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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
35/60

34:黎明

 〈天斬〉の刺突を胸部コクピットに受けた〈ガラハッド〉は、一度陸に打ち上げられた魚のようにびくんと身体を震わせると、首から力が抜けてだらしなく垂れた。コントロールを消失して、〈ガラハッド〉は鋼の膝を地に突く。

 〈天斬〉による計測、熱源は急速に低下。〈ガラハッド〉の完全な機能の停止を確認。

 その表示に、千歳は全身の力を抜いてシートに倒れ込んだ。緊張が解けて、汗が身体中から噴き出す。重力が倍になったようなだるさが、途端に襲いかかってきた。荒い息を落ち着けることもしばらくできそうにない。自身の限界を超えた慣性制御の稼働は、予想以上に負担になっていたようだ。そもそも、そんな無茶をして実際に戦闘をおこなったのは今回がはじめてであったので、予想もなにもあったものではなかったのだが、まさかこれほどまでとは。千歳は己の見積もりの甘さを呪った。もう二度とあんな体験はしたくはない。もっとも、もう一度あれをやったら、おそらく死ぬのだろうが。この戦いは、運がよかった。優秀な弾幕の援護がなければ、今頃千歳はこのコクピットごと潰れている。

 一方、レムリアの方はといえば、もう平静を取り戻している。機械で合成したものを再生しているのではないかと思うほど抑揚のない、平坦な彼女の声が、淡々と言葉をかけてくる。

「対象沈黙、撃破と判断。敵機〈GA〉、すべて戦闘不能状態と判断。〈狂剣〉、撤退。〈鬼獣〉はほぼ壊滅、現在残党を処理中。当機もこれ以上の戦闘は不可能と判断、戦域離脱を提言」

 抑揚なく、平坦に、淡々といつも通り――いや、さすがに普段のレムリアはこんなにも感情表現皆無な者であっただろうか。

「……やけに、機械的だな」

「皮肉ではなく解答を求む」

「いやそうではなく」と否定して。「いつにもまして感情がないと……」

 声に疲労を感じないこともない。それでも、さすがというべきか、千歳の体力を一気に奪った慣性制御の過剰駆動による影響も見受けられないので、それが原因とも考えにくい。

 まさか、と思い、千歳は一度言葉をとめ、背後にいるレムリアにむけておそるおそる訊ねた。

「もしかして、怒ってるのか?」

「いったいなにを怒っているというのでしょうか。敵機は無事撃破されました。なにひとつ怒りを露わにしなければならない箇所など見受けられません」

 初対面の時と同じ敬語での返答であった。しかもこんな内容でありながら、声にまったく感情がこもってないのである。そのことが千歳にはとても恐ろしく、疲労感よりも勝る恐怖を覚えた。草食動物が肉食動物に抱くようなソレだ。身体を気持ち悪くぬらす汗は、けして戦闘時のものだけではあるまい。

 さすがに千歳も鈍くはない。彼女がなんのことで怒っているのかくらい見当が付く。前も何度か無茶には付き合わせたが、さっきおこなったことはさらに飛び抜けた無茶だ。

「すまん。しかしあの時は慣性制御の出力を上げるのが、総合的に見てもっとも良い手段と判断したわけでだな」

「何故そんなことで私が怒るのか判りかねます」

「それはあからさまに怒ってるだろう。本当にすまなかった。限界ギリギリまで稼働させたんだ、お前にもまったく負担がなかったわけでもなかったのに、突然あんなことを指示してしまって申し訳ない」

「だからそれはどうでもいい。問題は私じゃなくてそっち」

「……俺か?」

 レムリアは答えない。無言でもって肯定という意味と千歳は判断する。

 居心地の悪さに、千歳はなにかすぐに取り繕うとして、やめる。ここで体面を気にするのは失礼だ。千歳は逡巡してから返答した。

「俺は、問題ない。大なり小なり、無理する仕事だろう、これは。だから俺については、そんなに気にする必要はないんだ。そんなに怒らないでほしい。心配させたのは、悪かった」

「心配させたと思うなら、そんな仕事なんだから仕方ないみたいな言い方はしないでほしい。それに、私はそのことに怒ったんじゃない」

 レムリアは自分で怒ったのだと、今度はあっさりと明かした。そうして次にはき出した言葉は、感情のこもったものだった。

「私は、自分を大切にしない阿呆に腹が立って仕方なかったの」

 千歳は絶句した。酷い言いぐさに気を損ねたわけではなく、ただただ彼女の台詞に呆然とした。

 ――自分を大切にしない――。

 まるで自分を戒める行為のように、千歳は身体に鞭を打つ。それを指摘されたのは何度目だったか。わかりやすい自分を恥、でもやめられない。さらに今回はレムリアを危機に晒してまでの、他者を巻き込んだ自虐だと、彼女は判断した。そして怒った。だけどレムリア自身のことは度外視して、自分を省みない男に対しての怒りだけ。

