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かな子とこんにゃくの戦い

作者: 宇喜たると

体調が戻ってきたので、肩慣らしに短編を書きました。

 ぷるん、と震えたそれを見て、かな子はほくそ笑んだ。どう調理してくれようか、と。

「ふふ……」

 知らず漏れ出た笑みをそのままに、かな子は目を閉じ、そしてしばらくの間沈黙する。しかしそれもほんのわずかの間だ。

 決まったのだ。

「お母さん直伝レシピを改造した、甘辛炒めにしてやるわ!!」

 切れ味のいい、買ったばかりの包丁を行儀悪く差し向けて、かな子は一人、キッチンでこんにゃくに宣言するのだった。







 かな子はどちらかと言えば料理は嫌いではないし、不得意ではない。かと言って好きかと言われれば、首を捻るところだ。そもそもかな子は自分のためだけに作る自分の料理ほど嫌いなものはない。こう言うと、大概は「自炊をしない言い訳だ」と取られる。

 そもそも味見で仕上がりが分かっている上に、隠し味も、美味しくするためのちょっとしたひと手間に何をしたかも分かっているのに食べたところで感動は薄い。せいぜい「まぁ……そうだよな」という感想しか抱けない。

 だからかな子は外食もコンビニ弁当もスーパーのお惣菜もフル活用で自炊をしない。それに、自炊をしたって一人暮らしのかな子では、どうしたって食材を無駄にしてしまう場面が多くなる。それは「食べること」が大好きなかな子からすれば食への冒涜だった。


 そんなかな子が数年ぶり――実に五年ぶりである――に包丁を握ってキッチンに立ったのには理由がある。同棲だ。

 一年付き合った彼氏、正人との同棲がスタートしたのだ。とは言っても新居にはまだかな子だけが住みついているだけで、繁忙期中で仕事の忙しすぎる正人は引越し作業はてんで進んでいない。せいぜい休日や時間の空いた日に来ては「はやくこっちに住みたい……」とすすり泣く状態だ。

 かな子もかな子でここ数日仕事が忙しく、引越し後、まともな料理はほとんどしていなかった。せいぜいお味噌汁を作って、塩鮭焼いて、くらいなものだ。そんなものはかな子に言わせれば料理ではない。


 そして今日。

 なんの予定もない、まっさらな休日。正人は今夜遅く、晩御飯を食べてから来る予定になっている。今朝電話で「通い夫としては、そっちでご飯食べたいんだけど……」と妙なことをボヤいていたのを、かな子は先輩に誘われたんじゃ仕方ないとすっぱり切って捨てていた。しかもその先輩はかな子もよく知る、大学時代に入っていたサークルの部長だ。

 そんな人のお誘いを蹴るなんてありえない。そう言ったかな子を正人は「よくできた彼女すぎて辛い……」と、なぜかひどく落ち込みながら仕事に行った。


 そんなことを思い出しながら、かな子は改めてこんにゃくに向き直る。正人の居ない今日こそが、料理の勘を取り戻す絶好のチャンス。

 実はここ数日、今日何を作ろうかと色々考えている内にかな子は気付いてしまったのだ。レシピがまったく出てこない、と。

 一人暮らしをし始めた頃なんかはホワイトルーからグラタンを作ったり、ストレスのたまった日にはスパイスを使ってカレーを作ったりしていたかな子。そのレシピはすぐに出てくるのに、なぜかお弁当や日常的な食事のレシピがまったく出てこないのだ。

 一番好きな、それこそ母直伝である「水菜とお揚げの炊いたん」はすんなり作れた。すでに鍋の中でスタンバっている。ちなみに水菜の茎はツナと一緒に醤油和えにしてある。完璧だ。味見をしたが、これなら正人にも出せると思った。

 だが、それ以外が出てこない。


 買ったばかりで清潔な白さを見せつけるまな板の上で、ぷるぷるしてるこんにゃくに甘辛炒めにしてやると言ったものの、まったくレシピが出てこない。得意料理だったのに、だ。

 確か油で炒めて、そのあとフライパンで煮たような……?

 かな子は包丁を差し向けた姿勢のまま、微動だにせずに考える。調味料は醤油を使ったはずだ。あと、たしか鷹の爪を入れた。そこまでは思い出せるのに、ほかが思い出せない。

 ひとまずこんにゃくのやつをどうにかしてやろう、と無心で短冊切りにし、その中心に割れ目を包丁で入れていく。それをくるりんぱ、と心の中で唱えながらかな子は美しいねじりこんにゃくを量産した。こんにゃく一枚分。正直二人分くらいはある。


 かな子はねじりこんにゃく作りを終え、さらに鷹の爪を一本まるまる輪切りにしたあとでほくそ笑んだ。私には天下の味〇素がついている、と。トークアプリを開いて、公式から某アミノ酸メーカーを呼び出す。そこにこんにゃくと入れれば、次々にこんにゃくを使ったレシピが出てきた。

 そこからこんにゃくの甘辛炒めに一番近そうなレシピをざっと流し見て閉じる。

 かな子は思った。勝てる、と。

 レシピの「ごま油で炒めて」のところと調味料に醤油しか入っていないところしか確認していないが、なぜかかな子は全てを分かった気になっていた。そういうところがかな子の悪いところだと、家族にも友人にも正人にも言われているのだが、当の本人はまったく理解していない。だから悪いところなのだが。


