30:混濁戦線
瓦礫の下敷きになり、横たわる〈天斬〉のコクピットに、パイロットスーツに着替えた千歳とレムリアが乗り込む。仰向けに斃れた機体に乗るのに少しよろけたが、ふたりは難なくシートについた。
千歳は最初に刀が隠されていた収納スペースに、地走を押し込む。緩衝材にしっかりと包まれた刀を確認すると、蓋をばたんと閉めた。
開いたハッチから、雷華が顔を覗かせた。頭の両脇で結んでいる髪が重力でさらりと千歳の顔の方へと垂れている。ヘルメットをかぶった千歳が樹脂材越しに雷華を見返すと、彼女は心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫?」
「ああ、ちゃんとしまったぞ。これで刀が折れるようなことはないだろう」
「そっちじゃなくて」と雷華がわずかに呆れて。「今から戦う、ってことよ。そっちは、大丈夫なの? いや、大丈夫なわけはないんだけど。こんな状況だし」
「問題無い、といえば嘘になるが。それでも、やるからには切り抜けるつもりだ。雷華の方こそ、危険なことに代わりはないんだぞ。早く、整備士と一緒に避難しなければ」
「……うん、そうする。なんか、ごめん。いつもこんな役目ばかり押しつけて」
雷華は弱気だった。どうやら、刀を渡したことや、千歳が戦うように焚き付けたことを気にしていたようである。千歳を神国に帰国させたこと、それからというもの彼を戦場へと積極的に向かわせる言動。そういうものが雷華にはあった。彼女は、そのことに負い目を感じているようだった。
「そんなことか」
「そんなことってなによ。あたしなりに気にしてるのよ」
「なら、もう気にしなくて良い。俺は、雷華の言葉に助けられてるんだ。ひとりでは決心を固められない俺の背中を押してくれているんだ。だから、そんな風に気にしなくて良い。雷華は、いつも通り、高飛車でじゃじゃ馬なままでいればいいさ」
「たっ、高飛車でじゃじゃ馬ってなによ! もうっ、なによそれ、心配して損した。アンタなんかとっとと出撃してっちゃいなさいよ」
雷華は頬を恥ずかしさでリンゴみたいに真っ赤にすると、ハッチから降りて、肩を怒らせながら〈天斬〉から離れていった。
ハッチを閉鎖して、光学センサ越しに彼女が格納庫から去るまで千歳が見送ると、千歳の後方上部の座席に座っているレムリアが茶化すようにいってきた。
「アナタにしては、上出来」
「なんのことだ」
「さて。ただ余裕が出てきてるなって」
「余裕、か」
違う、そんなものではない。と、千歳は口に出さずに胸中でつぶやいた。
それもこれも、刀を握ってしまったせいだ。だから、少し、昔を思い出してしまった。もう戻ってこない昔を。
「……っ」
ぐっ、と奥歯を噛んでから、力を抜いて息を吐く。あの時の自分ではない。それはもう心の奥底に閉じ込めたのだ。それが緩んで、昔の自分が顔を出したのだ。もう現れないように、心に鍵をかける。
それが間違った行為だとは、薄々感づいていた。でも、やめることはできなかった。
「……人員の退避も完了した。レムリア、出撃するぞ」
「ん、わかった。動力炉の出力調整、……稼働区域まで到達。通常稼働から戦闘稼働状態に移行。行ける」
突然声色が変わった千歳を不思議そうに思いながらも、レムリアは手際良く出撃の準備を整える。時間的猶予は現状にないのだ。
「掌部にエネルギー集中。……〈天斬〉、でるぞ」
〈天斬〉の両手に光子剣用のエネルギーが集中させると、一気に掌から放出する。
仰向けに倒れていた〈天斬〉の掌部から放たれた光撃は、機体を覆っていた瓦礫を吹き飛ばした。轟音をあげて、瓦礫は宙を舞った。
はあ、はあ。はあ、はあ。
双子は息を切らせて走る。自分たちの背後で轟音がした。振り返ってみると、大量の瓦礫が宙を舞っていた。自分たちの頭上に降ってきたひとつを、デスサイズを一振りして両断する。
落ちていく日差しで真っ赤に染まりながらも、消せぬ蒼に染め上げられた機体が一機。それが立ち上がっていた。
「イリスちゃん」
