刻印の少女
明るい森の中を、白髪の美少女と襤褸を纏った王子が歩いている。
一郎としては少女に色々と聞きたいことがあったのだが、森の中には魔物が出現するらしく、ひとまず安全な場所に移動しようという話になったのだ。
「……今更だけど、君の名を聞いても良いかい?」
「山田一郎だ」
「ヤマーダ・イティローか」
「妙なニュアンスに変えるな」
外国人剥きだしの呼び方に、背中がかゆくなる。一郎が突っ込んだものの、少女は何か可笑しいのか口に手を当て、クスクスと笑うばかりであった。
「悪いね。人とまともに話すのは、久しぶりなんだ」
少女の儚げな発言に、一郎も下手なことは言えなくなってしまう。人から避けられている、といった類の話を聞いたばかりである。
「その、刻印とやらのせいか?」
「そうかも知れないね」
「どうやったら、それは消えるんだ?」
「……君は、妙なことを聞く」
一瞬、足を止めた少女であったが、何事もなかったように歩き出す。
そんなことより、他の話をしようといった態度であった。
「そう言えば、私の名は聞いてくれないのかい?」
「あ、あぁ……いま聞こうと思っていたところだ」
「……嘘つき」
言葉は辛辣であったが、その顔はくすくすと笑っている。
一郎はその顔を、純粋に綺麗だと思った。名も、年齢も、人間なのかも分からない少女と、見知らぬ森の中を歩いている。
(日本に居た頃には、考えられないシチュエーションだよな……)
一郎はそんなことを思いながら、深い森の中を進んでいく。少女は歩き慣れているのか、迷う素振りもなくどこかを目指しているようであった。
「それで、何処に向かってるんだ?」
「私の家さ」
「家って、森の中に住んでるのかよ……もしかして、妖精か何かなのか?」
「……君は、可笑しなことばかり言う」
少女は笑いながら、時折足を止めては野草や木の実、果物のようなものを手際良く拾い集めていく。その様を見ていると、森の中に住んでいるというのはあながち嘘ではないようであった。
見た目は中学生程度にしか見えない少女が、こんな森の中で一人で暮らしているという現実に、一郎の胸が軽く塞がる。
「その、何だ……ここで、一人で生活しているのか?」
「昔は何人か居たけれど、今は一人さ」
「……そうか」
そこには何か、深い事情がありそうで迂闊に聞くことは躊躇われた。
会って間もない少女に、身の上のことを何でもかんでも聞くのはマナーの面から見ても難しいものがある。
(何から聞いたものやら……)
最初の一歩として、一郎は無難なものをチョイスする。
未だ、この少女の名すら知らないのだ。
「ところで、そろそろ名前を聞いてもいいか?」
「……君には教えてあげないよ」
「どうして?」
「……イチローは嘘つきだから」
「何でやねん」
一郎が素で突っ込むものの、少女はくすくすと笑うばかりである。
出会った当初はロクに表情も動かさず、澄ましたものであったが、今は久しぶりの会話を楽しんでいるらしい。
そうこうしている間に、ようやく目的地へと辿り着く。
少女が家と呼んでいたものは、丸太で組まれた頑丈な小屋であった。それなりの大きさがあり、窓もあれば、煙突のようなものまで設置されている。
一つだけ変わっていたのは――外壁とも言える丸太が全て青く塗られていることであった。一面の森の中で、その青色はやけに目立つ。
(どうして青色に……? さっき見た冠も青色だったが……)
そこにも何か事情がありそうで、一郎はつい色々と考えてしまう。
しかし、そこには触れないように無難なことを口にした。
「結構、しっかりとした家なんだな」
「……どんなものを想像してたんだい?」
「こう、草と枝で出来たサバイバル的なやつとかな」
「お望みなら作ってあげるよ? そこを、君の寝床にしてあげる」
「要らねーよ」
只でさえ乞食のような格好をしているのに、そんなものを寝床にした日には身も心も乞食に堕ちてしまうであろう。キング・オブ・乞食である。
そんな一郎の思いをよそに、少女は両手を広げて言う。
「ようこそ、ブルーハウスへ。ここに客人として来たのは、君が初めてさ」
「そりゃ、光栄だ」
中に入ると、木で作られたテーブルや椅子があり、鍋や食器を収納する棚なども揃えられていた。完全にコテージそのものである。
優に一家揃って、生活が出来るであろう。
「ここに住んで長いのか?」
「……かれこれ、5年になるよ」
一郎としては聞きたいことが山ほどあったが、今は休息出来るだけでもありがたい話であった。下層にいた頃は、それこそ休む間もなかったのだから。
「お茶でも淹れるよ。少し渋いけど大丈夫かい?」
「あぁ、問題ない」
「森に自生しているものだから、アクが強いんだ」
薪をくべながら、少女が無駄なく動く。
勝手の分からない一郎は所在なさげに家の中を見回していたが、壁には弓がかけられており、兎や鹿と思わしき皮なども干されてある。
「これは全部、お前が狩ったのか?」
「そうさ。肉は食べて、皮だって使う。余ったものは上で売る」
「上、とは?」
「ハイランドさ。ねぇ、君は……いったい、何処から来たんだい?」
その問いには、一郎もどう答えればいいのか迷ってしまう。
地球から、と言っても通じなさそうであり、地下の残骸の中から来たと言った日には狂人扱いされそうであった。
「刻印を見ても恐れない。ハイランドのことも知らない。そんな人間を、私は見たことがない」
「初めての経験が出来て、良かったじゃないか」
「真面目に答えて」
「む……」
適当に誤魔化そうとした目論見は、見事に外れた。
それどころか、少女の透き通ったビー玉のような瞳に、一郎は不覚にもドキリとさせられてしまう。
「……地球から、と言って通じるのか?」
「チキュウ?」
少女が首を捻る様を見て、一郎は「やっぱりか」と項垂れる。
しかし、次の言葉は一縷の希望が持てるものであった。
「ハイランドの図書館で、そんな単語を見た覚えがある」
「本当か! それは何処にあるんだ!?」
「ちょっ……もう、何年も前のことだから、記憶もあやふや、だけどっ……」
一郎が立ち上がり、少女の両肩を掴む。
突然触れられたことにビックリしたのか、少女の顔が赤くなる。この男は黙っていれば見た目だけは絶世の美男子なのだ。
「よし、そこに行こう! 後から下に行って、連絡も取らないとな」
「下に、って……君は冒険者なのかい?」
「いや、そんなものになった覚えはないな」
「下に降りるには、許可が要るよ? 冒険者か、行商人の登録――」
「なるなる。今日から冒険者か行商人になるわ」
「……君は、本当に適当だね」
こうして、一郎はハイランドと呼ばれる上の階層へ行くこととなった。
多くの人間が集まる国に、この流星の王子様が現れることによって様々な騒動が巻き起こっていくことになるが、下層も同じである。
下には神をも素手で殴り殺すであろう、忠誠心過多な魔神が居るのだから――