窮地と全力
「レフィ! クー! いますぐ……!」
「おい!! あっち! あっちだ!!」
俺の指示をかき消すように、赤茶の少女が別方向を指差して叫んだ。
何事かと振り返ると林の一角からも土煙が上がっている。かなり近い。
「レフィ! そっちは何が見える!?」
「え、あ、黒の、真っ黒い毛の、……ええっと、ボリアみたいな! たてがみは灰色です!」
「黒いボリアッ!?」
反応したのは俺ではなく、赤茶の少女だった。その慌てようで、彼女が俺と同じ結論にたどり着いていることがすぐにわかった。
黒いボリアは、そうか。
これは死んだかもしれない。
でも。
だとしても、“そっち”じゃない。
「ネッ、ネーグルボタル……!」と赤茶の少女はその正体を口にする。「無理だ! あ、あんな数、どこから沸いて……っ! に、逃げっ、……お、おい何してる!!」
「レフィ、できるだけ高く」
「は、はい」
「お、おまえら聞いてるかっ!? レベル3だ! レベル3の魔物だ!! 黒毛のボア種はヤバイ!! 逃げるぞ!!」
「無理だ」
「はあっ!?」
ぱんと上空に弾けたのは赤い閃光。
レフィの投擲で緊急事態は辺りに伝わっただろう。
あの時よりもやけに落ち着いている。クーのあの姿と鉢合わせた時より。
べつに死んでもいいなと、頭の片隅で感じている自分がいる。レフィとクーを死なせるわけにはいかないかと、思い留まれる自分がいる。
そんな無駄なことを考える。途方も無いほど大事な一瞬一瞬が過ぎていく。のに。なぜか。思考だけがどんどんクリアになっていく。心が静かになっていく。
ふたりをここで死なせるわけにはいかないなら。
だったら。
「ああ、あ」
赤茶の少女が後ろ足を踏んだ。
レフィは次の指示を待つように俺を見つめ。
クーも俺を見ている。
南からはネーグルボタルが数十体。
北西からの魔物、おそらくこちらの方が到達が早い、挟まれる。
『――――、――――――――』
どばっ。と。
雑草を巻き上げながら、えぐられた地面が舞い上がる。
動き出しはクー。やはり迷いが無い。
レフィは一瞬だけ目を見開く。けれどすぐに姿勢を低くする。赤茶の少女が何か呻き声をあげ、地面にずずっと沈んだ。北西の空を半分埋めてしまうような砂の壁がぞあっと立ち上がる。
要素は対象、被対象、技、位置、誤差補正、速度、動作、威力。
頼む。
突出した一匹が砂の壁から姿を見せ、たのと同時。
耳をつんざくようなマナの衝突。
クーの羅漢が空気を震わせる。不気味な紫色の胴体が砂の向こうに消えた。
頼む。
お前らは死ぬほど賢い。
『――――』
基準の音指。
レフィとクーは瞬く間に位置へと着く。
頼む、来るな。
南から迫るネーグルボタルに向き合う、その間にも、俺は砂の壁を警戒し続ける。
一匹でも出てくれば終わり。でも来ない。来るはずがない。頼む。
赤茶の少女の喚き声がいつしか止んでいる。
横目に見る。目と目が合う。怯えていることだけが伝わってくる。
イレギュラー要素は排除した。状況は整えた。
砂の壁はこの瞬間も沈黙を守っている。
来ない。来ないとみる。
黒い体毛が隊列のように広がり、迫る。
こいつらの方がアレよりも賢くない、が故に。
やるしかない。
やれるか?
やれるだろうか?
まだ、俺に。
まだ、口は回るだろうか?
そんなことが頭を過ぎって、思わず自嘲。
できるに決まってる。
なぜならこれは。
俺が大好きだった遊戯だ。
* * *
笑った?
刹那。地面が破裂して。黒い方のちびっ子の姿を見失った。
気付けば泥みたいな砂に足が埋まって。あたしは身動きが取れなくなってた。
もがけばもがくほど沈んで。でも、腰まで沈んだら、それ以上は沈まなくなった。
死が目の前に迫ってきて、言葉が出なかった。
暴れても抜け出すことができなかった。
『――――』
透き通るような音を耳に聴いた。
それを声だとすぐにわからなかった。それがこのボンクラの音指だと気付くのにはもっと時間がかかった。
トロいヤツだった。
うだつの上がらない、口だけの糞野郎だった。
気絶しやがったときは、目を疑った。司令にも戦士にも、こんなに弱いヤツを見た事はいままでに一度だってなかった。ちょっと痛がるくらいの、顔をしかめるくらいの、その程度に軽く小突いただけなのに。まるであたしが悪いみたいだった。
地面に這いつくばっているのが趣味に違いないと、そう思ったのに。
いつの間にか戻ってきている、黒いちびっ子は前へ。
茶色いちびっ子はその中間くらいへ。
そしてそれらすべてを一望できる場所で。こいつが。
まるで。
まるでネーグルボタルの群れとやり合うとするみたいな立ち位置に。
あたしは、答えを探すようにボンクラを見上げる――――。
――――笑った。
笑った。ように見えた。
その横顔が、口が、ちょっとだけ、でも確かに。
『――、――――、――、――――』
――――――――?
