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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
42/60

41:Clock stalker

 その公園には、人気がなかった。

 まるで色彩のない、鉛筆でスケッチブックに模写されたもののような、寂れた公園だった。遊具は久しく人が触れていないのか、雨や土の汚れが累積し、ペンキの色を奪っている。この公園に踏み込むだけで、気温が三度は下がったと錯覚してしまいそうなほど、寒々しい公園だった。

 いや、それは公園だけに限った話ではない。この周辺はどこもそのような風情だった。人の密集している団地も、疎開でもしているのかと思うほどの静けさであった。表通りまででるとまだマシだが、それでも、賑わっているとはいえない。

 それはここが田舎だからだとかいう話だけが原因でもなかった。人口はそれでも多い方であるし、けして過疎化が進んでいるわけではなかった。

 そこに住む人々に生きる気力ともいえるべき力が宿っていないだけの話だ。

 都会の街が重大の若者だけで構成されているものとすれば、この街は還暦を迎えた人々だけで構成された街といってもいい。それほどまでに、この街は喧噪から縁遠かった。

 みな、見えないものに怯えるようにして生きている。自分の隣に死神を連れているような、そんな見えもしないものに怯えている。

 いや――それとも、彼らは一度、その見えない死神による殺戮を知ってしまっているから、だからそうなっているのか。

 数年前、この街にあるお屋敷がひとつ、なくなった。

 亡くなった。の方がいいのだろうか。もうあの屋敷は生者が立ち寄るべき場所ではない。その屋敷には以前、多くの人が住んでいた。なのに、もうその様はない。今では幽霊屋敷だ。近づこうなどと考える酔狂な者はいない。

 皆殺しだったのだ。みな一様に悲惨な死体となって発見された。

 裕福な屋敷だった。有名な屋敷だった。この街でもっとも尊ばれた屋敷だった。明確な理由はなく、彼らが偉いのだと、大事なのだと、そういう意識だけがあった。

 それが、あのザマである。

 屋敷の主人は神国でも名を馳せていた武道家であったが、それすら、あっさりと死んでしまった。これはいかなる存在による所業か。

 〈鬼獣〉か、鬼人/式神か。そのようなことができるのは、あの危機的存在でしかない。

 彼らにとってはあの屋敷は精神のよりどころであった。神聖とあがめられていた。それに、この地方は〈鬼獣〉に襲われることがほとんどなかった。それはあの屋敷の恩恵だと思われていた。それが真実かどうかはともかく、実際にこの街の住人が平和ぼけするほどには、その平穏は保たれていたのである。

 そのよりどころがなくなったとき、人々は外と変わりなく不安を胸に抱えて生きていくことを余儀なくされた。それでようやく平等になっただけなのに、一度ぬるい世界に浸っていた住人たちは、その押し寄せる恐怖に耐えるのが難しかった。

 その結果がこれである。まるで死人の街だ。

 公園はカラスの縄張りとかし、そこを中心に不吉な漆黒の鳥は空を飛ぶ。野良猫の死骸を貪る彼らの姿は、不幸の象徴としかいえない。いつか自分もあの猫のような無惨な姿に変えられてしまうのだと、そう思ってしまわせる。

 そんな寂しいと思える世界に、ひとりだけ場違いな者がいた。ひとりだけ別の劇の脚本を渡された役者のように、彼の持つ空気だけは別物だった。

 死体に殺到して腐肉を貪るカラスを見て、ベンチに腰掛けていた少年は笑みをこぼした。食事に夢中になる幼子を見守る、そんな笑顔だ。

 少年は視線をカラスたちから公園に建てられた時計に移す。誰にも手入れをされていないのか、鳥の糞尿で汚れた時計は、それでも時間を読み取る分には苦労しなかった。

 時刻を確認して、少年はベンチの縁に手をかける。

「もうこんな時間か」

 腕に力をいれて、少年はベンチから立ち上がる。

 黒髪の少年だった。目も墨汁を落としたように黒い。肌の色からして、生粋の神国人であろう。その周囲の空気を受け流すような仕草も充分珍しいが、それがまた純神国人であるというのも珍しさに拍車がかかる。今では、そこまで多い人種でもない。無論、珍しすぎるというわけでもないのだが、その組み合わせが異端さに拍車をかけていた。

