16:Metal Attraction
火花が散った。
紅い紅い、大輪の火花が散った。
刃金が黒金を打倒した。〈天斬〉の刀は針の穴を通す精確さでヴルカーンの一度修復され強度が落ちた箇所に入り込み、最小の労力でヴルカーンに何度目かの死を与えた。
落下していく斬れた砲身。それが地に落ちるより早く、〈千手羅刹〉が本体のヴルカーンを手放した。
〈千手羅刹〉の背後より二本の腕が飛び出す。これも筋繊維のように捻れたコードの束により制御された腕。すべてを追撃にまわすのではなく、背後にふたつ隠していたのだ。しかもその腕には一本づつ高周波振動ナイフが握られている。
神国軍で使われている刃渡り一.八メートルのナイフに、鑞国軍の刃渡り二.五メートルの大型ナイフ。両者が国境を越え使用国家の区別なく、ひとしく平等に金切り声をあげて〈天斬〉を襲った。
左右から円弧を描き、正面の敵からの攻撃とは思えぬ角度から飛来する凶器。
振るったばかりの左手首を返し、半ば強引に刀を扱う。接触までコンマ数秒の世界で左からの腕は断たれた。だが、不随になった〈天斬〉の右腕側から来る凶刃までは対応し切れない。
〈天斬〉の脇腹を鑞国製高周波振動ナイフは唸りをあげて貫いた。装甲をぶち抜き獲物に喰いついた狗は歓喜を浮かべて内臓をむさぼる。
喉の奥から声を絞り出して、千歳は刀を横に薙ぐ。〈千手羅刹〉の下半身をなくそうとする鋭い一撃。だがいかに千歳といえど機能低下した機体、その片腕だけでの剣筋は初撃より鈍い。
〈千手羅刹〉が〈天斬〉の左腕を掴み、刀を押しとどめた。力と力が拮抗して、関節が強い負荷を訴える。千歳は〈狂剣〉の刀を悩む間もなく手離した。そして左手首をひねって〈千手羅刹〉の腕を掴む。同時、裳部中央に光が収縮し、解き放たれる。
〈千手羅刹〉、アブラムに見せるのは初めての裳部ビーム砲による不意打ちは見事に敵の腕を貫通した。拘束から逃れようと〈天斬〉が腕を振れば装甲一枚で繋がっていた〈千手羅刹〉の腕は容易く引きちぎれる。
脇腹にナイフを刺された状態では、刀を拾う時間的猶予はない。現在もっとも素早く使用できる頭部機関砲を至近距離で斉射した。〈天斬〉頭部から分速四〇〇〇発の速度で七六ミリ弾が〈千手羅刹〉に叩き込まれた。敵の装甲が吹き飛び、よろめく。だが、撃って破壊した時にはもう再生が始まっている。驚くべきことに〈千手羅刹〉の再生能力は機関砲の最大連射速度に対抗していた。
渇いた音を立てて、機関砲が弾切れを告げる。これで正真正銘、武器はなくなった。武装をなくした兵器は、もうやられたも当然――それでも、人型を模したGAにはまだ最終手段が残されている。
拳と、足。
機関砲が弾切れになるよりも一足早く〈天斬〉は右足で踏み込んでいた。腰をひねり放つ拳は人体で打つ場合と同様に加速し、激突する。
左拳が〈千手羅刹〉の眉間に突き刺さった。〈天斬〉の膂力から繰り出される文字通りの鉄拳は、自らのマニュピレーターを損傷させながらも敵対象を弾き飛ばす。
よろめいた〈千手羅刹〉がまだ原型を保っていたビルに背中から衝突し、押しつぶしながら半ばまで埋没した。
そして敵に隙が生まれる。〈岩砕神〉の攻撃が確実に命中する決定的な、それ。
「よし、これで……、ッ!?」
千歳の声が途中から驚き、いや、困惑に変わった。脇腹に刺さったままのナイフとそれを保持する腕を引き剥がそうとした〈天斬〉が動かないのである。意志を伝達させようとしても、まったく反応がない。操縦桿を乱暴に動かすが、それもなんの効果も現さない。脇腹の傷はそれほどまでに深刻な痛手だったのか、と冷や汗が千歳の背筋を流れた。
〈天斬〉のエネルギーが急激に減少し、稼働領域に達することができなくなっていた。戦闘稼働は通常稼働に。