リーダーは、司令をよく学べ、って言った。
憎きノーヴィンとかいう男が出てきて、パーティ同士の戦いは一気に変わった。もともと司令のいるパーティはあったけど、ノーヴィンのせいで流行が一気にそっちへ傾いた。
リーダーみたいに司令のいないパーティは古い構成だと言われてる。でもリーダーは戦士だけのパーティで挑んで、いつだってなぎ倒すような戦いかたで勝ってた。それは今でも変わらない。
ノーヴィンに憧れたバカなヤツら。司令を入れるのが普通だから、なんて流行りに乗っかって、後追いするヤツら。そんな中途半端なやつらを、リーダーはけちょんけちょんに押しつぶした。それは曇り空が開けるほど爽快で、カッコよくて、きらきらしていた。
それからあたしは、たくさんの司令を見た。見て、見て、見続けた。
大会のたびに足を運んで、ありとあらゆるパーティの司令をよく観察した。好きじゃない奴らだからこそ、倒さなければいけない相手だからこそ、勉強しなきゃいけない。そのことをリーダーが教えてくれた。
司令にはどんな特徴があるのか、なにが苦手なのか、弱点はどこなのか。
調べれば調べるほど、リーダーたちの、考える時間を与えないような圧倒的な速攻がいちばん効果的なんだと思い知らされた。
でも、それじゃ足りないんだ。
あの大会で。
リーダーがノーヴィンに初戦で当たった大会で。観客席にいただけのあたしが、勝手に悔しくて泣いて、そして誓ったことだ。
強くなるんだ。もっと考えるんだ。
そしてリーダーに認められて、リーダーと一緒にあたしがノーヴィンを倒すんだ。
実は初戦が一番大変でした、なんてすまし顔で言いやがったあの憎い男を、あのパーティを、あたしがぐっちゃぐちゃに叩きつぶしてやるんだ。
だから、考えてきた。
見て、調べて、いっぱい、いっぱい頭を使って。
なのに。
何もわからない。
あたしが司令をいちばん見てきたはずなのに。
いちばん、音指を注意して聞いてきたのに。
いっぱい勉強したのに。
わからない。
『――――、――――――――――』
ボンクラが何を口にしているのか、ひとつもわからない。
『――、――――――――――――――、――――――――』
わからない。
なにも聞き取れない。
『――――――――――――――――――――――――――――、――――――――――――――――――――――――――――、――――――――――、――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――』
戦いはすでに始まっていて。
それなのに、あたしはなんだか世界の外側からそれを見ているような気分で。
また、砂の壁が立ち上る。
不思議なほど透明な音指が耳元でゆらゆらしてる。
ネーグルボタルのうちに何匹かが地面に沈む。あたしと同じ。そこで初めて、これをやっているのがこいつらの魔法かなにかだってことはわかった。
そこに何も感じなかった。
たぶんあたしがジャマだったのか。それともあたしを守るためだったのか。そのどっちかだってことが、どうしてか、すんなりと心に落ちた。ムカツクだとか、何様だとか。
そんな、そんなことよりも。
目の前で起こっている戦いが――――――。
砂にハマったうちの何体かは、すごい勢いで身をよじったり、暴れたりして無理やり抜け出していた。抜け出せなかったネーグルボタルは、もう地上に姿を見せなかった。
平原に黒い影が行き交う。丈の短いローブがなびいた。
甲高い、断末魔みたいなイキモノの悲鳴。一匹のネーグルボタルが吹き飛び、横たえたままその足をぴくぴくと痙攣させた。
まるで詠唱のようなその音指に合わせて、砂の壁がまた立ち上る。
構わず突破してきたネーグルボタルのうち、一体がまた沈んで、カンのいいほかの個体は砂の罠を避けるように飛び跳ねた。
飛び跳ねた、うちの一体が、空中であらぬ方向に吹き飛ぶ。
今度は鳴き声を上げる暇も無く、一瞬でクリスタルの光に変わる。
一体。また一体。
降り始めた雨を、一粒一粒手のひらですべて受け止めるみたいな、とんでもない工程。
それでもネーグルボタルは迫ってくる。その雫はもうすぐ地面を濡らす。
あえて隙間をあけるような壁。
避けた先を読んでいたかのような砂の沼。
ばちっという痛そうな音と、放電のような瞬き。大きな体が動きを鈍らせる。
遅らせる。
遅らせる。遅らせる。
迫る雨粒がさらわれてく。まるで一体ずつの個体差を調べていくように。
性格を、行動を把握するように。
丁寧に。一滴ずつ。けれどすごい早さで。
茶色も黒いのも、一瞬だって動きを止めない。
