19:円卓の騎士は異国にて目覚める
帝都国際空港の事務員は途方にくれていた。
いつものように、旅客機から降りてくる人間をさばいていた。ただそれだけのはずだった。
こんな仕事をしていれば、奇妙な人間というもには往々にして遭遇する。国内外から数千数万の人間が出入りしているのだ。当然といえる。だから、生半可な変人など会ってもなんとも思わない。それだけの自信はあったし、事実そうだった。宗教家やら有名人やら、そういうものにも遭遇したこともある。
だが、彼らはその事務員には荷が重すぎたといっていい。
アンバランス。奇っ怪。派手。意味不明。人外。
それは三人組だった。年長の男がひとりと少女がふたり。家族には見えないが、それ以外なら何に見えるのか――と聞かれても反応に困る。
理解不能。
この一言に尽きる。
ならば、理解しなくともいい。三人の素性や立場を完全に把握しなくとも、仕事はできる。むしろ、こんなことに時間を使っていたら仕事をスムーズに遂行できなくなる。
だから、早く作業に戻るのだ。
そう事務員の青年が己自身に言い聞かせ、常の応対に戻るのに要した時間は三秒。この奇天烈な人類に遭遇した人間の対応速度としては上々といえた。
調子を戻すために喉を一度おおきく鳴らして、事務員は年長の男――身長三メートルに届くアフロで神父服がトレードマークの黒人を見上げた。
「えー、貴方は……」
「キング・ヘッドショットです。HAHAHA、変な名前でしョう。御見知りおきを」
身体をくの時に折り曲げて――それでも事務員の青年は首が痛くなるほど見上げなければならない――陽気に笑いながら、白手袋に包まれた右手を差し出してくる。
青年が遠慮がちに手をさしのべると、キング神父の手がすっぽりと手を多い隠した。いや、彼にとってはふつうに握手しただけなのだ。ただ、あまりのおおきすぎて、完全に手を包みこんでしまっているのだ。
「ワタシ神国初めてでね。でも思ったよりも綺麗なところでスね」
サングラスをしているがために、青年にはキング神父の目の色は窺えない。ただ、太い唇が弧を描いているのだけはわかった。それが不気味で、後ずさってしまった。だが、握手――もはや青年にとっては拘束でしかないのだが、それのせいで離れることはできなかった。
頬が引きつるのを抑えて、なんとか愛想笑いを貼り付ける。そうして青年は職務に戻る。
「えー……ではキング神父。こんにちわ。神国にようこそ。それと、そちらは……」
と、今度はふたりの少女を見た。
キング神父の両脇にいて、甘えるようにもたれかかっているふたりの少女は、あまりにも似通っていた。
顔、服装、表情。どれひとつとっても変わらない。なんとか見つけた違いは、右の子が左耳にピアスを、左の子が右に耳にピアスをひとつつけていることだった。十字架のような、鍵のような、そんなものがねじくれあっている、そんなシルバーアクセサリだ。
おそらく双子なのだろう。そう事務員は検討をつけることにした。一卵性の双子には以前も何度か出会ったことがある。ここまで瓜二つなのは少なかったが、別にないということもなかった。
ただ、ふたりともゴシックロリータと呼ばれる漆黒のドレスを着ているのには驚いた。見た経験はあるが、神父にゴシックロリータの衣装の双子など、そう会うものではない。
おそらく身長は一四〇センチ――神父との対比でまるでこびとのようだ――のふたりの幼い少女は、肩まで伸びる黒髪を靡かせて、緩く首を傾けている。
甘い香り。その妖艶な雰囲気に、事務員の青年は惚けてしまった。相手は、人種が自分とは違うから正確な判断はできないが、それでも十四にもなっていないように見えた。そんな少女たちに視線に、胸が熱くなった。甘えられているわけでもないのに、その視線に釘付けになった。
「わたしはアリス」
「わたしはイリス」
「こんにちは」
「こんにちは」
鏡写しのようにアリスとイリスが口を開いた。まるでステレオのシステムのような音響だった。右耳にピアスをしたのがアリス、左耳なのだイリスだろう――そう検討をつけた。
実際に会話しながら判別できるかは、怪しいところではなったが。
「あ……はい。よろしく。ふたりとも神国にようこそ」定型句でごまかしながら、パスポートなどに目を通し、手続きをすませていく。「今回はなんのご用でこちらへ?」
「仕事でスよ、仕事。いやはや面倒でスなあ。上空で〈鬼獣〉にでも襲われたらどうしようかと思いまスよ。ワタシ、空苦手でして」
