35:夢見る理想郷
「ちょっとした昔話よ」
復興作業中の基地の様子を、戦闘の被害から幸いにも逃れていた自室の窓から見守りながら、少女――皇ヶ院 雷華はいった。
地震大国であるために強い耐震性と衝撃吸収性を持つこの建造物も、〈GA〉と重機による作業の余波で時折、ずん、ずん、と小刻みに鳴動していた。
雷華が普段の活発さを隠すほどの憂いを帯びた瞳で見守る窓の外の光景も、惨憺たる有様である。つい先日までの堅牢さと健全さは嘘のようだった。本当に、壊れる時はいつだって一瞬だ。そのことを強く思い出させられて、気が滅入らない方がおかしい。特に雷華は財団の事実上トップ、様々な物の創造にも関わっている。損得の利益上の問題以外でも、良い気分ではない。
しかし、なにも雷華を悩ませているのは、砂塵で汚れた窓の外に広がる、破壊の限りを尽くされた基地の有様だけではなかった。
雷華の視線の先を追うこともなく、部屋にいるもうひとり――金を溶かしたような頭髪を持った女性は訊ねた。
「昔話?」
女性、レムリアは自身の身体を抱くように右手で左腕を軽く握りながら、雷華の横顔を見る。
基地を騒がせた事件から一晩明け、レムリアが軍服のまま雷華の部屋に訪れていたのは、なにもその件だけが理由ではない。この襲撃のせいで、?レムリアの目的?を達成するまでの時間が余計にかかってしまう、というのも、彼女には由々しき事態ではあったが、雷華たち皇ヶ院の能力を持ってすれば微々たるものだとはわかっている。だから、レムリアが今心配するのは外のことではなかった。
問題は、その中身だ。
「そう。といっても、貴女にも色々と思い当たることがあるでしょうけどね、あたしが語ろうとしてることは」
「……三年前の士官学校壊滅事件?」
雷華が黙って頷いた。
「あの、神国で知らぬ者はないであろう、陰鬱な事件のことよ。概要は、軍属なら語って聞かせるまでもないわよね」
「……仮にも、こうしてここにいる以上、それなりの知識はあるから」
レムリアは、自分が正式な軍の人間ではない、といっているような口ぶりで話したが、今ここにいるのは雷華だけだ。レムリアが今ここにいるにあたって、雷華は彼女の秘密を総て知っている。問題はない。もし誰かに聞かれたとしても、こんな真っ当ではない試作機運用部隊の人員だ。どうにでもなる。
「三年前の、あの事件――」
つぶやいて、レムリアは事件の概要を思い出していた。そう、あれは、確か士官学校の学生たちが尉官となり、学校を旅立つ、晴れやかな舞台となるはずだった日に起きた惨劇だ。
当日、士官学校にいた者は全員死亡と報道された、前代未聞の事件である。〈鬼獣〉が、通常では考えられない量で出現し、しかも士官学校を包囲した。士官学校も、自衛能力は有していたし、なによりそこで学生をしごいていた者たちもまた、戦場を経験していたベテラン兵たちだ。それを呑み込むほどの圧倒的数で、〈鬼獣〉は学校を呑み込んだ。
「その生存者がいないと正式に公表された事件に、実はひとりだけ生存者がいた。ま、軍の人間の間ではわりと噂になってることよね。だから、千歳は神国から人工島へととんでたんだけど」
「暗黙の了解、公然の秘密、そんなところ」
レムリアも、そのことは知っている。文字通りの地獄を、切り抜けた。当時はまだ、少年といっていい年齢だったはずだ。しかも、実戦想定の訓練をしたことはあっても、本物の実戦は経験したことがない。そこで生存するには、脅威的な能力と、また、並外れた強運がなければなしえない。
そして、陵 千歳はいかにして、そのひとつの要因である力を手に入れたのか。
「つまるところ、この話は、千歳がそこから生存できたことにも関係する過去。なんでも、過去に起因しているのよ。あいつの」
「千歳の妹と名乗る子のことも?」
「そうよ。あの子は確かに千歳と血の繋がった妹」
彼女が千歳の前に現れて、また千歳の様子はおかしくなった。お互い、深くは立ち入るまいと思っていたが、ここまできては、レムリアも千歳の成り立ちに興味を抱くことを抑えることは出来なかった。
しかも、千歳だけでなく、その妹まで常人を超越した力を持っていた。
素性がわからない能力の持ち主を〈天斬〉に乗せるのは、レムリアとしては、自分の子を見ず知らずの男の腕に抱かせているようなものだった。
「でしょう。裂夜」
雷華がそういうと、部屋の扉が開いた。そこには、千歳の妹を名乗っていた陵 裂夜と呼ばれる少女の姿があった。
結われている日本人形のような見惚れるほどの黒髪を揺らしながら、彼女は部屋に入ってきた。雷華を見ると、殊勝に頭をさげる。その姿は、千歳相手に見せた高圧的な物言いとはかけ離れていた。
「お久しぶりです。よくお気づきになりましたね。雷華姉さん」
「そろそろ訊ねてくる時分じゃない、そういう話も昨日していたでしょう。もう予定の時刻をずっとオーバーしてる。裂夜らしくもない。大方、話し声がして遠慮してたのね」
「さすがのご慧眼」
「ほとんど勘だけどね。相変わらず、隙のないことだわ」
雷華と裂夜が目をあわせて、くすりと笑った。そうしていると本当の姉妹のようにレムリアには見えて、ますますわけがわからなくなった。
「……ええと」
「ああ、ごめんごめん。おいてけぼりにしちゃって」
裂夜も、レムリアの方へ身体を向けると律儀に一礼した。それにつられて、レムリアも思わず頭を軽くさげた。自分よりも年下のはずだが、随分と己を律している様子のせいか、年齢より大人びて見える。まるで武士か何かだ。
「さて、役者も揃ったことだし、話しましょうか。裂夜、いいでしょう?」
「……こちらに許可などとらずとも、構いません。あの男の許可の方が必要なのではないですか」
「あいつも、いいってさ。それに、裂夜にとってもあまり良い話ではないだろうから。じゃあ、始めましょう。三年前、いや、それよりもっと前の話を――」
陵 千歳は自室のベッドの上で仰向けになって、天井を見つめていた。なにもない、空虚な、天井。でも、こうして、うちひしがれて天井を眺めているのは、同じだ。
あの日、いつものように、?彼女?に打ちのめされて、洞窟の天井を見ていたのと――。
思い出から逃れるために千歳はきつく目を閉じた。だが、暗闇に支配されても、過去はきつく腕を掴んで放さない。過去が千歳の腕を掴んで、睡眠という暗闇の中に引きづり込む。
そうして今日も夢を見る。幼き日の夢を見る。灰にまみれた夢を見る――。
ガンメタル・グリード
残響は遠く、在りし日は帰らず