「そろそろ行かないとな。もうすぐ時間が迫っているみたいだし。いや、なんだか、このくらい待つのには慣れてしまったな。でも、少し寂しくもある。特にこれが最後だと思うと、尚更時が早く感じる」

 誰に聞かせるでもない。ただの独り言。でも、自嘲するような表情でそんなことを口にするのだから、道化じみた印象を抱かせる。

「さて、僕のお仕事といきますか」

 少年は凝った肩をほぐすように一度回すと、冷えた手をポケットにねじ込んで、寂れた公園を後にした。


     *


「――……まあ、あれで昔話は終わりなわけよ」

 そういって話を終えると、雷華はテーブルにティーカップを手に取って、渇いた喉をしめらせた。赤々とした色のアッサムティーが雷華の小さな喉を落ちていった。

 雷華の対面にはレムリアが足を組んで座っており、雷華と、話の欠落を埋めるように口を出した裂夜から大まかな話を聞いていた。彼女たちの話は――千歳主観での過去の記憶は語られていないにせよ――衝撃的ではあったためか、レムリアは最初こそ目を目を瞠っていたが、雷華がティーカップをかちゃりとソーサーに置く頃には、その変化もなりを潜めて、すっかりいつもの無表情に戻っていた。

「随分と、変な家系に産まれてたんだ」

 レムリアが抱いた率直な感想を口にしてから、裂夜もその家の産まれであることを思い出して、右隣に座る彼女をちらりと窺う。だが、裂夜はレムリアの言葉に別段気を悪くした様子ではなく、むしろその言葉に賛同を示した。

「ええ、本当に、おかしな家でした。やらされることも嫌なら、周囲の人も嫌いで、思い出したくないことばかりです」

 裂夜は苦汁を呑み込んだように表情を歪める。外部の人間ですら、おかしいと表するのだから、そこで生活を強いられていた裂夜の感情は相当のものだろう。

「……でも、それだけではなかった。だからわたしは許せない」

 途端に、苦々しかった様子が怒りを孕んだものへと変化する。ぎりぎりと、音がするほど、裂夜は手に持っていた刀の鞘を握り締めた。

「前から疑問だったのよ」怪訝といった様子で雷華がいう。「裂夜ちゃんは、何に怒っているのか。その、千歳が解き放ったっていう式神と、千歳に対して?」

「然り」

 裂夜は迷うことなく、当然と頷いた。

「そのような軽率な行動をとったあの男のことも許せなければ、父さんたちを殺めたその式神も、絶対に許せません。出来ることなら、この手で引導を渡してやりたいくらいに」

「裂夜ちゃん、それは、」

「無論、あの男を手にかけたりはしません。雷華姉様を悲しませたいわけではないので。ですが、それほどまでに、わたしは……憎い。それに、なによりも……っ」

 五臓六腑から怨念をはき出したでもいうかと錯覚してしまうほどに、裂夜の言葉には熱が籠もっていた。憎悪の対象が眼前にいて、しがらみがなければ、即座に手にした刀で斬り捨てているだろうことは、想像する必要すらない。

