マナの歪み
「ここでいったん、設営とします」
北の街での休憩を終え、レベル2のエリアに入った俺たちは永遠と続く壁から離れ、北西の方角へと向かった。出発した草原と比べるとところどころに木々が生い茂っていて、林と平地がまだら模様のように入り組んでいる。
俺の記憶が確かならばこのエリアは頭がおかしくなるほど縦に長く、もっともっと海に近づいてやっとレベル3のエリアに足を踏み入れることができる。このレベル2のエリアではボリアタイプの魔物と大型の虫タイプの魔物の二種類がいるはずだけれど、さっきからほとんど姿を見ない。おかげで移動はスムーズだったが。
大きめの魔法工具によってすぐにテントが張られ、班分けが行われた。
ここを拠点として辺りを守るパーティがひとつと、それ以外はいくつかに分かれてエリアの調査に向かうらしい。緊急用にそれぞれ信号石が配られる。
残念な事に俺たちはシューラさんと共にゴノーディス組としてまとめられた。
「空気がなんか、おいしいのだ」
俺やレフィと出会うまで飢餓状態にあった少女はついに気体を栄養にする術を見に付けたのか、さきほどからすんすんと鼻を鳴らしては深呼吸を繰り返している。
「どうした、クー」
「いいにおい? においなのだ?」
「いや、俺にはわからない」
「なんかおいしいかんじなのだ」
「もしかして、ギョロギョロとかワンワンがいた場所みたいな?」
「あっ! それなのだ!」
「もうレベル2のエリアだからな。空気中のマナが少し濃いんだろう。……クー? どうした?」
クーがあたりをキョロキョロと眺めている。クーだけの奇行かと思われたけれど、周りを見ると何人かの戦士が同じように周囲を警戒し、そして怪訝そうな顔を見せていた。シューラさんたちもそうだ。
「なんか、ヘンなのだ」とクーが首をかしげる。
「変?」
「いいにおいが漂ってくるかんじなのだ。たまにすごくおいしそうだったり、そうじゃなかったり、どこかでお肉焼いてるのだ?」
「俺たちは依頼で来たけど、ほかに来てたパーティがいるのかな?」
立ち入り禁止にしている、といったような措置は耳にしていない。そもそもこれだけ広大なエリアをどう封鎖するのか、そしてどう周知するのかという話でもある。いつも通り狩りに来ているパーティがいてもおかしくはない。
「おい」
出発前に設営を手伝っていると、赤茶の少女がイヤリングを光らせながら話しかけてきた。
「はい?」と俺は返事をする。
「はいじゃねーよ。聞いたぞお前ら」
「……なんでしょうか」
「きのう、闘技場に行ったのにびびって帰ったらしいじゃねえか!」
なにかと思えば昨日の話のようだ。言ったのはシューラさんか、あるいはギルド内のうわさか、俺たちが大会に出場しなかったことは伝わっているらしい。
「そうですね」と俺はうなずく。「めちゃくちゃ怖かったです」
「っ! ……?」
俺が素直に認めてしまうと、少女は追撃の手段を失ったかのように口をぱくぱくさせた。
まだまだ口喧嘩に慣れていないらしい。シューラさんだったら高笑いした上で散々と罵ってくるに違いない。
「ベルテンさんでしたっけ」
「……なっ、名乗ってねーよ! 呼ぶんじゃねー!」
「失礼しました。あなたは大会に出た事はあるんですか?」
「あるに決まってんだろ!!」
「ハウンドクラスもですか?」
「とーぜんだ!」
「もしかしてもうハウンドクラスは優勝されているんですか?」
「べ、べつになんでもかんでも優勝すればいいってワケじゃねーだろ。っていうか準決勝のクソ野郎が卑怯だったんだよ! ずーっとシールド張りやがって」
「それは嫌な相手でしたね」
「そーだよ!」
議論がズラされたことにも気付かなければ、あげくには誰も聞いていない敗北の理由を語り始めた。転んだときに必死に「石があった!」「段差があった!」と主張するタイプだろう。
なんとなく、ハウジールドの山で出会った少女、アグニフを思い出す。けれど彼女と比べるにはこの少女は野性味も足りなければ怖さも感じられない。きゃんきゃん吠えるような声にもまだまだ幼さが残ってる。それなりに育ちのいい女の子が不良に憧れてしまって、口調や見た目を真似している、そんな印象だ。
なんにせよハウンドクラスで上位に入るくらいの実力はあるらしい。ここら一帯の魔物ならそこまで苦戦しないだろう。
「あなたも今回の依頼に呼ばれたんですか?」
「ああ? ちげーよ! お前らみたいなのがリーダーに同行できるんだったら、あたしだってそれくらいできるって話だよ!」
