二階層
上層へと続く長い階段。
それは太古の昔から、人を拒んできたもの。最下層も二階層も、人間という種の支配が及ばない地域である。
その長い階段を、男女四人が登っていく。
上の世界を見てみたい、ゴブリンを滅ぼしたい、故郷に戻りたい、其々の目的は違うが、最下層を抜けて上を目指す、という部分だけは一致している。
(長い階段だな……)
気力が無尽蔵に備わっている一郎はまだしも、他の三人は早くも疲れが出始めている。いっそ、魔法で飛ぶか? と考えた頃、ようやく大きな扉が見えた。
人を拒むような巨大な扉であったが、その横には人間が辛うじて潜り抜けられるような小さな穴がある。
一郎が振り返り、努めて気安く声をかけた。
声をかけられた方も、肩肘を張らずに応える。
「ミリ、あの穴は?」
「ゴブリンに追い立てられた冒険者が、大昔に掘った穴なの」
「わ、私達もあの穴を潜ってここに降りたんでしゅ」
「そうか」
一郎は共に上へ登る仲間として、敬語を使うのは止めてくれと強く頼み、二人は多少フランクに接してくるようになった。
年中畏まられては、心が休まる暇もない、と思ったのだろう。
最初はぎこちなかったが、根が冒険者なだけあって慣れるのは早い。実際、危険な場面で遠慮がちだったり、距離がある関係など危険極まりない。
「まず、俺が行こう」
一郎が匍匐前進の姿で穴を潜ると、そこには漫画やアニメで良く見たお馴染みの迷宮のような光景が広がっていた。
幾つもの壁と、迷路のような入り組んだ道。お馴染みの光景の中で一つだけ違うのは、天井に煌々とした蛍光灯が並んでいる事だ。
他の三人も続々と穴を潜り、二階層へと降り立つ。ミリとオネアのコンビはまだしも、ピコは目の前の光景が珍しいのか、キョロキョロとしていた。
一郎からしても、この環境は異様の一言である。
「どういう事だ。この電気は何処から来ている?」
「デンキ? 一郎さん、それは何ですか?」
「まぁ、何と説明すれば良いのか。……ん?」
振り返った一郎の目に、看板が飛び込んでくる。
穴の横に打ち付けられた木板には真っ赤な染料で「進むも地獄、戻るも地獄」と記されてあった。本気で書いたのか、冗談で書いたのか、どちらにしても薄気味悪いものである。
「王子、ここで一旦休憩を取らない?」
「その王子、という呼び方も勘弁してくれ」
「それは無理っ。私がそう呼びたいんだもんっ!」
ミリが明るい笑顔で言う。
昨日は川で思う存分、顔や体を拭えたお陰か、出会った時よりもサッパリとして本来の凜とした姿に戻っている。
その溢れるような“若さ”に、一郎は若干、眩しいものを感じた。
この男は見た目こそ若返っているが、中身は何処にでもいる社会人である。
「少し休んで、水でも飲もうか」
全員の疲労を見て、一郎も手頃な石に腰掛ける。
ピコは初めて見る風景が気になるのか、地面を触ったりしていたが、ミリが注意を呼びかけた。
「ちょっと、ピコ太郎。不用意に地面とか壁を触らないで。あいつらが何処に罠を仕掛けてるか分かったもんじゃないんだから」
「誰が太郎かっ!」
「落とし穴とか、横から槍が飛び出してきたりとか、上からスライムがきたりとか、ここは大変なんでしゅ……太郎しゃん」
「ピコが入ってない!」
賑やかな声を聞きながら、一郎は懐かしいRPGゲームの数々を思い出す。
踏むだけでダメージを受ける床や、毒状態になって歩くだけで体力が減っていったり、パネルに記された矢印の方向に強制的に進まされたりなど、ダンジョンの罠は本当に多種多様であった。
懐かしいスライム、と言う単語にも一郎はつい反応してしまう。
あれも進化を遂げて、様々な種類が生まれたものだ。
合体したり、経験値がやたら豊富だったりと、数ある魔物の中でもトップクラスの知名度になったと言っていいだろう。
「やっぱりあれか。スライムってのは一番の雑魚なのか?」
「とんでもない! あいつらには斬撃も打撃も殆ど効かないし、酸性の粘液で服や鎧を溶かしてきたりとか、最っっ高に嫌なやつなんだから!」
「そ、そうか……」
ミリの激しい反応に、若干驚きながら一郎が頷く。この男の記憶では、スライムとはスタートの地点の近くにいた雑魚のイメージが強いのだ。
「姉しゃまは昔、買ったばかりの皮鎧を溶かされて、あのクソ粘液野郎に恨みを持っているんでしゅ」
「うっさいわね! あんなミスはもう二度としないわよっ!」
(クソ粘液野郎って……)
オネアの舌足らずの口調から飛び出した、汚い単語に一郎が笑う。
見た目は可愛らしいのだが、意外と毒舌で、そのギャップが何とも言えない可笑しみを感じさせる娘であった。
