転変
一郎は今、30名ばかりの女性に囲まれながら階段を登っていた。風景だけ見ると凄まじいハーレムのようだが、当の本人からすれば生き地獄である。
全員の目がハートマークだったり、獣のような眼光をしているのだ。
(くっそぉぉ……どうしてこうなった!)
昨日の出来事を思い出し、一郎は心中で頭を抱えた。ゴブリンを消し去った後、“向こう側”で起きた出来事が全ての発端である。
女性たちが囚われている部屋に入ると、そこは嗚咽や悲鳴、絶叫などが響く異様な空間だったのだ。
彼女たちはゴブリンらから性奴隷のようにして扱われていたため、中には精神に異常をきたし、錯乱している者も多かったのだ。
そこまでいかずとも、心が破壊されてしまった者が殆どである。ミリオネアもピコも、その光景に歯噛みした。
「こんなの……酷すぎるわ……」
「ゴブ野郎は、この世から一匹残らず消し去るべきでしゅ……」
「一郎さん……」
後ろから着いてきた女性たちも、とても他人事とは思えないのか、泣き叫ぶ者を何とか宥めようと動き出す。
彼女たちも、明日は我が身であったのだから必死であった。
(連中は消え去ったけど、心に負った傷まで消える訳じゃないもんな……)
悲惨な光景に一郎は胸を痛めたが、どうする事も出来ない。
彼は医者でもなければ、精神科医でもないのだから。
しかし、彼は――“流星の王子様”ではあった。
心臓がドクリと大きな鼓動を鳴らし、一郎の背中に冷たい汗が流れる。嫌な予感は見事に的中し、両手が勝手に動き出す。
部屋の中を一瞥した後、動き出した手が顔を覆っていたフードを厳かな手付きで外してしまう。外して――しまった。
瞬間、部屋の中にいた女性たちの視線が一斉に一郎へと向けられる。
(ちょっ、お前……! 笑えねぇよ!)
一郎は必死にフードを被ろうと足掻いたが、もう遅い。
それどころか、口から力強い台詞が飛び出す。
「今日でこの悪夢も終わる。良く頑張ったな――?」
全員が呆然とする中、一郎は未だ泣き叫ぶ女性へ歩み寄っていく。
そして、そのおでこに祝福を授けるように――恭しく口付けた。
――魔女の断末魔Ⅴ 発動!
途端、女性の泣き声が止み、焦点を失っていた瞳に段々と光が戻ってくる。
同時に「未発動」となっていた項目の一つが露となった。
《魔女の断末魔Ⅴ》
流星の王子様からの派生能力。
古今東西、どんな魔女の呪いも王子のキスの前に敗北する。
対象に唇で接触する事により、あらゆるBADステータスが消滅。カンストであるⅤに達すると、悪しき記憶すら消し去り、神々の呪いでさえ打ち砕く。
(何だこれ……冗談だろ、おい!)
そこに並んでいた文言に、一郎は密かに身悶える。
内容としては童話めいていたが、これを全員にするとなった日には、只のキス魔であり、訴訟待ったなしの案件であった。
懊悩する一郎をよそに、悪しき鎖から解き放たれた女性がようやく口を開く。
「わたし、は、ここで、なにを……」
「何も考えなくていい」
「で、でも……」
「囚われの姫であった君は、王子に救出された――それだけでいい」
「王子、様……」
(何言ってんだこいつはぁぁぁ! って、俺かよぉぉぉ!)
