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ガンメタル・グリード  作者: 刹那
18/60

17:閉幕、新たな幕開け

 〈天斬〉が腕に力を込めると、手にしていた〈防人〉の頭がいとも簡単に潰れた。飛び散る精密機械は人の脳漿のようであった。

「…………っ」

 千歳はしばし言葉を失っていた。突然の事態により命を拾った千歳が最初に思い浮かべる感情は安堵でも安心でも喜びでもなく、恐怖。

 悪寒が背筋を走り抜け、全身が粟立った。自分が絶対にいてはならない場所――たとえば断崖絶壁――にいることを急に自覚させられたかのように、その感情は湧き上がる。理性では御せぬ、骨の髄にまで刷り込まれた危機感がヒステリックな叫び声をあげていた。

 今自分に迫る死は退けられたというのに、千歳はそれに勝るとも劣らない危機に直面しているように思えた。いや、それは数時間も前から千歳に寄り添っていたはずなのだが、今の今までそれを察知することができないでいた。

 その正体は〈天斬〉である――、ということは明白に理解できてしまった。

 これは本当に人間が作った兵器なのだろうか、とそんな疑問が胸の(うち)より湧き上がり、コクピットから飛び出したくなる衝動を必死に抑えた。

「……まだ生きてる、しぶとい」

 レムリアの凍てついた声に、熱した思考が急速に冷却された。一瞬、千歳は自分に向けられた台詞かと錯覚してしまう。が、違った。冷静になった脳がレムリアの言葉の意味を的確に処理すると、その矛先がなんに向いていたかがすぐに判明する。

 コクピットの液晶に、〈天斬〉により潰された〈防人〉の上半身の合間から這い出る異形が写されていた。

 這い出たそれは、まさしく異形である。ほとんど人の姿をしていなかった。上半身はまだ人の姿であったが、下半身にはもうその面影はない。おそらく、半身は〈天斬〉により挽き肉(ミンチ)にされたのだ。

 傷の断面からは菌糸状の繊維が大量に伸びて、GAの残骸を手当たり次第に融合させていた。とある海洋生物(デビルフィッシュ)のような計八本の義足が地面を引っ掻いて身体を前へ前へと進ませる。

 神話にでも出てきそうなその吐き気を催すほどの生物は、アブラムの成れの果てであった。

 あれは、もう無理だと千歳は思った。あれはもう人間ではなく、それ以外の何かとなってしまっている。もう助けることなどできないとわかってしまった。感染者に人間が出来ることは、その命を断ってやることだけだ。人類の敵が現れてから、それは不変の慈悲である。

 〈天斬〉への恐怖を押し殺し、千歳は自然な動作で操縦桿に力を込める。〈天斬〉は千歳の意志を今度は受け入れて、稼働する。頭部を傾け、機関砲の標準をアブラムに合わせた。

 エラー。動力遮断。

 ガクン、と〈天斬〉は頭を垂れて力を失った。後一歩というところで再び機能の停止。それと時同じくして、千歳をさいなむ悪寒も緩和されていた。

 レムリアが〈天斬〉のステータスを見て、首を振る。

「もう駄目。今度こそ動けない」

「いきなり起動したり停止したり、なんなんだ!」

 千歳は苛立たしく叫んだ。せめてトリガーを引けていれば、と歯噛みする。

 予備電源で機能している眼前の液晶には、スピードをあげて障害物だらけの道を踏破していくアブラムの後ろ姿がくっきりと表示されている。その行き着く先を予想して、千歳は舌を鳴らした。

「あいつ、基地に向かっているのか。不味いぞ、こんな状況で奴が入り込んだら歩兵じゃ対処し切れないッ」

 鬼人の戦闘能力は、人間を遥かに凌駕している。一対一では話にならず、部隊という集団が万全の準備をおこなって迎撃することにより、そこでようやく互角に争うことができるのだ。

 〈鬼獣〉の襲撃により内外ともにかき回されたオキサリスには、そのような体勢を整える余裕はない。侵入されてしまえばアブラムの無法を止めることはできないのだ。

 アブラムの目的が今も変わっていないのなら、基地深部のフロートユニットの制御装置を狙っているのだろう。領主を失った今、オキサリスの基地でアブラムが狙うようなものはあれくらいしかない。制御装置を破壊されれば、結果的には人間の敗北である。

 千歳はしばし迷い――

「やるしかない、か……」

 観念したような、あるいは覚悟を固めるようなつぶやきを洩らして、座席下部の緩衝材入りケースの中から拳銃と軍用ナイフを取り出した。

「どうするつもり?」

「アブラムを追う。このまま動かない〈天斬〉に乗っていても無意味だ」

 千歳はコクピットを解放する。圧縮されていた空気の抜ける音がしたと思えば、目の前には荒れ果てた大地が広がっている。もしこれらが健在ならば、〈天斬〉の高さから見下ろした光景は壮観であったのかもしれない。

 さすがにレムリアも千歳の行動に驚いていた。拳銃とナイフだけで鬼人――正確には感染者だが、それに匹敵する程度の身体能力を持っている――と戦うなど、正気の沙汰ではない。