 ああ、本当に、情けない男だと。千歳は恥ずかしくて穴があればはいりたい気分だった。

「それは……」

 千歳はなんと答えようと思って口を開いたのか、本人も理解できなかった。だがその口からなにかがでてくるより先に、〈天斬〉が震えた。

 がくんっ、と横合いから叩かれたような震動が〈天斬〉に起こった。

 千歳はとっさに正面ディスプレイを確認し、純粋に驚愕する。。

 そこには、自身のコクピットを貫いている刀を握り締める〈ガラハッド〉の姿が映し出されていた。

「しまった、また仕損じたかっ!?」

 反射的に刀を、〈天斬〉に引かせる――が。〈天斬〉の腕は動いたと思った瞬間、活動を停止した。

「〈天斬〉、システムダウン! 過負荷にエラー、復帰まで一分かかる」

「なんだと……っ」

 電気が通ったと同時に弾ける電球のように、わずかな輝きののち、〈天斬〉はシステムに異常をきたした。いくら優秀とはいえ、〈天斬〉は試作機。実戦使用されている機体が地道に潰してきたような不具合が存在したままなのである。いつなんどき、なにが起こるか判らない。

 覚悟していたとはいえ、よりによってこんなタイミングとは――。

『やァってくれまシたネェ……』

 亡霊の声が、聞こえてきた。

 ずるり、とコクピットと刀の隙間からなにか粘液のようなものが這い出してきた。刀身にまとわりつき、〈天斬〉のデュアルアイを見返してきたナニかの正体が判った時、千歳は吐き気がこみ上げてくるのを感じた。

「そうまでして生き足掻くか、お前は……!」

 キング・ヘッドショット。神父服は刀により切り裂かれ、肉体も両断され、左半身だけになった彼はその残った肉体をスライムのような粘液に変えながらも、生きながらえていた。壊れた人体模型を酸で溶かしたような有様の彼は、最早人間でないことは明白だった。あれはもう完全に鬼人の遺伝子に呑み込まれている。肉体の変質。人にあるまじき変化だ。いずれはボロがでて死に絶えるだろう。だがそれは今ここではないし、ましてや千歳たちの息の根を止めるより先に死を迎えるという都合の良いことは断じてあり得ない。

「腐っても聖職者だろう、死人は迷わずあの世に迎え!」

『馬鹿なことを。異教の猿が神の教義を語るとは、お笑いでスネェ! それにね、死人は口を開けませんよ。開けないんですよ。哀れなふたりの両親のように。だからワタシが死人であることはありえなあああいっ!』

 ふたりの両親とは、アリスとイリスのことを指したのはわかっていた。でも千歳は、自分の死んだ両親のことに踏み込まれた気がした。

 かつてキング神父だったモノが、見た目に反する速度で刀を伝って〈天斬〉の方へとやってくる。ディスプレイでどんどんと大きくなっていく神父の姿。スプラッタ映画のようなそれを見ながら、千歳はコクピット内にある刀を取り出す。ケースの解放手順を即座にこなすと、収納スペースから刀、地走が現れる。〈天斬〉が動き出すまで、まだ四十秒はある。直接外でトドメを刺さねばなるまい。

 覚悟を決めてコクピットを解放しようと千歳が決めた矢先に、突然神父の進行が止まった。

『おっと。そうでした。アナタはアリスとイリスのふたりとやりあえるのでしたっけ。そんな通信をもらいましたよ。なら、直接対決は不味いですね。先に戦力を確保しまショう』

「なにを――」

『こうですよ』

 そういうと、刀を掴んでいた〈ガラハッド〉の腕が動き、横合いから殴りかかってきた〈モルガン〉の拳を受け止めた。鎌を手放しての攻撃は、徒手空拳戦闘を得意とするキング神父に簡単に止められてしまった。

『哀れって、いわないでよ……!』

『パパとママを哀れっていうな!』

 〈モルガン〉も、機体の損傷は激しかった。それでも感情に任せて、拳を打った。だけど、それ以上の動きをおこなうのは中のパイロットの疲労からしても、無理だった。レムリアが先程いったように、もう戦闘をおこなえる状態ではない。

