12:End of Machine
人工島は人が住めるよう、当然だが地面は平坦に作られている。しかし人が訪れることは絶対にない人工島の裏側は荒い岩肌が山をひっくり返したように隆起していた。遠目から見ればまさしく空飛ぶ島である。
〈天斬〉は剥き出しの岩肌を真上に、中心部へと向かっていた。外延部にもフロートユニットは設置されているが、そちらよりも中心の巨大なユニットの方が重要だ。こちらが破壊されれば、オキサリスは浮力を発生できなくなり、自重に耐えられない。
千歳はなかなかフロートユニットにたどり着かないことに、不安を募らせる。〈天斬〉の速度を持ってしても、人工島の下に回り込むには十数分を要するのだ。エンジンのうなる音だけが肌にしつこくまとわりつき、煩わしい。
だが、その沈黙はやがて破られる。
「熱源反応感知、正面」
レムリアの報告と同時に、〈天斬〉は両手で構えたアサルトライフルを前方に向けていた。紅い甲殻と鋭い角を持つ生物が現れた時にはもうトリガーはひかれている。弾丸は〈刺蟲〉の身体に風穴を開けるのではなく、胴体をちぎり飛ばした。
死した蟲の身体が〈天斬〉にかすり、回転しながら後方に消えていった。その行き先を一々確認する暇はなく、千歳は視界に入るようになった目標地点を確認した。
「なんでこんなにいるんだ……」
「それだけ、隠れていたってこと?」
中心部――人工島下部の突き出した頂点の岩、その周りには〈鬼獣〉達が取り巻いていた。飛行能力のない〈餓蝦〉が節足で岩に張り付き、頑丈な牙でそれを削り出している。ボロボロと剥がされていく岩肌に、千歳の中の危機感が煽られる。〈餓蝦〉を輸送してきた〈刺蟲〉や〈屍鳥〉も、衝角と電磁砲でフロートユニットを破壊しようとしていた。
何十体もの〈鬼獣〉。大量にこの化け物が島に身を潜めていたのかと思うと寒気がした。
岩盤に覆われたフロートユニットは幸いにも未だ健在、しかしこれ以上やらせるわけにはいかない、と千歳は発砲する。
マズルフラッシュを断続的にあげて、銃弾は〈鬼獣〉の群を薙ぎ払う。ああも密集していれば狙う必要もない。ただ撃つだけで敵は面白いように吹き飛んでいく。
〈天斬〉の来襲に気づいた飛行能力を持った〈鬼獣〉が、咆吼をあげて向かってきた。
――キィィィィィィッ
甲高く耳障りなそれに眉根を寄せながら、千歳はアサルトライフルで敵を撃ち抜く。だが、向かってくる量が多すぎる。弾数に制限があり、点で攻撃する銃では対応しきれない。
「く……っ」
人工島の岩盤を蹴った勢いで迫り来る〈刺蟲〉の突撃を躱し、今まさに電磁砲を放とうと嘴を開いた〈屍鳥〉に銃弾を叩き込む。爆ぜる肉体。
アサルトライフルを片手で持ち、光子剣の柄を握りしめてエネルギーを供給する。
「結局、こいつ頼みか!」
刀身を形成する光子剣は、見た目に反して重量は軽い。刃が粒子で形成されているためである。重心は柄にあるため、片手で扱っても機体は振り回され難い。
向かってくる敵を易々と斬り裂きながら、〈天斬〉は岩盤に張り付く〈鬼獣〉に狙いを定める。頭部両こめかみに一門、計二門の機関砲が火を噴いた。七六ミリの弾丸は、〈鬼獣〉の厚い鋼鉄のような甲殻を突破して身体を粉砕する。張り付くことしかできない〈餓蝦〉は足を破壊されるだけでもなすすべなく眼下の大海に身を沈め、〈刺蟲〉も翅を裂かれて消えていく。
日陰の石の裏にびっしりとこびりつく蟲の群のようにオキサリスに取り付いた〈鬼獣〉は抵抗できず、背中を撃ち抜かれる。
目に見えて数が減り、安堵もつかの間、機体を狙う電磁砲から逃れるために千歳はスラスターをふかせた。一拍遅れて燐光をまとった弾丸が真横を突き抜けて、岩盤に張り付いた〈鬼獣〉を撃ち抜く。それで千歳は己の行動の浅はかさを呪った。