「そんな……九ミリ弾とナイフで戦うような相手じゃない」

「ここでじっとしているよりは有益だ」

 それに、不信感を拭えない〈天斬〉から一度離れてしまいたいという気持ちもある。

 タクティカルベルトをパイロットスーツの腰部に巻きつけ、換えの弾倉と(シース)に収められたナイフを固定する。拳銃の初弾装填も済ませていた。

「自暴自棄になって死ぬつもり? 貴方が死んだら、雷華はどうなるの?」

 千歳の準備を整える手が止まった。が、またすぐに何事もなかったように再開する。

 レムリアの視線は厳しく、千歳の背中を睨みつけていた。

「答えて」

「死ぬつもりはない。生きるためにやるんだ」

 このままオキサリスが落下でもすれば、千歳とレムリアの命も危ない。〈天斬〉は身動きがとれず、よって脱出も不可能なのだ。慣性制御もなく、衝撃吸収も不完全。。外よりは安全かもしれないという程度だ。ならば、たとえどんなに困難な選択であろうと落下を阻止するのが最善である。

 GAのパイロットスーツは防弾と防刃機能を持つ繊維により作られており、拳銃弾やナイフ程度は防ぎきれる。もっとも、銃弾の命中時に発生する衝撃は殺せないし、アブラムのような相手では気休めのようなものである。あてにしてしまえば、次の瞬間には八つ裂きの死体になっていることだろう。

 準備を終えた千歳は降下用のワイヤーを引き出して、足を引っ掛ける。

「レムリアはここにいろ。万が一のことがあってもコクピットの中なら緩衝材がいくらか衝撃を削いでくれる。外よりは安全だ」

 手元のスイッチを操作して降りようとして、

「待って。私も行く」

 レムリアも拳銃とナイフを取り出すと身を乗り出した。千歳はその言葉に顔を険しくする。

「なにをいって……お前が来る必要はない。危険だ」

「貴方ひとりよりはマシ。だいたいここにいても無事な保証はないもの」

「だが……」

「甘くみないで。私の因子量は"九六"、貴方よりは上なの。忘れた?」

 千歳は渋い顔になりながらも逡巡して、

「……わかった。なら早く追うぞ」


     *


 アブラムの移動速度は、なかなかに速かった。多脚により、倒壊した建物をもろともせずに走り抜けるのだ。

 基地はもう目と鼻の先にまで近づいており、侵入を妨げることはできそうにない。

 アブラムと千歳、レムリアは距離が離れていて拳銃を撃っても威嚇の役割さえ果たせそうになかった。

「……基地内で交戦するしかないか。制御装置を破壊されなければこちらの勝ちだからな」

 千歳は瓦礫の群を軽々と踏破しながら、レムリアを見る。彼女も軽快な動作で淀みなく障害物を突破していた。豹のような滑らかな動きは身体能力の高さを感じさせる。自分で感染者相手の戦いに志願するだけはある。因子の九六という数字も伊達ではない。

 "因子"として略されているもの――プログレス因子とは、人間なら誰しもが持っているものだ。これはGAの操縦にも利用されているが、この因子本来の能力は別にある。

 人間の身体能力や病原菌、毒物に対する免疫を強化するという役割。プログレス因子は過去の人間も持っていたようだが、活発に活動はしておらず、そもそも存在すら知られていなかった。それが何故か〈鬼獣〉の登場と同期して、この因子は人間の知覚できる場所で活動を開始し出した。お陰で現代の人間の身体能力の平均はかつてのそれよりも優れた結果を示している。もっとも一般人の平均値である五〇は免疫能力などが向上しているだけで、身体能力などの変化はそこまであからさまというわけでもない。

 その値の最高値は理論上、一〇〇と表現されている。実際にそれほど保有している人間は発見されていないが、レムリアの九六はそれに限りなく近い。彼女の身体能力は一般人ではたどり着けない高みに到達しているのだ。単純な身体能力では、因子量七〇台の千歳ではかなわない。レムリアが体術に優れているのもハイジャック事件の時に確認している。

 それでも、あのアブラム相手にどこまでやれるかはわからない。人間相手の戦いとは勝手が違う。だが、やるしかない。

 アブラムが基地施設の破壊された扉から内部に入り込む。千歳とレムリアも数分遅れで続いた。中は蛍光灯がいくつも割れていて薄暗い。進むのには苦労しないが、ベールのような暗闇が不安を誘った。

 ふたりは銃を両手で握り、呼吸の音を抑えながら通路を走った。絨毯のように敷き詰められた砕けたガラスを靴底が踏みしめる音だけはどうしようもなく、狭い通路に反響する。

 基地内部ともなると障害物はほとんどなく、走るのに問題はなかった。

 千歳は脳裏に基地内部の地図を思い浮かべる。三年もいた場所だ、正確無比とはいかずともおおよその地形は把握している。地面にはアブラムが通ったとおぼしき傷跡と血痕があり、それが続く先にあるものはなんであるか脳内地図により確認した。それは、やはりフロートユニットの制御装置に繋がる道へと進んでいる。