「呼ばれてないのについて来ちゃったんですね」
「は!? はあ!? 全然ちげーし! お前らとは全然、ぜんっぜんちげーし! はあ!? はあああ!?」
「言葉をしゃべってください」
「お前らの方がだめだろ! オビッケンもろくに準備できないくせに!」
「それは痛い所を突かれましたね」
「出発が遅れたの、お前らのせいだからな!!」
「…………」
集合場所に一番遅く来たのはシューラさんだったよな、という主張を俺はギリギリで飲み込んだ。おそらくこの手合いは憧れのヒトを侮辱するのが一番マズい。
「そうですね、今回はこれ以上失敗しないよう、気を付けようと思います」
「はっ、そうするべきだな! 大会から逃げるようなヤツが役に立つとは思えねーけど!」
「なんとか生き残りますよ」
「せいぜい逃げ回れよ、ふん」
少女は嫌味に笑うと、握った拳を俺のお腹めがけて突き出した。
とたんに。
鼻の奥から、頭の後ろがツンとして。耳が少し鳴って。
空がうっと黒に染まって、滲んで、落ちて。
「おい」
「えっ」
ああ。
と思ったら、レフィとクーが俺を見ていて。
空が青くて。
口の中が、めちゃくちゃ苦かった。
「だいじょうぶです?」
「起きたのだ?」
空を見ている。ということは俺は、たぶん仰向けで。
レフィとクーがそれを覗き込んでいて。
鼻先と頬に擦れるような痛みを感じて、頭がガンガンした。
「……なに?」と俺はとっさにつぶやいた。
「なにじゃないですよ。ニトさん、自分が倒れたのに気付いてます?」
「ゲボ吐いたのだ」
「ゲボ? 倒れた?」
俺は上半身を起こす。
テントのすぐ横。背中には布が敷いてあった。
口の中が苦いのはたぶん胃液の味だ。
体を起こしたことで、より一層頭の痛みがズンと重くなった。
周囲には俺を気の毒そうに眺める者と、嘲笑する者で反応がふたつに分かれている。
完全に時間がトんだ。
「どれくらい経った? 状況は?」と、俺は事態を飲み込むことに努める。
「運んでからちょっとしかたってないです」
「倒れて、ねてたのにゲボ吐いたのだ」
「ゲボはわかったよ」
俺はレフィから差し出された水を口に含んで、かるくうがいする。
まだ吐き気が残っているようで、最っ高に気分が悪い。
振り払うようにうめき声をひとつ、ふたつ。胸を叩く。
ヒトの数が減っている。すでに出発したパーティもいるのだろう。なにとなくリノーさんの金色の髪を目で探す。もういないようだ。
いま残っているのは街職員のパーティと、物珍しさで俺を観察してるヤツらと、あと、かなり遠くにばつが悪そうな顔をしている赤茶の少女と、退屈そうにしているシューラさんのパーティ。
ああそうだ。
腹に一発もらったんだった。俺。
「いいや、ごめん、行こう。待たせた」と俺は立ち上がる。
「だ、だいじょうぶです?」とレフィ。
「とりあえず行こう。たぶん大丈夫」
街職員の方々も声を掛けてくる。心配しているように見えるけれど、なんとなく迷惑がられているように感じて仕方がない。居心地の悪い思いをするより体を動かしたい。
依頼に実力の足らないヤツラが勝手な都合でついてきて、そのくせオビッケンも用意してなくて、現場に着いたらいきなり倒れて寝ゲロまでオマケ付きだ。
どういった経緯になったか、聞きたくもない。
冗談みたいな腹パン一発で地面に沈められたのを見られているのか、それとも現場に着いて極度の緊張から倒れたとでも思われているのか。
どっちでもいい。知りたくもない。
俺たちがシューラさんの所まで歩いて行く途中、くすくすと笑う声が上がった。笑ってないでさっさと担当の調査に行けよと思う。
この分だと倒れたときには散々と笑われたことだろう。レフィもクーも相当嫌な思いをしたんじゃないだろうか。
「……、……」
「…………」
俺は赤茶の少女と見つめあい、少女は形容しがたい表情で顔を背けた。
俺を罵りたいのは山々だけれど言葉が出てこないのだろう。俺のあまりの貧弱さに引いているフシもある。
俺も俺とて、ちょっと小突かれたくらいで卒倒してしまったわけで、それらをすべて「殴ったお前が悪い」だのどうのと追求する気にもならない。極論を言えばレフィが買ってきたパンをこちらに軽く放り投げて、キャッチしようとした俺の腕が骨折したらどうだろう。謝罪を要求する気にもならないし、謝られるのもなんだか違う気がする。
そんなこんなで、気まずそうにしているだけ、赤茶の少女には乱暴なりに良識があると思うし、たぶん根は悪い子ではない。育ちがうかがえる。
