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アタシは柴犬よ

アイツはアタシに居場所を作り、それからアタシにキスをして、永遠の命が欲しいならペディグリーチャムを食うことだと言った。


アタシは柴犬だ。名前はない・・・けど、アイツからはハニーと呼ばれてる。

栃木のほうで生まれたらしいけど・・・アタシは意志の力はだれにも負けない。だけどザンネンなことには記憶が人一倍ないの。だからおぼえてない。気づいたらペットショップで、檻の中で暮らすことになった。ただ生まれたってだけで犯罪者のような扱いでやんなっちゃう。


アイツとの出会いは売られていたアタシを見つけたの。女を買うゲスな男…なんてね。

まあ、感謝してるよ。それまでずっと孤独だったし、気づくとペットショップにいたし、昨日までの日常なんていきなり変わってしまう。安心なんかこの世にないと思っていた。まともに眠れたことなんかない。売れ残って殺処分されてたかもしれないし。


アイツも親友が酒のせいで廃人になり生きているのが虚しくなって憂鬱だったみたい。生きるというのは何があるかわからないけど受け入れられないようなことは平気で起きていたそう。

あとアタシを買ったせいで偽善者なやつらに「いまこの瞬間にも殺処分されている動物がいるのに犬を買うなんてひどいやつだ」と言われたらしいし。

アイツはNPOとか譲渡会にいって捨て犬をひきとろうとしたみたいなんだけど「独身者にはあげられない」とかなぜ動物を飼いたいのか作文書かされたり、根掘り葉掘りきかれたらしい。バカバカしくなって諦めたみたい。

よいことをしようとしてるアイツが犯罪者のような扱いされてるの。気の毒すぎて笑っちゃう。

初めて家に連れてこられたときは緊張したわ。今度はもっと小さな檻に入れられるんじゃないかって。だけど拍子抜けするほど自由だった。室内だし、アイツはバカでねだればおやつをくれるし。こうしてアタシは自分のホームができていったの。


アイツはコバちゃん。アタシはコバってよんでる。アタシに首ったけで仕事以外はずっとそばにおこうとする。おやつで柴犬の心を引こうとして下心がみえみえでやんなっちゃう。

職業は木工の職人だって。ほんとかしら、本の重みでかたむいた棚はそのままだし。アタシが鼻を押しつけて破いた障子もそのままだし。机の足はネジがゆるんでグラグラなのに気にせず使ってる。どんだけ、テキトーなんだよって。そんな奴が会社で家具やらを作ってるなんて信じられない。

コバはよくジャズベースを弾いている。『スペイン』って曲をアタシに聴かせたくて近よってくる。だけど、うるさくて聴くに耐えないから逃げるの。


彼は汗っかき。皮膚が赤ちゃんみたいで弾力あってとても活発。そのくせに少食。

少ししか食べないのにプロテインは飲むわ飲むわ。まったく意味わからない。脳みそウエハース状態。飲んだあと読書をする。さいきんはチャック・パラニュークばっかり。絶望ばっかりで何がおもしろいのかしら。二三ページ読むと眠くなる。これが彼の毎夜くりかえす日課。

アタシは柴犬ながらときどき考える。人間は同じことの繰り返しを生きていて、犬よりバカなんじゃないかって。安定した仕事について安心だなんて、犬より不自由。アタシは毎日散歩コースが違うわよ。ペディグリーよりサイエンスダイエットのほうに好みが変わってきてるし。アタシはアイツに生きがいを作り、それからアイツのほほをなめて、永遠の命が欲しいなら毎日違う散歩コースを歩くことだと言った。アタシが散歩してあげないとコバは不健康になる。

 

 アイツでつとまるんなら犬でもできないことはないでしょ。それでもコバに言わせると仕事ほどきついものはないそう。人間がまるでバカなんだって。友人と酒のみながら話してた。

「上司がよお、『おめえ、上の人間に対してなんて口の聞きかただ』とかいうからよお、おめえこそ、下の者に対する口の聞きかたがなってねえべよ。おりゃーよ、おめえが口の聞きかた改めりゃ、こっちだって直してやりゃあって言ってやったよ。日本は儒教?だかの影響で上には無条件で従うみたいな価値観があってよお、それに甘えてんじゃねえよって。度がすぎりゃあ誰だってキレるって」

「違う上司もポンコツでよお、定年前に降格にさせられたくせに、おれに対してあんま休むんじゃねえとかいうからよ。言ってやったんだよ。定年前に降格させられる会社じゃやる気起きませんよってな。あのポンコツ、怒って顔真っ赤にしてんだけど言葉もってねえから出てきやしねえ。にらみつけて黙ってやがんの。バカが自分の境遇を見つめ直したりせずに、どうにもならない情けなさなどのイライラを人にぶつけて晴らそうとするからやり返されるんだって」

