10:吹き抜ける烈風
ヘルメットを掴んで、千歳は〈天斬〉のコクピットに乗り込む。これから死地へと同行してもらう相棒の体内は、人ひとりには広すぎた。
コクピットの外はにわかに騒がしくなり、整備士達は急遽決まった出撃にてんてこまいになっている。飛び交う怒号に耳を傾ける。余裕がなく必死な彼らの態度も無理からぬことだった。彼らにとってはこの場が戦場なのである。ただ千歳のような前線で戦う兵士と違うところは、彼らが背負うのは自身の命ではなく他人の命であるということだ。千歳の命も、彼らの掌中にあるといっていい。
千歳は、彼らのような生き方はできないだろうなと思った。だから敬意を表する。他人の命を預かり、世話をした兵士の帰還を信じて待つことの心労に千歳なら耐えられないだろうから。血と硝煙だけの無慈悲な戦場で身体を動かしている方が、その時だけとはいえ余計な心配を脳裏に浮かべなくて済む。気を取られれば、死ぬからだ。
〈天斬〉の模擬戦闘での消耗は皆無であったようで、メンテナンスは最低限だった。問題は火器にあり、アサルトライフルの整備が急ピッチで進められている。酷い不具合があったわけではないが、些細なミスで動作不良を起こすこともある。過信して、整備を怠ることはできない。
コクピットのシートに身を深く沈める。千歳はこれから来るであろう人物を想像して、身体を強ばらせた。
そして、彼女は現れた。
「…………」
レムリア・オルブライト。
彼女は無言で千歳を一瞥して、上の複座に登る。シートに座るのを千歳は聴覚で確認した。
言葉は交わせない。千歳からなにを口にしようとしても、それらは総て白々しく薄っぺらいものにしかならないように思えた。少なくとも、自分のことを話す気が千歳にない以上は、どう思おうと彼女に不義理なことに変わりはない。
〈天斬〉に乗るにあたるもうひとりの相棒、彼女になにもいえない自分に千歳は酷く苛立った。
外の騒がしさとは対照的なコクピットで、先に重い空気を震わせたのは情けないことにやはり千歳ではなくレムリアだった。
「雷華にいわれた。貴方のことを悪く思わないでくれって。悪い人間ではないからって」
「……そうか」
コクピットに上がってくるまでにいわれたのだろう。
「私は、貴方のことを知らない。不明なことが多すぎて、信用できるかもわからない」
でも、とレムリアは一度言葉を区切った。
「雷華のことは信じてる。だから今は、雷華が信じてる貴方を許容する。腕自体は、悪くないみたいだから」
「そういってくれると、助かる。……すまない」
「謝るなら、フォローをさせた雷華にしてあげて。ちゃんとここに帰ってきて、ね」
「ああ、そうする」
この戦いで〈天斬〉がやられてしまうことはあってはならない。
ウェポンラックにアサルトライフルの予備弾倉が詰められ、反対側のラックには整備をおこなった光子剣の柄が収められる。頭部の機関砲にも弾丸が装填された。
コクピットが閉鎖され、こうして出撃の準備が完了した。
「〈天斬〉、いつでも出られる」
「了解」
ハンガーから解放された機体は真横にせり上がってきたアサルトライフルを掴かみ、背腰部にマウントする。整備員が退避し、〈天斬〉は格納庫を進む。途中で千歳は、モニター下部に映る少女を見た。
猫に似た吊り目で〈天斬〉を見送るのは、雷華だ。
〈天斬〉が格納庫外に出るとその姿は当然、見えなくなる。
帰ってこよう、と千歳は決意を固める。これからの行動に果たして意味があるのかはわからない。でも結果に拘わらず、雷華の所に絶対帰ろう。再会したのに、別れもいわずに消え去るのは許されないから。
慣性制御機構の稼働値は六〇に設定。機体の自重による負荷が軽減される。
「〈天斬〉、出るぞ!」
大地を蹴り、〈天斬〉は天高く飛翔した。
*
神国首都の街は活気で溢れている。かつてここには神国の総人口の一割が在住していたというほどである。過去形であるものの、今も首都の人口が減少したわけではない。神国の総人口/分母が上昇してしまい、一割と呼べなくなってしまっただけで、今も現在進行形で首都の人間は増え続けている。
