。
「それでも、構いません。わかった範囲で教えていただきたい」
「――なら、視えたことを、お伝えさせていただきます」
一呼吸おいて、千里はよどみなく言葉を発した。
「陵 裂夜様は何者かと争っておられました。血の付着した刀を握っており、離れた場所に人が斃れています。見たところ既にその方は亡くなっておられます。式神でもないようですね。見た目も、変わったところは見受けられません」
「……相手の刀に血は?」
つい千歳は話に口を挟んでしまった。もしかしたら、裂夜が斃れている人を守ってるのだとしたら――。
「よく相手も刀を扱うとおわかりになりましたね。ですが、ありません。血が付いているのは裂夜様の刀だけになります」
――駄目だった。現状で、否定できる要素はなかった。雷華の予想が、千里の未来視で正しいものだと証明されてしまった。
「それと最後に。ここからが問題です。抽象的で、ノイズ混じりな映像しか見えません。この後、争っている相手と機械人形同士の戦闘になり、裂夜様が相手を切り伏せている辺りまで窺えるのですが……。あとは、なにも」
「……それだけわかれば、きっと充分だ」
肝心なことは総てわかった。裂夜は誰かを斬り、〈狂剣〉と争い、打ち勝つ。それで終わりだ。
……終わりなのだ。
覚悟していたとはいえ、そうであると確定されてしまうと、千歳の落胆たるや相当なものであった。正座している膝に石枕でも置かれたようだった。重く、立ち上がれない。
裂夜が何に駆り立てられ、そのような所業をおこなったのか。それは千歳には推察することが出来ない。ただ、耳元でがらがらと何かが瓦解していく音が聞こえてきた。絶望的だ。足場が崩落して、このまま奈落の底へと落ちていく。身体を掴む重力と、包み込む浮遊感に、髪一本から足の指先まで捉えられていた。
「なら、今度は私からひとつ質問」
レムリアが控えめに挙手し、それでも声だけははっきりと通る主張の強い声で注目を集めていた。むっ、と応理がレムリアを睨む。
「また馬鹿な質問じゃないだろうな」
「視たものは過去? それとも未来?」
レムリアの言葉に、千歳は瞠目した。
過去か、未来か。そして千里の能力の呼び名は――
「――ええ、未来です。これは、近く起こり得る事態です」
千歳のことをレムリアが見ていた。千歳が失念していたことを、彼女が代わりに訊ねてくれた。
裂夜は、連続殺人の犯人であるかもしれない。だが、その間違いを少しでも減らせるかもしれない。話を聞いて真っ先に絶望してしまった千歳には、その考えに思い至る余裕がなかった。
稲妻に打たれた気分だった。なにをやっていたのだ、千歳は自分を怒鳴りつけた。うちひしがれるよりも先に、考えるべきことがあったではないか。
「場所と時間、そういった情報はわかるか?」
千歳は心の中でレムリアに何度も頭をさげる。この礼は、事が済んでからゆっくりとさせてもらう。優先するのは裂夜のことだ。もしこれを阻止できなければ、わざわざ訊ねてくれたレムリアにも申し訳が立たなくなってしまうのだから。
「時間は……この季節だと、今から二時間もしない時刻ですね。日付のほどはわかりません。場所は神国の……騒がしい。復旧作業中のようです。これは、ああ、この近くの軍事基地ですね」
「軍事基地って――」
千歳と雷華とレムリアの三人が揃って目をあわせた。復旧作業中であり、近くにある神国の基地。といったら、ひとつしか該当しない。しかも季節は今。一年も二年も先のことではない。
「それと、近くには天井のない建物に……なんでしょう。かわいらしいキャラクターの描かれた垂れ幕が揺れていますね。なにか、それだけ異質な――」
雷華が弾かれたように立ち上がり、全員の視線が彼女に集中した。雷華は場の注目を浴びたことなど眼中にない様子だ。それ以上の衝撃に襲われているようだった。
「……第三四号館! それに、空きっぱなしの天井!」
「雷華、どうした。そこまで驚いて……」