 時間はない。千歳は足をさらに早めた。

 階段を行儀よく下るのももどかしく、飛び越しながらも駆ける。

 そして、金属を叩く轟音が耳朶を叩いた。

 手でレムリアに止まれ、と指示しながら千歳は通路から顔を出す。

 地面にはひしゃげた扉が転がっていた。制御装置に続く道を塞いでいた強固なそれは、アブラムの執拗な打撃によって破壊されてしまったようだった。

 何本かの支柱が立ち並ぶ開けた場所にアブラムはいた。千歳達が追ってきていたのを知っていたのか、アブラムは通路の方を血走った目で凝視している。

「貴様ら、ここを死に場所とするために追って来たのか? でくの坊で勝てたからといって生身でもわたしに勝てると思っているのかね? 自惚れるなよ屑共が……」

 八足のうち二本が首をもたげた。それに殺気を感じて、千歳は通路から飛び出す。

「レムリア、来い!」

 千歳の後を追ってレムリアも通路から飛び出すと、遅れてアブラムの二本足、触腕が通路の壁に突き刺さっていた。

 自分の体長の数倍まで伸びて足が襲ってくるなど普通ならば考えられない。千歳の勘に従って正解だった。

 鬼人と戦う時、常識は真っ先に棄てなければならない。でなければ、有り得ないと現象を否定しながら死ぬことになる。

 千歳は走りながらも銃口をアブラムに向けて幾度も発砲。鉛玉はアブラムの上半身に命中するかに見えた。

 が、一本の足、触手により薙ぎ払われる。超音速で飛来したはずの銃弾は潰れた姿で地面を跳ねた。一発だけは触手から逃れたようだったが、アブラムの腕を浅く傷つけるだけの効果しかない。

 千歳はコンクリートの支柱の陰へと身を滑らせる。レムリアも別の支柱に身体を隠した。

「手も足を出んか、所詮は無力な人類よ。わたしが脱却したかった唾棄すべき劣悪種よ!」

 触手が鞭のごとくしなって支柱を叩いた。一撃でコンクリートは砕け、続けざまに放たれる攻撃に鉄筋が歪む。

 破片というにはあまりに大きすぎる塊が転がる音を聞き、千歳は咥内に溜まった唾液を飲み込んで声を上げる。

「勝手にいってろ。手段と目的が混濁してる奴にいわれても腹も立たないんだよ!」

 支柱から飛び出して、引き金をひく。残弾を計算しながら千歳は走った。

 千歳を狙う触手が矢のように飛んでくる。それらを躱すと地面に次々と穿孔が増えていった。

 弾倉に残った最後の一発を撃つと千歳は支柱の陰にまた隠れる。空の弾倉を棄てて予備のものを銃床に叩き込んだ。コンクリートの砕ける音に肝を冷やしながら初弾を装填する。

「手段も目的も変わっちゃいないさ。制御装置の破壊も貴様らを殺すのも、ひとしく最優先だ。人類を抹殺する、だから貴様らも殺す。なにも変わってはいないのだよ!」

「そうか、よッ!」

 千歳が支柱から身体を出すと待ってましたと触手が突き出された。身体を前に投げ出すと背中を鋼鉄の触手が擦過する。パイロットスーツがいとも簡単に引き裂かれ、背中が痛む。

 苦痛に顔をしかめながら千歳は銃口をアブラムからずらすことなく、撃つ。

 室内に反響する銃声。

 だが、アブラムには通用しない。ほとんどの弾は触手に逸らされるし、当たるのは眉を歪めさせる程度のものだ。

 ――拳銃で戦うような相手ではないか。

 わかりきっていたことではあったが、これでは豆鉄砲のようなものだ。効果をあげるには急所を確実に撃ち抜くしかない。それには触手の防御を抜かなければならないが、アブラムは常に自衛用のものを身近に残している。知恵があるのは厄介だ。身体能力が別格なのだから真っ向勝負では不利にある。

 無論、真っ向でなければ勝つ目もある。

 銃声。しかし千歳の銃から発したものではない。

 アブラムの身体がのけぞった。こめかみを撃ち抜かれ、異形が揺らぐ。

 それはレムリアが撃った銃弾だった。注意が千歳に向いている隙をついての発砲。体術だけでなく優れた射撃能力に千歳は感嘆した。

 感染者といえども、脳が損傷すれば活動は停止する。

「……そんなに甘くはないか、こいつは」

 アブラムの身体が震えたかと思うと、こめかみから銃弾が転がり落ちた。血液が流れ、しかしその傷口はすぐに自己再生能力により塞がった。

 頭蓋骨が硬いのか、脳の損傷でも一定の段階までは修復が効くのか。もしくはその両方。遠距離からの九ミリ弾による銃撃では急所といえど致命傷とはなりえない。

「豆鉄砲でわたしを殺せると思ったか、女アアアッ」

 怒声によって、千歳に向いていた触手が総てレムリアの方へと集結する。

「――――くぅっ」

 レムリアは慌てて支柱に隠れたが、それ以前に攻撃を受けて損傷していた柱はアブラムの猛攻に耐えられるだけの余力を残していなかった。鉄筋が引きちぎれ、コンクリートが吹き飛ぶ。支柱が、砕けた。