間に二車線の道路を挟んで脇にブティックやレストランなどが並び、雑多な人混みが行き交う。カップルや親子連れに友人同士などで動き回る人々の中で、"誰か"が空を見上げた。
「世界は進化する」
その目は、本当に遠くを見ていた。望遠鏡でもないと目視できないはずの距離を気にもとめず、"誰か"は空を往くもの見つめていた。
「人類は進化する」
上昇していく蒼い翼人を、"誰か"は確かに視界にいれていた。
「バビロンの塔然り、イカロス然り、不相応な望みを抱けば、待っているのはすべからく滅び」
その言葉を聴く者はいない。人混みの中のノイズとなってかき消される。まるで発せられた瞬間にシュレッダーにかけられてしまったかのように、喋っている事実がわかる人間はいてもその意味を理解する者はいなかった。
歌うようなそれは終わらない。
「それでもこの進化の果てにあったものが、相応しいものとなっていたなら、それは愚かな望みではない。辛苦を超えた先の祝福されるべき望みだ。しかし、この望みがどちらに分類されるかは、まだ誰にもわかりはしない」
誰かの言葉に熱がこもった。
「だが、これは最後の進化の果て。ならば、もしかすると――」
"誰か"の言葉は喧騒に消えた。
*
――〈天斬〉は、軍に配備された兵器ではない。
まだ開発途中の試作機であるから、軍が所持する戦力には加算されていないし、部隊にも加えられていない。
「この戦闘には試作機の実戦テストの名目で参加しているけど、下手に戦われて作戦を乱されても困る。だから、〈天斬〉は軍よりも一足早くオキサリスに先行して一体でも多くの敵を撃破しろ、という指示が指揮官からされている」
「最初から頭数に入っていないから、少しでも敵を斃してくれれば御の字ってことか。気は楽だな」
それに〈天斬〉と量産機では速度が違う。基地の機体は総て後方に置き去りにしていた。突出した個は、それがリーダーでもない限り群を乱す。軍という集団での作戦行動を前提にした組織の中では尚更だ。同じGAといっても、猫の群に虎を混じらせるようなものである。かといって、〈天斬〉を他に合わせて性能を落としたら宝の持ち腐れだ。
〈天斬〉は飛行モードでマッハ二を超える速度で天空を駆け抜けていた。手足などの戦闘時以外に不要な部位を固定、エネルギー供給を遮断し、余剰エネルギーを他に回して飛行に専念する。過去にあった戦闘機のような空気抵抗を計算した流線型のボディではなく、人型という空を飛ぶに適さぬGAがこのような速度を出せるのもひとえに慣性制御の賜物といえた。その慣性制御も、戦闘時なら銃火器の反動抑制や脚部関節の負荷削減に使う力を、重力操作と大気摩擦の軽減の二点に集中させている。
それでも、スペック上の最大速度での飛行を長時間続けると、機体各部に負担がかかってしまう。ハイジャック事件の時も〈天斬〉はこの速度で現場に駆けつけ、その後の整備に手間取ったようだった。しかも試作段階の機体となればマイナーチェンジを繰り返して洗練させていった量産機と違い、その欠点の影響は大きい。
「千歳、もう少し速度を落として。動力炉も稼働率が高くて、負荷が酷い」
「しかし……」
「落ち着いて。このままじゃ戦闘にも支障が出るの」
「……すまない、熱くなりすぎていた」
〈天斬〉の航行速度を下げて――いまだに量産機の限界よりも早い速度だったが――、千歳は拳を握った。焦りは禁物だ。急いては事を仕損じる。オキサリスにはあの〈岩砕神〉がいる。そう簡単に潰されるわけがない。
しかし、胸騒ぎがする。懐かしくも忌々しい感覚に、千歳の心がかき乱された。
それを千歳は無理矢理抑え込む。不安を押しとどめる術を知らぬわけではない。一度意識さえしてしまえば、後はたやすかった。呼吸を整えれば心臓が規則的な鼓動を刻み、精神が落ち着く。知らず知らずに狭まっていた視野が通常まで広がり、冷静さを取り戻す。
オキサリスは、もうすぐ〈天斬〉の光学センサーで捉えられるところにまで迫っていた。
「もうすぐだ」
操縦桿を握り、千歳はモニターを凝視する。まだ通常稼働で戦闘稼働には切り替わっていないので、〈天斬〉と視覚共有はおこなっていない。ただ、戦場が近づけばすぐにでも切り替えねばならなくなる状況もある。