ただ罪悪感があったとしても、この子がシューラさんの目の前で俺に謝ることはないだろう。
「お昼寝は済んだか?」
「おかげさまで」
シューラさんはまぶたをピクリとさせ、赤茶の少女はさらに顔を逸らした。
シューラさんの小ばかにしたような口ぶりにはいっそ清清しさを感じる。この赤茶の少女をどう考えていいか迷っていただけに、シンプルな嫌悪感はむしろありがたい。
「寝転んでたやつがいいご身分だなあ?」
「いえ、まだスピアにも所属していない身分なもので」
「態度がでけぇって言ってんだよ。今日はお前のせいで二回も待たされてんだぞ?」
「すいません」
やかましい声がいやに頭痛に響く。
口論しているだけでまた倒れるかもしれない。
「それじゃベルテン、あたしたちは向こうだ」
シューラさんは俺たちに向け、これから向かう先へと顎でしゃくった。ここまで俺たちが存在していないかというほどの無視っぷりだったが、これでようやく会話が成り立った。今朝はもしかしたら本当に視認できていなかったのかもしれない。きっと朝焼けで目がヤラれたのだろう。涙腺がゆるいお年頃か。
先行するシューラさんの仲間ふたり。そしてシューラさんとベルテン。
姉妹のようなふたりの背中をただ追っている間も、不気味なほどに魔物の姿が見られなかった。やはりマナの濃度が気になるのか、シューラさんも辺りの様子を伺っている。その歩き姿は強者特有の余裕にあふれている。どちらかといえばベルテンという少女の方が緊張しているように見えた。
憧れのヒトの前で失敗できないというプレッシャーからか、あるいはレベル2のエリアで警戒を解けるほどの強さはまだないのか。
しばらく歩くと林の地帯を抜け、大きく平原が広がる場所へ出た。
「……おかしいな」
開けた景色を眺めながら、シューラさんがぽつりとつぶやいた。シューラさんのパーティのふたりも不思議そうに顔を見合わせている。
「何もいないですね」とベルテンが相槌を打つ。
「何もいないんじゃ話になんねぇな。……まあいいや、おい」
おいと呼ばれ、俺はシューラさんの方を向く。
「お前らだけでここ一帯を調べろ」とシューラさんは真顔で指をさした。
「……はい?」
「はい? じゃねえよ。役割分担だ。あたしらは別の場所を調べるから、おまえらだけで同じレベルの仕事をこなしてみろ」
「リーダー、それは危険だ」
口を挟んだのはクーの宿敵、色黒の女性だった。
女性はいたって冷静に続ける。
「ニルも口を酸っぱくさせてただろう。本当に依頼に同行させるなら必ず目の届く場所に置けと。何かあったらこっちの責任になるよ」
「構いやしねぇよ、魔物なんざ居もしねえじゃねえか」
「マナの歪みは“曰く付き”だ。行方不明のパーティが出たってのも聞いただろう?」
「だいぶ前の、別のエリアの話だろ? テント広げて飯食ってたって何も起こらねえよ」
「“昨日の件”もあるよ。今日は大人しくしておいたほうがいい」
「……ちっ。ならベルテンも一緒に残す、それでいいだろ?」
「え、え?」
赤茶の少女がわかりやすくうろたえた。
シューラさんはニィと笑う。
「お前だって無茶言ってついて来たんだ。はやくジャベリンに上がりたいだろう? ちゃんとこなせたらニルに報告しておいてやるよ」
「ほ、ほんとですか!」
「ああ」
「リーダー」
まとまりそうな話に、それでも色黒の女性は注意を入れる。
どうやらこの女性がパーティのリスク管理をしているのだろう。地に足の着いた雰囲気はシューラさんとは真逆の印象を受ける。
シューラさんはいかにも面倒くさそうに顔を歪めた。
「ああもう、ベルテンが付いてりゃ大丈夫だって。なあ?」
「はい! 大丈夫です!」
「ほらみろ、こう言ってる」
「……」
あまり感情の見えない色黒の女性が、ここではじめて苦い表情を浮かべた。
「……わかった。ベルテン、何かあったらすぐに信号石を使うんだ」
「は、はいっ! もちろんです!」
「話は決まったな! それじゃいこーぜ!」
シューラさんはパーティを連れ、さらに北側の林の方へと歩いていった。
ケラケラとした笑い声が遠くに消えると、俺たち三人と赤茶の少女は沈黙に包まれる。
ちらりと少女に目を向けると、少女はすこし逡巡したのち、やはり顔を背けてしまった。
やっぱり、俺を気絶させてしまったことを悪いと感じているようだ。
「ニトさん、どうします?」とレフィ。
「もう平気なのだ?」
「まだふらつくけど、大丈夫だろう」
まだ頭痛は止まない。強がりといえば強がりだ。