「レムリア! クソッ」

 千歳はアブラムに銃弾を叩き込むが効果は薄い。やはり叩き落とされる。そもそも当たっても意味がない。ライフル弾で頭蓋骨を粉砕でもしなければ無駄な努力だ。

「おっと、抵抗はそこまでだ。この女がどうなってもいいのか?」

 アブラムが支柱から手元に戻した触手には、額から血を流すレムリアが拘束されていた。ヘルメットは外れていて、纏めている髪の毛がすらりと落ちている。

「殺すのもいいが、感染者にしてやりたくもあるな。その小綺麗な顔が剥がれ落ちるのを想像すると愉しげだ。わたしに感染脳内がないのは残念だよ」

 アブラムは舌なめずりをして、レムリアの身体を視線で嬲る。

「……ッ、離して!」

 触手から逃れようとするが、コンクリートを砕くほどの力を持つそれにはレムリアの怪力といえども抵抗できない。

「五月蝿い女だ、そう喘ぐな。黙っていろ」

 触手に加えられる力が増した。骨が軋み、レムリアが苦痛に目を見開く。

「かぁ……」

「アブラム、やめろ!」

「ならその銃を棄てることだな。そうすれば離してやる」

 千歳は迷った。ここで銃を捨ててしまえば、一方的にやられるだけになる。アブラムがレムリアを解放するというのも嘘に決まっている。かといってレムリアを見捨てることはできない。幸い、ナイフの存在はバレていないようだが。

 ――ナイフ、か。

 あの触手は斬れないだろうし、接近しなければ役に立たない板切れ。この状況で役に立つわけがない。

 彼我距離の離れた現状では。

 レムリアが、千歳に目で訴える。棄てるな、と。しかし、彼女を見捨てることも千歳にはできなかった。

「……わかった。棄てよう」

 レムリアが首を振り、アブラムは嗤った。

 千歳は、銃を持った手を後ろへと滑らせる。

 アブラムとの距離は一五メートル。多く見積もっても千歳なら走れば二秒とかからない。

 千歳は下手で拳銃を前に放り投げた。緩く回転しながら拳銃はアブラムの方へと飛んでいく。

 それが一瞬アブラムから千歳の姿を隠し、

 ――視界が回復した時、千歳はアブラムに後数歩というところまで接近していた。

「な、貴様ッ!?」

 とっさに触手が千歳を退けんと振るわれる。

 轟と唸りをあげて疾駆する成人男性の胴体ほどもある触手を、千歳は身を低くして避けた。そしてたわめた全身を発条にして前へと飛び出す。それはさながらひとつの弾丸。

「疾、い――――」

 アブラムはがむしゃらに腕を突き出す。充分な殺傷力を秘めたそれは、しかし速度に劣り、

「散ィッ」

 白刃が閃いた。

 ナイフは肉を裂き、鉄のように硬い骨を断ち切る。その銀閃は、流星のように闇に消えた。

 空気混じりに血液を吐き出す音がした。

 アブラム・アクトンは信じられないものを見る目で千歳を見下ろし、

「貴、様は――な、んだ……?」

 つぶやいて、驚きに目を瞠った頭がコンクリートの床に跳ねた。

 アブラムの身体が力を失い、斃れる。首の切断面から菌糸状の物体が現れたが、千歳が心臓にナイフを突き刺せばその活動を完全にやめた。

 返り血が付着して視界の塞がったヘルメットを千歳は脱ぐ。

 耳を半ばまで隠す程に伸びた黒髪は汗で濡れていて、レムリアの目を引いた。今では珍しくなった純潔の神国人らしい肌の色に、黒曜のような瞳に彫りの深すぎない顔の造形。よく見れば二十歳にしては少し幼い気もしたが、纏った空気は世捨て人のもののようだった。

 それは特別優れた容姿というわけではなかったが、レムリアはそういうのとは別の意味で目が離せなかった。

 異形に白兵戦を挑み、勝利し、返り血でパイロットスーツを濡らした青年。彼の眼中にはもうアブラムの姿はない。恐ろしさすら覚えそうな彼の立ち姿に、しかしレムリアが感じたのは距離感。別段近い距離にいた人間ではないが、益々遠くに行ったように思えた。

 千歳の表情は、なにかに耐えているかのように険しい顔をしている。それは死体への嫌悪感ではなく、自分自身の行動を責めている風に見えた。確信ではなく、レムリアの直感であったが、間違ってはいないのではないかと思った。

 血に濡れたナイフを振るって鞘に収めると、千歳はレムリアに手をさしのべた。

「大丈夫か?」

 それはこちらの台詞だ、とレムリアはいいたくなるのを飲み込んだ。


     *


 オキサリスにおける〈鬼獣〉戦による戦況報告。

 オキサリス被害/甚大。

 オキサリスの市街地や施設はその六割が崩壊。二割は軽度の損壊。

 死傷者の数は、死者が全人口の一割である十万人を越え、負傷者はその八倍にも及ぶ。行方不明者多数。今後の調査によりさらに増える見込みである。

 〈鬼獣〉の死体、血液の消毒には莫大な労力と資金が必要。ウィルスに感染した者がいないかの調査は早急におこなうべし。

 オキサリス領主、およびその秘書が死亡。下位の者が臨時で代表に就任する。

 オキサリスが保有する汎用装甲部隊は主力機である重機士級が大破。機士級と準機士による部隊は四割が撃墜。

 他の浮遊人工島と神国が補給物資の提供を決定。

 しかし完全な復旧の目処は未だ立っていない。


     *


 生きているだけマシなのだ。壊滅していないだけでマシなのだ。世の中には〈鬼獣〉により世界地図から消された国家もある。これだけの大攻勢を耐え抜いたことを一時でも喜ぶべきなのだ。