次々と巻き起こる展開に一郎は目が眩む思いであったが、部屋の中にはざっと20名ばかりの女性が囚われており、全員に口付けをする必要がありそうであった。
覚悟を決めたのか、一郎がフードを被りなおしながら立ち上がる。
「え、えーっと、ここに一列に並ん――」
ビュン、と音がしそうな速さでミリが先頭に並ぶ。その後ろに、高校野球の球児のように、オネアがヘッドスライディングで滑り込む。
「やったわ! 一番は私ねっ!」
「2ゲットでしゅ!」
「確かに、お前らも呪われてそうだけどな……」
ボヤキながら、二人をどかして一郎が“治療”を始める。
全員に口付けが終わった後、部屋の中にようやく静寂と笑顔が訪れた。
そして、翌日――
冒頭の階段ハーレムが始まったのだ。
長い階段であったが、疲れなど吹き飛んでしまったのか、女性たちはミリを先頭に意気揚々と階段を登っていく。
故郷に戻れるということもあって、全員が晴れ晴れとした笑顔であった。
「あ、あの……改めて、昨日はありがとうございました!」
「た、確かミレーユさん、でしたか」
「はい、貴方は命の恩人です……私だけではなく、皆の」
「ま、まぁ……ははは……」
聞けば、彼女は宿屋で働いているという。
上に――ローランドに着けば、無料で泊めてくれるとの話であった。
一郎は柔らかいベッドで寝れることにホッと一息ついていたが、先頭に立つミリから大声が聞こえてくる。
「三階層よっ! ローランドに戻ってきたわ!」
その声に、全員が歓声を上げながら走り出す。
一郎もそれを見ながら、のんびりと上へと向かった。
まだ見ぬ世界を、新しい階層を、人間の国とはどんなところなのかと期待に胸を膨らませながら――
(何はともあれ、暫くはニートとして過ごそう……)
目覚めてから、半ば強制的に体験させられた濃い日々を振り返り、一郎はそんなふざけたことを夢見る。
前を歩いていたピコも振り返り、嬉しそうに言う。
「一郎さん、上はどんな世界なんでしょうねっ!」
「さてな。妙な化物が居ないなら、もう贅沢は言わんさ……」
全員の後に続き、三階層に踏み込もうとした瞬間、得体の知れない白い靄が現れ、一郎の全身を包み込んだ。
(……んん!?)
白い靄に溶け込むようにして、その姿が消える。
気付けば、深い霧に覆われた墓地のような場所に一郎は立っていた。
「何だ、ここは……」
辺りを見回すも、雑に作られた墓石や、十字架の形に作られた木がビッシリと植えられている不気味な光景が広がっているばかりである。
とてもではないが、これが噂の三階層であるとは思えない。
「ピコ、居るのか? ミリ! オネアは?」
その声には誰も答えてくれず、物音一つしない。
むしろ、一郎の声に反応したのは周囲に立ち込める霧であった。
それらが形を変え、怨念を含んだ顔のようなものへと変貌していく。
どう見ても、心霊現象そのものであった。
「怖ッッ! ホラー映画かよ!」
一郎の叫びをよそに、更に白い霧が集まり――顔のない、黒い人影と化していく。それが口を開いた時、一郎の背筋に冷たいものが走った。
「どうして……」
そこから聞こえてきたのは――
強い怨念が籠められた、女性の声であった。
「どういう事だ……何故、貴様のような存在が残っている?」
「ぁー、えっと、悪霊とかの類かな? 出来れば、他を当って欲しいんだが……」
「貴様らは全員、死んだ筈だ――ッッ!」
黒い影が発した大声に、思わず一郎が後ずさる。
普段の一郎であれば、「どう見ても、死んでるのはお前だろ」と軽口を叩いたであろうが、その影には有無を言わせぬ迫力があった。
「貴様から、異物の匂いがするぞ……忌々しい侵略者どもめ」
「ちょ、ちょっと、待て。お前は、何か知っているのか?」
「覚えておけ。お前達がいかに人間に肩入れしようと、陛下の復活は近い」
「えっと、悪いんだけど……俺が全部知ってる体で話すの止めてくれない?」
「ふざけるな、異物が――!」
話が通じない相手に素で返すも、黒い影は怨念を滲ませながら叫ぶ。それは永年積もった恨みを、吐き出しているかのような姿であった。
「忘れるなよ、人間。この世界の全ては、陛下の所有物なのだ!」
「な、なるほど……」
錯乱している相手に何を言っても無駄だと悟ったのか、一郎は日本人特有の愛想笑いを浮かべながら深々と頷く。
「今は人間どもが好き勝手にしているが、いずれ全てを取り戻してやるぞ」
「えぇ、分かりますとも」
むしろ、「私は貴女の味方です」と言わんばかりの態度である。
相変わらず、適当な男であった。
「チッ……もう時間が……」
黒い影が舌打ちするのと同時に、辺りの霧が晴れていく。
この訳の分からない問答からようやく解放されるのか、と一郎はホッとしたが、最後に大きな爆弾が落とされた。
「異物よ。全てが貴様の計画通りに進むと思うな……残った力で、彼方に飛ばしてくれようぞ……」
「それはありが……って、ちょっと待て! 今、なんつった!?」
「消え去れ、異物の尖兵が……ッ!」
「てめぇ、ふざけんな! さっさと成仏しろ、この悪霊クソビッチが!」
辺りの景色が崩壊し、体がフワリと浮き上がる。
落ちているのか、浮上しているのか――それすらも分からないまま、大きな力に一郎の体が吸い込まれていく。
(くそっ、何だこれ……!)