 テフロン加工のフライパンにごま油をさっとひとかけ。そして中火で温めて、十分に熱したところでこんにゃくを投入。じゃっ、と小気味いい音がしてかな子は満足気に微笑む。鼻歌まで歌い出す始末だ。

 それからかな子はご機嫌のまま鷹の爪を入れて、そして真顔に戻った。ここで入れたらめちゃくちゃ辛いじゃん、と。しかし、鷹の爪はもうすでに、こんにゃくから離れないとばかりにぴっとりと寄り添っている。これを引き剥がすためには一度フライパンからあげて、ざるでこんにゃくを水洗いしなければならない。いやだ。

 洗い物増えるし、そもそも取り返しがつかなくなりそうだし。

 かな子は必死で考える。考えながらも菜箸で焦げないように炒めつつ、フライパンを振りつつ、考えて。そして放棄した。


 何事も無かったかのように計量カップに水を適当に入れてフライパンに流し込む。じゅわっ、と水が油と反発し、そして熱に蒸発させられる。それでもまだフライパンに残っている水に、かな子は何も考えずにガラスープの素を入れる。出汁にすれば良かったなぁ、と後悔しながら。

 それからフライパンの蓋を見て、視線を直ぐに逸らした。お腹がきゅう、と頼りない声で泣いているのだ。たしか蒸し煮にしていた、なんて記憶は都合よく消して、かな子は醤油とラー油を入れる。こうなったら中華風だ、と心の中で言い訳をしながら。


 水分を飛ばすように炒めるが、どんどん不安になる。だって相手は、あのこんにゃくなのだ。

 味が染み込むのに時間がかかるこんにゃく。手早く染み込ませるには手で一口大にちぎるのがいいこんにゃく。それがあんな少量の調味料で太刀打ちできるのか。

 かな子は不安に駆られて某アミノ酸調味料と塩、それからもう一度醤油少量をひとかけし、しばらく炒める。内心はハラハラものだ。だってこのフライパンの中には、最初期から鷹の爪が仲間入りしているのだ。恐ろしい。

 そんな不安を飲み込んで、真っ白なお皿に盛り付ける。見た目は昔と同じだ。見た目だけなら美味しそうだ。しかし、料理工程を知っているかな子はどうしても分かってしまう。


 これ、絶対美味しくない。


 ぐ、と奥歯を噛み締めながら、水菜シリーズは夜に回してお味噌汁とご飯だけついで食卓につく。ほかほかの白ご飯が救世主に見えた。

「……、いただきます」

 どんよりとした、いただきますだった。かな子はお箸でこんにゃくを一つ取り、それをなめらかな動作で口の中に入れる。広がる味は不味くない。調和が取れている。それに押されてこんにゃくを噛んで、後悔した。

 めちゃくちゃ辛い。そしてめちゃくちゃ味が薄い。

 かな子は「つらい」なのか「からい」なのか分からなくなりながら、味の薄いこんにゃくを無心で食べる。白ご飯はまさに救世主だった。救いはそこにしかなかった。固さがかな子好みなのが心に染みた。


 お皿の中を半分ほど片付けてから、かな子はようやくお味噌汁の存在を思い出す。昨夜、学生時代に家庭科の授業でしか料理をしたことのない正人が作ってくれたのだ。明日かな子が少しでも楽できるように、と。仕事で疲れているのに。

 かな子は誘われるようにお椀に手を伸ばして、玉ねぎとワカメだけの、素朴なお味噌汁を飲んで後悔した。口が辛い。お味噌汁の味がほとんど分からないくらいに口が辛い。せっかく愛しの恋人が作ってくれたお味噌汁の味が全然分からないくらいに口が辛い。

 白いお皿を憎々しげに睨むが、作ったのはかな子である。自業自得だ。

 かな子はしばらくお箸を置いて考えて、そしてまた放棄する。味が薄くて辛いこんにゃくを、躊躇うことなく味噌汁にぶち込み、ついでに半分ほど残っていたご飯もぶち込む。お行儀が悪いとは分かっている。分かっているが、スプーンを取りに行きながらかな子は正人に愛してる、と伝えた。


 スプーンで中身をかき混ぜて、それから一気にかきこんでいく。うまい、うますぎる、とかな子は泣きそうになる。お味噌汁に入れることで、辛いからピリ辛に変わり、こんのゃくの味の薄さも気にならなくなる。しかも少しだけ固めに炊いていたお米が、ちょうどいい具合に柔らかくなっている。

 かな子は思った。ねこまんま、最高。

 こういう切り替えの早さはかな子の美点である、とかな子は思っている。ひと皿にまとまった料理たちはあっという間にかな子の胃袋に収まり、かな子を満腹感へと誘った。やはり食事はこうでなくてはならない、なんて、誤魔化すような感想を抱きながらかな子はトークアプリを開いた。

 呼び出すのは母親とのトークルームだ。


『お母さん、こんにゃくの甘辛炒めってどうやって作るんだっけ』


 最初からこうすればよかった、と思いながらかな子は洗い物をするために、再びキッチンに立つのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 形はともかく、こんにゃくを美味しく食べたところ。 かな子さんはしっかり者、直接登場しない彼氏さんはきっと優しい人なんだろうな、と想像できて微笑ましい内容でした。 [一言] 体調不良との…
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