 でなければ、やってられない。

 オキサリスは、昨日までのような状態に戻るには十年はかかるだろうと予想された。もしかすると、この浮遊人工島は破棄されて島民は余所に退去させられるかもしれない。野原に咲き誇る花々のように自然で生まれたわけではなく、造花のように人の手により作られたいつわりの島だ。重大な問題が発生すれば別のものに乗り換えない手はない。

 ただ、他の造り物(イミテーション)と違うのは、そこで生まれ育った人々がいる事実である。その地が廃棄されるとなれば、彼らはどんな気持ちになるだろうか。

 千歳は、病室に反響する心電図の音を聞きながら漠然とそんなことを考えていた。

 千歳の上半身には包帯が巻かれており、背中には血も滲んではいるが、軽傷だった。痛みもあまりなく、二、三週間もすれば傷口は完全になくなるだろうとのことである。千歳としては今更傷跡のひとつやふたつ増えてもなんとも思わなかったが、雷華に余計な心配をかけなくて済むと考えればありがたい。

 安っぽい丸いすに腰もかけず、棒のように突っ立った千歳の視線の先にはベッドの上で意識を失っている桜姫の姿があった。無理矢理呼吸をさせるために口には管が入れられていて、痛々しい。

 桜姫に、外傷はなかった。問題は脳にある。彼女は無理をし過ぎたのだ。

 重機士は桜姫のような式神が搭乗することで仮想無限炉を動かせる。仮想無限炉とは、式神が演算により無から生み出したエネルギーを受け取ることで稼働を始める。一度動き出せば仮想無限炉は自分でエネルギーを無から作り出すことができた。自分で作り出したエネルギーを使い空間を歪ませ、今よりも高密度の新たなエネルギーを生み出し、さらにそのエネルギーでまた強い力を作り出す――という循環を無限に続けることにより、文字通り仮想の無限を実現する永久機関だ。その機構からすると汲み取り機という表現が一番適切かもしれない。

 万能にも見えるこの永久機関には、だがある落とし穴がある。

 循環するエネルギー量が増えれば増えるほど汲み取るエネルギーも雪だるま式に増えていくのだが、機体が武器を使用するなどしてエネルギーの量が少なくなればなるほどその効率は低下する。通常はあまり問題にならない程度だ。そもそも戦闘に耐えられるものとして作られているのだから、循環エネルギーの減少は想定済みである。そもそも一度に出力できる力には限界があるのだから、大きすぎても意味がない。しかし、膨大なエネルギーを消費する武器を乱発してしまったせいでエネルギーの循環効率が低下し、危機的状況に陥った場合が桜姫の出番だ。彼女は仮想無限炉とは別にエネルギーを作り出し、さながら蒸気機関に石炭を入れるように投下する。

 これは、桜姫の脳に多大な負担をかける。ただでさえ桜姫のような式神は脳で仮想無限炉の制御を常時おこなっているのに、そこに別の、しかもより負荷の大きい作業を強いるのだから当然である。

 今回〈岩砕神〉は〈鬼獣〉の他に〈狂剣〉や〈千手羅刹〉といったモノと連続して交戦している。それによる仮想無限炉/桜姫の負担は相当なものであったはずだ。

 結果、彼女の脳は一部機能が焼き切れた。現在は呼吸器系の管理などを脳ができておらず、意識も戻らない。式神の再生能力は人間と比肩できぬものであるから、生きてさえいれば脳といえど修復することは可能である。いつになるか、正確な日時は不明だが。

「オレが不甲斐ないばかりに、こいつに無理させちまったんだよ。仮想無限炉が損傷していたっていうのに、オレはヘルブリンガーを使ったんだからな」

「そんなことは……」

 ない、といいたかったが、ゲラートはその先をいわせなかった。

 もう少しやりようはあったのではないかと、千歳はうつむく。動力炉が停止するより速く自分が〈千手羅刹〉にトドメを刺せたのではないか。いや、そうすると〈天斬〉は後に現れた〈防人〉に無防備になる。それは〈天斬〉が再起動して斃せただろう――そんなイレギュラーを予想に入れて戦うことなんて出来るわけがないのをわかっていても、千歳の後悔は止まらなかった。

 病室の窓の外からは、騒がしい人々の声が聞こえる。それらは、やけに殺気だった響きをはらんでいた。

 桜姫の病室は三階にあり、窓の外、病院の正面玄関には自らの包帯を紅く滲ませた人々がたむろしている。老若男女問わず、彼らの目は怒りと怨みでどす黒く燃え盛っていた。

 ――役立たず、と誰かが叫んだ。

 ――お前が息子を殺したのだ、と嘆いた。

 ――貴様が手引きしたんじゃないのか。

 ――同族相手じゃ本気で戦えないのか。

 ――なんでお前は生きているのに、子供は死んだのだ。

 ――化け物、怪物、人殺し。消えろ、消えてしまえ。

 その凶器は総て桜姫に向けられているのは、病室にいる千歳とゲラート、レムリアには理解できた。彼らは桜姫という女性が自分達の怨念をぶつけるべき相手だとは知らないだろう。が、この病院に収容されていることだけは知っているから、こうしてどの部屋にいるかもわからない顔すら知らぬ相手を責めている。