――そして、千歳は操縦桿を砕かんばかりに握りしめることになった。
モニターにオキサリスを捉えた。映像は拡大され、より分かり易く突きつけられる。黒煙をいたるところから上げた人工島の姿が、眼前に映し出された。紅蓮の炎が立ち上り、遠目からも大惨事であることが一目でわかった。
頭の芯が熱くなった。視界が一瞬白く染まったように千歳は錯覚する。
それが憤怒と焦燥により引き起こされたものだと、千歳はわざわざ考えようともしなかった。する必要もないのだ。それで自分がここに来た意味もオキサリスの救援という行動も変わらないから。
「飛行速度を最大に切り替える!」
千歳が宣言を実行するよりも、レムリアの忠告の方が早かった。
「待って! 熱源接近――」
それに気づいて、千歳は〈天斬〉を真横に回転させた。刹那、頭上から猛スピードで降下してきた物体が〈天斬〉のすぐ近くを擦過する。ソニックブームが機体を叩いた。
その物体は、汚物のような黒とわずかばかりの血肉の紅で不気味に彩られている。〈防人〉や〈切人〉と同等の全長を有しているそれを見て、千歳が舌打ちした。
「こんな時に鬱陶しいのが……ッ」
――キィィィィィィッ
猛禽型〈鬼獣〉、識別名称〈屍鳥〉。飛行する大型の〈鬼獣〉だ。身体はやはり甲殻に包まれていて、脆そうな場所こそ散見されるが肉体が露出している箇所はない。
「一体だけじゃない、後二体いる」
レーダーだけでなく、〈天斬〉の光学センサーも残り二体を発見する。
千歳は通常稼働から戦闘稼働に操縦方法を切り替える。自動的に飛行モードが解除され、四肢が自由になった。千歳の身体と〈天斬〉がシンクロし、感覚を共有する。動力炉が高い出力で稼働していたために、操縦切り替え時のタイムラグは最小限にすんだ。
「邪魔だ――」
背腰部にマウントしていたアサルトライフルを〈天斬〉が手に取り、銃口を〈屍鳥〉にあわせて八六口径の弾丸をお見舞いした。
それは容易くは当たらず、空を引き裂くだけだった。飛行速度もさることながら、そのくせ鷹のような滑らかな機動で弾丸は回避される。
他の一体が〈天斬〉に狙いを定め、頭上を旋回しながら鋭く尖った嘴を開く。甲高い声をあげ、〈屍鳥〉は口腔から青白く帯電する弾丸のようなものを発射した。一部の〈鬼獣〉が利用する電磁砲と同じギミックの射撃武器だ。体内で生成した骨片の弾丸は火薬式の銃弾よりも優れた初速を記録する。
それを千歳は〈天斬〉に触れさせなかった。どんなに速い弾だろうと、直前の動作を見ていれば射線から逃れることなど千歳には造作もない。
――キァァィィィィッ
最後の一体が雄叫びをあげ砲弾のような勢いで突撃してきた。両翼がきらめく。それは刃の鋭利さを持っていた。
〈天斬〉は片手で腰部から光子剣を引き抜くと、ワンクッションもおかずに振るった。〈屍鳥〉の翼に形成されたエネルギーの剣が激突し、焼き斬る。バランスを崩した〈屍鳥〉に追い討ちで横薙一閃。
絶命する〈屍鳥〉には目もくれず、〈天斬〉は次なる敵に飛びかかる。ライフルで牽制し動きを制限、逃げ場をなくしたうえで光子剣を真上から突き刺した。
断末魔をあげる〈屍鳥〉を蹴り落とし、その反動を利用して別方向から襲い来る電磁砲の射撃から退避する。その弾は既に死した〈屍鳥〉を貫いた。GAに嗅覚がありそれを共有していたなら、光子剣と電磁砲に焼かれた肉の臭いが鼻を突いただろう。
接近戦は不利と悟ってか、最後の〈屍鳥〉は距離を置いて電磁砲を放ってくる。しかし一発一発の感覚がどうしても開いてしまう電磁砲は〈天斬〉に命中することはなかった。
しかし〈天斬〉のアサルトライフルも片手では標準がぶれてしまい、すばしっこいあの〈鬼獣〉には当たらない。
「手間をかけさせるな!」
策もなにもなく、千歳は〈天斬〉を突貫させた。あっという間に〈屍鳥〉に接近するが、愚直な移動をした〈天斬〉を見逃さずに敵は新たに電磁砲を撃ち出した。もう躱すことは不可能。
なら、躱さずに受ける。
光子剣の腹で電磁砲の弾丸を受け止める。お互いが物理的に干渉し、弾丸は高出力の光子剣を突破できずに消滅した。策など、この程度の敵に必要とは感じない。千歳はすかさず、受けに使った光子剣で〈屍鳥〉に斬りかかる。頭部を狙ったそれを、〈屍鳥〉は奇跡的に回避するが、翅が焼き斬られていく。
