狂乱への序曲
――最下層 キャンプ地
一郎とピコが火にあたりながら、のんびりと雑談している。
主に内容はこの世界についてであったが、二人の相性も悪くないらしく、様々な方向へと話が広がっていた。
「……一つ目巨人か」
「冒険者が言うには、一体で国を滅ぼす首領級の魔物として分類されているらしいです」
それを聞いて、一郎の頭に浮かんだのは特撮などで出てくる怪獣であった。
あれと似た類であるなら、確かに国を滅ぼしてもおかしくはない。中には幾つもの階層を滅ぼした、災害級と呼ばれる魔物も居るらしい。
「ピコは色んな事を知っているんだな」
「昔、両親が冒険者を良く泊めていまして……その時に、“上”の色んな話を聞き集めて、本として沢山遺してくれたんです」
「そうか」
一瞬、場に重い空気が流れる。
その両親はもう、この世にはいない。重い空気を変えるように、ピコが場違いなほどの明るい声をあげた。
「あっ、そうだ! 一郎さん、干し魚があるんですよっ」
「魚……」
ピコが干し魚を出したが、一郎は暫くの間、それをじっと見ていた。
手を付けようともしない態度に、ピコが慌てて口を開く。
「す、すいません。一郎さんの口に、こんなのは合わないですよねっ!」
「いや、違うんだ」
一郎の30代は入退院の繰り返しであり、度重なる治療の経緯で“味覚”を失っていったのだ。味覚だけではなく、食感も。
最後の三ヶ月に至っては悲惨である。噛む力、飲み込む力も失い、何かを食べるという事すら出来なくなっていたのだ。
(……本当に、食えるんだろうか?)
恐る恐る干し魚を口に入れ、噛んでみる。
頑強な歯は易々とそれを千切り、瞬く間に喉の奥へと嚥下された。久しぶりに味わう魚の味に、一郎の胸に熱いものが込み上げてくる。
「こんなものしかなくて、すいませんっ」
「……十分、美味いよ」
一郎がローブを深く被りなおす。知らず、涙が浮かんできたからだ。
失ってしまった“味”を感じた事に、噛める事に、飲み込める事に、どうしようもなく感情が揺さぶられ、一郎は暫く無言で干し魚を噛み続けた。
そんな一郎の姿を見て、ピコは口に合わなかったのだと思い、まるで見当違いの事を口にした。
「この干し魚は本鱒なので脂肪が少なくて……本当は、一郎さんにもっと美味しい紅鱒を食べて貰いたかったのですが、僕達には中々……」
「紅鱒……?」
「は、はいっ! 脂肪が多くて凄く美味しいんです! 焼いた身に、細かく砕いた岩塩をかけて食べると舌が蕩けるようで……っ!」
「……へぇ」
それは短い返事であったが、籠められた響きは重い。
今すぐに飛んでいって、腹一杯になるまで食いたいとさえ思った。
ピコが言うには、紅鱒はオーガ達への献上品であるらしく、滅多に口に出来ないという。
それを聞いて、一郎ははじめてオーガという種に苛立ちを感じた。
美味しい食べ物を自分達だけで独占するとは、どういう事だと。点滴だけで暮らしていた日々を思い、一郎の胸に黒い感情が沸いてくる。
「あっ、一郎さんっ! 見て下さい、砂リスの巣穴を見つけました……」
「リス?」
ピコが立ち上がり、静かにその穴へと近寄っていく。
そして、腰からナイフを抜いたかと思うと、一気に穴へとそれを突き刺した!
「やりましたっ! 肉です!」
「そ、そうだな……」
リスと思わしき生き物の額にナイフが突き刺さっており、そこからドクドクと血が流れていた。ピコはそれを宝物のように掲げる。
一郎も引き攣った笑みを返すしかなかった。
「早速、血抜きの後に皮を剥いで解体しましょうっ!」
「お、おぅ……」
ピコが手際良く足に切り口を入れ、両手で皮を引っ張る。
面白いくらいにペリペリと皮が剥げ、剥き出しの肉が現れた。
一郎は思わず目を逸らしたが、ピコは鼻歌交じりにリスの腹を裂き、内臓部分を捨てては土の中へと埋めていく。
「この砂袋を早めに取らないと、肉が砂みたいにジャリジャリするんです」
「そうなのか……」
勝手の分からない一郎としては、頷くしかない。ピコはサクサクと肉を小分けにしたかと思うと、次に大きな中華鍋のようなものを取り出す。
そこへ魚油を投入し、肉片が次々と放り込まれた。
肉が炒られる香りと、魚油の独特な香りが辺りに広がっていく。
「随分と、手際が良いんだな」
「ここでは、食べられるものは何でも食べないといけませんので」
言いながら、ピコが小松菜のような野菜を刻み、鍋へと投入する。
辺りに広がる香りが、より濃厚になった。
「ピコは、ずっと自炊してきたのか」
「えぇ、もう慣れたものです」
その言葉に一郎は逞しさを感じつつも、同時に悲しくもなる。
こんな小さな子供が、両親を亡くして一人で生きてきたのかと思うと、やりきれない思いが沸いてきたのだ。
「一郎さん、上手に焼けましたっ!」
「……そうか。じゃあ、遠慮なく頂かせて貰う」
現代日本では、ありとあらゆる食材が揃っていたが、流石に一郎もリスの肉を食べた経験はない。いや、正確には砂リスと呼ばれる生き物であったが。
