第六十話
試合は宇山江が完全に一本取った気だし、相手も一本取られたと思っていたので一時中断に近い形だったのでお互いに仕切り直しの形で再開する。
剣道は先の先、後の先と言ってとにかく先を取った方が勝ちと言うルールが有る。“先”を取るべく、お互いに竹刀の切っ先を押しのけたり、敢えて相手に隙を見せて突っ込ませようとしたりと、巧妙な心理戦が行われる競技だ。
最も攻め込まれ難い形が中段の構え、つまり剣道と言って誰もが想像する構えになる。中段の構えが最も一般的なのは攻めにも守りにも転じやすいという剣術での名残からである。また、刃物を前に突き出すことで相手を威嚇するという意味もあり、これが最も一般的な構えなのだ。
次に上段の選手。これはまず熟練者でなければ出てこない。上段を練習するには中段で強いと思われなければいけない。と、言うのも上段は竹刀を大きく振り上げる形で構えるために隙が大きいのだ。下手をすると胴を一本抜かれたり小手を打たれたりする。また、喉元が大きく開いているので不意の突きを食らう可能性も有るのだ。
今回の場合は誰も上段が居ないので上段を見る機会も殆ど無いだろう。
次に有るのが二刀流。こちらはほぼ大人の剣道、または大学剣道位でしか見る機会がない。しかも、二刀流で強い人は本当に僅かであり、まず見ない。左手に小太刀を模した防御用の竹刀を持ち、右手に通常の竹刀を持っている。
また、指導方針もあり、基本的に一刀を極めてから二刀ね、と言う流れになる。そして、一刀ですら極めるのが難しくその内二刀とか無理となるのである。第一、二刀流自体、片手で竹刀を振るうのは実に難しい。経験者ですら片手竹刀は難しいのだ。
試合が始まり宇山江が何本か面や籠手を打込み、昇以外の全員が旗を揚げあっけなく三本取ってしまう。お互いに別れをしてから、宇山江が昇を呼びつけた。
「お前、絶対私が一本取っ手も上げないだろ」
「アレは五段持ちの剣道ではない」
昇はそう切り捨てると邪魔だと告げて場外を指差す。これは剣術の話しであるが、まずは10年。10年やると自分の強さが分かるように成る。次に10年やると、自分の弱さが分かるように成る。そして、更に10年やるともう訳が分からなくなる。
剣道もそれに通じるのだ。
「五段の私がこのままやると全員勝ち抜いてしまうのは目に見ているので次鋒と代わりまーす」
宇山江はそう宣言すると、慶太郎にとっとと面付けて出ろと引っ込んでしまう。慶太郎はでしょうねと予期していたらしく、アップを止めて素早く面を付けた。
それから、手順を踏んで二回戦目が開始された。次鋒同士の戦いである。
相手は二年男子、名前は桜井と書いてある。体格は170前半で痩せ型、小刻みに前後に動く動作をして相手の出方を伺っている様子だ。
剣道には概ね二通りの選手がいる。よく動く選手と余り動かない選手だ。よく動く選手は数で攻めるタイプで次々に打込みをして相手を萎縮させる戦法をとる。逆に余り動かない選手は相手が攻撃を仕掛けてきたらカウンターを取ったり、隙を見せたら其処に打ち込むという一撃必殺の剣道をする。
そして、慶太郎の周りにはどちらかと言えば動かない選手が多い。昇や仁は全くと言っていいほどこちらのフェイトに乗ってこない。真もフェイントを仕掛けて打込みをしようとするがそれを力で押さえ込んで来ることが多い。
昇と仁の剣道は一切動かないので興味が無い人間が見ていると全くもってつまらないのだが、お互いの間に流れる空気はキメラと対峙する魔法少女のそれと同じであり、真も慶太郎も緊張感を味わいながらそのやり取りを見ているのだ。
