32:膨張限界
口がない。だから伝えられない。
悪寒、寒気、気配。
再来、来訪、訪問。
敵が来る。それも、とてもとても強大な。
ああ、そうだ。奴には勝てなかった。数年前も倒せなかった。殺せなかった。あまつさえ、殺された。
守らなくては――この子たちだけは。
*
ぞわり、と。
〈モルガン〉を打ち倒した千歳は、〈天斬〉の中で突然背中を粟立たせた。それはなにか確信があったわけではない。ただの第六感、野生の獣めいた予感。だがそれは信用に足る故意に鍛え抜かれた、目に見えぬセンス。
〈天斬〉を独楽ように回転、即座に今いる場所から離れようとして、わずかに千歳の行動は間に合わなかった。
遠方から伸びた閃光の刃が、〈天斬〉の左腕を切断した。
上腕から、綺麗に切断された腕がオイルを鮮血のようにまき散らしながら、くるくると宙を舞っていく。指定電流が自動的に損傷の断面に通電、〈天斬〉から漏れるオイルがカサブタのように硬化して人工筋肉を保護する。ダメージコントロールから、損傷と判断した瞬間に通電し、カサブタの形成にかかった時間は一秒未満。時同じく千歳は攻撃の主を確認する。
「――〈ガラハッド〉!」
まだ動けたか。と千歳は舌を打つ。速度に意識をかけすぎたか。まさか、よりによってし損じるとは。
だが、違った。胴体をああも撃ち抜いたのに、戦闘をおこなえる方がおかしい。そう、そうだ。悪寒、止まらぬ既視感。これには覚えがある。それもつい最近のことである。
人工島、〈千手羅刹〉――。
「……お前は、感染者!?」
『ノォット! あんな受動的弱者と一緒にしてもらっては困りまス!』
〈ガラハッド〉の損傷部位を、赤黒い肉が覆っていく。ずるりと腕の切断面から筋肉の束のようなものが垂れ、地面に転がる腕と接続する。じゅるっ、と筋肉の束が引き戻され、腕と腕が接着する。
『ワタシは、鬼人の細胞を身体に移植したのでスよ。その結果が、つまりはこういうことなのでス』
「鬼人を使った人体実験……ここまでやるの、栄国っていうのは」
レムリアが吐き捨てた。生身の身体が、〈GA〉に干渉するまでに人を鬼人に近づけるという鬼のような所業を、おこなうというのか。
『いやいや、これはワタシがやりたかっただけなのでスよ。自分がどこまで往けるか、いやあ実に興味がある! さぁて、そろそろお開きとしましょうか!』
〈ガラハッド〉だったものが両腕を突き出す。掌部に光が収束、今までの極細の収束光撃ではない。威力をそのままに、捕捉対象をより多く。〈鬼獣〉の影響を受けて機体のポテンシャルが向上しているらしい今だからこそできる行動だ。
〈千手羅刹〉と戦った時のことを思い出す。そうだ、何故そうなるのかではない、奴らはそうすることができるのだ。不可思議で理不尽な蹂躙戦術を――。
『Fireeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!』
〈天斬〉の足下近くにいる〈モルガン〉も、〈コシュタバワー〉と〈狂剣〉などにもかまいもしないで、〈ガラハッド〉は撃った。
扇状に、〈天斬〉の視界を埋めるほどの光の波が、彼らを呑み込んだ。
「――――!?」
耐衝撃対閃光防御。〈天斬〉に両腕でコクピットを庇わせる。衝撃――
だが、予期していたものはこなかった。痛みを感じるまでもなく、自分は死んだのか。否、ならば思考しているはずもない。千歳は閉じていたまぶたを押し上げる。そこには予想外のものがあった。
「〈コシュタバワー〉……デュラハン!?」
装甲が高熱により溶け、内部機器を露出した〈コシュタバワー〉が〈天斬〉の眼前に立っていた。両腕に至っては完全に消滅している。雄々しかった機体も、今では壊れたマネキンのようだった。
しかし、〈コシュタバワー〉は〈天斬〉を守ったわけではなかった。ただ、たまたま〈天斬〉も守ってしまう位置になってしまったというだけだった。