音指は。違う。
こんなの、違う。
音指は手助けだ。戦士の戦いを助けるだけの、ちょっとした味付けでしかない。
音指は先に戦士に与えておくものだ。それをどのタイミングで扱うのかを、戦士が決めるものだ。
戦いは戦士の世界だ。どこまでいっても。
もちろんノーヴィンの音指に驚かされたことはあるけど。
でも。
『――、――――――――――――――――――――――――――――、――――――――――、――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、――――――――――、――――――――――――――――――――、――――――――――――――――――――――――――――――、――――――、――――――――――――――――――――――――――――――』
これは。
なに。
茶色と黒のちびっ子。
あのふたりの動きを、まるで、まるでぜんぶ操っているみたいな、この音指は。
音指の先に、音指が準備されているみたいな、このバカみたいな揺らぎの長さは。
同じ、言葉じゃない。
ひとつも聞き取れない。わからない。
どれだけ先を読んだら音指ですべての動きをつなげられる?
もし読めたって、言葉が間に合うはずがない。
間に合うような短い音指で、こんな威力が出るはずがない。
ボンクラが。
こいつがしゃべっているのは。
なに?
ふいに、茶色の後姿が、横へとよろけた。
マナの欠如。そうだ。これだけの密度で魔法なんて使ったら。
もう限界のはずなのに。
気付けばのこり数体。
ふらついた茶色の小さな体に、食らいつこうとするその牙が、寸前でブレて、横に弾け飛ぶ、けれど、クリスタルにならず、着地した黒いちびっ子は初めて両手を地に付け、滝のような汗を振り払う。
こいつも、限界。
それでも、音指だけが容赦なく降り注ぐ。
ボンクラも胸元をぎゅうと握り締めていて、いつのまにか苦しそうな顔をしていて。
『――――っ、――――――!!』
搾り出すような音指は、もう最初のような余裕のある響きじゃない。
残り三体。
二体。
最後の一匹が、砂の沼に。
飲み込み、切れない。
浅い。
茶色のちびっ子が両ひざをついた。
尽きた。
沈むことを逃れた一体が、ちびっ子二人を無視した。こっちへ向かってくる。
標的はあたしじゃなく、ボンクラ。
のどがひゅっと鳴って、その瞬間に。
わたしはようやく世界に戻ってきた。
温度が戻ってくる。手足の感覚が戻ってくる。
あたしは。
「――――――おい!!」
ボンクラの目の前にできた大きな砂の沼。
あたしの目が追ったとき、茶色のちびっ子は地面に倒れていて。
歯を食いしばって、それでも片腕をこっちに伸ばして。
けれど、最後のネーグルボタルはもう跳んでいる。
かわされた。
あたしの冗談の一突きで気絶するようなヤツに。
その牙が届くまでがすごくゆっくりに見えて。
マナの衝突音と、背骨が砕けるような鈍い音が混ざって。
ネーグルボタルの体は折れ曲がり、真っ直ぐ、砂へと突き落とされて。空を舞う黒いちびっ子が、その勢いのままボンクラの頭を超えて、顔から地面に飛び込んで、突っ伏した。
目の前に差し出された手に気付くのが遅れて。
あたしは考えるよりも先に、その手を両手で掴んでいた。ひどい手汗だった。
「頼みます」
ボンクラがそれだけ言って、あたしは砂から引き上げられる。
横目に、トドメをさしきれなかった二三匹のネーグルボタルが身を起こすのが見えた。
「頼み、ます」
またそれだけ言って、ボンクラは両ひざに手をつき、荒い息を吐いた。
鼻先から汗が滴り落ちた。
前線に残った茶色のちびっ子に、よたよたと近づく黒い巨体に向けて。
あたしは地面を蹴った。
「――――――ベルテン、これは?」
サブリーダーの声を聞いたのは、あたしが最後の一体を始末したあと。
「おいベルテン! 何があった?」
大好きなリーダーの声が聞こえたのも、ほとんど同時だった。
振り向いた先の、いつも通りのその姿に、ひざの力が抜けそうになった。
大量のクリスタルと、ぼこぼこになった地面と、倒れたちびっこ二人と、肩で息をしているボンクラと。その真ん中で立っているあたしと。
北の方に立ち上ったいちばん大きな砂の壁が、さらさらと薄く消えかかってる。
ネーグルボタルが現れてから、まだぜんぜん時間がたってないことがわかった。
「オミナンティス!! 十体以上!!」
叫ぶようなボンクラの声だった。
目を向けると、ボンクラがまだ片手をひざにつきながら、必死の形相で立ち上る砂の向こうを指差していた。
オミナンティス?