「良い? あれはまだ、この階層を良く知らなかった時に……もがっ!」
(そうそう、ミリもこんな感じで意外と抜けてるところが……)
一郎の見たところ、ミリの外見は凜とした剣士で、本来ならリーダー気質の人間なのだろうと思っている。
しかし、若干空回り気味で、時にポンコツ臭を漂わせているのだ。今も、その顔には透明のアメーバのようなものを被っている。
一郎は知る由もなかったが、これこそが噂のスライムであった。
不意を突かれると、熟練の冒険者であっても対処には手を焼く魔物である。
「ミリ、それはこの世界の泡パックか何かか?」
「もががっ!」
「はわわ! 姉しゃまがクソ粘液に襲われてましゅ! って、こっちふがっ!」
上からに更にもう一匹のスライムが落ちてきて、ミリの顔までそれに包まれる。窒息死でもさせようとしているのか、えげつない攻撃方法であった。
「一郎さん、二人の顔がどんどん変顔に! 凄く不細工ですっ!」
「ピコ、お前も結構言うよな……」
流石に危ないと思ったのか、一郎が手を伸ばして二人からスライムを引き剥がす。本来ならそんな簡単に出来る事ではないのだが、この男の腕力の前では、如何に強力な粘体種と言えど子供扱いであった。
「ぷはっ! 死ぬかと思った!」
「うぅ……粘液野郎はやっぱりファックでしゅ!」
「粘液野郎って、これがスライムかよ……とりあえず、叩き付けておくか」
一郎が地面にブン投げると、二匹のスライムはあっけなく動かなくなった。
魔法以外の攻撃を殆ど受け付けない粘体種であったが、即死である。二人は礼を言いながらも、横たわるスライムを親の仇のように睨み付けていた。
「で、そのスライムはどうするんだ?」
「勿論、解体して売るわっ!」
「こいつは女の敵でしゅ……」
ミリはナイフで円を描くように傷を付け、中の液体を取り出す。
全てを搾り出した後、そこには透明なビニール袋のようなものが残った。
「それは、何に使うんだ?」
「皮袋の内側に張ったりするのよ。水漏れしなくて便利なんだからっ」
「なるほどな。その液体は?」
「熱すれば粘着剤になるの。用途が多いから、ギルドでいつも素材募集がかかっているのよね……面倒だから、あまり受ける人は居ないけど」
見るとオネアが何かの魔法を唱え、粘液を冷やしていた。
完成したものを触ってみると、ゴムのような弾力があり、粘着性はなかったが、使用する時に熱すると接着剤のようになるらしい。
(何だろうな。ちょっと、面白いんだが……)
一連の流れを見て、一郎は少し楽しくなっている自分に気付く。幾つになっても、男はこういった“狩猟”が好きなのかも知れない。
近年でも、様々なモンスターを狩って素材を収集するゲームが大ヒットしていたのを思い出し、一郎は妙な気分に浸っていた。
休憩も終わり、二階層に慣れている二人を先頭にして一行が進み出す。
ピコは歩きながら、時に迷宮の壁に生えている茸や、地面に生えている草などを引き抜いていた。
「ピコ、不用意に触ると危ないらしいぞ」
「この本によると、この辺りの植物は食べられるらしいんです」
「衛生的に怖すぎるんだが……」
「見て下さい。こっちは迷宮茸、コリコリしてて美味しいとあります。こっちは、ゴブ菜とありますね。お湯に浸せば食べられるみたいですよっ」
ピコが見ている本には「迷宮飯」と胡散臭いタイトルが付いている。
どう考えても腹痛案件であり、毒や麻痺などと親友になれそうな本であった。
「普通のものを食った方が良いと思うぞ。いや、絶対にそうしよう」
「目玉だけじゃ、一郎さんの栄養が偏ってしまいますっ!」
「食わねーよ! いい加減、目玉から離れろ!」
「どうしてですか! あんなに美味しいって言ってたのに! やっぱり、僕の事は遊びだったんですねっ!」
「ちょ、人様に誤解されるような事を言うなっ!」
二人が揉み合っていると、ピコの袋から一冊の本が落ちる。
本のタイトルには「魔物飯」という驚愕の文字が記されてあった。それを見て、一郎の顔が青褪めていく。
「ピコ、お前っ、何を食おうとしてるんだ!」
「ぼ、僕は一郎さんの事を考えてっ!」
「ふざけんな! 俺はゲテモノ料理のリポーターじゃねぇんだぞ!」
ゴブリンが来たわ――!
その声に一郎が慌てて追いかけると、目の前には5匹の小鬼が並んでいた。手には斧や弓、剣など様々なものを装備しており、体には皮で作られた鎧らしきものまで纏っている。
ゴブリンは女好きなのか、ミリとオネアを見て嫌らしい笑みを浮かべていた。
かつて、「ゴブリンは人間の女を苗床にする」と聞いた事を思い出し、不快感が込み上げてくる。
(オーガの次はこいつらか……)