「下の者もよお、狂っててよ。下の者同士でもめててよ。弱いほうがいじめられるようになったみたいだわ。それ見つけたから助けてやったの。おれ。まあ、かっこいいから。そしたら後輩もバカでよ。おれの上司にいえばもっと根こそぎ解決してもらえると勘違いしたんだわ。そんで上司に相談したら『やられたらやり返せばいいんだ』とか後輩もバカなら上司もバカなアドバイスしたんだわ。後輩もできねえから相談してんのに落ち込んじゃって。相談するやつ間違ってんだ、バカと思って。おれも助けるのがバカバカしくなったよ」

「バカがバカのまま気持ちよく生きてやがっててよぉ、それじゃ人間は考える葦じゃなくて、考えずに恥、だっぺよ」

友人がたずねてきたんだから自分ばかりしゃべってないで聞き役に徹しなよって思う。チョー自己中。まあ、仕事がキツイのはよーくわかりました。


自己中で思い出したからちょっとアタシの家の主人がこの自己中で失敗した話。

もともとアイツは何といって人に勝れてることもないのに、何にでもよく手を出す。よくいえば多趣味。わるくいえば飽きっぽい。本音をいえばバカみたい。文章をかいて小説家にみてもらったりたり、銀細工をクラフトマーケットにだしたり、まちがいだらけの楽譜をかいたり、たまにマラソンをしたり、剣道を習ったり、またあるときはコントラバスなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒なことには、どれもこれもモノになってないの。


大きなエコバックをさげてあわただしく帰ってきた時があった。何を買ってきたのかと思うと、棒針と毛糸とベルンド・ケストラー『表目と裏目だけで編むニット』という本で、今日から剣道やジャズをやめて編み物をやる決心とみえた。はたして翌日から当分のあいだというものは、毎日毎日部屋で編み物ばかりしている。しかしその編み上げたものをみると何を編んだものやら、「開運!なんでも鑑定団」でも鑑定がつかない。でも、それでいいと思う。何かに秀でて権威になると人はチョーシこむからね。元来人間というものは、自己の力量に慢じてみんな増長している。少しは人間より強いものが出てきていじめてやらなくては、この先どこまで増長するか分からない。ここらへんは『吾輩は猫である』で読んで勉強した。


あれっ?なんの話をしてたっけ。そうそう、ジコチュウで失敗した話。忘れちゃった。

柳美里が南相馬に『フルハウス』って本屋をオープンしたから行ったんだって。その時、外は嵐で。天気予報は台風だから気をつけてください。外出は極力なさらないでくださいといってるのに自分は大丈夫だって福島まで行っちゃったの。喜び勇んでさ。

柳美里あえたら「ファンです」と伝えようとか「茨城から来ました」といえば感激してくれるだろうとか都合のいいこと考えて店の前まできたら…休みだったんだって。マジでバカ。

そんで呼び鈴ずっと鳴らしてたの。おれが行ったのだから開けてくれるだろうと信じて疑わないの。

結局、嵐なのに傘も持たずに行ったから呼び鈴を鳴らしてるうちに全身ビショビショになって近くのスーパーで洋服買って着替えてそのまま茨城に帰ったの。自己中がまねいた失敗。そんなのばかり。

カマシ・ワシントンバンドが来日した時にどうしてもベーシストのマイルス・モズレーと話したいからビルボードのステージに登っていかにマイルスが好きか本人に話しかけてスタッフに追い出されかけたり。バカのレベルが年々取り返しのつかないレベルになって来てる。

だからアタシにおやつあげさせたり、背中をマッサージさせたり、散歩に出かけさせたり、気を使うことを学ばせてる最中。


ある日アタシは縁側に出て心持ちよく昼寝をしていたら、コバが図書館から帰ってきてアタシの背中をなでながら読書をしはじめた。アイツは退屈と疲労をかきまぜたような声をして、「クッソつまんねえ」と言いながら読んでいる。

そういえばアタシはこの家に来てから熟睡するようになった。安心しているのだろう。コバも深刻な本ばかりでなく『生活と意見』などを読むようになった。



アイツが文化センターでジャズのコンサートをしてきたときのこと。コバはtrigraph『goody goody』のアドリブでミスしでかしたらしい。落ち込んで帰ってきたので顔をなめてあげたりしてなぐさめた。アタシだってあつくて昼寝する場所をさがすのもたいへんなんだからね。


頼りにされることで命が生きる。うっかりコタツで寝てしまえば暖め合う。助けあうその瞬間こそが永遠なのだ。


アタシは食事をサイエンスダイエットにかえてから太らなくなった。

健康的にその日その日を暮らしている。

コバはアタシがいないとダメになってしまうから生涯この家の柴犬でいてやるつもりだ。

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