 式神とは、神国でのみ使われる名称だ。他国では使われていない。神国人以外の人間は、式神をひとしくこう呼ぶ。

 ――鬼人。

 鬼人は、正確な人数は把握できていないが、無数に存在する。彼らは人間と同じく知能を持ち、故に一枚岩ではない。全員が全員、人間に敵対しようとは考えていないのである。

 そうして人間に組した鬼人を、神国では式神と呼称する。

「これでも、まだマシな方だ」

 ゲラートは辛そうに眉間に皺を寄せながら、カーテンの合間から抗議する人間達を眺めた。

「他の国では、俺の故郷を含めて、桜姫には人権がなかった。〈鬼獣〉と同じ目で見られて、呪われた。生物じゃなくて、本当に病原菌のように扱われるんだ。非人道的なことだって平気でおこなう。そもそも人としては見ないからな。……だから、これでも良い方なんだ。ほれ、ああいうのを諫める人間だっていてくれる」

 病院の医師や看護士、見回っていた警備員達がたむろする人々を解散させようとしていた。正面玄関でいられると邪魔だという理由もあるが、止めようとする人々の中にはその抗議を不快に思っている者も少なからずいるようだった。

「桜姫を人として見てくれる人間が市民の中にもいるなんて、他じゃ信じられない。理想郷のようだよ、この国は」

 それは皮肉ではなく、本当にゲラートはそう思っていた。神国以外の国は、そう考えさせるほどに桜姫のような者にとっては地獄なのだ。

 千歳は生まれも育ちも神国で、他国に行ったことはない。〈鬼獣〉の出現により昔ほど一般的ではなくなってしまったが、未だに需要のある海外旅行というのもしたことはなかった。だから他国のことはわからない。

 そんな千歳はこの光景を見た時、谷底に突き落とされたような錯覚すら抱いた。

 千歳も二十年この世の中で生きてきた。鬼人がどう思われているかなんて理解している。どういう存在かも、人並み以上に知っていた。千歳も誤解を恐れずにいえば、鬼人を、式神も、好ましくは思えていない。あまり関わりたくないし、一緒にGAに乗ることは避けたい。それでも、桜姫は命を削ってオキサリスを守ろうとしたのに――その仕打ちがこれなのかと、叫びたくなった。

 鬼人だから、こんな風に責めてもいいのか。桜姫がいなければ、この島は全滅していただろうに。

 感謝は、しなくてもいい。軍にいる人間はそれが仕事であるし、当たり前だが感謝されれば嬉しいが、それをねだるようなことはいわない。家や身内を失った人間にそんな余裕のある行動も望みはしないが、なにも理不尽な怒りを向けるなんてお門違いではないか。

 千歳は悔しさに拳を握りしめた。換えの服がないからとパイロットスーツを着続けていなければ、爪が掌に突き刺さっていただろう。

「でも、こんなのって……こんなのって、ないでしょう」

 桜姫と親しいゲラートは弱音を吐かないのに、自分がそんな言葉を吐いてしまうなんて、弱いにもほどがあると思っていても千歳は抑えきれなかった。涙が出そうになるのを堪えるので精一杯だった。

「お前が怒るこたぁないだろ。こっちは最初から覚悟してたんだ、問題ない」

 強いな、と千歳は思う。様々な場数を踏んでいるゲラートに、千歳はどうあがいても届く気がしなかった。自分の未熟さに腹が立つ。

 所在なさげなレムリアは、ずっと窓の外を眺めていた。誰も気づかなかったが、その目は凍えるように冷たい。地を這う蟲を見るような、寒気を抱かせる琥珀色(アンバー)の瞳。

 一歩間違えば窓の外の人間に引き金をひきかねない危うさも秘めた目に、気づく者はいなかった。

「畜生ッ」

 千歳は衝動的に壁を叩こうと右腕を持ち上げるが、

「痛ッ……?」

 突然右拳に走った痛みに顔をしかめた。それは一瞬だったが、刃物で突き刺されたような鮮烈な痛みだった。

「どうした、他にも怪我があったのか?」

「いえ、そういうわけでは……なんでも、ないです」

 もう痛みはまったくなかった。手を開いたり閉じたりと動かしてみても違和感はない。

 千歳はまた拳を作って、右手を胸に押し当てた。気味の悪い、自分が逃げ出した"誰か"の気配を、色濃く感じたように思えた。

「なんでも……」

 心電図は規則的な音を刻み続ける。

 窓の外の罵声はまだ収まりそうにない。

 千歳とレムリアの迎えはもう到着していた。

 この病室にいた時間は、気が遠くなるほどに長く感じた。


     *


 どことも知れぬ狭間の世界。〈鬼獣〉ひしめく魔の空間。そこにはやはり人外ふたり。

 烈火の鬣を揺らす魔人、神蛇侘(カンダタ)は屈強な腕を組んでいた。どういう原理か宙に浮く瓦礫の上に仁王立ちになる青年は、同じく正面に浮遊する瓦礫に乗った少女を見る。