「レムリア、これは……!」
「動力炉を酷使し過ぎた。これが、今の〈天斬〉の限界」
レムリアの声は焦りと苦々しさが混雑していた。
動きを止めた〈天斬〉を断続的な振動が襲った。エネルギーが枯渇した〈天斬〉、予備電源で生存している液晶に映し出されたのは機体に組み付く無数の腕の姿だった。後方から戻ってきた腕の群が〈天斬〉のいたるところを掴み、呪縛する。
《やってくれたなァ、蟲にも劣る蛆虫が。しかし無駄な努力だったな!》
怒り心頭の様子でアブラムが吼えた。それに比例して〈天斬〉に加えられる力が増大し、装甲が圧壊する。
動力の停止により身動きができなくなった〈天斬〉には無数の腕に抗う力はなかった。その姿はさながら蜘蛛の巣に絡められた蝶だ。
腕による圧力が増し、四肢に力の入らない巨大な機械人形と化した〈天斬〉を容赦なく締め上げる。
「…………ッ」
嫌な記憶が千歳の脳裏に浮かび上がる。それはやはり忌まわしき三年前の光景。あの時もGAを敵により撃墜ではなく機能停止にされ、その後に敗北を叩きつけられた。
あの頃から自分は変わっていないのか、と千歳の中に身を焦がす怒りが生まれる。が、すぐに湧き出したこの三年間の記憶により鎮火される。そうだ、変わるものか。自分は前に進もうとはしていなかった。ただ逃げて、戦士ともてはやされた自分から生粋の兵士へと変わろうとしただけだ。横路に逸れただけで、前に踏み出してなどいない。でなければ、三年という出来事を一瞬で思い出すことなどできない。千歳の三年間とは密度の薄い、ただ過ぎ去るだけの日々だった。
帝都の基地で待つ雷華の顔が脳裏に浮かぶ。
再開した雷華は、成長していた。巨大財団の代表者をすぐにでも継げるほど立派に。厳しい社会に揉まれながらも芯の強い可憐な女性に成長し、それでも千歳に気を遣うこともできる。それでも彼女は千歳より年下だ。
どれだけ自分は弱いのか、痛感させられる。なのに、それでも、陵千歳は変わっていない。本当は少しくらい成長していたのではないかと淡い期待はあった。だが、それは今打ち砕かれた。自分はやはり彼の敵により敗北させられる弱い存在なのだ。
〈千手羅刹〉が無事な方の腕を貫手の形で引いた。人工筋肉が弓のように引き絞られる。それで意識が強引に引き戻された。
前回と違う部分があることを思い出す。三年前は少なくともGAの中は自分ひとりだった。しかし今はレムリアがいる。彼女は関係ない。自分の葛藤もそれにより苦悩も彼女の死には関係があってはならなかった。死ぬのが自分ひとりだったなら諦めていたかもしれない。でもそれに巻き込まれる人間がいるとなったら話は別だ。もう自分に巻き込まれて不幸が伝染するのを見るのはうんざりだった。
「クソッ、動けよ〈天斬〉――!」
しかし、意志を持ち直したからといって、それで状況が好転するわけがない。〈天斬〉は物言わない巨大な柩のままだった。
無抵抗にならざるを得ない〈天斬〉を見て、アブラムは下卑た嗤い声を発した。
《トドメだ。無駄な抵抗だったな!》
『いいや、それで充分だ』
貫手が放たれようとした瞬間、チェスナットブラウンの巨体が〈千手羅刹〉に衝突した。
「岩、砕神!?」
足を負傷してから動けなくなっていたと思われていた〈岩砕神〉が、スラスターとブースターの生み出す膨大な推力だけで飛び出していた。〈岩砕神〉の直線における圧倒的加速は、慢心するアブラムでは到底察知することはできるわけがない。足を撃たれてからまったく移動ができない素振りをしていたのはブラフだったのである。
ヘルブリンガーを挟んでぶつかった〈岩砕神〉により、〈千手羅刹〉の身体が傾ぐ。
それを〈岩砕神〉が敵の機体を掴んで無理矢理立たせた。
『確実に一発でお前を斃せるようにする、という任務をこいつは達成したんだからな』