「その天井は明日の今頃には、もう修復がすんでいるはずなのよ! だから、その未来視が明日や明後日のことというのはあり得ないの!」
「な――に!?」
千歳は先程千里がいっていた時刻を脳内で反芻する。時刻は、この季節だと今から数時間後。そして、それが後日ではなく今日だとすると、解釈は簡単だ。今から数時間後、神国基地で、裂夜が誰かを斬るのだ。
この寺院から基地まで、車で一時間と少々。最早一刻の猶予も存在しない。
千歳は腰を浮かして声をあげた。
「雷華!」
「わかってる、すぐに戻るわよ。千里さん、ありがとう。今日は助かったわ! もうひとつのことは、また後で聞かせてもらう!」
「いえ……その、張り切っていらっしゃるところ申し訳ないのですが」
そういって千里が申し訳なさそうに眉尻を下げた。それに応理が頷く。その表情は年相応ではなく、鍛えられた墳墓家の者の顔で、注意深く周囲に気を配っていた。
今までは声変わりを迎えていない高い声だったが、急に応理はトーンを落として囁くようにいった。
「囲まれてる。しかもよくわからないものに。この感じ、感染者に似てる」
「なんだと……」
言われて、千歳も気づいた。あまりに衝撃的な展開で心奪われてしまっていた。だが己の修行不足を責めるよりも、事態を把握するのが何よりも優先すべきことだ。
この講堂が囲まれている。複数の気配。
だんっだんっ、といきなり壁や入り口の扉が叩かれた。人に聞かせるべき話ではなかったため閂で扉をしめていたが、槌で叩かれているような衝撃に断続的に襲われ始める。
だんっ、だんっ、だんっ。
ごんっ、ごんっ、ごんっ。
がりっ、がりっ、がりっ。
四方から聞こえてくる不気味な異音。悪魔が忍び寄ろうとしているかのようなおぞましさだった。わずかな隙間から闇がしみこみ、講堂を見たそうと忍び寄ってくるイメージが浮かんだ。まるで、ゾンビ物のパニック映画のワンシーンのようだった。
「なによ、これ。どうなってるの」
「さて。どうやら、わたくしたちの動きを邪魔したい第三者がいらっしゃるようですね」
「こんなことをできる、邪魔者――」
――いや、やめておけ、今はその考えをひっぱりだす時ではない。
大事なのは、ここから逃げ出す方法を考えることだ。
「千里さん。俺たちが乗ってきた車は無事か、わかるか」
「……無事のようですね。外にいるモノのほとんどはこの講堂に集まってきています。お車の方へ向かったモノも、撒かれていますね。寺院から降りれば、すぐに拾って貰えるでしょう」
「ありがとう。助かった」
一拍の間を置いてから答えた千里に、千歳はおざなりながらも、言葉に万感の思いをこめて感謝する。脱出して基地に向かうための足はある。ならば、あとはここを全員で切り抜けるだけだ。
「よし、なんとしてでも全員でここを抜け出すぞ。皇ヶ院の車なら、ふたり増えたところで支障はないだろう」
「そうね。まずはここを切り抜けて、早く車に……。千歳とレムリアに頼ることになっちゃうけど」
「気にしないで。私たちの仕事だから。生身で変なモノと戦うのも、なんだかんだで慣れたし」
「重ね重ね、盛り上がっていらっしゃるところ申し訳ないのですが……」本当にすまなそうな表情をしながらも、千里がおずおずと主張する。「わたくしと応理様はこちらに残らせていただきます」
「な、なんですって? 千里さん、こんな時になにをいってるのよ」
「わかんねーのかよ。この応理様たちが敵をひきつけてやるから早く行けっていってんだよ」
「まあ、そういうことですね。この講堂、あそこにいらっしゃる控えめな大きさの仏像様のうしろにですね、裏口がありますから。そこからお逃げください。地下を通りますから、安全だと思いますよ。なんでも、戦時代の名残なんだとか」
「あなたたち……」
雷華は呆然とふたりを見ていたが、今は悩んでいられる時ではない。決断は本当に一瞬だった。それで、緩んでいた顔が引き締まり、決断を下していた。
「わかりました。その言葉に、甘えさせてもらいます」