「そうだったんですか。お疲れ様です」
特徴的な訛りのしゃべり方をする神父と他愛もない話をしながら、所定の手続きを追える。これでこの三人組とも別れることになる。安堵するような、少し残念なような。複雑な心境だった。それだけ、インパクトのある三人だったのである。
「……はい。これでいいですよ。どうぞ、お通りください。しばらくはこっちで神国の生活を満喫してみてくださいね」
「これはこれは親切にどうも。楽しめるといいでスねェ。お仕事の方も万事滞りなく行けばいいものでス」
人なつっこい笑みを浮かべて、会釈をすると、キング神父は人々の奇異なものを見る視線を独占しながら、狭そうに扉をくぐって、アリスとイリスをつれてロビーの方角へと消えていった。
ベルトコンベア。ロビーにあるそこから、乗客用の荷物が流れてくる。そこにも空港の関係者がいるものの、やろうと思えば自分の荷物でないものも持って行けそうだと思えるくらい、そこから流れてくる荷物の動きは雑多だ。無論、見た目通りだけでなく、それ以外のセキュリティも設置されてはいるのだが、どちらかといえば人の良心に頼った作りといえる。
もっとも、この国際空港にモノをとらなければ生きていけないような人間は迷い込むことはない。窃盗など、リスクをおかしてまでしようとは誰も思ってはいなかった。
そのベルトコンベアに、ひときわ大きな荷物が流れてきた。
それは、棺桶のようなものだった。否、棺桶、と断言してもよいのだろう。その3メートルの棺だ。
それが人々の視線を受けながら、流れていき――大きな腕によって掴まれた。
「よいしョ、っと」
アフロと常人離れした身長がトレードマークのサングラスをかけた神父、キング・ヘッドショット。その手がいとも容易く棺を持ち上げていた。
見た目に反して、その棺桶は軽いのか……誰もがそう思ったが、それが床に下ろされた音で前言を撤回することになった。
ドンッ、と太鼓を打ち鳴らしたような響き。床に亀裂が走り、細かいコンクリート片が飛び散った。
あれで人を殴れば、一発で天に召すことができるだろう。それを誰でも理解させる重量と、それを持ち上げてみせたキング神父の怪力に、人々は自然と彼らから距離をとっていた。
それを気にせずに、キング神父はカソックの裾で額に流れる汗を拭った。
「ふう。相変わらず思いでスねェ。ワタシ、熊と殴りあう自信ありますけど、これはあまり持ち歩きたくないでスよ?」
「でも神父様しか持てないよ?」
「うん、わたしたちじゃ無理ね」
アリスとイリスがお互いに顔を見合わせて楽しげにいう。もしふたりを森の奥で目撃でもすれば、妖精とでも見間違うのではないだろうか。
だが、そんな三人組を見逃しているほど警備員も無能ではなかった。すぐに音を聞きつけて、三人の警備員がかけつける。
「今、大きな音がしましたが……なにかございましたか?」
警備員のなかで一番の強面の巨漢が、神父に訊ねた。それでも、ふたりにはトラックと乗用車くらいの違いがあったが。
神父はつかみ所のない態度で、好意的に警備員に応対する。
「オー! これはこれは! なんでもないでスよ? ただ、これが重くて重くてでスね。床に置いてしまったのでス」
疑念のまなざしをキング神父に向けながら、警備員三人がその場に集まりおえる。
その巨漢の、リーダーとおぼしき警備員は棺桶を示して問うた。
「中身を拝見してもよろしいですか?」
有無をいわせぬ感じではあったが、神父は気を害した様子もなく、よどみなく首を縦に振った。
「ええ、どうぞどうぞ。商売道具しかありませんから!」
と神父はわざわざ棺を床に横たえてみせた。
「商売道具……?」
楽器かなにかか、と思い、いやこんな重量の楽器など待ち歩くまい。とかぶりを振って否定する。そうして、警備員たちは棺を身長な手つきであけていった。
厳重な金具をひとつひとつ外し、最後のひとつも解錠する。最後に、棺の溝に指をねじ込んで、全員で一斉に力を込めた。
つがいがきしみをあげて、棺桶が開いた。
そこには――人が入っていた。
「な――人――?」
途端に身を固くする。棺桶だ、入っているのは人と相場は決まっている。だが、こんな空港でわざわざ棺桶にいれて持ち運ぶなどと――。
巨漢の警備員は反射的に腰に下げた警棒を引き抜こうとして、大きな大きな手によって腕を掴まれた。
「……!」
けして遅くはなかった。むしろ、その対応は早い方に分類されたはずだ。なのに、神父はそれを抜く間も与えずに押さえ込んだ。