ヘルブリンガーの斧部分が〈千手羅刹〉に叩き込もうとする。動けないのがブラフだったといえども、機体が度重なる戦闘で損傷しているのは事実であり、そのため大重量武器であるヘルブリンガーを扱う動作は鈍い。故にアブラムの対応が間に合ってしまった。残った片手でヘルブリンガーの柄部分を掴んで動きを止める。だが、ここからが通常の武器とは違うヘルブリンガーの真価。
重力波が放出され、〈千手羅刹〉を押し潰す――。
地面が砕けた。
瞬間的に放出された超重力場により人工島の地面はひび割れ、隆起する。その圧力は〈千手羅刹〉をも呑み込んだ。
腕がひしゃげ、押し潰れ、圧縮され、ペースト状になる。足は重量に耐えきれず関節から引きちぎれて腕と同じ末路を辿った。頭部と身体も歪なオブジェへと変わる。
が、それでも。
《その玩具、代わりに頂こう!》
〈千手羅刹〉は死んではいなかった。
重力波が消えたのは見計らい、〈千手羅刹〉からコードが伸びる。それは〈岩砕神〉へと接触すると装甲に血管状の刻印を浮かばせながら侵入した。それは急速に〈岩砕神〉の中で広がっていき、根を広げ、侵略する。
『ぬ、これは……』
『システムに侵入してデータを書き換えているの!? 制御が乗っ取られようとしていますっ』
今までは壊れた機体のパーツを利用するために使っていた機能をアブラムは〈岩砕神〉相手に使ったのだ。酷使されて機能を低下させた〈岩砕神〉はコードから逃れることができない。それ以前にシステムのデータを書き換えられ、動くことすらままならなくなる。
アブラムが哄笑を発した。勝ち誇り、己の勝利に歓喜する。
《甘いな、わたしは他者を利用し頂点に立つ男だ。貴様らが使えるものはひとしくわたしの所有物となるべきものなのだよ。他のバグとは違い高度な知能を与えられ鬼人と変えられたわたしにかかれば、人間の構築したシステムに手を加えるなど造作もないわ!》
〈千手羅刹〉とアブラムの浸食は機体を蝕む。やがては無数の腕と同じ運命を辿るだろう。つまり、傀儡。意志を奪われた人形と成り下がる。中にゲラートと桜姫を内包して。
重力波によりコードが引きちぎられて腕の拘束から解放され膝を突いたまま動かない〈天斬〉の中で、千歳はふたりに向けて通信を飛ばす。
「ふたりとも早く脱出を!」
出なければ、ふたりを乗せたままの〈岩砕神〉が敵のものになってしまう。そうなれば、オキサリスの軍がふたりを殺すことになる。そんな惨いことは考えるだけで吐き気がした。だから、千歳の声は酷く切羽詰まったものになっていた。
そして〈岩砕神〉は動き出す。ゆっくりとじらすように、素人に扱われるマリオネットのように、〈岩砕神〉がヘルブリンガーの矛先を揺らした。
『システムの書き換えが、終わりました』
桜姫の静かな声が残酷な宣告を口にする。それは絶望的な質量を持ってその場の人間にのし掛かった。
《これが、わたしの力さ》
得意気なアブラムの声が千歳には苛立たしかった。正確にはアブラム・アクトンだった者が発する声に耳元で羽虫が飛び交うような鬱陶しさを感じた。アブラムには罪はなく、そうした者に罪があるのに、アブラムの声に怒りを覚えるのを抑えられない。
ヘルブリンガーが射撃体勢に移行した。中央が左右に割れて砲身が迫り出す。それは意志によって標準を定めた。
地面に斃れた〈千手羅刹〉をしっかりと。
『はい、システムの書き換えは終わりましたよ。貴方に変更された部分の、ね』
《――――はっ?》
アブラムの声がいやに間抜けだった。
『貴方のような感染者に書き換えができるなら、私にできないわけがありません。私のような鬼人の頭は、世界一優れた生体コンピューターなんですから』