朝からロクな目に合ってないせいもあるが、これ以上、あまり格好悪いことを言いたくない。
こいつらを現場で見させろ。
シューラさんはあの会議でそう言っていた覚えがある。その割りに勝手にどこかへ行ってしまった。一日中監視されることを覚悟していただけに、むしろ気が楽になった。
このまま何も居ない平原を適当に視察して、日が傾くころには集合して、報告して、終わり。それでギルドへの加入が認められるなら安いもんだ。
「それじゃあ少し辺りを周るか。レフィもクーも気を張っとけ、魔物が出てくるとしたらレベル2だ」
「わかりました」
「わかったのだ」
「……あ、そういうことでいいですか?」
置き土産の少女のことを忘れていて、俺は一応お伺いを立てておく。
「……ふん」
赤茶の少女はこちらを見ずに、鼻で返事をした。
了承と受け取っておこう。
「それじゃ、まずは今抜けてきた林沿いに、適当、にっ、って」
「わ」
「ニト?」
もつれた足。どさり。
崩れた体勢を戻す間もなく、俺はあっけなく地面に体を打ち付ける。
衝撃が頭痛にジンと響いて、吐いた息が背の低い雑草を揺らした。
ふつうに、何も無い場所で、ただ、転んだ。
なんだか。
もうこのまま起き上がりたくない。そんな気持ちを鼻から吐き出して、おれはゆっくりを身を起こす。受身は取れたからケガはないけれど。
なんだよ、もう。
「ニトさん……」
「いや、違う。今のは普通に転んだ」
「大丈夫なのだ?」
「ダッセ……」
聞き捨てなら無い言葉に顔を上げると、赤茶の少女はやはりツンと顔を逸らす。
「……なんでしょうか」
「いや、だっせぇなって」
「まあ服のセンスはないって言われてますが、これは僕が選んだものじゃないので悪口は止めてほしいなって」
「お前そんなんで何ができんの?」
本気でゴノーディスに入るのか?
赤茶の少女は俺の軽口を無視して、呆れ半分にそう続けた。
言い返せる部分がひとつも見当たらなくて、俺は静かに首を振った。
「どうも、お世話になります」
「顔の面の厚いヤツだな」
「今後ともご贔屓に」
「おまえギルドでも嫌われてるの気付いてるよな?」
「憎まれるようなヤツほど世の中に生き残るとも言われますし」
「……リーダーがお前のこと嫌いなのがよくわかるよ」
少女は吐き捨てるように言った。
……お前に何ができるのか、か。
まあ、確かにな。
「……っ! ……!?」
クーの耳がピンと立つ。
いままでとは比べ物にならないくらい挙動不審に、それこそ高級料理店の近くを通ったときと同じようにキョロキョロし始めた。
いったいどうした。
「クー?」
「んんっ!? ん!」
クーはスンスンと鼻を鳴らしながら、平原のひらけたほうへ、右に左によたよたと歩いていく。出店のひとつでもあればわかるけれど、そっちには広大な土地しかない。開拓に目覚めたのだろうか。
「クー? おい」
俺たちはクーの後を追う。
小さな後姿が立ち止まったのは平原のド真ん中。俺たちが歩いて追いつくと、クーはその場で上を向き、さまざまな方角へ回転しながら深く呼吸を繰り返す。
「クー?」
「すっごいおいしい感じがしたのだ」
「またか。それってどんな感じなんだ?」
「えっと、えっと……」
「ニトさんニトさん!」
レフィに呼ばれて振り返る。レフィは俺を見ておらず、その顔が向けられている方へと俺も視線を向ける。良く見れば遠くの景色の一部が少し揺らいで見える。
……なんだ? 土ぼこり?
「魔物っぽいの来てますよ!? なんですかあれ」
「やっと来たか」とレフィの言葉に赤茶の少女も身構える。
「魔物? どんなだ?」
「たくさんいます。おっきな、なんでしょう、虫? からだはうすい紫色で白い斑点があります!」
「虫ならこのエリアの魔物で間違いない。腕が刃物みたいになってるヤツか?」
「そう! そうです! ほんとそれです! こっちに向かってます!」
「数が多いと厄介だな、早めに……」
…………待て。
紫色に白の斑点?
「……レフィ」
「はい?」
「体の模様に間違いは無いか?」
「え?」
「見間違いじゃないかって聞いてる」
レフィはなぜか俺の顔をじっくり見つめたあと、緊張した面持ちで頷いた。
口調か表情か。たぶん、俺の緊張がそのまま伝わってしまった。
たぶん見間違いじゃない。見間違いであってくれない。
絶望的なほどに、レフィの目は優秀だ。
しん。と辺りの温度が一段と低くなったように感じた。
顔に血が上って、耳がやけによく聴こえた。