そっちは、そういえば、先に別の魔物が向かってきた方向。
「…………ハァ?」
聞き覚えのない、すごく小さなリーダーの声。
振り向いたあたしは、目の色を変えたリーダーの表情を見る。
なに? なに?
「ベルテン、そこらのバカ三匹を集めて絶対に動くな。絶対に」
「え、あ、はっ、はい!」
「いくぞ」
リーダーとサブリーダー。
そして遅れてきたもうひとりの先輩。最強の三人が真剣な顔で何かを口にして、頷きあって、消えかけている砂の壁の向こうへと歩いていった。
* * *
ニルさんの顔に刻まれたほうれい線が今日は一段と深く見える。
その理由について、俺はあまり考えないことにする。
遮音の構造はドリテルの協会の閲覧室と同じだろうか。
それほど広くない部屋には、四角い机を囲んで、俺とレフィと、クー。
シューラさんのパーティのうち、今回の依頼に当たった三人。
ニルさん。
そして赤茶の少女と、なぜかワクワクした表情のオーグさん。
つまるところ、当事者と責任者がまるごと集められたという感じだ。
事後。
安静にする必要のあったレフィやクーを含め、調査チームの中にもケガ人が出たということで、北の街で一泊することになった。そして回復状況によって順次ドリテルへと帰ることになり、健康そのものだった俺は朝イチで基地へと送還されていた。
レフィやクーもいつのまにか基地に戻ってきていたようだけれど、なぜか今の今まで知らせはなく、昨日の戦い以来こうして初めて顔をつき合わせている。なんとなくだけれど、今回のことで俺たち三人がなにかを隠したり、口裏を合わせることを防ぎたかったのではないかと感じている。
もし本当にそんなことを考えるヒトがいるとすれば、シューラさんくらいだろうけど。
さて。
レフィやクーからすると、自分が倒れるまで酷使した冷酷極まりない司令との対面でさぞ恨み辛みも深いのだろうと思いきや、さきほどからなぜか俺の顔を曇りのない瞳でまじまじと見つめてくる。右隣を向いても左隣を向いてもその調子だ。
正面を見れば、まるで詐欺の現場を突き止めたかのような、射殺すような眼光のシューラさんがいるし、右側にはうつむいた赤茶の少女と、話し合いの開始が待ちきれない様子のオーグさんがなぜか俺を見てニコニコしているし、やっぱりニルさんは皺が深い。
誰が口火を切るのだろう。
ニルさんは岩みたいに黙ったままだし、シューラさんは目をギラつかせるばかりだし、お仲間の色黒さんは腕を組んで目を閉じてしまっているし、もうひとりのモコモコ髪のヒトは話し合いに興味がなさそうで、次のショッピングで何を買おうか悩んでいるかのようにぽわぽわしている。昨日はよく見ていなかったけれど、その服装はシューラさんの仲間に珍しくかなり女性的な着飾りに見えた。
俺から話しはじめることを求められているのだろうか。
当事者の自覚があるなら自分から話せ、という無言の圧力か。もしそうだったとしても、その程度の重圧で縮こまるわけにはいかない。俺はまだランキョクさんの身長を抜かせていない。
「…………」
とくにすることもなく、俺は鼻から息を吐く。
部屋は基地の隅からさらに階段を下った場所にあり、言うなれば地下の地下。窓も無い壁際にはいくつかの怪しげな魔法工具のようなものが掛けられている。とくに理由はないけれど、クロノさんが造ったものだろうなと直感する。
出入り口は後ろの扉しかなく、いまは施錠もされている。
あまり趣味の良い使われ方をしている部屋とは思えない。
下手をすればどこかに血の痕でも残っていそうなものだ。
「ニル」
と、ついに口を開いたのはシューラさんだった。
「悪い癖が出てる。早く始めてくれ」
その言葉で、ようやく岩が重そうな目蓋を持ち上げた。