ぞっとした。背筋が寒くなり、次の瞬間動脈が掻ききられていることを覚悟した。
「ほらほら、落ち着いてよく見てくださいヨ。人なんかじゃないでしョ?」
にこにこと神父は笑っているだけだった。心臓が手に掴まれている心地で、警備員は言われるがままに棺の中に視線を落とした。
それは、人だ。より正確にいえば、人型をしたものだった。
「これは……」
巨大な、西洋の鎧だった。
今では博物館でしか見ないような、古めかしい甲冑。白銀の装甲に、金色の紋様が刻み込まれている。磨き込まれた鎧が、場違いな空港の明かりを薄く反射していた。
緩衝材にくるまれたそれは人ではなかった。なにより、頭がない。頭を保護する兜は首から離れているし、中身も無機質なものが詰まっているだけで人間の血肉などそこにはない。
「人形……?」
「ああ、障らないで」
気がつかないうちに手を伸ばしていた警備員を神父が押しとどめる。
「貴重品なんですから。傷なんてつけたら賠償金が請求されまスよ?」
「え、ああ、そうですか。すいません」
「わかってくれればいいんでス」
神父は破顔して、棺桶を閉める。鍵をかけ直すと、その巨大な肩に棺桶を担ぎ直した。
「それではワタシたちはこれで。おつとめご苦労様でス」
警備員たちに背を向けて、開いた片手を小さく振ると神父は歩き去っていった。アリスとイリスを引き連れて。
まさしく、嵐のような三人だった。警備員はしばしその場で立ち尽くすと、ふと我に返って自分たちの持ち場に戻っていくのだった。
空港から歩いてしばらく行ったところに、港がある。といっても、既に廃棄された場所であり、漁業で得た魚を保管する倉庫はすべて潮風で錆び付いている。人気など無論なく、空白のような地域だ。
海はよどみ、魚も環境に適用した少数が分布するだけろう。〈鬼獣〉により汚染された海域なのだ。珊瑚もプランクトンも、この澱んだ水の中ではほとんどが死滅してしまっている。
そんな、誰もが眉をひそめて避けるようなこの場所に、三人の人影があった。
「えーと、所定の場所はここでよかったのでしたっけ」
「うんうん、間違いないよ、ここだよ」
「なにもないねーくさいねー、ここ!」
「まったくもって汚いところです。島国のモンキーはこれだから困りまスよ」
キング神父。アリス。イリス。その三人だった。
棺を抱えたキング神父は、ぐるりと辺りを見回す。
「ああ、あそこでしたかネ。十番倉庫。そこにアナタたちの相棒もあるようですヨ」
「やったぁ! 早くハッピーちゃんに会いたいな!」
「うんうん! 会ったらちゃんと手入れしなきゃ!」
飛んで喜ぶアリスとイリス。顎をさすりながら神父はその様子を満足そうに眺めていた。が、些細なものだったが、表情が突然変化した。
「おや、お客さんだ」
「招かれざる客ってやつだね!」
「あは! こんなに早く来た!」
いつの間にか、三人は囲まれていた。
建造物の合間から、銃口と標準ポインターが覗き、三人――特に神父を狙っていた。紅い光が神父の頭部、胸部、腹部、に蟲のように集まっている。
彼らが銃爪をひけば、九ミリ団がその身体に突き刺さる。それでも、神父の余裕は崩れない。
「ふぅ、面倒でスネ。せっかくです、運送料は払ってもらわないといけませんネ。
あ、アリスとイリスは先に行っていてください。はい、これ鍵でスヨ」
「わーい! 行ってきます!」
「お使いだ! お使いだー!」
カードキーを投げてよこされたふたりは、くるくると周りながら、ドレスの裾を揺らしながら倉庫の方にかけていった。
一瞬、場の緊迫感が高まる。が、幼子ふたりに銃弾を叩き込もうとする人間はいなかった。代わりに、すべての照準が神父に集まる。
「おや、ワタシだけですか。どうやらこちらのことをご存じないようス。別にいいですがネ、今知りますし、知っても意味はないですシ」
そうアフロ頭の神父はつぶやくと、棺を地面に突き立てた。また轟音を立てて、棺桶が地面に直立する。
その音が契機だった。九ミリの鉛玉が、一斉に神父へと叩き込まれた。
一丁で秒間数百発を発射する短機関銃。数十のそれらが一斉に解き放たれた。
数千の鉛玉が、神父と棺桶に直撃した。
あとに残るのは、地面に突っ伏した神父の亡骸。
そうでなければいけないはずなのだが、
銃爪をひいた集団が息を呑むのがわかった。
「いやいや、痛いですねェ。傷つきはしませんけど、痛くはあるのですヨ?」
頭部をかばっていた腕を下ろして、手で煤を叩き落とす。防弾繊維が高密度に編み込まれた、特製のカソック。それらは九ミリ弾程度の猛攻などモノともしていなかった。