《そん、な……わたしも鬼人に、鬼人になったのだ! なのに何故わたしの攻撃が無効化される!》
『貴方が、劣っているからです。感染者と鬼人は別物ですから』
《違う、わたしは鬼人だッ、意志があるのがその証明ではないか!》
『違います』
桜姫は縋りつくようなアブラムの言葉をばっさりと切って捨てた。
『鬼人には、なろうと思ってなれるものではないんです。望まずともそう変えられてしまうものなんですよ。だから貴方は感染者です。ちょっとだけ優れた感染者で、貴方が即席で作り上げたその機体もちょっと優れた〈偽神〉。〈鬼神〉じゃありません』
《な、ぁ……馬鹿な! あの御方はわたしは優れた人種だと、選ばれた次代を担う超越者だといったのだ! わたしはそう変えてもらったから、あの御方に尽くしたのだぞ! だからテロリストまで潜伏させて邪魔な人間を消去しようとしたというのに――ッ!》
ゲラートが、平坦な声で告げる。
『……終わり、だ。アブラム』
ヘルブリンガー・エアシーセンが放たれる。威力が絞られた一撃は、しかし敵を殺すには問題なかった。
鮮やかな光が、敵を、〈千手羅刹〉を、焼き払った。
――それで、ようやく長い戦いが終幕することとなった。
高熱で表面がガラス質に変わってしまった地面の前で、〈岩砕神〉が力を使い果たして斃れる。粉塵が舞い上がり、巨体を淡いベールで包み込む。まるであの機体を祝福する女神の包容のようであった。
『ちぃとばかし、無理が過ぎたな。もうこれ以上は動けん。〈岩砕神〉もオーバーホールをしないとな。向こう数ヶ月はまともには動かせんぞ、これは』
〈岩砕神〉が斃れた時はヒヤッとしたが、元気そうなゲラートの様子に千歳は胸をなで下ろした。
「戦闘終了、か」
「一応はね。でも、まだ面倒は終わってない。私達は帰らなきゃいけないから。……この状態では帰れないけど」
「後続の輸送艦に収容してもらうしかないか」
今の〈天斬〉で帰るのは不可能だ。そもそもエンジンが動いてすらいない。しかも試作機の修理がオキサリスでおこなえず、専用施設がある帝都の基地でしかできない。
そもそも、今のオキサリスに余所の機体を修理してくれるだけの余裕があるわけなかった。
コクピットの液晶一面に広がるのは悲惨な惨状だ。大災害の跡。何度もいうが、〈鬼獣〉の存在は正しく天災であるのだ。なんの前触れもなく現れ、殲滅されるまで暴れまわり、大地を破壊する。殺しても殺しても無限と湧き上がる醜悪な害獣。それは最早生物と認識することは出来ず、その性質故に自然災害の一種であると認識される。しかも対抗策があってもそれで完全に被害が抑えられないところなど、まさしく地震や台風のようである。しかも彼らの血液には人体を変異させるウィルスが潜伏しているのだから、オキサリス一帯は消毒しなければまともに立ち入れないだろう。大気に触れると死滅するとはいえ、もしもがあっては困る。それが人の死に直結するなら尚更だ。
それに蹂躙されたオキサリスの死者や負傷者の数はいったいどれほどのものか。想像したくもない。が、職業が職業だけにその数を知るのは避けられないし、避けてもならない。守るべき立場にいる人間として、守りきれなかった犠牲者の数を認識し、戒めとしなければならない。たとえそれが元から千歳に救えなかった命だとしても、だ。
そして生き残った人々も無事では済まない。家族や友人と引き離された者、家屋はなくなり行き場を失った者でオキサリスは溢れる。昨日までは〈鬼獣〉のせいで平穏とはいえずとも、それでも無事に生きていられたのに、それが唐突に奪われたのである。いくら〈鬼獣〉という存在が身近にあったとしても、彼らの精神的苦痛は計り知れない。そこに肉体的苦痛も合わされば、人間が世界に絶望してしまうのは避けられぬことだった。助かった命を投げ出す人間もいるに違いない。
