13:無銘刀
「――やめろおおおおおッ!」
〈天斬〉の背部ブースターを限界まで噴かせて千歳は飛び出していた。
漆黒のそれが刀を振り下ろすまでの動きは、意外なまでに緩慢だ。狙いを一点に定め、確実にそこを貫こうと吟味している。だから、〈天斬〉は間に合った。
割り込み、光子剣による一撃。
空間に一筋の軌跡を残すが、手応えはない。痩身の人型はその場を即座に飛び退いて光子剣を躱していた。
地面に着地するまでの一連の動作は獣のようにしなやか。
〈岩砕神〉と痩身の間に〈天斬〉を着地させて、光子剣を油断なく構えた。だが正面で見据えているのに、見えない敵と相対しているかのように心臓を掴まれる不安があった。重圧。これは意志なき〈鬼獣〉などとは比べものにならない。質量を持った並々ならぬ気迫、否、鬼迫である。
敵も頭部の兜の役割を果たすのであろう甲殻のスリットからぼうと光る両目で〈天斬〉を見た。カメラ越しではなく、直接自分を見据えられるような緊張感が千歳を襲った。
あれの正体を、千歳は知っている。正確には〈鬼獣〉内での分類だが――あのような人型の敵を、人は〈鬼神〉という。その能力は重機士に相当する。そもそも重機士自体が〈鬼神〉と戦い勝利するために製造されたのだから、その性能は推し量るまでもない。しかも、あろうことか既に〈岩砕神〉を下している。
驚異的な能力。単独で人類を蹂躙する理不尽な暴力の化身、それが〈鬼神〉だった。
〈天斬〉でさえも、〈鬼神〉を前にしては吹かれて消える灯火に過ぎない。
「レムリア、あの〈鬼神〉のデータはあるか?」
けして威圧的な外見を持つわけではない敵にこれ以上ないほど警戒しながら、千歳は乾いた喉を震わせた。
「……あった。神国内で散発的に出現している〈鬼神〉、識別名称は〈狂剣〉」
「狂、剣……」
大太刀一振り以外、〈鬼神〉の武器は見当たらない。隠し持っているかもしれないが、これが主武装なのだろう。それは識別名称が物語っている。
「〈偽神〉の〈鬼神〉、ではないよな」
有り得ない、と自分で思いながらも、千歳は重圧をごまかすために喋ってしまう。
「違う。間違いなく本物。あんなのが〈偽神〉だったら、人類はとっくに滅んでる」
〈偽神〉とは〈鬼神〉に酷似した外見を持つが、能力は比べるべくもないほど劣化した人型の〈鬼獣〉だ。とはいっても、能力は〈屍鳥〉などを上回ってはいる。個体数が少ないので、戦場で会うことは滅多にないが。
三年前に戦った〈偽神〉だったなら、〈天斬〉で斃せただろう――。と千歳はくだらないことを考えてしまった。
〈狂剣〉は、ゆらりと切っ先を〈天斬〉に向けながら、こちらを吟味でもするかのように動かない。ただ、〈天斬〉と千歳、レムリアを推し量ろうとしている。安易に切り込んでこない様は、武士のようだ。狂というより冷という言葉が似合う。
千歳も〈狂剣〉の一挙手一投足を見逃さぬよう、まばたきせずに注視する。
その背後で、重たい物体が動いた。瓦礫を押しのけ、オイルを滴らせながら、斧槍を杖に立ち上がる。
『ぬぅ……千歳か?』
「ゲラート大尉、桜姫さん、ご無事ですか」
『当たり前だ、オレを誰だと思ってる』
『なんとか、間一髪助かりましたぁ』
〈岩砕神〉が土煙に汚れたボディを億劫そうに起こす。右肘から先を切断されており、露出した人工筋肉に硬化したオイルがこびりついていた。もうほぼすべてのオイルは流れ出しており、その機能は意味をなしていなかった。
『千歳、気をつけろ。このタイミングで現れたんだ、その〈鬼神〉は、今回の首謀者に違いない!』
「わかっています」
今まで潜伏していたのだろう。形勢が不利になったのを悟って、この〈鬼神〉は現れたのだ。状況を根底から覆すために。