『デュ、デュラハン!』
『なにやってるのよ!』
〈天斬〉の側で倒れていた〈モルガン〉から、アリスとイリスの音声がマイクで〈コシュタバワー〉に叩きつけられる。
〈モルガン〉を――結果的には〈天斬〉も守った〈コシュタバワー〉は、それで完全に機能を停止していた。〈狂剣〉との戦闘による重大な損傷がなくとも、まともにあの光を受けては、さしもの〈コシュタバワー〉といえども無事であるはずがなかった。
〈狂剣〉はといえば、短距離転移を慣行していた。だが、短距離の移動ではどこにいっても敵の射程であった。転移の瞬間、一時的に空間から消え去ることを利用してダメージは最小限に抑えたようだったが、もはや戦闘の続行は不可能であることは目に見えて明かな傷だった。
――GUUUU……。
露出しているコクピットをかばって焼けただれた腕をかばいながら、〈狂剣〉は刀を振るい、なにもない空間を切り裂くと、そこへと姿を消していった。止めることは千歳と〈天斬〉にはできない。神国にとっては見過ごせぬ敵であるが、そちらに意識をこれ以上割けば、即、死。
『そうだ……デュラハン、コクピットが!』
『返事して! 喋れなくてもなにかして!』
同じくコクピットを外気に晒していた〈コシュタバワー〉、腕でかばっていたのだろうが、その両腕は消え去っている。遮るものがなければ、中の人間などあっさりとシートにこびりつく肉のジャムだ。デュラハンが人間であるか、そして肉があるかなどともかくとして。
デュラハンは答えない。沈黙。それでも〈コシュタバワー〉は動いた。
近づいてきた〈ガラハッド〉が殴ったのだ。
『ええい、邪魔をして! このガラクタ、少しは有益なことができないんでスか!』
執拗に、抵抗しないただの鉄の塊となった〈コシュタバワー〉を殴る。一発が当たる度に、アイスピックではじけ飛んでいく氷のように面白いくらい構成部品が飛び散った。
『神父様、やめて! どうしてそんなことするの!?』
『そうだよ! イリスたち、仲間じゃなかったの!?』
『仲間ァ?』
マイク越しでもわかる。千歳は吐き気を覚えた。
今、この男は、確かに嗤った。腐臭すら感じるほどの、醜悪な嗤いを、その顔面にはりつけたのだ。
『誰と、誰が、仲間でスって?』
『え……?』
アリスとイリスが同時に、唖然と声を洩らした。それにまた、キング神父は嗤ったようだった。
『いつの間にモルモットが人と同列になってるんでスかね。いつ覚えたんでスか、そのジョーク』
『え、え……』
『愚かな人間と鬼人との間に生まれた子供なんて、モルモット以外のなにものでもないでショうに。しかも思いの外役に立たないときている。なら、もう、ほら、いりませんよ。アナタたち』
神父は投げやりにそういった。もう双子にはなんの興味も抱いていないようだった。そのことがわかって、アリスとイリスは言葉をなくした。
「鬼人と人間の、子供……」
ぼそりと、マイクが拾わないほど小さな声で千歳は反芻した。
人間と鬼人の間に子供ができる確率は、あまり高いとはいえない。遺伝子構造は似通っているし、受精、妊娠、出産も可能であるが、鬼人側の生殖能力に異常があるのだ。人間ほど彼らは子孫を残そうという構造になっていないのである。それは人より完全なる生命であるからか、それ以外に理由があるのかわからない。だが、そのため、人と鬼人との子供というのは滅多に生まれない。
なにより、それはタブー視されている事柄でもあった。鬼人が式神と名称を変えて共存することができている神国であっても、その風潮はある。忌避するのだ。同じ人の形をしていても、やはり違うもののように感じてしまっている。親しみは持っても、愛情は持てない。動物と親しくしても、子供を作ろうとは思わない。獣姦と同じようなものだ。そんな風に、考える人間が圧倒的なのである。神国ですらこれなのだ。他国の感情は想像するまでもない。
