止まった部屋
「山田、まだ生きているか?」
「勝手に人を殺すな」
白い病室で、二人の男が向き合う。
一人はベッドに横臥しており、その手には点滴がつけられている。鼻にも呼吸を助けるようにして、酸素を送る管が取り付けられていた。
見舞いにきた様子の男は、サラサラの肩まで届くような長髪をしており、怜悧な容貌を引き立てるような眼鏡をかけている。
絵に描いたような二枚目であり、学者や科学者などを思わせる風貌だ。
「山田、今日も退屈しのぎにゲームを持ってきてやったぞ」
「お前も飽きないな」
一郎が薄く笑うも、その顔は驚くほどに透き通っていた。
見舞いにきた男は、その表情を見て思わず泣きそうになったが、俯いてその表情を隠す。病人は、人の顔色に非常に敏感なのだ。
幸いなことに、一郎は何かを思い出そうとしているのか、その表情に気付くことはなかった。
「確か……最初にやったのは、何だっけか……」
「む。貴様、あの傑作を忘れたのか、山田の拳だ」
「そうそう、そんなふざけたタイトルだった」
馬鹿げたタイトルに一郎が笑うも、肺の機能が低下しているのか、すぐに咳き込んでしまう。先日、頭を切り開いて手術をしたこともあって、昔のことを思い出すのに時間がかかるらしい。
「確か、核戦争後の地球を舞台にしたゲームだったよな」
「そうだ。主人公は拳一つで乱世を切り開き、救世主となるストーリーだ」
「懐かしいな。あいつには苦労させられた……」
頭に響く鈍痛の中で、一郎はそのゲームに出てきた敵を思い出す。
蒼き巨馬に跨った、とんでもない男を。
何度となく作中に現れては死闘を繰り広げ、最後には味方となり、二人で世界中の悪党を薙ぎ倒していくストーリーであった。
「山本。お前、何を思ってあんなのを作ったんだ……?」
「友人の少ない貴様に、男同士の友情を教えてやろうと思ってな」
「友達が居ないのはお前だろ。変人学者が」
「古来、天才とは孤独なものだ」
山本と呼ばれた男が、ニヤリと口元を曲げる。
人を見下すような嫌な笑みだが、一郎はその顔が嫌いではない。その自信には裏付けがあり、実際に天才と称していい実績も持っている。
「天災の間違いだろ。字が一つ違うぞ」
「全く、貴様の悪態は昔から一つも変わらんな。それがノーベル賞を授与された男に対する態度か?」
「何がノーベルだ。別にありがたくも何とも思ってないんだろ?」
「当たり前だ。私はアルフレッド・ノーベルを超えていく男なのだからな」
「頭をダイナマイトで吹き飛ばして貰え」
二人は暫く会話にもならない会話を続けていたが、一郎の疲労を見て取ったのか、山本はさり気なく病室を後にしようとする。
「山田、私はそろそろ行くが、早くそれをクリアしろ。次が控えているからな」
「まだあんのかよ」
「それで4作目だろう。次の5作目でフィナーレだ」
「ははっ……どんなクソゲーか、楽しみにしているよ」
山本が出ていくと、病室は途端に無音となった。
物音一つしない部屋に、点滴の滴だけが落ちていく。窓から外を見ると、立ち並ぶ高層ビルの間を電車が駆け抜けていた。
(今日も、良い天気だな)
多く人が、あの電車の中に乗っているのだろう。
仕事に行くのか、遊びに行くのか、本を買いに行くのか、デートにでも行くのか、それとも、旅行にでも行くのか。
一郎は上半身を起こし、痛みを散らすように両手を動かす。
それだけで視界がグラグラと揺れたが、止まっていた血液が少しだけ動き出したような気がした。
見上げた空は何処までも蒼く、ゆったりとした雲が流れている。
こうしている今も、人が動いているのだろう。
世間も、世界も、毎日のようにその姿を変えていく。
――この病室と、一郎を取り残して。