その事実が途方もなく、重い。敵がいなくなっても千歳の中には達成感がまったくなかった。これで〈鬼獣〉との闘争が終わったわけでもない。世界のどこかで常にこのような戦闘は頻発しているのだから。
少なからずオキサリスの危機を和らげられたと自負しているのに、それは免罪符になり得ない。ただ、雷華に後押しされて救援に来なければもっと後悔していただろうことだけは、確かだと思えた。それが少しだけ、千歳には救いだった。
落ち込んでいても仕方がない、と千歳は顔をあげる。ひとまず危機は去った。退けた。兵士としての責務はなんとか果たせたのだ。今だけはその事実を喜んでもいいではないか。いつまでも気を滅入らせていては、周りに空気が伝播してしまう。一時だけでも、笑顔は無理でも平静は装っていよう。
「ゲラート大尉、桜姫さん、お疲れ様でした。お怪我はないですか?」
『ああ、オレも桜姫も怪我はない。無事、だ。……一応な』
「…………っ?」
ゲラートが言葉を含んだことに千歳は違和感を覚える。とっさに何かと訊ねようと口を開き、
《やってくれたなァ、人間ッ!》
突然襲いかかってきた衝撃で危うく舌を噛みそうになった。
それはすぐ側の地面を突き破り、現れる。グレーを基調に塗装された巨大な兵士――〈防人〉だった。しかもその〈防人〉は戦闘をおこなっていないのか損傷がまったくない。
「な、に……!?」
千歳は〈防人〉と、そこから聞こえた声に目を瞠った。
「アブラムかッ!」
《わたしの〈鬼神〉をよくも破壊してくれたな! 許さんぞ……死でもって贖わせてやるッ》
『貴様、いつの間に……確かに機体は撃ち抜いたはずだ!』
ゲラートは確実に〈千手羅刹〉を破壊した。それは疑いようもない。コクピットどころか、胴体すべてを消し飛ばしたのだ。その前に脱出できたとしてもただで済むわけがない。
《そんなもの決まっているだろう? 最初からわたしはその機体に乗ってなどいなかったのだよ。有線で他を制御していたからといって、無線制御が出来ないと思ったか、無能共め》
本体はずっと地面に隠した〈防人〉の中で高みの見物と洒落込んでいた、ということらしかった。それならばアブラムが見せた思い切りの良さも納得できる。なにせ本人は別の場所にいて、ゲームでもするように操縦していたのだ。しかも〈千手羅刹〉には自己再生機能がある。これで及び腰になるわけがない。
「でも近くにいたってことは、その無線もたいしたことないみたい。有線制御機能はあの機体に別で搭載してたりして。……慌てすぎだったし」
《黙れ雌豚がッ》
「なんだ、図星。わかりやすい」
〈防人〉が機能を停止させた〈天斬〉に向き直る。バイザー状のセンサー保護材が怪しく光った。
ウェポンラックから高周波振動ナイフを引き抜くと、エネルギー供給が開始され刀身が震えた。
《そうか、まずは貴様らからトドメを刺してやる》
「なんでわざわざ挑発するようなこというんだ!」
「こっちが狙われた方がいい」
「〈天斬〉だって身動きできないだろう!」
〈岩砕神〉と違って〈天斬〉はエンジンが起動すれば戦えるが――そもそもそれができない状況だからこんなピンチになっているのだ。
『千歳、脱出しろ!』
〈防人〉は目の前にまで近づいていた。完全にお互いの間合い。〈天斬〉も腕を延ばせられれば斬りつけられる。つまり、もう〈防人〉のナイフの射程内。脱出は無理だ。間に合わない。
高周波振動ナイフが振りかぶられる。
時間が、引き延ばされた。総ての動作が、時の流れが、間延びする。
ナイフの軌跡はコクピット直撃コース。〈天斬〉の装甲ですら保って数秒。そうすれば刃はコクピット内に侵入し、内部の人間に、千歳とレムリアに死を与えるだろう。
――どうする?