その鬼人と人間の子供とあっては、ふたりがどんな扱いを受けてきたかも、類推することができる。良い扱いでなかったことだけは間違いないのだろう。
『そんな、裏切るの!?』
『それは……許さない!』
神父にふたりは激昂した。声を荒げ、〈モルガン〉を跳ね上げる。拳でのダメージしか受けていない〈モルガン〉の動きは機敏だ。一足で三十メートルほど飛び上がり、縦に一回転して遠心力と自由落下の運動エネルギーをくわえた大鎌で〈ガラハッド〉へと仕掛ける。
ゴウッ、と勢いよく振り下ろされた鎌は、しかし〈ガラハッド〉が展開したエネルギーシールドによって受け止められた。〈ガラハッド〉を覆うように出現されたエネルギーシールドを鎌の刃がキリキリと音を立てながら突破しようとするものの、刃先は一切通らない。
鬼人の因子によって強化、変質した〈ガラハッド〉は先程までの比ではないエネルギーを手に入れていた。その潤沢な出力によって、光学兵器の攻守が一気に上昇したのだ。おそらく、出力を得る方法は重機神の仮想無限炉と同一のものだろう。
『まったく、自重もできないとは。これだから周りが不幸になるんでスよ。父親が死んで、母の鬼人は実験で屠畜同然。それもこれもアナタたちが生きてるからでスよ』
『……煩い、煩い!』
『……黙ってよォ!』
地面に着地、即座に腰を捻って大鎌を打ち込む。打ち込む。打ち込む。乱暴、力の限り、速度を乗せた鎌による斬撃の乱舞乱舞乱舞。台風のような激しさで、エネルギーシールドに斬りかかる。まるでパイロットの怒りが機械を通じて表に放出しているような鬼気迫る攻撃だった。
大鎌を振るう両腕の肘、手首の関節が過剰負荷によって軋む。そして、人の執念が盾を打ち砕く。
斬撃はエネルギーの膜を切り裂く。布を裂いたような断面を中心にシールドは瞬く間に崩壊した。
『これで!』
『消えて!』
『ならせめて、殺せるくらいの行動はしましょうネ?』
トドメの一撃を放とうとした〈モルガン〉の懐に飛び込み、ずいっと顔と顔を密着させながら、〈ガラハッド〉のパイロットが物わかりの悪い生徒に教えるようにしていった。
『――――!?』
アリスとイリスが驚愕。即座に距離を離そうとするが、無手の白兵戦距離は〈ガラハッド〉のパイロット\機体の殺戮圏内。どちらに分があるかは明白。
『まずは右腕』
〈ガラハッド〉が〈モルガン〉の右腕に触れると、カメラのフラッシュのような一瞬の光り。それで腕が焼き切れ、大鎌ごと地面を転がっていった。
『あっ』
『はい、では次は左足』
〈モルガン〉の両足の間に片足をねじ込み、ひっかけて体勢を崩す。反射的に崩れた姿勢を立て直そうとする〈モルガン〉の左足を掴んで、脇に抱え込むようにしてひねた。ぐしゃりと本物の人間の膝と同じような音を立てて、〈モルガン〉の膝から先がなくなった。
『いや……いや……っ』
『なんで、どうして!』
いつでもアリスとイリスは、その天性の身体能力で常に人の優位に立っていたのだろう。だから、こうもあっさりと身体が、〈モルガン〉が壊されていくことが理解できなかった。ふたりにとって、これは酷い悪夢だ。悪夢故に、抗えない。思考が働かない。夢の中では、けして害意からは逃げられないように。
普段は見せぬ取り乱し方に、神父は気をよくしたようだった。滔々と語り出す。
『アナタたちは知らないでしょうねェ、ふたりの母親もこうやって殺したんでスよ、ワタシ』
『え――』
『いやあ、当時はまだ鬼人の細胞を移植して時間がたっていなくてでスね。正直死ぬかと思いましたよ。ああ、でもでスね。抵抗したらアナタたちを殺すといったら大人しくなりましたよ。よかった、ああ、よかった。アナタたちが生まれていて、なおかつ両親の足手まといでいてくれてよかった! でなければ、この身体もワタシは手に入れてなかったのでスから!』
『う、うわああああああ!』