レムリアも千歳と同じことに思い至ったようで、渋い顔をする。
「このまま人工島を背にしたら、流れ弾が当たってユニットに傷をつけるかもしれない」
今のはフロートユニットまで届かなかったようだったが、これを何度も続かせるわけにはいかない。
「だが、場所を入れ替えたら、こちらもアサルトライフルを使えない」
頭部機関砲くらいならば大丈夫だろうが、アサルトライフルや電磁砲は傷つけてしまう可能性が高い。
そうして立ち止まってしまったのが不味かった。別方向からくる電磁砲に千歳の知覚が間に合わない。〈天斬〉の身体を辛うじて逸らすが、躱すことはできなかった。骨片の弾は〈天斬〉のアサルトライフルを貫く。頑丈に作られているはずのボディも、電磁砲の直撃にはひとたまりもない。銃身は吹き飛び、発砲することはもう不可能だった。
「くっ、油断したか」
己の失態を悔いながら、アサルトライフルを背腰部に戻す。投棄しようかとも考えたが、このライフルは特注品だ。破壊されても持ち帰った方がいいだろう。
「……せっかくのライフルを壊した、整備の人達に怒られる」
抑揚のない声で、レムリアはぼやいた。それは演技で本当は焦っているのか、それとも本気でそう思っているのかは声からは読み取れない。が、千歳は面白いと思った。
「余裕だな」
「余裕がないの? このくらいの敵で」
この自信はどこから来るのか、千歳には疑問だ。いくつもの修羅場を潜ってきた千歳ではあるが、今の状況も楽観視できるものではない。本来なら、もっと切迫していなければならないはずだが――まあ、これはこれで気分が落ち込まずにすむ。
〈天斬〉は空を駆け、〈屍鳥〉に斬りかかる。いくら素早い飛行のできる〈鬼獣〉といっても、〈天斬〉の追跡を振り切ることはかなわない。光子剣で物言わぬ屍へと変えられた。
そこに〈刺蟲〉の群が一様に衝角を鈍くひからせながら〈天斬〉を貫かんと迫る。だが、ある程度密集していれば光子剣のいい的にしかならなかった。
エネルギーの刃を一振りすれば豆腐を斬るように軽い手応えで〈鬼獣〉達を薙ぎ払えた。
さらに二振り、三振り――。
斬。斬。斬。
空中で身をひねり、敵の刺突から逃れながらの連続斬り。空にいることを感じさせない自在の稼働、量産機ではこうはいかない。
――キシャアアアアッ
別方向からの〈刺蟲〉の接近。剣を振り切った方とは逆からの突撃、通常なら迎撃は無理だ。しかし、千歳がすぐに諦めて命を手放すような人間ならば今この場には存在しない。
片足と片翼に内蔵されたスラスターを噴かせて回転。独楽のように回った〈天斬〉が水平に構えた光子剣の軌道上には迫る〈刺蟲〉の姿があった。
一刀両断。
休む間もなくレーダーは急速に自機へと近づく熱源を探知する。
千歳が〈刺蟲〉に気を取られている隙に、両翼の刃で風を切り裂く〈屍鳥〉は〈天斬〉へ肉薄する。
真上からの急降下、もう同じ手は使えない。剣を振る時間はない。
「なら!」
左手を柄から離し、天に突き出す。掌は〈屍鳥〉の鼻先にあった。
受け止める、のではない。あくまで、撃破だ。
左掌の中央部にある光子剣などの兵器にエネルギーを供給するための孔に、光が収束する。動力炉から、本来なら光子剣に注がれるはずの粒子の光。しかし左手に光子剣はない。ただ、掌の目と鼻の先に異形の頭があった。
――掌から放射されるエネルギーは、形を成さずに霧散する。刀身を形成するためには柄を介さねばならないし、"撃つ"ということに調整されたわけではない粒子であるから、当然だ。
しかし、〈天斬〉の驚異的な出力と零距離であることを鑑みれば――
刹那、閃光。
掌から放出された大質量のエネルギーが、それにより指向性を持たされる。単純に、前へ撃ち出される。その先にあるのは〈鬼獣〉の頭だ。
――キィ ィ ィー!