慶太郎は相手の動作に翻弄され不用意に打込みを繰りだそうとした所に出小手を打ち込まれた。出小手とは相手が動作をする際に先制して小手を打つ方法であり、上級者は出小手、面がうまい。そして、これは剣道の基本だ。
桜井はそのまま気声を上げて慶太郎から離れるように後ろに下がる。慶太郎はそれを慌てて追いかけるが昇はまっすぐと桜井に旗を上げ、鬼頭もそれに次いで旗を上げた。真が後ろからドンマイドンマイと声を掛ける。
その後、慶太郎は相手に調子を取られたまま引き胴で一本取ったが結局三本取られて終わった。
「“実際”ならお前は死んでいたぞ」
昇の言う実際はきっと魔法少女としての戦いであろう。
「はい、すいません」
「理解しているのなら良い」
昇はそれだけ言うと、肩を叩き真を見る。真は敵討よ!と意気込み、面三本だけで相手をストレートに倒す。
「お前の剣道は乱暴でガサツだ。
このままじゃ宇山江二号に成るぞ」
昇の言葉に真はそれは嫌だなぁと割りと真面目に嫌そうな顔で告げる。そして、昇の後頭部にボスンと籠手付きの竹刀が突き込まれた。
「誰が乱暴でガサツだ」
「其処に姿見が有るから立ってみて下さいよ。
其処に写ってる人が乱暴でガサツな奴ですよ」
昇は邪魔だから下がれと告げてから中堅戦に成る。
真は先程のキレが無くなり、何やら考えているような戸惑いが見えた。多分、乱暴、ガサツと言う二点をイマイチ理解できていないのだろう、打込んで行くだがどれも中途半端なのだ。そうこうしている内にあっという間に小手と面で三本取られて負けてしまった。
「お前に素晴らしい言葉を贈ろう」
昇はそう言うと『Don't think Feel』と告げた。そして、お前は脳みそ筋肉だから考えて分かるものでもない、他人と竹刀を交えて経験を積むしか無いと言い切ると、旗を渡す。すると、宇山江が相手選手の方に寄って行き何やら耳打ちする。相手選手が驚いた様子だが、宇山江はカマヘンカマヘンと言う感じで昇を指差す。
「お、何か企んでる」
「フン、どうせ下らん事だ」
昇は面を付けて件の黒い竹刀を手に取り前にやって来る。
そして、試合が開始されるとお互いに気声を上げる。相手は女子。身長は160前半で名前は宮田と言った。女子にしては恰幅が良い。当たりが強そうだ。宮田は小刻みに動きまわるタイプの選手であった。左右に小刻みに動き、切っ先を左右に動かしている。
昇はその動きに一切の動揺を見せない。昇にとって仁、宇山江と真以外の女子選手は初めてであり、正直言ってしまうと実に楽に一本取れる気がする。昇がそんな余分な事を考えていた瞬間だった。相手が竹刀を巻き上げようとしたのだ。
巻き上げがヘタだったので竹刀は飛ばされなかった。巻き上げとは、言ってしまえば竹刀をテコの原理で相手の手から落とす技で剣道界ではこの技で試合に勝つと卑怯者呼ばわりされる。同時に、喧嘩を売っていると思われても否定出来ない戦い方である。
「……」
一旦止めが掛かり、昇は右手に竹刀を持つとそのまま数回回し、首の骨を鳴らすと開始線に立つ。始めと号令が掛かると昇が先程よりもより迫力のある気声を上げる。宮田は先程と同じ様に切っ先を必要以上に動かし左右に動かし始めると、昇は竹刀を軽く振り上げてそのまま相手の竹刀上部をスパンと叩き、竹刀を叩き落とす。そして、そのまま引き面を叩き込んだ。
この引き面は満場一致で昇に旗が上がる。
「大人げないぞー」
そして、宇山江がそんな野次を飛ばし、仁と慶太郎が宇山江に姿見はあっちですよと指差す。二本目以降は完全に宮田が昇に萎縮してしまい、昇の三本勝ちで終わってしまった。試合が終わったあとに昇が宮田を呼び付ける。
「す、すいませんでした」
「構わない。君はあの税金泥棒の言う事を聞いたまでだ。巻き上げてやれと言われたんだろう?」