雷華は頭をさげると、千里に指示された場所へと向かうことにする。
「ありがとう。死なないでね」
レムリアもそういって手を軽くあげて別れを告げると、走りだそうとする雷華の隣に並んで、ふたり一緒に向かって行く。最後には、千歳がその場所に残された。
いつまで経ってもそこに立っている千歳に、応理が目を向けずに苛立ち混じりの言葉を投げかけた。
「なにしてんだよ。早く行けよ、のろま」
「今回のことは、本当に助かる。この恩には、必ず報いる。だから、それまで御身らが無事であることを願っている。武運を祈る」
「……なんで、餓鬼にそんな丁寧な礼をいうんだか」
そう応理は呆れたようだったが、しばらく迷って、
「あと、さっきのアレは悪かったな。ごめん」
確かに、根は真面目なようだ。こんな時に律儀に謝罪してくる応理に、千歳は気にするなと笑った。
伝えたいことは伝えた。あとはこの場を早く離れることだ。これで間に合わなかったら、囮をかってくれたふたりに顔向けできない。
「千歳様」
「なにか」
「最後に一言だけ。これは雷華様への伝言でもあります」
千里が、神妙な面持ちで千歳を呼び止める。襲撃者の到来を告げる時もあった余裕がないものだから、千歳は思わず足を止めてしまった。
「この一言を、できれば忘れないでいただきたい」
「それは……?」
「雷華様に頼まれていた、もうひとつの依頼の結果です。この世界の将来についてです。
――暗雲立ちこめ、真っ黒な空間しかなく、わたくしにはその未来を見通すことができませんでした。
見えないのです。見えなかったのです。この世界のことが。そう、異物が混じってしまった機械のように、わたくしにはなにも、見えなかった――」
千歳たちは講堂を去った。
講堂の大きな扉には、亀裂が生じていた。この講堂に敵がなだれ込んでくるまで、そう猶予はない。保って、あと一分というところだろうか。
そこに、千里は正座をしたまま身じろぎもせず。応理はジャケットの裏側に大量に仕込んだ武器装備を確認していた。
応理の持っている装備は、ナイフだけではなかった。拳銃に高性能爆薬などの装備が隠されている。弾倉もびっしりとだ。さらに、このジャケットもその防御能力は旧式のライフルでは貫通できないほどである。衣服の下には、カーボン繊維性で筋肉に貼り付けることによりその運動能力を補助するという最新装備が装着されている。電気信号により、筋肉の動きに連動して稼働することにより、通常ではあり得ない力を出すことが出来る。墓地での俊敏な動きもこの補助によるものだ。
そして、墓地で応理が拳銃を使わなかった理由は――千里が嫌いな音を発したくなかったからである。ただそれだけのことだ。本気で殺すつもりはなかったというのもあるけれど。
だけど、この状況だとそうもいっていられない。本気で、全力で、敵殲滅能力に特化する墳墓家の能力を発揮する。
「千里姉ちゃんだけでも、逃げていいんだぜ。その方が、安全だろう。守りきれなかった時に」
「あら、おかしなことをいうのですね、応理様」
「……?」
「わたくし、応理様のことは身体をお任せするにたる殿方だと判断しております故。そんな心配などしていませんよ」
未来視などという現象とは関係ないところで、千里の言葉に嘘偽りはなく。
応理は顔を真っ赤にしてうつむいた。
こんなことをいわれてしまっては、指一本を触れさせるわけにはいかない。もし怪我でもさせてしまったら、それは一生忘れられない恥だ。負い目だ。ことこの戦いに至っては、墳墓家というよりも、応理として負けることは許されない。
けたたましい音を立てて扉が吹き飛ばされる。感染者と思わしき狂った人々が、ホラー映画のごとくなだれ込み――応理が仕掛けておいた爆薬で木っ端微塵に吹き飛ばされる。
「今日の応理様は……」
応理は蜘蛛のように四肢をつき、ドンッと床を叩いて砲弾のように飛び出した。
「絶好調だぞおおおおお」
これでまた連続更新は終了です。感想などがあれば喜ばしいです。続きはまた近いうちに。