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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
28/60

27:後悔を断て

 ――娘を返してください。

 ――息子を返してください。

 ――大切な家族なんです。

 ――大切なかけがえのない家族なんです。

 ――だから、どうか。

 ――この身体はどうなってもいいから、返してください。

 ――せめて、そのふたりだけは、返してください。

 コンクリートの壁の染みになった男性の前で、そう懇願する女性がいた。

 全身に銃弾をあびて、辺りに真っ赤な血を散らした男性は動かない。死んでいる、息絶えている。それは誰の目から見ても明らかであったし、なにより死体というものに見慣れたその女性は、もうなにをしても彼は戻ってこないのだとわかっていた。

 理解しているのに納得できず、胸をかきむしりたくなるような衝動に女性は駆られた。いつもならただの肉塊として認識し、すぐに思考から破棄する程度の興味しか抱けないそれに、女性は狂おしいほどの悲しさを覚えていた。

 何故だろうかと考えた。どうして涙が流れるのか考えた。

 普段なら、そんな凡庸な人間たちの死体などに感傷なんて抱かないはずなのに。

 考えて、考えて、彼が大切なのだということに女性はようやく気がついた。ああ、そうだ。凡庸などではなかった。仮に彼が人間としては凡庸かもしれなくとも、彼女にしてみれば、彼はたった独りの人間であったはずだ。それはかけがえのないということだ。大事な、手放してはならない象徴だったのだ。

 それが奪われた。無惨にも命を散らした。

 今まで、その彼といた時に感情がざわつくのを煩わしいと思っていた。嫌いだと感じていた。でもそれは、今思うと、唯一自分が感じた感情の変化だったのである。それは、どれだけ大切なものだろう。感情を揺らしてくれた、それがとても――。

 女性は自分の腹部をさすった。そこにはもうなにもない。今はもう、なにもない。代わりに、お腹の中にいたものは外に生まれ出ていた。

 そうか、と理解する。お腹を痛めて子供を産んだのも、こうして彼の死に震えているのも、すべて愛故なのだと、長い生涯の中で彼女はようやく理解した。

 だから、息子と娘は大事だ。彼の代わりに守らなくてはならない。血の繋がった家族だ。初めてもった家族だ。それは、どんなに大切だろうか。言葉にできないほどには、愛おしい。

 だから必死に懇願した。自分はどうなってもいいから、彼らの命を見逃して欲しいと。どうかせめて、ふたりには真っ当な生活をさせてほしいと。

 夫を手にかけ、自分の前に立ちふさがる長身の男は、その様子に嗤っていたと、女性は記憶している。慈悲、慈愛、そんなものを感じさせるもののはずだ。だがそれはどうしようもなく邪悪で、自分の行為に酔っていて、なにより背筋をムカデが這い回るような悪寒を浮かばせる無自覚な悪意だった。

 男はいった。それはできないと通告した。何故ならふたりは貴重なサンプルであり、最大限利用しなければならないと。なにより、それはアナタ自身が理解している。そうだろう?

 女性は足下が崩れていく音をきいた。今まで積み上げてきた関係も、家族も、数年かけて作ってきた思い出という名のブロックが腕の一薙ぎで崩れ落ちていった。絶望感に頭がふらふらとした。胸と腹部に渦巻く不快感に、内臓をはき出してしまいそうになった。

 茫然自失とする女性に、長身の男性は嗤う。ただし、と付け加えて。女性の感情の変化を楽しみながら。

 さっきの言葉通り、アナタがなんでもするというのならば、あのふたりは利用されるだけになるでしょう。分解されて、培養槽に浮かぶことはないでしょう。――アナタが実験に協力する限りは。

 その言葉を呑むしかなかった。すがりつくように頷いた。たとえこの身体がどうなってしまおうとも、構わない。そう決意して、女性は承諾したのだ。

 男性は、最後まで嗤っていた。


     *


 エンジンが咆えていた。アクセルを常にギリギリまで踏み込まれた車両は雄叫び、荒馬のごとく道を駆け抜けていた。荒馬でなければ振り切れぬほどに追跡者は人間離れしていたのだ。そして、その車両を乗りこなすレムリアの運転技術もまた飛び抜けていた。