「アナタがたの相手は面倒でス。彼女にやってもらいましョ」
神父が、軽快な動作で指を鳴らした。
それを合図に、棺の金具がすべてはじけ飛んだ。火薬か、それとも一定の動作でボルトが外れるギミックでも隠されていたのか。
棺の扉が、縦に倒れた。ばたんっ、と音を立てて開く。
そこの中には、西洋鎧が直立している。緩衝材に包まれた鎧も、先の銃撃はなんら傷になってはいなかった。
「さ、デュラハン。出番ですヨ」
にこりと神父は笑った。
「皆殺しデス」
「イリスちゃんイリスちゃん、それ開いた?」
「うん、待って。うまく入らないの。えっと」
アリスとイリスが、倉庫の中でなにやら機械の操作をしている。それはコンテナだ。中に入っているものを取り出そうと、悪銭苦闘しているようだった。
電気も通っておらず、昼間でも暗く日の差さない倉庫内では、手元が見えづらくなっており、なにをするにもおぼつかないのだ。
塩と錆の臭いが充満した不快な倉庫の中で、ふたりはお互いに寄り添うようにしてコンテナの前のコンソールを操作していた。
「うーん、うーん、……もう! なにも見た目だけじゃなくてこんな偽装はいらない」
「ホントだよねー。こういう凝り性な人って疲れそうだよね、一緒にいたりするとさ」
「根暗だね」
「暗いよね」
くすくす。くすくす。
ふたりは笑っている。お互いに話すのが楽しくて楽しくてたまらないとでもいうように、ふたりは歌を歌うように、同じ拍子で歌い続ける。
そして、扉が開く。
カードキーがスリットを通り、コンテナの扉が開く。ギギギ、さびた鉄が擦れる嫌な音がして、人が通れるくらいの隙間ができた。
「開いたよアリスちゃん」
「そうだねイリスちゃん」
「とってくるね、わたし」
「ん、いってらっしゃい」
イリスが、コンテナの中に入っていく。それを見送ったアリスの後頭部に、突然硬い物体を押しつけられた。
それは黒い銃口だった。子供でも外さないほどの近距離で、アリスは標準されていた。
その銃を持つのは、多目的ゴーグルとメット、全身をくまなく防護する装備品の数々を身につけた人間だった。背丈と身体付きからして、男だろう。蟲の目のようなゴーグル越しにアリスを見下ろしている。
アリスは、「あれ?」びっくりしたと声をあげた。
「わ、すごい。気がつかなかったよ。すごいね、お兄さん。もしかして偉い人?」
「……………………」
アリスの気の抜けた言葉には返事を返さない。静かに銃口を押しつけているだけだ。その反応が不満だったのか、アリスは唇をとがらせた。
「ぶーっ、せっかくほめてあげたのに。愛想がないなあ。そんなんじゃお兄さんダメだよ?」
ばしゃり。
「――死んじゃうよ? あれ? あれれ?」
頭に水がかかって、アリスは驚いて振り返った。
そこに男はいた。ただし、もう息をしていない。頭から巨大な処刑鎌をはやしていたからだ。
身体の末端を痙攣させている男を見て、頭から血をかぶったアリスは「残念」とつぶやいた。
「言う前に死んじゃった」
アリスは処刑鎌の柄に手をかけて、「よいしょっ」と体重をかけて引き抜く。ぶしゅり、とまた血が噴き上がったが、噴水みたいだなあ、という感想しかアリスは抱かなかった。
アリスは処刑鎌をさっと振るって血を落とす。黒髪をなびかせてのその動作は、いっそ芸術的ですらあった。彼女が死の使いだといわれれば、信じてしまう人もいるだろう。
アリスは振り返って、コンテナから現れたイリスに忠告した。
「イリスちゃん! こんなに簡単にしちゃつまらないじゃない!」
「ごめんね。でも……いてもたってもいられなくて投げちゃった」
別の処刑鎌を持って現れたイリスは、頬を紅くして照れ笑いを浮かべていた。その妹の表情に、姉であるアリスはすべてを許す気になっていた。
「もうっ、仕方ないな、イリスちゃんは。でも、いいよ。だって、オモチャはまだこんなにあるから」
「そう……たくさんたくさん、ここには胸が躍るくらいオモチャがいっぱいあるよね、アリスちゃん」
血を浴びて笑う少女たちを――銃を構えた男たちは戦慄とともに見つめていた。
ああ、そして――自分たちは、もう――
後日、その廃墟では無数の惨殺死体が発見されることになった。だが、そこには少女と神父、そして西洋の鎧の痕跡など、一切なかったのであった。
「ねえアリスちゃん。わたしたちはどこになにをしに行くんだっけ?」
「忘れたの、イリスちゃん? ――帝都基地、〈天斬〉の奪取、だよ」