昇の言葉にハイと宮田が頷いた。
「君のあの切っ先を無駄に動かす理由は?」
「えっと、あの、相手の切っ先をいなそうと思って……」
宮田がおっかなびっくりで答える。昇はフムと腕を組むと、取り敢えず、切っ先をいなす理由を考えろと告げ、済まなかったなと宮田を開放した。審判は真から宇山江に変わっている。
それから場外に戻り、相手を待つ。相手は男子副将と代わり鬼頭が面を付けて前に出る。鬼頭は身長190cmで体格はレスリングや柔道をやっていると言われても納得できるほどがっしりとした体格だ。三八の竹刀が短く見える程に巨大な体格である。鬼頭の目は親の敵か何かを見るかのように復讐心に似た気迫迫る眼力がこもっている。
昇はそれに対して涼しい顔で竹刀を構えた。
「鬼頭先輩と昇にズッと負けっぱなしなんだよね」
脇でボーッと試合を見ていた仁に対して真が耳打ちする。仁は成る程な~と実に他人ごとの様に頷いた。
因みに、相手の控え選手や見学者は全員正座をしているし、真と慶太郎も正座をしているが仁は胡座をかいて座っていた。
「昇も中々強いからねー
まぁ、技術が追い付いてないけどさ」
仁はそう笑い、そういえば、私ってもう試合無い系?と笑う。それと同時にズバンと実に良い音がした。見ると、昇が胴を打ったらしく鬼頭の脇を抜けていた。鬼頭は竹刀を振り上げたまま固まっている。
2人がどうなったんだ?と言う顔で慶太郎を見ると、鬼頭先輩が上段に変えてたみたいですが、胴を一発で抜かれましたと答える。
上段の最大にして唯一の弱点であるがら空きの胴を撃たれたのだ。
「あれ?鬼頭先輩って中段だったよね?」
「ええ、どうも先輩対策で上段に変えたっぽいですが逆に仇となったようですね」
上段が完成せずに持ってきたのだろう。また、上段でどれだけ通じるかを試したかったのだろう。
「上段はムズいからね~
私もあんまり使わないや。手も疲れるし」
「と、言うか仁さん剣道の中段も怪しいじゃないですか」
「えぇ?中段は中段でしょう?」
仁の中段は中の下段と言っても良いほど切っ先が低い。故に打ち込んでやろうと前に出ると籠手やら胴やらが飛んでくるのだ。誘いが実に上手く、ゆらゆらと揺れる切っ先が相手は弱いんじゃないか?と言う誤解を産ませる。
仁と宮田は切っ先が遊んでいるが、宮田はせっかちに動かしているように見えるだけで、仁のはまるで海流に揺れるわかめか昆布のような芯のない揺れ方だ。最も、宮田がやろうとしているのは相手に打突を誘う為ではないので比べるのはお門違いであるが。
「ッ、まだまだァ!」
鬼頭はそう声に出すと上段に構えた。昇はそれに足して何も答えず、静かに竹刀を構える。そして、始めと声が掛かり鬼頭が気声を上げながら面を振り下ろそうとし、昇が右籠手からの胴を打ち込んで脇抜ける。これもやはり綺麗に入った。
宇山江がスゲーぇと他人ごとのように笑いながら旗を上げている。
「お前、上段止めて中段にしろって。
このままじゃ、一本も取れずに終わるぞ」
宇山江が鬼頭に告げると、鬼頭はいえ、これで良いんですと息を弾ませながら答える。
「無粋な事を言ってやるなよ、先生。
彼は上段を極めようとしているんだからさ」
仁がと~と上段からの面をやっているのか、フェンシングの突きの様なポージングに成りながら告げる。昇は何も言わず、息すらも弾ませずにただただ開始線の前に蹲踞している。主審役の櫻丘コーチが位置に、と鬼頭を促し、鬼頭はウッス!と気合の入った声で開始線に蹲踞をして構えた。
最後の一本だ。主審が2人が位置についているのを確かめ、交じり合う切っ先が出過ぎたりしていないかを素早く確認すると頷き、始め!と声を掛ける。鬼頭と昇は素早く立ち上がり、裂帛の気合が篭った気声を上げた。