「うん、急ごう」
女の子ではないはずのイリスを、そうであるかのように扱いながら、アリスは走る。
アリスとイリスは二卵性の双生児である。瓜二つの外見は一卵性と間違われることもあるが、性別が違うことが二卵性である証拠だった。ただし、ふたりはわざわざ訂正などしないし、そう思ってくれた方がよかった。性別など些細な問題だし、なによりふたりは互いを必要としていた。
ふたりは家族だ。たったふたりの家族だ。父と母はいない。物心ついた時にはいなかった。ふたりを捨てていなくなったのだと、まわりの大人たちはいっていた。
ふたりはただの子供ではない。どうやら、アリスもイリスも、身体の遺伝情報などが特別であるらしい。詳しいことはふたりもわからない。でも、特別であるということはわかった。だから、ふたりは両親に捨てられたのだろう、と。そう見当をつけた。
ふたりのまわりの大人たちは、みな酷い人間たちだった。悪魔だ、あれは悪魔だと、ふたりは何度も思っていた。乱暴はするし、ご飯は食べさせて貰えないし、地べたを舐めさせられる。耐久力実験と称して骨は折られた、肌を焼かれた、何故か遠くの方で転がる自分の腕を見せられて、絶叫したこともあったか。身体は傷だらけで、ドレスを着ていないととてもではないが見れた姿ではなかった。
だからイリスは女の姿を模倣するようになった。男だと、女より手荒に扱われたから。だから、女になればそうならないのだろうと、逃避したのだ。結果として、それでまわりの大人の対応が変わるわけではなかったが、アリスとお揃いという姿は、ふたりを安堵させた。同じ、同じだ。ふたりは一緒だ。こんな地獄の中で、ふたりだけはいつまでも一緒なのだ。
だから、それだけわかっていれば、なにをしても、ふたりは安心できた。
人殺し。それが、なんだというのだろう。殺される人々はみな恐ろしい形相で自分たちを見てきたが、気にしなかった。むしろ、その歪んだ顔が面白かった。まるで、自分たちを虐げる大人たちの哀れな姿を見るようだったからだ。それが楽しくて殺した。
鎌を振るった。殺した。
首をはねた。殺した。
殺した。
いつの間にか、自分たちを虐げる大人たちも赤色に染め上げていた。アリスとイリスの異常は殺人能力は、もう周りの人間にはとめられなくなっていたのである。
ある日、神父が機械の巨人を引き連れてふたりの許を訪れた。奇天烈な格好で、不気味な笑みを貼り付けて、黒人の神父が白手袋に包まれた掌を差し出したのだ。
そうして、ふたりは鳥籠から連れ出された。いや、今もやらされていることは変わらない。でも、ふたりは楽しかった。だから、問題ない。人を殺すことが正式な仕事になった今でも関係ない。〈鬼獣〉も人間もふたりには違いはなかった。自分たちの生きる邪魔をするなら、消す。それが、幼いながらに地獄のような環境で生きなければならなかったふたりの処世術だった。
アリスとイリスは走った。そうして、あの時自分たちを迎えにきた神父がつれていた機械の巨人を見つける。デュラハンだ。
いつも無言で自分たちの背中を追ってくる大きな機械人形。人でもないし、〈鬼獣〉でもない。なのに人の形をして、動き回る。この一言も言葉を発しない機械に対する接し方を、時間が経った今でもふたりは計りかねていた。だから、いつも冷たく接し、突き放すのだが、それでも懲りずにデュラハンはふたりの後をついてきた。監視されているのだろう。そう思い、嫌っていた。
だがデュラハンは今、傷ついていた。地面に膝をついている。
左腕の肘から下がなかった。関節からは、血液のようにぽたぽたとオイルが地面にしたたっている。硬化したオイルで覆われた人工筋肉も、まるで本物の筋肉のように生々しい。垂れたケーブル類は、血管といったところだろうか。
コートは布きれとなって身体に纏わり付いているだけだ。装甲にも深々と、猛獣に刻まれたような傷があり、相当な損傷であることがわかる。
普段は見せぬ、デュラハンの傷ついた姿に、アリスとイリスは自分たちでも考えれないほどに慌てた。
