覇者の進軍
オーガが気味の悪い笑みを浮かべ、子供達を追っていた。
捕まえようとしているのか、それとも、“オヤツ”にでもしようとしているのか、どちらにしても捕まれば、悲惨な結末が待っているであろう。
夢中になって子供を追っていたオーガの頭上に、大きな影が差し込む。
見上げると、そこには蒼き巨馬に跨った一人の男がいた。鋼のような肉体を包む黒き鎧に、全てを飲み込むような漆黒のマントを翻した人物。
そこから放たれる威圧感と鋭い眼光に、オーガの足が止まる。
追われていた子供達も、思わず足を止めていた。とてもではないが、その存在が“人”とは思えなかったからだ。
「かような蟻が、御方を煩わせるとは――」
瞬間、オーガの肉体が粉々に砕け散った。
デスアダーが上空から舞い降り、そのまま巨馬の蹄で踏み潰したのである。何か、呼吸でもするような動作であり、子供達は腰が抜けたように尻餅をついた。
「童ども、将軍と呼ばれる虫ケラは何処にいる――」
子供達の一人が、震えながら一つの方向を指差す。
デスアダーが無言で顎をやると、巨馬が凄まじい速度で奔り出した。
そこには比較的、大きな村があり、将軍と呼ばれる個体が支配する地域である。
村へと奔る途中、何匹かのオーガがうろついていたが、全て巨馬によって無言で踏み潰されていく。その間、デスアダーは両手を組んだままであり、眼光だけで山をも崩しそうな視線を一点へと向けていた。
(御方は何故、あのような襤褸を纏っておられたのか……)
デスアダーの胸中に浮かぶのは、一郎の姿。
ボロボロのローブを纏い、その下にも拾ってきたような服を着ていたのだ。驚くべき事に、足を見れば靴すら履いておらず、裸足であった。
(よせ、我は一介の武人に過ぎぬ――)
そこで、デスアダーはピタリと思考を止める。
至尊にして、救世の王である御方の深き智略を、自分ごときが窺い知る事など、出来る筈もないと。
実際は深き智略どころか、単なる逆レ○プ防止というギャグのような姿であったのだが、魔神はそうは考えない。デスアダーにとっての一郎は、自分を遥かに凌駕する唯一無二の存在であった。
(あれが“蟻”どもの棲家か――)
流星号が凄まじい速度で駆け抜け、瞬く間に将軍が支配する村へと辿り着く。
村の中央の広場には多くの冒険者が集められ、将軍と呼ばれる個体が、それらを遠慮なく嬲っていた。
オーガは、自分達に歯向かってきた人間を食わない。
従順な人間の方が肉が柔らかくて美味いというのもある。昔、手酷く暴れた人間を喰らったオーガが喉を詰まらせ、窒息死したのも一つの原因であった。
「クソッ! こんなところで喰人鬼に食われて終わるのかよ!」
「諦めるな! 最後まで魔法……ごがッッ!」
「おい、ウズベラ! 嘘だろ! 誰か――ぎぃぃぃッ!」
次々と冒険者の頭が砕かれ、胴体が紐のように千切られていく。
勇猛な戦士がその肉体に剣や斧を叩き込むも、武器の方が折れ、刃毀れする始末であった。それらを見て、将軍と呼ばれる個体が嗤う。
「ニンゲン、脆弱。壊レやスい」
オーガ達から畏怖を込めて、将軍と呼ばれる個体――鬼を従えし者である。
この下には、オーガウォーリアなどの個体も存在しているが、オーガロードの前では子供のような非力さでしかない。
将軍は広場に置かれた不気味な像に向かい、両手で胸を叩く。
その動作はゴリラに似ていたが、オーガ種にとって自らの武勇を誇り、周囲へと見せ付ける大切な儀式であった。
「歯向かエ。戦え。それヲ殺しテ、強くナる」
将軍が更に一歩踏み出した時、村の入り口から凄まじい轟音が響く。
全員がその方向に目をやると、何本もの巨木を以って作られた門が、粉々に砕け散っていた。舞い上がる土煙の中から、巨馬に跨った偉丈夫が現れる。
それは、万人に死を与える――最凶の魔神。
デスアダーが向けた視線一つで、冒険者達は次々と腰砕けとなり尻餅を付いた。オーガ達も何かを感じたのか、怯えたように後退る。
「ショウグン、アレ、ヅヨイ! ニンゲ――ごがッ!」
「うルさい」
何かを告げる途中で、オーガの頭が無残にも叩き潰される。
将軍も興奮した様子でデスアダーをまじまじと見た。
「お前、強イ。倒しテ、更に強くナル」
将軍の右手に力が集まり、その大きさが倍近くになった。同時に、まるで砲丸投げでも行うかのように体を捻じ曲げていく。
オーガロードが所持する能力、《岩窟砕き》の構えである。それを見て、冒険者達が慌てて広場の端の方へと這いずりながら避難した。
あの直撃を食らえば、龍種であっても鱗が砕かれ、魔導兵器の装甲すら罅割れるとまで言われる、破滅的な一撃である。
当然、人間などが食らえば只では済まない。その肉片すら残らないであろう。
オーガロードの全身に巡る血が一気に熱くなり、膨張したように体全体が膨れ上がっていく。その口から、遂に燃えるような息が吐き出された。
一気に。
踏み出す。
左足を。
大地がひび割れ、砕かれた石の破片が舞い上がる。
将軍の視界の中、それらの破片がまるでスローモーションのように――キラキラと反射した。
「死ネエエエぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!」
破滅的な力を宿す右手が、魔神の腹部へと叩き付けられる。
瞬間、辺りに爆発的な暴風が吹き荒れた。冒険者達が木の葉のように転がり、オーガ達もその衝撃に耐えかねるように両手で顔を覆う。
暴風が過ぎ去った後、そこに居たのは先程の姿勢のまま、小揺るぎもしていない魔神の姿である。その視線は酷く退屈そうであり、オーガロードをまるで、昆虫か何かのように見下ろしていた。
「そんな脆弱な拳では――――蚊一匹、殺す事は出来ぬわッッッ!」
デスアダーの怒りに呼応するように流星号が派手に嘶きをあげ、踊るようにその足を持ち上げる。
そして、その巨大な蹄を将軍の胴体へと叩き付けた――!