 裂夜の様子が雷華は悲しかった。紅茶に手をつける気にもなれずに押し黙る。

 代わりに口を開いたのはレムリアだった。

「アレが殺されると私も困るから、確かに遠慮はしてほしい」

 目の前で見せられた怒りの感情に、レムリアは動じた様子は一切なかった。裂夜は自制してレムリアを睨むことこそなかったものの、友好的とは言い難い目で彼女を見た。

「失礼ですが、今の言葉に貴女が介在する余地は一切ないと思われます。これはわたしの感想であり、仮にあの男が死んだとしても、貴女にはなんの問題もないでしょう」

「あれでも、一応テストパイロット。死なれたら誰が操縦するの? 私たちが運用している機体は複座式なの」

「それは別の者を探せばすむ話でしょう。あの男である必要はない」

「パートナーをとっかえひっかえするほど、軽薄じゃないから。私。そういうのはちょっとムリ」

「パートナーといっても所詮は仕事上の関係でしょう。こんな話を聞かせただけでも充分すぎるのに、そこまで踏み込んだ話はいささか分不相応ではないでしょうか」

「逆に聞くと、こんな話にまで首を突っ込む女が、貴女のいう、ただの仕事上のパートナーだとでも?」

 レムリアの表情は相変わらず変わらないが、その言葉には明かに裂夜を長髪する糸が込められていた。それに、気を張っていた裂夜は奥歯をかみしめて、怒りの感情をレムリアにも向けて見せた。千歳と式神を恨むほどのものではない。だが、レムリアの発言は裂夜の踏み込んではならないボーダーラインを踏み越えていた。

「不愉快だ」

 強い語気でいって、裂夜は乱暴に椅子から立ち上がる。完全に熱された油の如き熱を持つ裂夜とは対照的に、レムリアは水のように冷ややかな態度だった。武器を持った相手を目の前にしていようとも、泰然自若と構えている。その余裕は、憤懣を抱える者にとっては尚更不快なものだった。

「何か、気に障るようなことでもいった?」

「いいえ。ただあの男に近づこうなどと、随分と頭のネジの外れたうつけ者がいたものだと思っていただけです」

「ちょ、ちょっと二人ともやめなさいってば。レムリアもそんなに人をからかわないの!」

 どんどん険悪なムードになっていくふたりを、さすがにこれ以上放っておくわけにはいかずに雷華が止めに入った。

 レムリアとの口論で頭に血が上っていた裂夜は雷華が割り込んできて、はっと我に返る。ばつが悪そうにすると、雷華とレムリアに背を向けた。

「もう行きます。お騒がせしました」

「ちょっと、裂夜ちゃん、そんなに急がなくてもいいでしょう。それに……そんなに急いで、なにをする気なのよ?」

 雷華の問いかけに、裂夜は踏み出そうとした足を止める。語らない少女の背中に裂夜が続けて問うた。

「この数年間、裂夜ちゃんがなにをしていたの? どうにも、私の所には悪い情報しか入ってこない」

「なら、その情報が正しいということでしょう。皇ヶ院ほどの財力で動かせる諜報機関が、わたし一人程度の情報を誤るわけがない」

「それじゃあ……」

 雷華が言葉を濁すと、裂夜は自嘲した。

「ええ。人殺しの妹は、どこまでいっても人殺しですよ」

 太刀を腰にはいた裂夜は部屋の扉を開けると、うなじの辺りで結った髪をマフラーのように揺らしながら出て行った。

 かける言葉を失って裂夜を見送った雷華は、しばらく閉じた扉を見つめていたが、やがて溜息をつくと椅子にすとんと身体を落とした。皇ヶ院のご令嬢としての姿しか知らない者には見せられない、ずるずると滑っていく脱力した座り方だった。

「ホントに、もう。レムリアも、なんであんなこというのよ」

「気の迷い」

「しれっとそんなことを……というか、あれ、まさか、あれ、ホントのことだったりする?」

「え?」

 レムリアが意表を突かれて、さっきまでの無表情が嘘のように間抜けな顔になった。ぱちぱちと目を瞬かせる先には、顔を赤くして目をうろうろとさせている雷華の姿があった。

「い、いやあ、その、ね? レムリアってなんだかんだで千歳と仲良いし、なんかアイツに結構気にかけてもらってる気がするし。だから、その、うん、いや、別にふたりがそういう関係になるのがダメってわけじゃないから安心しなさいね。その時は応援するから、ホント、ホントだってば!」