 他の車両を針を縫うように避け、路地を曲がり、ルート選択の判断からなにまで、一級品だった。情報処理と操縦の完璧なまでの並行作業。

 その結果、何千万するともわからぬ値段の外車の外装は、見るも無惨な姿になってしまっているのだが――。

 電柱にぶつかって、左のサイドミラーがひしゃげて吹き飛んだ。地面を跳ね回って視界の果てへと消えていくサイドミラーはデュラハンたちへと砲弾のように飛んでいくが、

 ザクンッ。

 と、処刑鎌の一薙ぎでどごぞへと消えていった。

「あとはここから一直線!」

 アクセルを踏みながらバックミラーで後続のデュラハンたちを確認しつつ、レムリアはそういった。

 基地まではもうあとわずかだった。この速度なら、まもなく到着する。直線の速度なら、さすがにデュラハンよりもこちらの方に分があった。

 遠目でも、基地の様子は良いものとはいえない。首都の湾岸に設置された基地であり、神国内でも戦力に恵まれた場所であるが、予想外の奇襲とあってはその被害も相当なものである。煙が立ちこめ、硝煙の鼻をつく臭いが風にのってここまで漂ってきた。

 うなりを上げる火砲の爆音と戦闘の振動。

 千歳たちの頭上を〈防人〉と〈切人〉の編隊が〈鬼獣〉とドッグファイトを繰り広げながら飛び去っていったのだ。ゴウッ、と突風が吹きぬけ、車体が小刻みに揺れた。

 バランスを崩さないようにしてレムリアは機体を安定させる。車は最後のあがきのようにいっそう轟いて、走った。

 流れ弾で傷ついた地面に車体を揺らされながらも、基地の全容が明かになっていく。

「もう少しだ!」

 真二が座席から身を乗り出して、基地を凝視する。

「……おい、あれ、相当やばいぞ」

 ジャックが真二の後ろでぼうっとなった様子で口を開いた。

 そこは、全員が出てくる前とは別物だった。

 紅。紅。紅。紅い甲殻を持った〈鬼獣〉の死体がゴミのように転がっている。

 〈GA〉の胸部装甲――コックピットの位置を貫き、互いに絶命してオブジェのようになっている〈鬼獣〉。複数体で〈GA〉一機を取り囲み、捕食して無惨に引き裂いている〈鬼獣〉。圧倒的数によって蹂躙されていた。いくら練度の高い兵士たちといえども、上空から数百体の〈鬼獣〉が突如出現したとあっては、充分な対処などできようはずもなかったのだ。死屍累々とした惨憺たる光景に、しばし言葉を失った。

 その中で我を取り戻した雷華は、バックから携帯式の電話を取りだして慌てて履歴から連絡を取り始めた。ダイヤルした先は、あのオーバルだった。

 なかなか止まらぬダイヤル音が止まった時、雷華は胸をなで下ろしながら、焦りからくる感情で声を大きくした。

「開発主任、生きてる?」

『あー……、うん、まあ生きてるね。わりと間一髪だけど』

 こんな時にもかかわらず、オーバルの声は間延びしていて緊張感がなかった。それでも言葉の節々に疲れのようなものが見て取れる辺り、この状況は異常なのだ。

「そう。それで〈天斬〉の方はどうなってるの?」

「こんな時まで試作機の心配かよ……」

 そんな真二の悪態など耳に入っていないのか、雷華は車内での通話に専念していた。

『ああ、なんとか。ただ、うん、出撃させるのは一苦労だね』

「一苦労?」

『いやあ、施設を押しつぶされちゃってさ。こっちも今は〈天斬〉と一緒に瓦礫の下だよ。いや、ホントに生きてることが不思議だよ、ぼくは』

「が、瓦礫の下敷きってアンタ……。それで、〈天斬〉は無事なのね。ならいいわ。それなら、動かせるでしょう。施設は残念だけど、最悪の事態だけは免れたわね」

『装備類も大変だけどね。この間作った砲戦用換装パーツは組み立てを基地内の別格納庫でやってたから無事だけど。白兵戦用特化の改修装備は、せっかくの事態ではあるんだけど、今すぐテストはできそうにないねえ。つける施設ないし』