「デュラハン!」
ぎぎぎ、と鈍い音を立てながら、デュラハンは身体を起こす。が、顔はふたりには向けない。正確に言えば向けるべき頭がなかった。デュラハン、首無し騎士。今、頭は地面に転がっていた。だがその頭は飾りだ。カメラ類は搭載されているが、メインカメラは胸部にある。普段は人の形をしていた方が都合がよいからそうしているだけである。
名の示す通りの首無し騎士は、アリスとイリスの声に応えて立ち上がる。
「もう、なんであんなことしたの!」
「木偶なんだから無理しないでよ!」
デュラハンがこんな傷を負ってしまったのも、アリスとイリスを――からかばったからに他ならない。なにが起こったかは、この三人でも理解し難い。ただ、あれは危険だ。
それを察知したデュラハンがふたりの前にでて、ひとり攻撃を受けた。強靱な装甲で、守り抜いたのである。
無言、といってもしゃべる口はないのだが、普段と変わらぬ不動のデュラハンに、ふたりは怒りながらも、遠くで始まった戦闘を見た。
「……戦わないと」
アリスがつぶやくと、イリスも同調した。
「……戦わないと」
ふたりは頷く、デュラハンは語らず。アリスとイリスは鎌を頭上にかかげると、キング神父がやったのと同じように、叫んだ。
「――来なさい、モルガン!」
隣で、デュラハンが、機械の録音メッセージを再生する。
〈come on! Coiste-bodhar!〉
格納庫の残骸を払い除けた〈天斬〉は、足下に転がった武器を拾い上げる。以前〈狂剣〉から手に入れた刀である。整備中だった〈天斬〉には、光子剣すら搭載されていないのである。ライフル類は、格納庫の倒壊に巻き込まれた。今、〈天斬〉に使用可能な武器は、これしかない。皮肉なことに。
「……どこまでつきまとうんだ」
千歳はレムリアにも聞こえぬ声で、つぶやく。声はヘルメットの中だけで響いた。
『ほう! さすがにあの程度では壊れまセんか。動いてるということは、つまぁり、貴方がその期待のパイロットくん! こんばんは、お初にお目にかかりまス。ワタシ、キング・ヘッドショットという者、お見知りおきヲ?』
鋼色――。カマキリのような細身のフォルム。その機体の名を〈ガラハッド〉。
Coooooo――。
そして、それと対峙する鬼神、〈狂剣〉。
群がる〈鬼獣〉を戦闘の余波で薙ぎ払いながら、〈ガラハッド〉と〈狂剣〉は戦っていた。だが、〈天斬〉が登場したことにより、ふたつの視線がこちらを向く。〈狂剣〉の、見境無き視線。〈天斬〉、〈ガラハッド〉、両機に殺気を向けている。その目的、不明。
〈ガラハッド〉、キング神父の方はといえば、目的は明確だ。人間であるし、意思疎通をおこなえる。
なにより、〈天斬〉だけを狙う殺意が答えだ。
「その必要もないだろう。どうせ、お前はこちらを斃すつもりだろうからな」
『なるほどなるほど、その機体のパイロットくん。キミはただのテストパイロットというわけじゃあないみたいでスね。よぉーく、おわかりデ』
「殺気を垂れ流しておいてよく云う」
三者の膠着状態。それを崩すように、横合いから砲撃が飛んできた。
『……おんやァ!?』
〈ガラハッド〉と〈狂剣〉。そして〈鬼獣〉たちを狙った、大火力集中砲撃。それが一気に敵を薙ぎ払った。
ロケットランチャー、機関砲による掃射、大口径による砲撃。アリのように無数にいた〈鬼獣〉が、突如現れた砲撃の雨によって、瞬く間に消し飛ばされた。
舞い上がる粉塵、瓦礫。大地を震わすほどの一カ所集中攻撃に、〈天斬〉は揺らめいた。
「これは……っ」
「友軍による援護射撃、みたい。うわ、なんだろ、この火器を馬鹿みたいに積み込まれた〈切人〉は」
「このタイミングの援護……そうか、これが主任のいっていたものか!」
馬鹿げた火力だ。単独絨毯爆撃というか、単騎による圧倒的砲撃手段。まともに受ければ〈鬼神〉級すら消し飛ばすほどの威力は、人工島で相手にしたヴルカーンを彷彿とさせる。だがあれよりさらに、ふざけた思想だ。オーバルらしい、あの武器に触発されて制作した趣味だけの武装――。それでも、破壊力だけは折り紙つきだ。