アリスとイリスは叫ぶ。残った右腕を突き出す。腰部のスカート状の機動ユニットが火を噴き、仰向けの体勢からの刺突。これが平均的腕前のパイロットなら、反応が間に合わずにコクピットを潰されただろう。
〈モルガン〉の指先が〈ガラハッド〉の胸部装甲に触れる。コクピットを貫く――そう思われた矢先、〈モルガン〉の指先があらぬ方向にへし折れた。
〈ガラハッド〉の装甲は貫ける、はずだ。この速度なら、マニピュレーターは使い物にならなくなるが、殺せたはずだ。
アリスとイリスは目を見開く。〈ガラハッド〉はコクピット周辺にのみ、あのエネルギーシールドを集中展開していた。
『そんな――』
『ことが――』
〈ガラハッド〉に、今の人間の技術に、そこまでアドリブの効いたエネルギー操作とシールドの展開なんてできるはずがないのに。あらかじめ指定して、機器を正しい位置に配置し、拳限定ということはできても、戦闘中に任意の変更など――。
『理解できましたか? アナタたちじゃあ、無理ですネェ?』
神父は嗤っていた。神父はわざと避けることもせずに、胸部に攻撃を受けたのだ。殺せる、という希望を持たせ、そして絶望させるために。一度希望を見いだした心は、絶望によってたたきつぶされた。
〈ガラハッド〉が腕を握り潰す。トルソーみたいな形になってきた〈モルガン〉の頭を掴んで地面に叩きつけ、動けないように腰部のスカート状の機動ユニットを片方の手で引きちぎる。その姿は婦女子に暴行を働いてる暴漢そのもの。
『やだ……やだやだやだ止めて……』
『こんなのやだよ、助けてよぉ……』
「陵 千歳、あれを止めて」
「……」
「はやく!」
千歳は答えない。それでもレムリアの言葉に従い、千歳は隻腕となった〈天斬〉に刀を握らせ、〈ガラハッド〉に斬りかかった。
左腕を失い重心の変化、膂力の減退、本来あるべきものを失った斬撃、なおキレは変わっておらず。
推力と踏み込みにより一息に肉薄して、〈ガラハッド〉の背中を狙った刀の動きは、即座に展開されたエネルギーシールドによって後数センチというところで止められた。
『おンやァ? まさか仲間割れを邪魔されるとは思えませんでしたねェ。いったいなにを考えてるンです?』
「……シールド、この程度では破れないか。だがこの出力、展開速度は……」
キング神父の言葉には応えずに、千歳はぼそりぼそりとつぶやいた。
『聞いてないンですかネェ。ここにきて錯乱でもしましたか。今はお楽しみ中なんでスよ、邪魔しないでいただけまスかぁ!』
ぎゅるん、と刀を中心に〈ガラハッド〉の背中がしなり、空を舞った。見るものによっては、刀を鉄棒に見立てて、背中から回ったように見えただろう。異様。それでいて人間のものとは跳躍力のものが違った。機体に充ち満ちた力により、変則的な跳躍をした〈ガラハッド〉は〈天斬〉の頭上をとる。両腕を突き出し、閃光が疾った。
だがそこにもう〈天斬〉はいない。同じく空へ飛翔していた。空、そこは翼人の戦闘空域。
〈天斬〉の刀を、〈ガラハッド〉は身を逸らしてボクサーのような動きで躱す。それを恐ろしく冷たい目で見ながら、千歳はキング神父に告げた。
「さっきいったな。あの双子の両親を殺した、と」
『ええ、そうです。それがなにか? まさか、同情して斬りかかってきたとでもいいまスか? それはなんとも馬鹿げたことでしょう!』
「ああ、いや、違う」
千歳は背後から熱気に似たなにかを感じ取っていた。わかる、顔は能面のように無表情をはりつけているのだろうが、だからこそわかる。必死に表にださないようにしているが、相棒が、レムリアが猛烈に怒っていた。彼女の怒りの銃爪がなんだったかはわからない。
ただ、そう、簡単にいえば、キング神父は引いてしまったのだ。
陵 千歳の怒りの銃爪を。
「お前の言葉は胸糞が悪い」
伝える言葉はそれひとつ。〈天斬〉は〈ガラハッド〉に刃を振るう――。