 なのに、神父は嗤う。もくろみ通りだというように、半分になった顔だけで、歪に笑む。

『最後に良いおこないをしましたネェ……ありがとう、新しい武器を持ってきてくれて。〈ガラハッド〉じゃもう満足に動けないんでスよ』

 いうと、神父が刀から飛び出した。べちゃり、と神父は〈モルガン〉の装甲にとりつく。

『なにを……っ』

『いただくんですよ、その機体。こんなこともあろうかとでスね、君たちの機体は制御を奪うためのコードを用意しておいたのでスよ。あ、これでもワタシ、もとは研究者だったもので。あ、どうでもいいでスね。では、いただきまスよ』

 神父の溶けた指先が、損傷して内部機構を露出した部分から、〈モルガン〉の内部に侵入した。鬼人による、直接的なコンピュータ操作を実行する。

『やだ、うそ、〈モルガン〉が動かない!』

『さっきまでは……っ、お願い、動いて!』

 動揺するふたりを余所に、〈モルガン〉のコクピットハッチが意志とは関係なく解放される。ふたり仲良く左右に並んで座る形のコクピットの中に、風が血の臭いを運んだ。コクピットの外で半分になった顔で醜悪に笑う神父の発する、血の臭いを。

『い、いやあああああああ』

「レムリア、まだか、まだ動かないのか!」

「今やってる! あと十秒……っ」

 十秒、たった後十秒なのに、それは致命的な時間だ。人外が人にトドメを刺すには充分すぎる。

『弱った今のあなたたちなら、容易く喰えるんでスよねええええ……!』

 内臓を引きずりながら声を張り上げた神父が、凶手を振り上げ、

 〈コシュタバワー〉が〈モルガン〉に組み付いた衝撃でバランスを崩し、神父はコクピットを覗いているそこから振り落とされそうになった。

『なんと……何故まだ動けるのでス!』

 いってから、神父はある可能性に気づいて舌打ちをした、のだろう。半分だけになった口では、うまく打つことができなかった。むしろ、今まで流暢に言葉を操っていることの方こそが奇っ怪だった。

『そうか、そうでしたねえ。ワタシが奪った鬼人の因子は、元はと言えばあなたのものでしたネ、デュラハン!』

 〈コシュタバワー〉はとてもではないが、動ける状態ではなかったはずだ。もうガラクタ同然なのは、誰の目からしても明かだった。それが、今、こうして動いている。組み付くだけで力を使い果たしてしまったとしても、動いたという事実。それは人間には成せぬ技だが、人間とは別の世界法則を逸脱した存在であるならば、実現可能である。

 コクピットハッチは壊れており、中のデュラハンの様子は簡単に確認できた。機械の巨人は、無数のケーブル類を身体に接続し、〈コシュタバワー〉と文字通り一体になっていた。動力を鬼人たる自分の演算ですべてまかない、生きている回路を利用して、たった一挙動のためにすべての力を振り絞っていた。

 あれも、鬼人。全身機械でありながら、鬼人。それは、身体を好き勝手弄られてた鬼人のなれの果て――そうなのだろうということが、予想できた。そして神父の台詞からは、デュラハンの正体が推察できた。

『まさか……』

『お母さん?』

 デュラハンは答える口を持たない。ただ、ふたりを守るために残った力をこの一瞬のためだけに使った。それが、なによりの答えであった。

『何度も何度も、人の邪魔をして! いい加減くたばれ、この売女――!』

「そこまでだ」

 〈天斬〉のマニピュレーターが、感情に任せて怒鳴るキング神父の身体をつまみ上げた。システムの復旧が完了したのである。

「お前は人じゃあない。ただのクズだ。忘れるな」

『なにを、邪魔をするなっ、ワタシは、神の使徒たる者、クズなどとふざけたことを――ワタシは――離――!』

 言葉にならないほどの、高ぶった罵声をスピーカー越しに叩きつけられても、千歳は眉ひとつ動かさなかった。

 マイクに向かって、自分たちを苦しめた男だったモノに対して、最後に一言だけ、千歳は突き付けた。

「家族水入らずを邪魔する奴は、クズだろうが」

 操縦桿に力を込めた。あっ、と神父がなにか声を上げようとした、それごと、〈天斬〉の手は握り潰した。

 苺を握ったように、拳の合間から流れ落ちる血液からは目を背けて、千歳はデュラハンとアリス、イリスの三者へ視線を移した。

 彼らにはもう、こちらへの戦意はない。もう栄国からの刺客はいないのだ。

 タイミングを計ったように、〈鬼獣〉の掃討も完了したという報告があった。これで、神国基地の長い長い一日がようやく終わりを告げるのだ。

 ばっ、とライトが〈天斬〉と〈ガラハッド〉、〈コシュタバワー〉、〈モルガン〉を照らす。〈天斬〉に顔を上げさせると、上空には他の基地からの支援部隊が飛行していた。輸送機と、〈防人〉のサーチライトを〈天斬〉の身体で浴びながら、いいや、と千歳は付け加える。