一試合は3分で一本が入った時や主審が中断の号令を掛けた時以外はタイマーは動き続ける。基本的に剣道の試合にはタイマー係、合図係、ボード係の3人が居る。この合図係とはブザーを持っており、3分経った時に主審に終了を告げるのだ。
最も、他校に行って行う練習試合は3分を計るタイマー係がこの合図係を兼任する。ボード係はその試合の結果をホワイトボードや場合によっては白い紙に書いていく。櫻丘の場合は専用のラインを入れたキャスター付きホワイトボードと対外試合用の試合ノートを用意しており、そこに書き込んでいる。
桐明高校剣道部にも同じようなものはあるし、対外試合用ノートもあり、これは真が用意して持ってきており、ちゃんと記入している。と、言うか昇も仁も正直、剣道の記録や誰が勝って誰が負けようがぶっちゃけどうでも良いと言う感じで剣道部への寄与という考えが殆ど無い。
仁に至っては構えなどは全くの素人で時々すり足や構えが逆に成っている時すらある。最も、それを指摘すると実際そんな事気にしてないから大丈夫と告げるので真はもう諦めた。
昇と鬼頭の睨み合いは中々どうして様になるものだった。昇と対峙すると一切の動揺を感じない昇に対して、誰もが焦ってしまう。こちらの威圧を一切感じず、こちらが一歩踏み込んで脅してみせようとすると透かさず半歩踏み込んで先制を打つ。
それに動揺した瞬間に面や籠手、少しでも手を上げてしまえば胴を抜かれる。昇に対向出来るのは実際、仁か宇山江だけだろう。
他にベルサイユこと健も昇にいい勝負をしそうだが、不用意に踏み込んで一本取られるというのが想像しやすい。
膠着状態に近い現状で、昇はこのままタイムオーバーをすれば二本先取しているのでそのまま勝利だ。焦る必要がない。鬼頭は一本も取っていないので逆に少々焦りを感じているのだろう、先程よりも攻めの機会を得ようとする“仕掛け”が多い。昇はそれに足捌きだけで対応し、切っ先は一切ブレずに鬼頭の喉元に向かっている。
ちなみに、上段相手に中段の構えを取ると、若干腕を上げて対抗する者が多い。と、言うのも相手が中段の構えなら、通常の構えで言っても間に合うのだが、相手が上段だと振り上げている状態なので、こちらの挙動が少しでも遅れるとあっという間に一本取られてしまうのだ。
故に若干上目に中段を構えているのである。しかし、昇は違う。通常の中段を構えており、鬼頭の上段なぞ、相手にならんと言わんばかりだ。無論、鬼頭はそこに気が付いていないだろうが、主審をやっている櫻丘の顧問は気が付いていた。
そして、この勝負は鬼頭の大敗であると確信していた。
「メリャァァァ!!」
遂に痺れを切らした鬼頭が凄まじい勢いで面を叩き込む。通常、剣道では打突部位を声に出しながら打っていくが、試合ではこの「面」や「籠手」、「胴」といった言葉が全くと言って良いほどに気声に変わっており言葉だけ聞いても何処を打ったのかわからない場合が多々ある。
鬼頭の面に対して昇は待ってましたと言わんばかりに鬼頭に逆胴を奪い去った。
逆胴とは通常打たれる側から見て胴の右を打たれるのだが、左側を打たれる胴を逆胴と言う。試合では実はこの逆胴中々決まらない。良いのが入ったと思っても、決まらない。
と、言うのも逆胴、つまり左胴は刀の鞘や脇差が差してある為、基本的に此奴等に阻まれて胴が入らないという考えがあるので、入りにくいらしい。
が、昇の逆胴は見事としか言いようがなく、綺麗にすっぱりと入ってしまう。故に全員が文句無しと旗を上げた。
「詰まらんやっちゃのぉ。一本ぐらい取られてやれよ」
試合が終わり、宇山江が昇に告げると、昇は寝言は寝てから言えと告げて面を取りに行ってしまった。