「今すぐにそんなこと求めてないわよ!」

『実戦訓練の機会なのに残念だなあ』

 と抜けたことをつぶやくオーバルは、『あっ』と最後に付け加えた。

『そうそう。〈GA〉には気をつけた方がいいよ』

「そりゃ、流れ弾とかは恐いけど……」

『ああ、違う違う。ぼくがいってるのは施設を破壊した方のこと』

「……破壊?」

 電話先でオーバルが雷華の言葉を肯定した。

『いやあ、まさかまさか。ぼくも驚いたよ。彼らが〈鬼獣〉の転送システムを限定的にでも実用化してるなんてね』

「ちょっと、なんの話?」

 眉をひそめる雷華に、オーバルは驚愕の事実を暴露することの快感を感じながら、楽しげに答えた。

『栄国の円卓十三機士団がひとり、キング・ヘッドショットの駆る〈ガラハッド〉……。鋼色の〈GA〉には気をつけると良いよ』

「円卓十三機士団ですって――!?」

 その名に雷華が瞠目し、ひとり驚いた。彼女の口から出た言葉は、この場にいるほとんどのものが理解できなかった。それでも、ただならぬ響きを纏っているのだけは理解できた。

「そう……栄国、まさかこんなに早く武力行使でやってくるとは思わなかったわ」

 会話の間に、車は基地の目の前にまで来ていた。

 その時、〈鬼獣〉と〈防人〉や〈切人〉が一緒くたに薙ぎ払われた。細い光線が、幾多のそれらを真っ二つにする。

 〈GA〉も〈鬼獣〉も区別なく破壊した慈悲無き攻撃。しかしそれさえも、ただの戦闘の余波でしかなく、撃った側は〈GA〉も〈鬼獣〉も眼中にはなかった。

『ああ、それと。〈ガラハッド〉と戦ってる方にも気をつけた方がいい。あ、遅かったかな』

 爆散する〈GA〉に照らされて、基地内に悠然と君臨する鋼色の機体。ひょろりと長い蛇のような両手足に、細い胴体部分。細長い五指。まるでおとぎ話にでてくる不出来な巨人だ。おおよそ、効率的とはいえない見た目の機体、〈ガラハッド〉。

 異様の構造の〈GA〉に、目を奪われ――だが、これと同じく目を引くものが、それと対峙していた。

 それと切り結ぶもうひとつの人型。刀をひと振り携えて、漆黒の返り血にまみれた痩身の(鬼神)。呼――ッ、と生暖かい吐息すら肌に感じるほどに生々しい肉体を持った白兵距離の化け物。それはたった一本の刀のみを武装としながらも、神国、人工島の総てを畏怖させる神出鬼没の(鬼神)であり、千歳やレムリアたちとは一度は命のやりとりをした敵。