ピコから渡された、木で作られたフォークを使って口の中へと放り込むと、柔らかい食感と、久しぶりに味わう肉の風味が一気に舌の上で広がった。
「うまいな!」
「本当ですか!? お口に合って良かったですっ!」
「それに、小松菜もシャキシャキしてるぞ! シャキシャキだ!」
「はいっ、シャキシャキです!」
何故か二人がハイタッチを交わし、炒られた肉片や小松菜を次々と口の中へと放り込んでいく。量こそ少なかったが、贅沢な味であった。
「一郎さん、これが本日のデザート……砂リスの目玉ですっ」
「おぉ……! え?」
「ささ、どうぞっ!」
「えっ?」
掌に乗せられた、それなりに大きな目玉に一郎の顔が引き攣る。対照的にピコはニコニコとしており、その表情を見ていると悪気はなさそうであった。
「どうしたんですか、一郎さん? 砂リスの目玉は栄養に優れているんですよ」
「いや、流石にこれは遠慮し――」
「……やっぱり、口に合わなかったんですね。すいません、こんな貧しい食べ物を出してしまって。きっと、干し魚も気を使って美味しいなんて――」
ピコの目からハイライトが消え、レイプ目となった。
心なしか、全身から黒いオーラまで滲み出ている。
「た、食べよう! いやー、今日は目玉が食いたかったんだよな~!」
「やっぱり、そうでしたかっ! ささ、遠慮なくどうぞ!」
意を決し、一郎が目玉を口に放り込む。
プチッ、と小さな音が響いたかと思うと、口の中に生温い液体が広がった。
「どうですかっ、一郎さん?」
「け、結構なお手前で……」
「気に入って貰えて嬉しいです! 次は砂蜥蜴の目玉や睾丸も用意しますね!」
(食える訳ねーだろッ!)
一郎は反射的に突っ込みたくなったが、ピコの無邪気な表情を見て、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。手渡された水筒で口を濯いでいると、頭の中に重い声が響き、一郎は派手に水を吹き出す。
「わぷっ! 一郎さん、何をするんですかっ」
「頭の中に、声がッ! まさか目玉の呪いとか言うんじゃないだろうな!」
「ちょっ、呪いってどういう意味ですかっ! やっぱり、気を使って嫌々食べたんですねっ! そうなんですねっ!? 一郎さんの馬鹿っ!」
「いや、ちょっ、離れろっ! 絡みつくな!」
ピコと一郎がじゃれあう中、頭に響く声は容赦なく続いた。
周囲に舞う埃すら鎮めそうな、威圧感のある声である。
《――御方、御報告があります》
《うぁぁぁぁ! やっぱり目玉の、呪っ……》
《御方!? 如何されましたか!?》
《あれ……? デスアダーか……い、いや、何でもない……》
相変わらず、万人を平伏させそうな重い声である。一郎が慌ててコマンド画面を開くと、未発動となっていた能力の一つが表示されていた。
そこには機密通信と記されており、配下の魔神だけではなく、顔を浮かべた相手と離れた場所からでも会話が出来るとある。
現代人らしく、一郎はこれをスマホのようなものか、と理解した。
《将軍なる蟻を踏み潰し、現在は残った蚤どもを虱潰しにしております》
《そ、そうか……仕事が早いね……》
《この地の人間には、御方の名を永世に渡り称えるよう、撫育して参ります》
(スーパー迷惑なんですけど!?)
一郎は思わず叫びそうになったが、反対意見でも漏らそうものなら、首を引き千切られるとでも思ったのか、沈黙する。
《畏れながら……御方はこの先、どのように動かれるのかお聞きしても?》
《そう、だね……敵のボスを狙おうと思っている》
一郎も馬鹿ではない。あれから、様々な事を考えていた。
どうせ戦わなければならないなら、その回数は少なければ少ないほど良いと。
体が健康になっても、あの厨二行為が続けば先に精神が焼き切れるであろう。
《――ハートランド戦略、ですな》
《ん……うん……》
生粋の武人であるデスアダーが、聞き慣れない単語を口にする。
一郎は反射的に、「ディ○ニーランドとかの親戚か?」と聞きそうになったが、それっぽく頷き、誤魔化す事にした。
この魔神から失望され、抱いている幻想を壊してしまった日には、何をされるか分からないと思ったのだろう。良くて火炙り、悪くて牛裂き、下手をすれば、あの巨馬に括られ、市中引き回しの刑にあう可能性すらあった。
《これほどに蚤が散らばっている現状を見れば、最も有効な手段ですな》
《ん……》
《流石です、御方。その深き智略に、我が盲まで啓かれた気分であります》
(ヤバイ、何を言ってるのかサッパリ分からん……これ、本当に日本語で会話してるのか……)
一郎の混乱は続いていたが、脇目も振らず、真っ直ぐに心臓部を衝く、と言った戦略である。日本の歴史で言えば、有名な「桶狭間の戦い」なども、これに類するものであろう。
《では、御方。引き続き――む。流星号、食べ残しはいかんぞ?》
《ヒッヒィィン! ゴリッ、バキャボリボリッ!》
(ちょっ! 一体、何をお食べになられてるんですかねぇ!?)