自問する。が、そもそも機体が動かないのに対応のしようがない。
ナイフの切っ先は落ちる。後数メートル、規模を人間サイズに落とし込めば数十センチ。瞬きする余裕すら残されていない。
心臓が早鐘を打っていた。耳の中の血管が脈打つ音は大音量の音楽でも流されているようで五月蝿かった。しかしもう音はしない。次に心臓が脈打った時は既にナイフが達している。
――動け。
〈天斬〉が動けば、なんとかなる。なんとかしてみせる。そんなもしも、の可能性に頼りたくなる。戦場でそのように現実を直視するのを止めれば死ぬ、現状の中で生き残る術を探せと、教わったのにだ。
ナイフは止まらない。刃先がコクピットの装甲に触れた。刃はゆっくりと鋼を切り裂く。
――動いてくれ。
死ぬのは自分だけではない。背後のレムリアの命もなくなってしまう。雷華のところへ帰って謝るということも出来なくなってしまうではないか。それは、嫌だ。絶対に、嫌だ。しかし、そんな感情だけで人は生き残れない。現に今日は数え切れぬ人が死んだ。千歳もその死んだ人間のひとりに数えられることになるだけだ。世界に、人に、神の慈悲はない。だから、死ぬ。死んでしまう。ここで、千歳とレムリアは死亡する――。
それでも、千歳は拒否する。その中のひとりにまだ自分と背後の女性の名前は刻めない。
だから、
「動けよ、〈天斬〉――ッ!」
高周波振動ナイフは〈天斬〉を切り裂いた。
コクピットの装甲を裂き、厚い鋼の積層装甲を貫いた。千歳の予想はけして現実に背かなかった。
ただ、内部の人間は殺せなかっただけで。
〈天斬〉の左マニュピレーターが、高周波振動ナイフを掴んで止めていた。
〈天斬〉は高周波振動ナイフを押し返し、コクピットから引き抜くと――力で刀身をへし折った。手の中に残った刃をお返しとばかりに〈防人〉に突き刺す。高周波振動を止めたはずの刀身は〈天斬〉により力ずくで装甲を貫かされた。
「これは……動力炉が動き出した!?」
千歳は驚きの声を上げた。しかもディスプレイに表示された動力の総出力は〈天斬〉が普段発揮しているものの倍以上、さらに天井知らずで上昇を続けている。
だが、奇異なのは他にもある。
そもそも、千歳は今〈天斬〉を操縦していないのだ。
《な、なんだ貴様はッ》
アブラムは〈防人〉に拳を作らせ、突き出す。だがそれは即座に〈天斬〉の正拳突きで真っ向から破壊された。マニュピレーターを押しつぶし、骨組みを粉砕し、内部機器を撒き散らす。
さらに〈天斬〉の左手は腕を肩まで潰すと、〈防人〉の頭部を掴んで果実のようにもぎ取った。
よろめいた〈防人〉に、〈天斬〉は腹部に膝がつくほど溜めた足底で蹴り飛ばす。
〈防人〉は吹き飛ばされはしなかった。瞬間的に加わったあまりの力に吹き飛んで衝撃を分散させるよりも、上半身と下半身を引きちぎられる方が早かった。
地面に伏した上半身を、〈天斬〉は踏み潰す。オイルが噴水のように飛び散った。
まさに、圧倒的戦闘能力。片腕が使用不可で機体各部の稼働状態が低下しているにも拘わらず、万全の〈防人〉を歯牙にもかけぬ強さに、千歳は言葉を失う。
「なんだ、なんなんだ、これは……」
そもそもこれは〈天斬〉と〈防人〉に性能差があるからとか、そういうレベルの話ではない。自立行動をし素手で高周波振動ナイフをへし折り、拳を砕き、蹴りで胴体を引き裂く戦闘能力。
〈天斬〉は片手に人間の脊髄のような骨格とコードを垂らした頭を持ち、足では敵を踏み潰して見下ろしていた。
これではまるで、
「〈鬼神〉じゃないか……」
呆然と口からでたのは、そんな単語だった。