 携帯電話を握り締めて、雷華は忌々しげに呻いた。その〈GA〉と(鬼神)を睨み付け、腹の底から声をだした。

「〈ガラハッド〉、〈狂剣(ソードダンサー)〉……!」

「なっ、〈狂剣〉……!? なんであんな奴がここにいるんだよ! しかも、あの〈ガラハッド〉っていう機体はなんだ?」

 真二からあがる疑問の言葉に、雷華は一言だけで説明した。

「わたしたちの敵よ」

 基地の敷地にはいって、レムリアがブレーキを踏んで車を止めた。突然のブレーキに甲高い音をあげながら、タイヤ跡地面にを刻みつけて、無理矢理に車は停止する。

 レムリアが運転席の扉を開けて、機敏な動作で降りながら、全員に伝えた。

「行って。うしろの三人はこっちでなんとかするから、自分たちの持ち場に」

「はあ!? お前、それマジでいってんのかよ! あの三人相手に一人でどうにかなるってもんじゃねえだろ。それならオレとジャックだって……」

「足手まとい」

 きっぱりとレムリアが言い切るものだから、真二は反感すら抱けずに頭が真っ白になった。すかさずレムリアがたたみかける。

「アナタたちは〈GA〉のパイロット。そっちで尽力して。わたしはわたしの役割を果たすだけだから」

「レムリア……」

 雷華が眉尻を下げて、申し訳なさそうにレムリアを見ていた。気丈な彼女の見せた表情にレムリアは微笑んで、頭を一度だけ撫でた。

「あれも、その円卓十三機士団って連中なんでしょう? 大丈夫。任せて。時間稼ぎ程度はできるから。お互いに頑張ろう」

「……ええ、そうね。お願い、レムリア」

 雷華はすぐに弱きな感情を心の奥に隠した。

「……わー、ったよ。やってやる。とっとと糞蟲野郎共とあのでかい鉄の塊をぶち抜いてやる。いくぞ、ジャック!」

「分かった。分かったから人の名前を従者みたいに呼ぶな。言われなくても行きますよ、相棒殿」

『……ん? もしかして、そこに他の軍人さんもいるのかい?』

 真二とジャックが揃って車内から外へと飛び出そうとすると、雷華の手にした電話からオーバルの声がした。

「……? ええ、そうだけど。それがどうかした? 今は急いでるのよ、止めないで……」

『〈GA〉パイロット? 機体のある格納庫の位置は?』

 雷華の話を聞かずに、オーバルは一方的にまくし立てた。うるさそうに電話を耳から話して、真二とジャックのふたりに視線を向けた。

「とかいってるけど、どうなの?」

「人が急いでる時に……! 第七小隊所属、格納庫はB区画の六番!」

『ビンゴ! 異端の第七小隊! そこだ、そこに射撃ユニットが置いてある。皇ヶ院のお嬢様、そこの彼らをぼくのとこまで連れてきてね、頼むよっ』

 言うことを言うと、電話はオーバルの側から返答を待たずして切断された。

「な、なによそれ……」

「異端の第七小隊とかいきなりいいやがる。だが、射撃ユニットってなんの話だ?」

「あれだろう、最近うちの格納庫で組み立ててるやつだ。おれたちの格納庫は余ってるからな、都合が良かったんだろうさ」

「ともかく、オレたちもこいつについていけばいいってわけだな?」

「らしいわよ。まったくなにを考えてるんだか……! 時間を無駄にしたわ、とっとといくわよ!」

 雷華は電話をバックの中に戻すと、慌てて車から降りていった。真二とジャックもそれに続いて、〈天斬〉のある格納庫へと急いでいく。

 気づくと、千歳は出遅れていた。はっと我に返り、千歳は雷華のあとを追おうとして、レムリアに呼び止められた。

「陵千歳」

「……なんだ?」

 一瞬、千歳はおのれの胸中を読み取られたのではないかと、内心でひやりとしたものを覚えていた。自分の方へと振り向きもしないレムリアに、底知れないものを感じたのだ。

 だけど、それは杞憂だった。代わりに、別のところを突かれた。

「アナタ、強いんでしょう」

「……弱いなどと謙遜する気はないが」

「違う。アナタはおそらく……あの連中と一対一で渡り合える。〈GA〉ではなく、生身での話」

「……まさか」

 まさか。そんなわけがない。円卓十三機士団などという聞いたこともない人外集団と渡り合えなどしない。千歳はただの軍人だ。真っ当な殺し合いならともかく、化け物を生身で狩れるようなわけがない。それは軍人ではなく、化け物狩りの戦士の領分だ。間違っても軍人のでる幕ではない。

 レムリアは千歳の返答を聞いてはいなかった。ただ、一方的に告げた。

「多分、わたし一人だとあの三人を全員止めるのは無理だと思う。きっと彼らは雷華を追う。その時は、必ず守って。必ず」

「だが……」

「わたしはアナタの出自をなにも知らないけれど。それでも、なんとか出来るとは思ってる。よろしく、相棒(バディ)。人の友達を殺さないでね」

 そういって、レムリアも車内から出て行った。私服の彼女が消えていく。なにもいえなくて、千歳は呻いた。

「……無茶をいう」

 知らないのに、何故そんなことをいってこれるのか。信頼されるようなことをしているわけがないのに。

 彼女はやれると思っているのではなく、やらなければならないのだといったのである。そこにできなかった場合の疑問などない。それは信頼だ。信用がなければ頼めない言葉だ。

 恐かった。

 基地の惨状を見てから、千歳は一言も発せなかったのである。黙っていたのではなく、息をすることすら忘れてしまっていたのである。

 思い出すのは、三年前の記憶だ。

 ――自分のせいで、教習学校の全員が殺された時のことだ。

 ああ、だから。今嘔吐感に襲われて目眩がしているのは、今があの時とまったく同じだからだ。

 きっと、原因も同じに違いない。

 そう、首都に張り巡らされた、式神による〈鬼獣〉の転送妨害用改竄術式。空間を高度な数学的操作によって改変し、自分たちを出現させる転送技術――それをかき乱して妨害する改竄術式を打ち破って〈鬼獣〉を投下するだなんて、千歳にはひとりにしかなしえないことだと思っている。

 いや、探せばいるのだろう。でもこれはきっと、偶然ではない。

 彼女が関わっている。間違いなく。

「………………っ」

 歯を食いしばって、千歳は車内から飛び出す。

 三年前の出来事は未だに脳裏にこびりつく。震える身体はとまらない。

 それでも、信頼に応えないというのは、陵千歳の流儀に反した。

「くそ……っ」

 小さい背中を追って、千歳は瓦解した〈天斬〉の格納庫の方へと駆け抜けた。

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