「失敗、だな。無力化はできたが、皆殺しとはいかなかった。もう一度〈鬼獣〉を送り込むか?」

「自分で無力化はしたと云ったばかりであろう。わざわざトドメを刺すこともあるまい。なにより、無意味過ぎて億劫よ」

 少女、那殊は豪奢な椅子に身体を預けて可愛らしい血色の唇を震わせた。その表情は、今にも鼻歌を歌い出しそうなまでに生き生きとしている。

 神蛇侘はそれを咎めるように目を細める。

「……自分の手駒が殺されたというのに、いやに上機嫌だな」

「別にわらわが感染させたといっても、アブラムとかいう男には微塵も愛着はないしのう。どうでもよいわ。それよりも……」

 豊かな髪を串で編んでいる妖艶という表現がもっとも似合う少女は、唇の端を三日月のように吊り上げて笑った。

「面白い。面白い。退屈な人形劇だと思っていたが、ハプニングとやらは往々にしてあるものよ。否、これは運命と云うべきか。真逆(まさか)、新しい玩具を引き連れてわらわを愉しませてくれるとは! 予想外よ、予想以上だ、嬉しい誤算よ! これを誤算と云ってしまうとは、わらわも彼奴の理解が足らんのう。だからこそ求めてやまないのかもしれんな」

「意志を持った"鬼獣化"は隠し玉だったのだが。そう杜撰(ずさん)に扱われては堪ったものではない」

「あれは〈鬼獣〉の血にも馴染まぬし、作り出すのにも手間がかかる。今まで隠していなかったのではなく、使えなかったのだろう? そう神経質になるでない」

 那殊の軽い応対に、神蛇侘は疲れたようにため息を吐いた。

「まあいい。我もあの〈鬼神〉の方が興味の対象ではあるしな」と、神蛇侘は冷ややかな視線を那殊に送りつつ口にする。「"ここ"より逃げ出してからずっと暴れまわっているな」

「それもまさしく運命的よな、よりにもよってあのふたりが戦うとは。気紛れの行動が巡り巡って幸福となってわらわを満たしてくれる、これほど愉快なことはない」

 この出来事はどれをとっても那殊を喜ばせる話題しかならないのだな、と諦めつつ、神蛇侘は問う。

「それで、あの〈鬼神〉はどうする。見境なしに自分の敵とした相手を破壊するだけの存在だ。鬼人も幾人か屠られている。始末した方がよいのではないか」

「始末したいの間違いではないか?」

「ああ。奴が殺した鬼人はなかなかに強力だった。これを機に手合わせしたい」

「つくづく闘争本能の塊だの、おぬしは」

 愉しげに笑うが、那殊は首を振って提案を却下した。

「わらわは必要ないと判断する。あの者の動きもわらわの娯楽での、潰されてはかなわん」

「我の娯楽も奪わぬで欲しいがな。その悪趣味なものと云い、お前は遊びがすぎる」

 片眉だけ上げて、燃え盛る鬣を揺らす神蛇侘(カンダタ)は那殊の手の中にある"ソレ"を見ながら云った。

「悪趣味とは失礼なことをいいよる。これはわらわの宝ぞ。家宝といっていい。家はないがの」

 見目麗しい少女は椅子の肘掛けに肘を突いて、指先で"ソレ"を弄ぶ。"ソレ"を見る少女は両目を愛おしいそうに細めて、頬をうっすらと上気させる。思い人に恋い焦がれる童女のようであったが、彼女がその視線を向けているものがなんであるかを見れば、誰しもその正気を疑っていただろう。

 "ソレ"は人の手だった。指の配置からして、"ソレ"は誰かの"右手"であることがわかる。手首から上はなく、切断面から覗く血管や骨は歪に捻切られているのが把握できたものの、それは不思議と綺麗だった。骨や筋肉の繊維こそ不揃いであるものの、醜くはなっていない。そもそも捻切られているはずが、その右手は切断面から飛び出た突起物以外はまったく損傷らしきものも不揃いな部分もないのだ。

「本音を云えば切断面も綺麗に修復したかったのだがのう、この捻くれた骨を切り落とすのも忍びない」

「そこまで人の身体の部位に執着する感性はさすがに理解しがたいな」

「わらわも人の身体に欲情などせぬさ。ただ、この手は特別よ。わらわが彼奴から奪ったものよ。興奮するな、などとは無理な話ぞ」

 その手から目を離さない那殊に、神蛇侘は呆れて屈強な肉の付いた肩をすくめた。

「そんなに愛おしいのなら、直接会いにでも往けばよいだろうに」

 神蛇侘の一言で那殊の呼吸が止まった。すると、そこで初めて那殊が目線を手から離した。

 腕を組んでいる紅い青年を見て、那殊は宝石のように美しい丸い瞳をこぼれんばかりに見開いた。

「……それじゃ!」

 那殊は答えを得たりといった風情で、勢い良く立ち上がる。

「そうじゃ、それよ、その手があったわ! なんで今まで気づかなかったのか!」

「いきなりどうした、騒がしい」

「いやなに、神蛇侘。おぬしはただの戦闘狂かと思っておったが、存外に知恵がまわるようだの。まさかこんな妙案を出してくれるとはな!」

 那殊は見た目の年相応にはしゃいだ様子で、それは現実離れした美しさと握った"右手"さえなければどこにでもいる少女のようであった。

 一方、破壊の化身は那殊のはしゃぎようとは対照的に冷めた目をしていた。

「……まさか、今まで気づかなかったのか?」

「その通り……って、そんなわけないわい。ただわらわとしても、彼奴に少しばかり奥ゆかしくも遠慮をしていたというかだな、まあ精神的に休ませてやろうとか選択する時間を与えてやろうとかそういう慎ましい気遣いの賜物であってだな……」