 あの三人の一日は、ようやく始まったばかりなのかもしれない。

 でもそれは、千歳の話とは、また別のお話。ここからは、彼らが歩んでいく道のりだ。

「レムリア」

 手放しそうになる意識をつなぎ止めながら、千歳は彼女の名を呼んだ。理由はない。近くにいて、語れそうなのがレムリアだったというだけの話である。

「なに?」

 彼女もディスプレイ越しにライトの光りを見ながら、答えた。

「家族とは、いいものだな」

 深い意味はなかった。ただその感情が胸からこぼれ落ちただけだった。でも、気の迷いでもなんでもない。感情の束縛がゆるんで、つい羨望が顔をだしてしまっただけの話だった。それでも、映画を見終わった直後のように放心している千歳は、そのことにまったく違和感を覚えてはいなかった。

「うん」とレムリアは頷いた。「本当に――家族は――」

 〈防人〉が迫り、騒音によってレムリアの言葉はかき消される。本人もそれはわかっているはずだったが、わざわざ言い直したりはしない。だから千歳も訊ねなかった。

 ただ、これから、今までの贖罪を迫られるであろう家族の姿を、いつまでも、見つめていた。

 なにかを重ねるように、いつまでも。


     *


「――ほい、ではこれにて一件落着。舞台を整える狂言回しは、ここらで降りるとしよう」

 同時刻、某高層ビル屋上。

 〈鬼獣〉襲撃騒ぎで騒然としている街に、まだ彼女はいた。

 肌触りのよさそうな上質な和服に身を包んだ、その下にはそんな服よりも思わず触れたくなるような瑞々しい肢体を隠した少女は、満足そうに頷くと開いていた扇子をぱちんっと閉じた。

 それが合図となって、基地に残っていた〈鬼獣〉が次元の狭間に消えていく。千歳が思ったとおり、タイミングを計って〈鬼獣〉は消えたのである。あくまで〈GA〉の部隊により全滅させられたのだと思わせるために、ひっそりと。元より、彼らは今回の〈鬼獣〉の総数は把握できていない。だから転移する時だけを見られなければ、その偽装は児戯にも等しい所業だった。こと、この少女にいたっては、本当におままごととなんら違いはない。

 高層ビルといえど、常人には基地を視認することすら不可能であるはずのここで、しっかりと基地の様子を眼に収めているのが、なによりの証拠である。この程度、彼女――那殊(ナコト)にとっては、特に驚くに値しないようなことになってしまっているが。

「ふふふ……」

 扇子を口にあて、那殊がうれしそうに笑みを浮かべた。純真な、含みのない、恋する童女の笑顔だった。ただし、それが鬼の所業をおこなった後に浮かべられるものでないことは確かで、つまりこれは狂気の発現に他ならないのだが、ここにそれを指摘する者などいようはずもない。

 蕩けた双眸で、那殊は蒼い機体を見つめていた。正確には、その中にいる彼を。

 ああ、本当に。愛しい相手を、自分の所業で、心に存在を刻みつけられるということは、うれしい――。

「――気は済んだか、那殊」

「なんじゃ、神蛇侘(カンダタ)か」

 那殊の背後から、獅子がうなるような声がした。途端に、那殊の声の調子は冷たいものへと変わっていた。もう、あの恋い焦がれる少女の熱っぽい様子は微塵も感じられない。

 那殊が上半身をわずかに反らして、背後にいる神蛇侘を見る。燃えさかる烈火に見まごう頭髪と、赤銅色の肌の青年がそこにいた。大樹の根のような、露出している屈強な腕に刻まれた癒えぬほどの傷の数々。天女のような那殊と、戦神そのままの神蛇侘は、相変わらず水と油な外見をしていた。

「終わったなら、もう勝手はこれまでだ。戻るぞ。これ以上は許さん」

 神蛇侘の声には、那殊の無断行動に対する憤りを孕んでいた。それもそのはず。那殊は、〈鬼獣〉側のジョーカーを提示してしまったのである。

 〈鬼獣〉が転移してこれないように術式を展開していた都市部に、直接〈鬼獣〉を送り込める。これは大きなアドバンテージだったのだ。それを、那殊はあっさりと見せてしまった。これでは、警戒が強化されてしまう。敵の懐に飛び込めるのは、それでも有利な条件であることに変わりないが、効率を最大限に生かすことは敵わなくなってしまった。