〈狂剣〉はしばしの沈黙ののち、首を傾げ、
――――疾る。
否、それは、転移というべきなのか。
刹那も待たずに、〈狂剣〉は〈天斬〉の懐に飛び込んでいた。
「――――――なっ!」
速いだとか、そういう次元の話ではない。
〈狂剣〉はタイムラグなしに〈天斬〉の眼前に迫っていたのだ。
刀が振るわれる。それをとっさに受け止められたのは、〈狂剣〉が本気ではなかったのか、それとも既視感を覚える太刀筋だったためなのかはわからない。どちらにしろ、奇跡的な偶然が深く関わっていることは疑いようもなかった。
光子剣と刀が鍔迫り合う。高周波振動ナイフすら熔断する光子剣、しかし刀はびくともしなかった。それどころか、光子剣を押し返している。常識では考えられない耐熱性。硬度。強靱さ。
ジリッ、と〈天斬〉の足が地面を引っ掻く。押し負けている。この〈天斬〉ですら膂力で劣っていた。
それほどまでに、脅威。
『破ああああああっ!』
横合いから〈岩砕神〉が片手で振り下ろした斧槍を〈狂剣〉はステップで回避する。金槌と見紛わんばかりの凶器は地面を叩き、コンクリートを重力波と質量で粉砕した。
通信で桜姫が警告する。
『あの〈鬼神〉は短距離転移を行います、気をつけて!』
「短距離転移?」
「平たくいえば、ワープってことなんだと思う」
「先にいって欲しかったよ!」
それはつまり、障害物や物理的距離を無視していつでも間合いに入られるということである。あの刀を扱う〈鬼神〉がいつでもこちらと肉薄できる、その事実に背中が粟立った。何度も奇跡は起こらない。だからこその奇跡。一瞬後には、自分が両断されているかもしれないのだ。
〈岩砕神〉がやられたのも、おそらくはそれが原因だろう。慣性制御があろうとも、大質量の武器であるヘルブリンガーは扱えば隙は生まれる。ゲラートは通常ならばそれにつけ込まれないような戦い方をしているだろうが、さすがに転移で懐に飛び込む敵は想定していない。先程のような不意打ち気味の転移ならば、腕を切り落とされるのも納得だった。
つくづく厄介。人類の宿敵、それが〈鬼神〉である。
膝を曲げて着地する〈狂剣〉の頭上から、弾丸が降り注いだ。
――Guuuu……ッ
着弾点には〈狂剣〉はいない。短距離転移によりそこより三〇〇メートル以上離れた地点に移動/出現していた。
銃撃をおこなったのは、千歳とレムリアが目撃した鑞国の部隊である。八機の鉄人が燦然たる陽の光を受けながら、アサルトライフルを構えていた。
《こちら鑞国軍、第二、第四少隊。これより援護する》
『待て! 迂闊に手を出すな!』
しかし、その声は天を往く鑞国の人間には届かなかった。
銃撃が開始される。
〈クラスナヤ〉、〈クラスナヤ・ヴォルク〉がアサルトライフルのトリガーを引く。マズルフラッシュを瞬かせながら、死の豪雨が〈狂剣〉を襲った。
空を埋め尽くす鉛の雨は〈鬼獣〉やGAを何度でも蹂躙できそうなほどの規模、だが〈狂剣〉にとっては焼け石に水である。
〈狂剣〉の姿がかき消える。同時に耳を聾する爆音。頭上で〈クラスナヤ〉が両断されていた。真上への空間転移。
背部と脹ら脛からスラスター――正確には、GAでいえばその役割を果たすもの――の光を発して、次なる獲物に斬りかかる。
鋼が鉄を斬り裂き、刃はことごとくの万物を一太刀で斬り捨てる。オイルと機械の雨が降った。
人機、一閃。
〈クラスナヤ・ヴォルク〉でさえ、赤子の手を捻るように両腕を切断される。あまりに素早い剣捌きにパイロットはわずかに理解を遅らせ――返す刀で斬り捨てられた。
