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どっか

「うわーい!」


「ちょ、かえで、声でかいよ」


 心臓が騒いで酷く落ち着かない。


「ひゃっほう!」


 かえでが2つならんだベッドの上にダイブする。

 鈍い音がして、後頭部を晒したまま彼女は動かなくなった。

 ベッド、硬かったね。


「あはは! いたい!」


 ごろり、と寝返りをうつと彼女はおかしそうにお腹ら抑えながらけたけたと笑う。

 都心の安っぽいビジネスホテルの中。荷物は大きなボストンバッグ2つだけ。

 

 いくつか断られて、ようやく大学生ということで押し通せた場所だ。かえでが大人っぽい容姿で助かった。

 そのおかげで、もう23時を迎えようとしている。

 本当に、家出をしてしまった。かえでの父が気づくのは今日の夜。


 私のお母さんが気づくのは明日のことだろう。

 夏休みがあける頃には、かえではもうここには居なくなってしまう。

 だから逃げ出した。

 悪いことをしているときの高揚感と不安感。そんなないまぜな気持ちが少し私を大人にしてくれた気がした。


「子供みたいなことするんだから」


 苦笑いしつつ、かえでの飛び込んだベッドサイドに座った。


「子供だし」


 その声と同時背中越しから胸元へ、かえでの手が伸びてきた。

 子供みたいに熱い体温だった。


「どうしたの」


 両手同士を握り合う。


「一緒に来てくれてありがとう」


「いいよ」


 こんなの馬鹿げてると思う。未来なんてないと思う。普通じゃないと思う。

 頭はどこまでも冷静で、身体だけが走っている。

 それでも選んでしまった後悔もないのは、私もおかしくなったんだろう。 


「お風呂!」勢いよくベッドから飛び降りて、その場で服を脱ぎ始め、ちょっとこっちを振り返っていたずらっぽく笑う。「一緒に入る?」


「相変わらず自由なやつ。狭いからよしとく」


 あんまりそっちは見ないようにした。結局目線の先はスマホだ。


「ねえ」


「んー?」


「ずっと一緒にいようね」


「うん」


 シャワーの音を聞きながら、テレビを付ける。

 明日は学校のはずだった。好きだけど、怖いあそこに行かなくていいなら、なんだかほっとする。

 これからどうしよう。お金とか、明日とか、将来とか、学校とか、うんざりだ。

 中学生じゃないんだから。いや、今どき中学生だってこんな無計画な家出なんてしない。

 まあ、いいか、どうでも。

 嫌なものを頭から消して枕に顔をうずめた。


 少し、眠っていたみたいだ。背中を撫でられる感触に寝返りを打った。

 

「あ。起きた」


 かえでが馬乗りの格好で私を見下ろしている。足元の灯り以外は消えていて、ぼんやりとした彼女の姿が浮かび上がる。Tシャツと下着。くつろいだいつもの格好だ。


「寝てたみたい。お風呂入らな――っ」


 かえでの顔が近づいて、舌が這入って来た。

 ぬるりとした感触が下顎を伝って、それから吐息が漏れる。

 身体の力が抜けて、しばらく唾液の水音だけが響いていた。

 やがて、かえでが身体をくっつけたまま、顔だけを離した。

 


「ありがとう。ごめんね」


 泣きそうな顔で、彼女は笑顔を作る。思わず、頬に手が伸びた。


「変な顔」


「巻き込んじゃった」


「かえで、キス上手だね」


「そうなんだよ」


 ますますかえでが悲しそうになるから、今度は私からキスをした。自分からしたくてするのは、そう言えば始めてだ。どうすればいいか分からなくて、唇と唇が合わさっただけだった。


「キス、下手!」


 彼女がまた屈託なく笑って、身体を離した。そのまま私の横に寝そべって、私も隣を向いて狭いベッドで手を握り合う。


「るさいな。ほっといてよ」


「ちとせちゃんはそれが良いんだよ」


 愛おしそうに私の前髪をかき分けると、おでことおでこをくっつけあった。

 暗がりでそうしていると、子供に戻ったみたいで、胸のあたりがくすぐったい。

 隠れんぼでもしてるみたいだ。

 かえでのスマホがさっきからしつこく震えていた。

 しばらく、二人で息を潜めて鬼が去るのを待っている。

 

「あのね」


 先に話し始めたのは、かえでだった。

 

「うちって成金でさ。『お父様』なんて言うほど大層な家系でもないんだ、本当は。

 それでも……だからこそかな。お父様は見栄を張って外面ばかり気にしてる。それがアワレに思える。顔に出ちゃうんだよ。笑っちゃうんだよ。哀れんじゃうんだよ。隠せばいいのに。言わなきゃいいのに。

 そういう、失敗を昔からいっぱいしてきた。だから、嫌われてる。

 お前はいつも俺を見下してるって、殴るんだ。それでもスマホの中の証拠を、誰にも見せられないのは、案外嫌いじゃないからなのかな」


「かえでは悪くないよ」


 どんな人だって親は親で、嫌いになれない。それはとてもどうしようもなくて、やり場がなくて、悲しくて、悔しい。嘘つきになれないのは、悪いことだよな。私の顔が歪んだ。


「ちとせちゃんにも、いっぱい迷惑かけてきたし。かけてるし」


「今日は随分殊勝じゃん。似合わないからやめたほうが良いよ」


 軽口めかして、鼻を鳴らして見せた。かえでにそんな顔をされるのは、すごく嫌だった。笑っていてほしいのは好きだからだ。


「なんかね。ずっと平気だったんだ。居場所がないのが普通だったから。誰の空気も読まないわたしは無敵だった。今は、怖い。ちとせちゃんが傷ついてるんじゃないかって、すごく不安。

 ――ごめん。そういうこと、言いたいんじゃない。もっと楽しい話しようよ。明日は、どこいく? いきたかったところ、どこへだって行けるんだよ、わたし達」


「かえで」彼女の手を握りしめた。「ずっと一緒に居るよ」


「うん。うん」


 かえではただ微笑んだ。 

 こんな約束が果たされるわけがない。ずっとなんてあるはずがない。

 それがわからないほど子供でもないし、夢だって信じてない。


 今の気持ちだって、いつか消えてしまう。

 おとなになれば、きっと今日のことだってあの頃は若かったなってクソみたいに笑ってる。

 年を取るのが、明日が来るのがひたすらに怖かった。今がずっと続けばいいのに。

 私は心からそう願ったのだ。


 そんな事を願ったせいだろう。

 かえでと過ごした、警察に保護されるまでのとても短い期間が、見事に私の心にこびりついた。

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