「よいではないか、このくらい。別に、妾たちと彼奴らとでは、そもそもの総戦力が違うのだから」

「お前はわかっていない。どのような戦力差であろうが、万全を期す。戦いに驕りがあってはならない。万が一を考え、常に先を見る。それが戦士だ。でなければ、いつか足下を掬われる。

 戦士でないお前には、理解できぬことだろうがな」

「いいや、わかるよ。わかるとも。ああ、よくわかる」

 からかったわけではなく、那殊も神蛇侘の言葉が正しいことを識っていた。否、識らされた、といった方が正しいのだろうか。

 最後に、那殊はまた遠くを見る。丁度、陵 千歳が〈天斬〉から降りているところだった。

 死中に活を見いだす。それは、人間の最も脅威たる執念である。その怖さをかつて教えてくれたのが、彼だ。

「……さて、これ以上ここにいては、彼奴らにではなく、お主に殺されてしまいそうじゃな、妾は。もう充分堪能した。今日のところは、これで退こう」

 ただ、と最後に。

「一度外れた箍は元には戻らん。妾はもう止まらぬぞ。嫌なら、この両足でもへし折ってみることじゃな」

 鼻を鳴らしていってのけた那殊に、神蛇侘はその精悍な顔を呆れで歪ませるのだった。


     *


 ひとりの少女が夜闇を歩く。

 一歩進む度に、纏めている長い頭髪が揺れる。いっそ、切ってしまおうかとも考えたが、昔、この長い髪は綺麗だといってもらったことが、大変遺憾ながらうれしかったので、やはりそのままにしておこうという結論に達した。

 すぐにその余計な考えを捨てる。唯一自分の、まだ人間らしい部分はそこであり、それを捨てると、途端に少女の顔は刃の冷たさを持つ。視線だけで人を斬れてしまうのではないかと思うほど、少女の両目の持つ眼力は強かった。年相応ではない、何人も人を斬ってきた老獪なる剣士と見間違えてしまうほどだ。

 一歩一歩と進む。彼女の歩みもまた、人斬りではないかという説を確実なものにしてしまう気がした。それほどまでに隙が、無駄が、よどみがない。

 服装は、その印象とは変わって、ラフである。ジーンズ生地のジャケット、その下にはYシャツが形のいい胸に押し上げられている。ボトムスは、こちらは少し変わっていて、スラックスに見えるが、観察してみると足の歩みを隠匿する効果があった。スラックスというよりも、袴といった方が正しいのだろうか。

 そんな彼女は、〈鬼獣〉が退いて数時間しか経過していない神国の基地を横断していた。

 誰もが、彼女を呼び止めた。遠慮がちにいっても美人の分類に入る少女に、下心で話しかけようとした者もいたが、誰もが実際に声をかける時は違うものになっていた。

 何故なら、少女は刀をその手に持っていたのだ。

 鞘走らせていないが、少女がこんなものを持って無断で基地を歩いていれば、呼び止めないわけがない。勝手に基地へと進入したというだけでもアウトなのに、その上凶器持ち、さらにはさっきまで人外としかいえない人間たちが暴れ回っていた場所である。まさか、栄国の残党かと、警戒するのも無理はない。

 もっとも、この少女は神国の人間であるようだったが。

 それでも、彼女は悠然と基地を歩いている。止められなかったのである。誰も、彼女を。

 少女はとある青年の前で足を止めた。

 青年、陵 千歳は呆然としていた。死人を見るような目である。それに、少女は苛立った。こんな間抜けを晒したことに、なにより、こんな目で見られたことが許せなかった。

 ここに来た甲斐がある。この男に会った甲斐がある。

 これは、宣戦布告だ。

 少女は刀を鞘走らせる。その抜刀は、回りにいる誰もが制止させようと動けないほどの、目にも止まらぬ早さだった。

 千歳に向けて放たれた居合い斬りは、千歳の首の皮を一枚切ったところでぴたりと、正確に動きを止めた。

 依然として硬直している陵 千歳に、少女はこう告げた。

「お久しぶりです、兄さん。陵 裂夜(サクヤ)、ただいま参りました」

 千歳は、応えない。

そういうわけで、ここでまた一区切りです。ここまでやるのに随分と時間がかかってしまったのが残念。次章は、以前のような間の空き方はしないと思うので、生暖かい目でお見守りください。

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