動力炉を爆発させ、機器を臓物のように散らせていく。機械の徒花が宙に咲いた。
鑞国の部隊が混乱しているだろうことは、誰の目にも明らかだった。
『いわんこっちゃない!』
ゲラートが片手でヘルブリンガーを〈狂剣〉に向けて射撃体勢に入る。が、鑞国の機体を巻き込まずに動き回る〈狂剣〉だけを撃ち抜くには、ヘルブリンガーの出力は高すぎた。
「こちらが行きます!」
千歳は〈天斬〉を飛ばし、一陣の風となって〈狂剣〉に接近する。
――Gooooooッ
光子剣は刀で簡単に受け止められる。殺れるとは千歳も思わなかった。ただ鑞国軍から引き離すだけでいい。千歳は外部マイクで鑞国軍に呼びかける。
「今は撤退しろ! その状態では〈鬼神〉とは戦えない!」
鑞国の部隊の装備は、救援にくるだけあって充実していた。それでも〈鬼神〉からの奇襲を想定してはいない。体勢を崩してしまった今の部隊では、〈狂剣〉の相手は荷が重すぎる。
《し、しかし……》
いいよどむ相手に、千歳は有無をいわせない口調で、
「これ以上の損害は鑞国の威信に関わるぞ、退け!」
相手は自分より階級が上かもしれない。そんな考えが脳裏によぎったが、この場においてはあまり関係のないことだった。
《……退却だ!》
一機となった〈クラスナヤ・ヴォルク〉からの命令に、他の機体は異存があるようですぐに動かなかった。それでも〈狂剣〉の戦闘能力を目の当たりにしたからだろう、潔く退却していく。陽炎の尾を引いて遠ざかっていった。
『千歳、お前も退け!』
〈天斬〉が飛びのく。すれ違いに真下から閃光が放たれて〈狂剣〉の姿を消した。ヘルブリンガー・エアシーセンによる一撃である。
「直撃したか?」
「駄目、避けられた」
またしても〈狂剣〉は空間転移により射線から逃れていた。ほとんど無傷の漆黒の外装を太陽に反射させ、地面を踏みしめる。あの移動方法をどうにかしなければ、攻撃を当てることは不可能に思えた。
「なんて、規格外」
千歳は毒づくのを止められなかった。攻防一体の〈狂剣〉の動きに歯噛みする。
――Siiiiii!
〈狂剣〉が颶風となって駆ける。狙いは傷ついた〈岩砕神〉。
『チッ』
斬線を描いて迫る刀をヘルブリンガーで受け止める。武器の質量では〈岩砕神〉に圧倒的な分があった。押し負けはしない。難点は、片腕を失いバランスが狂ってしまっていることだった。
〈狂剣〉は肩で〈岩砕神〉に当て身をお見舞いする。速度が乗った物体の突進を受け止められるほどの余裕を〈岩砕神〉は持ち合わせていなかった。
『しまったッ』
機体が傾ぐ。斃れはしない。それでも隙が生まれた。刀でコクピットを狙うには充分なほどの。
「させるか!」
今度は〈天斬〉が光子剣で頭上から奇襲した。
真っ向唐竹割り。
光子剣は、やはり空を切った。〈狂剣〉は二機から離れた地点に悠然と立っている。完全に遊ばれていた。準重機士と重機士が、だ。
名前に違わぬその力に、千歳はおののく。でも、戦意は挫かれない。敵の姿を視界に収めて警戒する。精神が折れたらそこで負けだ。
敵は理不尽。その理不尽に対抗するには、常に精神を臨戦態勢におき、いかなる隙も見逃さぬこと。限りなく少ない好機、それにつけ込む。耐えていれば、必ず好機は訪れる。たとえ可能性が少なくとも、無ではないのである。
――Huuuu……ッ
口腔、鉄すら喰い千切れそうな牙の合間から荒い呼気が洩れた。刀身に付着したオイルを払うため軽快な動作で刀を左右に振るうと、〈狂剣〉は両手で柄を握る。張り裂けそうな筋肉の詰まった両足で地を踏みしめ、腰を螺子って切っ先を〈岩砕神〉にぴたりと突きつけて構えた。今にも弾き出さんばかりに引き絞られた霞の構え。
――Gaaaaiッ!