「でも……足りない」
千歳は戦闘稼働状態となった〈天斬〉とリンクし、無銘の刀を握り締める。
千歳の言葉はただしかった。その火力で、この周辺にいた〈鬼獣〉は、そのほとんどを地面のシミと変えていた。〈ガラハッド〉と〈狂剣〉は除いて。
〈狂剣〉の短距離転移。あれにより、即座に射線から逃れた。〈ガラハッド〉は、両掌に展開したエネルギーシールドを砲撃のおこなわれた方へとかざし、受け止め切っていた。
『これはこれは、びっくりしましたネェ。迎撃システムは乱入してきた――〈鬼獣〉が潰したと思ってたんでスがね。まさかまさか、〈GA〉の射撃とは思いませんヨ。ま、無意味ですけどね』
「なら、これはどうだッ」
地面を蹴ると同時にスラスターの点火による超速の踏み込みによる、真っ向からの斬撃。
二十メートルを超える巨人が繰り出すとは思えぬ、颶風がごとき刀による一撃だった。
それを〈ガラハッド〉はエネルギーシールドを拳を覆うように展開、グローブに包まれた状態のような拳を刀に真正面から叩きつける。
ガァンッ、と刀身が受け止められる。一瞬、上昇する関節の負荷。
千歳とキング神父は思う。
――疾い。
「こいつ――!」
今の奇襲じみた一撃、〈天斬〉の速度をもってしての踏み込みならば、並の相手であるならば、気づく間もなく両断できていたはずだ。それに真正面から相対した円卓十三機士団、その名、伊達ではない。
『身体がお留守でスよォ!』
〈ガラハッド〉の貫手が、〈天斬〉の胸部――コクピットを狙って一直線に突き出される。対〈鬼獣〉戦ではない、対人戦に慣れた殺戮の最短処理――。
だが千歳とて、対〈鬼獣〉戦を主としてきたが、陵の出自はそれだけではない。軍とは別に、千歳はおこなっているのだ。対人、対人外用殺害術。特に、刀を使ったものを――。
「誘ってるんだよォ!」
刀を受け止められたエネルギーシールドに滑らせながら、機体を横に回転。貫手を回避すると同時に回転を利用した旋風のような横薙ぎ。
『こういう時はこういうんでシたかね――猪口才なああああ!』
〈ガラハッド〉の掌部から放たれる刃のような閃光。拮抗する刃と光刃。二機のつばぜり合いに、咆え猛る獣。
SYAAAAAAA!
〈狂剣〉が〈天斬〉と〈ガラハッド〉に襲いかかる。
「千歳、左!」
「くそっ――」
場は混沌としていた。三機が入り乱れ、激突。
その中で一番不利なのは、〈天斬〉だ。なにより手数――武器のバリエーションがない。それを千歳はカバーできる――否、一番扱い易いのが刀なのだから、充分なのだが――が、機体スペックが足りなかった。〈天斬〉を持ってして、この二機は化け物だ。そして、パイロットも。
才気に溢れるか、もしくは狂気に溢れている。千歳にはない一点特化。
「くそ……」
所詮、千歳の能力など、凡人が到達できる範囲。しかし手合いは、そうではない。神域。力があるだけの無能がたどり着ける極地ではない――。
そして、追い打ちをかけるように、死角からの攻撃が〈天斬〉を狙った。
「今度は頭上! 新しい、敵……!?」
「なにっ!?」
刀でとっさに受け止めながら、飛翔する。相手の上空をとり、その姿を目視する。
「こいつは……!?」
大鎌を携えた、女性のようなフォルムをもった機体。腰分の周りに広がるような装甲板は、まるで女性のスカートのようで――。
「さらに右!」
「な、に……!?」
刀で受ける。だが、超巨大チェーンソーによる一撃は受け止めきれなかった。〈天斬〉は地上に叩き落とされ、施設をひとつ押しつぶした。
機体に響く振動。慣性制御を突破する衝撃。
操縦桿を握る手と、奥歯に力をいれて、意識を保ちながら、敵機を見上げる。
「あれは……」
「機体名、該当な……いや、あり。雷華、あらかじめ入力していたみたい」
「あれも、そういうことか」
「その通り。円卓十三機士団、〈モルガン〉と〈コシュタバワー〉……」
戦況は悪化していくばかりだった。