この時、敵は笑っていただろう。即死でなければ、電磁砲を撃つには問題ない時間があったのだから。
〈屍鳥〉は喉奥に埋没した銃口を〈天斬〉に向け――嘴に硬く黒いものをねじ込まれた。
「プレゼントだ」
それをアサルトライフルだと認識させる暇も与えず、八六口径のアサルトライフルは火を噴く。大口径の弾丸が〈屍鳥〉を体内から無数に貫いた。身体を痙攣させる〈鬼獣〉から体液が付着したアサルトライフルを抜いて、光子剣を腰部に戻すと千歳はきりもみ回転をしながら落ちていく敵には目もくれずオキサリスへと全速力で向かった。
わざわざ飛行モードには移行しない。長時間の航行でないのなら、動力炉の稼働率を高めればトップスピードには到達する。エネルギー効率は悪くなるが、すぐにでも戦闘が始まる状況で必要最低限の動きしかできない飛行モードに移行するのは危険だった。
ぐんぐんとオキサリスの姿が大きくなる。それにつれて、被害の状況と敵対象がより鮮明に判別できた。空を舞い、電磁砲で地上に襲撃する大型の猛禽〈鬼獣〉。それとは別の、飛行型〈鬼獣〉も島を襲い、それを迎撃し、撃墜されて爆炎を噴き出して島に落下する〈防人〉。今撃墜されたGAには、もしかすると千歳と面識のあるパイロットが乗っていたのだろうか。
千歳がいた頃には、遭遇しなかった規模の戦闘がおこなわれていた。
「人工島の周りを飛び回ってる〈鬼獣〉がこっちに気づいたみたい」
〈屍鳥〉よりは幾分か身体の小さい〈鬼獣〉達が〈天斬〉の接近に反応して、蟲のような半透明三対の翅で空を叩く。〈天斬〉の前を塞ぐように展開して、乱杭歯の並ぶ大口を開けた。両口端から一本ずつ生えている角がクワガタムシに似ていた。あの角で獲物を串刺しにしてとりつき、強靱な顎で装甲を喰らうのだ。
昆虫型〈鬼獣〉、識別名称〈刺蟲〉。
「突破する!」
アサルトライフルを両手で掴み、発砲。大口径の弾丸は、小柄な〈鬼獣〉ならたった一発で挽き肉に変える威力を誇る。〈刺蟲〉の外骨格を砕き散らしライフルで前方の空間に穴を開けると、颶風のごとく駆け抜けた。衝撃波が蟲型〈鬼獣〉を吹き飛ばす。
弾倉を取り替えて、〈天斬〉は疾走する。
襲い来る〈鬼獣〉の群を蹴散らしてようやくオキサリスの上空にやってきた時、千歳は絶句した。
予想以上の被害だった。まるで天災に見舞われたような状況。いや、確かにこれは天災だ。〈鬼獣〉という神出鬼没の生物により引き起こされる大災害に他ならない。
不用意に人を近づかせないために人工島外延部には高いコンクリートの壁があり、立ち入り禁止とされていて住宅も少ないが――それでも尚被害は甚大だった。家屋が倒壊し、燃え盛る風景に千歳の中の嫌な記憶が湧き上がりそうになる。
駆け上がってきそうになる吐き気をこらえて、千歳は次の行動が浮かばないことに驚いた。燃え盛る大地を前に、自分という存在はあまりにちっぽけに思えた。
「……千歳?」
レムリアの案じる声。自分が暮らしていた場所が業火に焼かれたのだ、動揺しない人間はいない。
「……大丈夫だ」
無力を感じても、精神的なショックは思いのほか少なかった。多分、慣れてしまっているのだ。三年前の事件で耐性が作られてしまっていた。そうしないと心が耐えられないから、壁を作って身を守っている。
「それより、ここの軍と合流するぞ。〈鬼獣〉の撃破に協力しなきゃならない」
味方の識別番号を出してはいるが、通信がこないのはそれほどに軍が慌てている証拠だ。一刻も早い合流が望まれる。
その時、ここから離れた場所から空を引き裂く一筋の光が放たれたのを千歳達は視た。空を往く〈鬼獣〉達を薙ぎ払う閃光に、レムリアがつぶやいた。
「あれは……」
「基地の方角から、ということは〈岩砕神〉か!」
千歳は、〈天斬〉を光のした方角へと向かわせた。黒煙を切り裂きながら〈天斬〉を飛ばす千歳に、レムリアは訊ねる。
「さっきのあれはなに?」
「この島の守護神だよ」
答える千歳は、不思議と得意気だった。
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