「雷華雷華、ストップストップ。あれは出任せだから」

 思考が暴走気味になってきた雷華に、レムリアは呆れて苦笑しつつもそう訂正した。その言葉で雷華も自分が相当慌てていたことを自覚して、口元に拳を当ててかわいらしく一度咳払いをした。

「そ、そう。まあいいのよ、それならね。……別に、だからどうしたって話じゃないのよ?」

「はいはい」

「なんで呆れ気味なのよ!」

「いやあ、こんな世の中で珍しく純情な子がいるものだと感心してたとこ」

「なによそれ! 人をあんまりからかうもんじゃないでしょ!」

「だって面白いし」

「レムリアのアホー!」

 顔を真っ赤にして肩を怒らせる雷華にレムリアは笑う。こんな風にレムリアが表情を豊かにするのも、雷華とふたりきりの時だけだ。相手の警戒心の内側に入り込んでいたり、結果的に相手へ好印象を持たせるのは、雷華の才能といえば才能だった。

 しかし、雷華の切り替えはさすがに早い。気づけば、もう雷華の顔からはふざけた様子は抜け落ちていた。今あるのは、人の上に立つ切れ者のそれである。

「……で。なんでレムリアはあんな風に裂夜をからかったの? 普段なら絶対やらないでしょう、あんなこと」

 こうなれば、雷華に虚飾は通用しない。レムリアの鉄面皮といえども、嘘を付けば即座に看破される。それに、隠すようなことでもなかったので、レムリアはあっさりと白状した。

「少し、頭にきたから」

「なんで?」

「あの子が確実に取り返しのつかない道を選択しようとしているから」

 一瞬、レムリアは遠くを見るように眼を細めた。

「自分から目を背けたら、どこにも行けないっていうのにね」

「そう」

 雷華は、レムリアの云いたいことを察した。だから、これ以上追求しようとは思わなかった。なるほど――まったくもって、その通りだ。

「血は争えないってね。やっぱり兄妹だわ、あのふたり」

 レムリアは無言で頷く。別に、レムリアは裂夜のことが嫌いだったわけではない。そもそも、なんの興味も抱かない相手に忠告めいたことを吐くわけがないのだ。

「さて、となると。……情けない兄にも働いてもらうしかないわね。レムリア、協力してくれる?」

「スポンサーの命令なら、逆らえないし逆らいもしない」

「じゃあ付き合ってもらうわよ。なんか、きな臭いことが始まってきた気もするし。

 ――そろそろ、墓守御三家の力を借りる時がきたようね」

 雷華は立ち上がると、速やかに外出の準備を始めた。

 途中、騒がしい窓の外に視線を引き寄せられた。

 第三四号館。比較的、被害の少ない建物だ。比較的といっても、天井はなく吹きさらしになっている。明日の今頃には穴を塞がれて、早々に復興されるはずだ。そういう意味では、被害などたかが知れている。全壊していないのだから。

 なら何故、雷華がその建物に目を引かれたかというと、垂れ幕がかかっていたからだ。軍事基地にはおよそ似つかわしくない、デフォルメのキャラクターがプリントされた垂れ幕。三階に吊されれば、地面には届かない。その程度の、あまり大きいとはいえないサイズのものだ。街の学校で、子供たちが日頃の感謝を込めて作ったのだという。

 騒音被害や宗教のデモで心身共に疲労する兵士にとって、居住区から見えるところにかけられた好意の証は心のオアシスのようなものだった。

 それが、戦闘の余波でボロボロになっている。今では雑巾のように見える。

 許せないと、それが雷華の抱いた感想だった。

 でも一番許せないのは、こういうものを二度と見れなくなる世界。

 そのためにも、皇ヶ院 雷華は父の意志の許、戦わねばならないのだ。自分の戦場で――。

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