粉砕。
零距離掌部砲とでもいうべきそれは、〈屍鳥〉の頭を跡形もなく吹き飛ばした。
レムリアが千歳による予想外の使い方を見て呆気にとられる。
「こんな使い方するなんて、考えなかった」
「思いつきだ。何度もできないけどな」
こんな無茶な使用は無論想定外だ。零距離における掌部内蔵兵器など運用に難があるものを備えた機体などそうはない。
通常では考えられていない使い方、故に負担がかかる。柄に接続してではなく、素のままで放出したせいで掌部にダメージがある。エネルギー消費との比率を考えれば割に合わない威力の攻撃を使うにしては、やはり大きすぎる代償だ。
千歳の活躍で〈鬼獣〉の数は減少したが、フロートユニットを破壊しようと蠢く蟲は未だに多い。その物量を理不尽に思った。〈天斬〉一機では斃せる敵にも限界がある。
だから天から降り注ぐ銃弾の雨が〈鬼獣〉を薙ぎ払った時は、その増援の到着に安堵した。
尉官の搭乗する〈切人〉を先頭に、〈防人〉三機が後を続く。典型的な少隊の編成である。オキサリスの軍の隊の、おそらくはフロートユニットを〈鬼獣〉が狙っていると報告したゲラートの部隊だ。
「……もうここは大丈夫だろう。上に戻ろう」
すぐに立ち去ろうと彼らとは逆方向に〈天斬〉を転換させる千歳を、レムリアは不自然に感じた。
「同僚だったのに、挨拶はしないの?」
「そういう場合でもないだろう。それに、人付き合いは苦手なんだ」
正確には付き合おうとしなかっただけ、だが。やはりそれも人が苦手ということなのかもしれないが、別に付き合いが嫌いなわけではない。ただ、また自分なんかと関わる人間を作ってしまいたくなかっただけだ。
心情は口には出さず、千歳は〈天斬〉のブースターを噴かせて離脱する。〈切人〉や〈防人〉はあっという間に遥か彼方に置き去りになった。
戦闘は終わろうとしている、と千歳は判断する。神国軍も到着しているはずだし、そろそろ収束してもいい頃合いだ。オキサリスの上の〈鬼獣〉も大多数が駆逐されている。対処を間違えて重要施設を破壊でもされない限り、なんとかなる。
解決の代償にしては、オキサリスの被害は取り返しがつかないほどに甚大だったが。
自分ではどうにもならないことだと理解はしていても、やりきれない。三年間を過ごした地が焦土を化してしまったことに、強い無念を覚えた。もっとやりようはあったのではないかと考えてしまう。そんな方法、最初からありはしないというのに。
「ん……? あれはなんだ?」
レーダーに神国全般の軍とは違う反応があった。光学センサーの倍率を上げてみるとモニター/千歳の視界に八機のGAの姿を確認できる。しかしそれは、神国のものではない。
〈鬼獣〉とは違う鮮やかな紅を基調に塗装された機体だ。千歳も記録で知っている。堅実で無駄のない質実剛健なフォルムは兵器としての安定性の高さと直結しており、前線の兵士に絶大な信頼を寄せられている機体、準機士級〈クラスナヤ〉である。それが六機もいた。
それを率いるようにさらに二機が前を往く。紅が入っているのは〈クラスナヤ〉と共通していたが、こちらは顔に腕や足など各部に狼の毛並みを表すようなパターンが書き込まれている。頭部も飾り気のない、それでいて完成された〈クラスナヤ〉のものとは違い、こちらは猟犬を連想させた。
機士級〈クラスナヤ・ヴォルク〉。狼の名を冠する通り、全体的にそれを思い起こさせるデザインだった。〈クラスナヤ〉よりマッシブで力強く引き締まった体駆の機体は、人を率いるに相応しい様相だ。
「鑞国の機体が、なんでこんな所に?」
旅客機を襲ったようなGAでもなく、あれは間違いなく統率された軍のそれだ。
「この島が襲撃されたから救援にきたのでしょう。神国に取り入るために」
「取り入る?」
「貴方は、戦闘はともかく国の情勢とかには疎いみたい」
「悪かったな」
軍人でありながら、こういうことを知らないのは問題があるかもしれない。ただ、千歳の敵はもっぱら〈鬼獣〉であり、他国との関係を把握しておく必要もなかった。戦争だって、国家間の大規模なものはここ数十年と起こっていない。それに軍人は、上の命令をきく存在なのだから教養がある必要もないだろう。