「わかった。わかったからもういい。まったく、雌というのはうるさくてかなわんな」

 神蛇侘は眉間に皺を寄せる。その表情だけで並の人間は恐れのあまり腰が抜けてしまいそうなのだから、この青年は人の形をした猛獣としかいえない。

「そうよそうよ、わらわが会いに行ってはならぬ理由はなかったのだった。なんでもう少し早く気づかなかったのか。うーむ……さて、そうすると行くのはいつがいいかの。今すぐというのも雰囲気に欠ける。なにかの記念日がよいか、いや、わらわと再会した日こそがふたりの記念日、なんての……ふふふっ」

 そんな神蛇侘を尻目に、那殊はたくましく妄想を膨らませる。

 那殊は熱い吐息をほうと吐き出して、"右手"を胸に抱いた。"右手"は血こそ流れていないものの人肌の温もりがあり、新陳代謝もする。那殊がそういう風に調整したのだ。

 胸に広がる人肌の温度にますます悦びながら、那殊は瞼をおろす。そうすると体温をもっと身近に感じられた。

「待っておれよ、千歳。わらわが、わらわが今――そこに往く」


     *


 それもまたこの世界のどこか。

 街角の、路地裏の、人目につかぬ闇の間隙。そこにひとりの剣鬼がいる。

「――っ、はぁ……っ、あ、ぎぃ……ガアアアアアアアッ」

 喉を締め付けられたようなうめき声をあげて、勢いに任せて剣鬼は刀を振るった。水色のゴミ箱をその背後の壁ごと両断した。ゴミ箱の中身が路地の地面にぶちまけられ、すえた臭いの漂う空間にさらなる汚臭が加わる。鉄筋コンクリート製の壁は中身の鉄ごと斬り裂かれていた。

「グウウウウウ……カァ、ハッ、う、あ、……――っ」

 猛獣のうなり声をあげて乱暴に――それでも芸術的な太刀筋で刀を振るい、手近なものを解体した。

 フードを深く被り、コートに身を包んだ剣鬼は、手当たり次第に暴れまわった。痛みに、呪いに、なにかに抗うように。それは恐怖から逃げるためか、怒りに狂っているからなのか、推し量るのは困難だった。

 そうしなければ死んでしまうという脅迫観念に取り付かれているのか、何かへの逃げ道としているのか、とにかく剣鬼は奇声をあげながら手当たり次第に破壊する。

 そこに、別の異音が乱入する。

「おい、うるせえぞ! 喧嘩なら余所行ってやれ!」

 どこかの店の裏口にでもなっているのか、薄汚れた扉が開く。身体を出したのは厳つい顔をした、あまり品の良いとはいえない大柄な男だった。人を威圧するような目は、しかし剣鬼を見た瞬間に情けないものへと歪んだ。

 辺りに散乱する残骸は、暗がりでは人の内臓がさらけ出されたようにも見えた。その中で刀を握る剣鬼の姿は、人に生命の危機を抱かせる狂気を衣としてまとっていた。

 剣鬼はフードの合間から、濁った目を覗かせた。だらんと腕を垂らし、首を傾けて大柄な男を見やる。睨んだわけでもないが、ただそれだけで男は喉が引きつり上手く発音ができなかった。

「お、お前、まさかっ……噂の通り……魔!?」

 腰を抜かす男に剣鬼は無感情なガラス玉の眼球を向けた。

 見られた。

 なら、早急に立ち去ろう。

 剣鬼は左右に身体を揺らしながら、それでもしっかりとした足取りで路地裏を放浪した。

 遠くからサイレンの甲高い音がする。騒がしいBGMを背後にして、剣鬼は行き先も考えずに歩みを進めた。


 プロローグである0話を序章とするならば、ハイジャック編までが一章、そして今回の襲撃編が二章となります。あ、名前は今適当にでっちあげました。

 どうも、作者です。最近あとがきはなるたけ書かない方針にしたので、こちらではあまり私語がないですが、あとがきでこんな奴なんだと思ってもらえれば。興味ないといわれたらそれまでなんですが。


 この17話は、作者である自分の体調のせいで一週間更新ができませんでしたが、その分細かく推敲などをしたので、それで。いつも通り一回だけなんですがねー。


 さて、楽しんでいただけているでしょうか。趣味全開ぶっちぎりで書いているために色々と既視感を覚えられる方もいるかとは思いますが、ぶっちゃけそれが元ネタです。多分。

 科学的なこととか、そっち方面の用語もちょっと悲惨です。キーワードにもどきといれてありますし、リアル分はあまり期待しないで欲しい。

 作者お気に入りキャラは那殊。ヤンデレっていいですよね。むしろ狂気デレ? まあいい。謎だらけキャラですが、まあ序章とか見ると明らかに色々なことの原因であるのは確定的に明らか。

 ちなみに、次回更新は未定。早くて夏開けくらい。間にダブルクロスというTRPGのSSをやる予定なので、そちらをちょろっと覗いてやってくださいな。


 感想批評一言メッセージからランキングクリックまで、常にお待ちしてます。ではでは。

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