突然、聞こえてきた不気味な咀嚼音に一郎の顔が青褪める。
どう贔屓目に聞いても、普通の食事では耳にしない類の音であった。
《これは失礼を。流星号は悪食ゆえ、このオーガとやらの骨肉も気に入ったようで。かれこれ、もう200は与えたのですが……む。流星号、歯の間に人差し指が挟まっておる》
《は、ははっ……に、人間は食べないようにね……》
魔神との機密通信を終え、一郎が疲れ果てたように項垂れる。
人馬ともに、あまりにも規格外であった。あの巨馬にとっては、オーガなど鶏のようなものでしかないのだろう。
「ピコ。悪いんだけど、干し魚をもう一枚くれ……」
「は、はいっ!」
先程のえげつない音を忘れるため、一郎が再度、干し魚に齧り付く。あまり味はしなかったが、噛めるというだけでも幸せを感じられるのだ。
その頃、テントに近付く人影があった――
ピコの村で話を聞き、おおよその方角を聞いたミリとオネアのタッグである。
遠くの岩陰から、確かに煙が上がっていた。
「間違いないわね。王子はあそこに居るわっ」
「あんなに堂々と火を……やっぱり、王子しゃまは凄いでしゅ!」
この階層をうろつく砂狼や、砂蜥蜴などは火を嫌がるが、逆にオーガからすれば火など目印にしかならない。
よほど腕に自信がなければ、あんな大胆な行動は取れないであろう。
「良い? 打ち合わせの通りに動くのよ?」
「面倒臭いでしゅ……押し倒して既成事実を作……痛いでしゅ!」
「あんたは本当に馬鹿ね! それで失敗したばかりでしょうがっ!」
ミリが芸術的な角度で頭をはたき、オネアが悲鳴をあげる。
オネアの見た目は小学生のようにしか見えないのだが、一郎に関しては飢えた狼のようであった。
「やっぱり、王子なんだから貞淑な女性を好むと思うのよね。前回みたいな行動を取るのはアウトよ」
「姉しゃま、本当に大丈夫なんでしゅか……?」
「私の勘が正しければ、何とかなるわ」
ミリが立てた推測と、作戦はこうだ。
まず、一郎が何処かの国の王族であるという事。これは間違いない。
そして、何らかの目的があって下の階層へ降りてきている。その目的が調査であるのか、視察であるのかは分からない。
そして、もう一つの推測――
「姉しゃま、王子しゃまの御姿が……!」
「そうね。もう一つの可能性も、捨てきれなくなったわ……」
「服装を変えても、私の目は誤魔化されないでしゅ」
「あのスラっとした骨格は、見間違えようもないわよね」
そこに居たのは絢爛豪華な軍服を纏った王子ではなく、ボロボロのローブを纏った乞食のような姿である。ミリは改めて、もう一つの可能性を思う。
継承争いなどに巻き込まれ、下層に避難、もしくは潜伏しているのではないか、といったものである。
そして、潜伏中であるにも関わらず、心優しい王子はオーガに苦しめられている最下層の現状を見て、立ち上がったのだと。
恐ろしい美化であったが、行動だけ見ているとそれ程に間違ってはいない。
「行くわよ、オネア」
「はいでしゅ!」
近付いてきた物音に一郎が立ち上がり、ピコもナイフを構える。
暗闇から現れたのは、見覚えのある二人であった。
「君達は、昼間の……」
「一郎さんのお知り合いですか?」
「「王子にお願いがあります(しゅ)――!」」
二人の声が重なり、一郎とピコが思わず後ずさる。
何か、異様な迫力を感じたのだ。
ミリがオネアに目配せをし、共に声をあげる。
「どうか、三階層に戻る為、王子の助力を願いたいのです!」
「私と結婚してくだしゃい――!」
ピタリと時間が止まり、場に重い沈黙が流れる。
二人の口から飛び出した台詞がバラバラすぎて、一郎の思考まで停止した。
「オネア! 抜け駆け禁止って言ったでしょッ!」
「こ、恋は戦争なんでしゅ! 騙されるより騙した方が良いんでしゅっ!」
「ふっざけんな、この小狐がぁぁ!」
突然の裏切りに、ミリがオネアの首を締め上げる。
かくも、友情とは脆いものであった。
「け、結婚がダメでも、合体でも構わ、ないでしゅ……!」
「まだ言うかっ!」
二人が騒ぐ姿を見て、一郎はしみじみ思った。
一刻も早く、この階層から脱出しようと――