巨大なオーガロードが、まるで藁人形か何かのように水平に飛び、全身の肉片を撒き散らしながら後ろの像へと衝突する。
瞬間、像もろとも――オーガキングの肉体が爆散した。
一撃。
たった、一撃。
それで、全てが終わった。
鬼達を従え、猛威を振るってきた将軍であったが、その死は恐竜に踏み潰される蟻か何かのようであった。集められた冒険者達も、これが現実なのか夢なのか分からないのか、呆然と尻餅を付いたままである。
魔神が巨馬から降り、無造作にアゴをやった。
そして、その口から驚くべき台詞が飛び出す。
「流星号、存分に喰らえぃ」
その声を聞いた巨馬が猛然とオーガの群れへと走り出し、呆然とする鬼達を踏み砕いたかと思うと、生きたままその肉を喰らいだす。
喰人鬼が逆に食われる光景に、冒険者達は必死で声を抑え付けた。
下手に声でも上げようものなら、その光景に胃液でも吐き出そうものなら、次は自分達が食われると思ったのだ。
そんな冒険者達の必死の思いをよそに、デスアダーは村に設置された一際大きな巨像の前に立ち、無言でその拳を振るう。
どれだけの労力と時間が、その巨像に費やされたであろうか? そんな巨像が、脆くも粉々に砕け散り、悲惨な音を立てながら倒壊した。
「世に像は一つであり、億兆が崇める対象は御方以外にありえぬ」
魔神が言い放った台詞に、生き残った冒険者達が震え上がる。
こんな化物を従え、忠誠を捧げられる“御方”なる存在は何者だ、と。
広場に戻った魔神は両手を広げ、力強く言い放つ。
「流星を従えし、我らが救世の王――“山田一郎”様の名を称えよッッ!」
その怒号に、冒険者達が反射的に声を張り上げる。
力の限り叫ばなければ、絶対に殺されると思ったからだ。全員がその思いを共有していたのか、これまでの人生で一番の大声を喉から搾り出す。
「ヤ・マーダ!」
「……イチ・ロー!」
「イチロー様ァァァァァァッッー!」
「イチロー様ぁぁぁ! バンザーイッッ!」
「ヤマーダイチロー!」
それらの声に、魔神が重々しく頷く。
彼らの張り上げる声に、絶叫に、真に迫るものを感じたからだ。無論、命の危険を前にした彼らが、本気で叫んでいたのは言うまでも無い。
完全にヤクザが一般人を脅し上げている光景でしかなかったが、流星号の食事が終わったのを見て、魔神が再び騎乗して奔り出す。将軍だけではなく、辺り一帯の蟻を踏み潰すつもりなのであろう。
魔神が遠くに去ったのを見て、冒険者達が力尽きたようにヘナヘナと倒れ込む。同じ空間に居る、というだけで生きた心地がしなかったのだ。
「あれは、何だったんだ……」
「人間、なんだよな……?」
「馬鹿言え、あんなのが人間の筈がねぇだろうが!」
「オーガロードが、死んじまったぞ……こんな事が……」
「それより、ヤマダイチローってのは誰だ。知ってるやつはいるか?」
「ヤマーダ!」
「うるせぇよ! もう叫ばなくていいんだよ!」
山田一郎という、聞き慣れない単語に全員が首を捻る。
あの口振りから、人の名である事は辛うじて察する事が出来たが、驚いたのは、その人物の事を“王”と呼んでいた事であった。
「王って、この最下層の……って事か?」
「いや、ここに王が居るなんて聞いた事もない」
「イティローッッッ!!」
「うるせぇぞ!」
その頃、救世の王とやらはキャンプ地で襲撃を受けていた。
相手は、女豹と化したミリとオネアのタッグである。