転移ではなく、コンクリートを踏み抜いて〈狂剣〉は弾丸となり疾駆する。鋭い先端をみせるそれは総てを貫くアンチマテリアルライフルの銃弾。
〈天斬〉を無視し、手負いの〈岩砕神〉に向かう敵を千歳は見逃さない。
「通すものかァッ」
光子剣最大出力。粒子の剣は身の丈の倍はある長大に変化する。あの刺突を受ければ必死、ならば受けずに斬り捨てる。
地を蹴り、脇で構えた剣を千歳は居合いのごとく疾らせる――。
神速の刺突。
迎撃の斬撃。
交差。
激突――
轟ォォォッ、大質量のぶつかり合いで暴風が生まれた。建物が光子剣の一薙ぎで軒並み崩され、互いの剣戟の余波で砂塵のベールが出来上がる。
『どうなった……!』
〈狂剣〉との激突を免れたゲラートが満身創痍の〈岩砕神〉を直立させて、目を凝らした。その意識に反応して〈岩砕神〉のデュアルアイがカメラの倍率を高める。砂塵、その奥を窺う。
砂埃の中に影はふたつ。
「くぅ……っ」
〈天斬〉が膝を突き、右肩を抑えていた。その部位には黒い孔が穿たれている。そこから上に刀が抜けた跡があり、まるで鍵穴のような傷跡だった。機械の指の合間からは鮮血ではなくオイルが滴っていた。傷は既に結晶化で塞がれているし、この動作に意味はない。だが人間がパイロットであるための反射的動作だった。
〈天斬〉の手の中に光子剣はない。激突点から離れた地面に、エネルギー供給を断たれて刃を成せなくなった柄が惨めに転がっていた。
〈狂剣〉も、健在。こちらも左肩の装甲が焼けているが――それだけだった。中身に到達していない。膝を突く〈天斬〉をスリットから覗く幽鬼の瞳で見下ろしていた。
負けた。〈天斬〉を持ってしても及ばなかった。千歳がもっとも得意とする近距離での斬り合いでさえも、だ。それは千歳に残っていた少ないプライドを砕きそうになるが、
「けど、凌いだ……!」
後一歩のところで矜持を守り抜いていた。
〈狂剣〉の神速の突きを止め、さらに千歳は敵の得物を弾き飛ばしていた。〈狂剣〉の掌で猛威を奮っていた刀は、〈天斬〉と〈岩砕神〉の遙か後方の地面に突きたっていた。
――Kuuuu……
武器をなくした〈狂剣〉は呻き、そして"宙に腕を突き刺した"。
「…………っ!」
中空に埋め込んだ手首を引き抜く。沼から抜いたような水音をあげて姿を表した手には、新たな刀が握られていた。
千歳は驚愕に目を見開く。〈鬼神〉の〈鬼神〉たる所以である非常識さは、空間転移だけにとどまらなかった。
「千歳、避けて!」
「わかっている!」
〈狂剣〉が刀を振り上げた。千歳は〈天斬〉のスラスターを点火し、回避を試みる。
「違う! 真横からの一斉砲火!」
「なっ、」
に? とまではいえなかった。
――Gooouッ!?
突然〈天斬〉と〈狂剣〉を無差別に襲ったミサイルの嵐に、息を呑んだ。
爆発。衝撃。火焔。
爆砕。崩壊。炎上。
爆裂。破壊。業火。
横面を殴りとばす過多と思える爆撃に二機は避ける間もなく飲み込まれる。
爆風が辺り一面を焦土と変えていた。