次の瞬間、背中に大きな衝撃が走る。痛みに瞼を開けた時、目の前に広がっていたのは、一面の木々の群れであった。
耳を傾ければ、小鳥が囀りまで聞こえてくる静謐な空間である。
「くそっ、背中が痛ぇ……」
何かの力で飛ばされたのか、一郎は見たことがない景色の中に居た。
見上げた空には一面の青が広がっていたが、どこか機械じみた青色であり、雲すら浮かんでいない。
(何だ、この歪な空……プロジェクターで映し出したみたいな……)
実際、“映像の乱れ”でも発生しているのか、時折、その青に亀裂が入る。
大自然の中に、強引に機械が割り込んでいるような不気味な景色であった。気持ち悪さを抑えるように、一郎は大の字の格好のまま寝転がる。
(とにかく、誰かに連絡を取らないとな……)
一郎はまず、恐ろしいが頼りになる魔神へ連絡を取ろうと機密通信を飛ばすも、相手からの返事はなかった。
ピコ、ミリ、オネアに飛ばしてみるも、これまた応答がない。
(どうなってる……大体、ここは何処だ? もう眠いし、腹も減ったし……)
いっそ、このまま寝てやれと一郎が腹を括る。
精神が疲労していたのか、すぐさま眠気が訪れ、瞼が重くっていく。どれだけの時間が経ったのか、大の字に寝転がる一郎を、じっと見つめる視線があった。
一郎もその視線に気付いていたが、もう反応するのも億劫だったのか寝転がったままでいた。やがて相手の方が痺れを切らしたのか、おずおずと歩み寄り、話しかけてくる。
「……こんな場所で昼寝かい?」
「まぁな」
「君は、自殺志願者?」
「死にたくはないが、眠い。おまけに腹も減った」
僅かに瞼を開けると、そこには帽子を被った白髪の美少女が立っていた。
腰にも届きそうな青みがかった白髪が、一郎の目に眩く映る。相手も一郎が気になるのか、何気ない仕草で顔を覗き込んできた。
その無防備な姿に、一郎は慌てて顔を隠そうとする。
顔を見られて、ロクなことになった試しがない。
「……綺麗な顔。まるで絵本に出てくる王子みたいだね」
「あれ……?」
相手の様子は別段変わらず、落ち着いたトーンである。
それも、聞いている人間を落ち着かせるような静謐な声色であった。何やら聞いているだけで、心地良い眠りに誘われそうになる。
(この子は人間じゃ、ない……?)
あのふざけた能力は「人間種以外には効果がない」と記されていたため、一郎はすぐさまそれに思い当たる。同時に、ホッと一息ついた。
また、寝起きに襲われた日には洒落にならない。
「……君は変わっているね。何故、私を見て安堵したの?」
「えっ、いや、まぁ……」
「私が怖くないの?」
「……ん? 何で怖がる必要がある」
下層でオーガやらギガンテスやら、化物としか思えない生き物を見てきた一郎からすれば、目の前の少女など天使のようであった。
ついさっきも、ヒステリックな悪霊と出くわしたばかりである。
「……これを見ても、まだそんなことが言える?」
少女が帽子を脱ぐと、そこには青色の光帯のようなもので編まれた、おぞましい冠が付けられていた。
「えっと……それは、呪いの装備とかか? 外せないとか」
「違う。奴らの一部」
少女の説明はよく分からなかったが、一郎の感覚では何を付けていようが、人を喰うような化け物に比べたら、可愛らしいものである。
「良く分からんが、アクセサリーと思えば良いんじゃないのか?」
「刻印者に近付くと、災いが降りかかるなんて噂もある」
「災いも何も、既に厄塗れだよ」
「……参ったな。君は随分と剛毅な性格をしているらしい」
「まぁ、昔からあつかましさと生き汚さには定評がある」
「……ぷっ」
一郎のすっとぼけた返答が可笑しかったのか、少女が微かに笑う。
それを見て、一郎は今更ながら問いかけた。
「それで、ここが人間の国がある三階層か?」
「違う。ここは七階層――“眠らずの森”さ」
「七階層!?」