そうやって理論武装を重ねておく千歳のことをレムリアは気にもとめない。
「神国は他三国と比べて規模は大きくない。領土が少なかった栄国も大陸を土地としているようになったから、神国の国土も一番狭い。なのに、なんでこの国は機軸国として名を連ねられていると思う?」
「……技術か」
そう、とレムリアは肯定する。
「神国のGA技術――重機士の存在とか、ね。式神概念のない他国では片手で数えられるくらいしか実用化にこぎつけて配備はできていないから、一騎当千の力は喉から手が出るほど欲しい」
「だから神国に借りを作って、軍事技術を提供してもらいたい、か」
「あわよくば属国にしてしまう、とかも機軸国の人間は考えてるみたい」
神国はそれだけ微妙な立ち位置にいる国なのである。気を抜けば、人工島ごと支配下に置かれかねない。人口増加や人工島により国土の水増しをおこなっても、島国では広大な大陸には及べないのだ。資源や人員、その他においても。
「オキサリスには鑞国の血が入った人間も多いからな。恩を売るには打ってつけということか」
〈鬼獣〉討伐を手伝ってくれるのはおおいに助かるが、そういう下心が見えるのは、仕方ないとはいえ気分がいいものではない。人類の敵と戦っている時にそんな腹のさぐり合いをする人間への嫌悪感があり、だからこそ技術を求めていることが理解できてしまい、千歳は複雑な心情だった。
それをレムリアが見透かしたように、良いタイミングで助け舟を出す。
「〈天斬〉が〈鬼獣〉を掃討して、鑞国にほとんど手出しをさせなければなんとかなる」
「ただでさえ疲れてるのに無理難題を突きつけるな、お前」
「やらなきゃいけないことはかわらないもの。簡単な方が楽でしょう?」
「優しいのか厳しいのか、わからない奴だな」
「よくいわれる」
なら、と千歳は〈天斬〉の速度をあげる。鑞国軍よりも早くオキサリスに戻って〈鬼獣〉を撃破しなければならない。一体でも多くこちらが斃せば、神国の立場は維持される。
だが、目下のところ軍人として大事なのは政治的謀略を未然に防ごうとすることではなく、今も戦っている〈岩砕神〉に加勢することだった。
――それが不可能なことを、千歳はすぐに突きつけられたが。
*
オイルが流れている。どす黒い油は、血と見間違えそうだった。装甲を舐めて、滑り、滴り落ちる。地面には人間換算で数十人分の血溜まりが形成されていた。しかし、血はそれ以上流れる量を増やさない。出血元が止血されているからだ。アクチュエーターに空いた穴が黒い結晶体で覆われていた。それはカサブタのようでもあった。
GAの――主に重機士の――人工筋肉は強靱な力を発揮する特別製の繊維束であるが、それらは外気に触れていると急速に劣化するという面倒な性質があった。なので、関節部などの人工筋肉は常に油に浸されている。今地面を濡らしているのは漏れだしたそれであった。この油はGA用に改良されており、一定の周波数の電流を流された状態で外気に触れると一瞬で硬化するのだ。これは旅客機などにも転用されており、破損時の手当てにも使用されている。電流はアクチュエーターの破損を感知すると発生するようになっているため、それ以前に漏れた油は硬化せずに地面を濡らしていた。
GAの腰ほどもある腕は関節を切断され、ゴロンと地面に横たわってオイルを垂れ流している。濡れた繊維束が本物の筋肉のように生々しかった。
〈岩砕神〉という名の重機士が、地面に斃れ伏していた。片腕を失い、沈黙。
千歳は言葉を失った。頭が真っ白になり、息をするのも忘れた。なにが起こっていたのか理解できない。
〈岩砕神〉の隣には、見知らぬ人型が立っている。
黒い色の巨体。否、それは黒ではなく、本来は紅だったはずだ。その黒は、乾燥した血液/オイルの幾重にもおよぶ層だった。
痩身の人型は重機士と同じほどの全高を持ち、だが機械的ではない。全身鎧の下に、生物と見紛う生々しさがあるのはその出で立ちから容易に想像できた。それは即ち人類の製造したものではなく――
漆黒の痩身が、両腕を振り上げる。その手は、湾曲した片刃――日本刀の柄を逆手で掴んでいた。
切っ先は、〈岩砕神〉を狙っていた。