蹂躙する者
――最下層 西エリア
時刻は既に朝であったが、最下層のエリアに太陽などは存在しない。僅かな光量が照らすものは、全てオーガの死骸ばかりであった。
無論、全て魔神が騎乗する流星号が踏み潰したものである。
「この辺りの蟻は消えたか……御方の跡を追わねばならん」
魔神も流星号も不眠不休であったが、再び奔り出す。
彼らの体力や気力は規格外であり、特に休憩や睡眠などを必要としない。魔神が駆け抜ける度、方々の村から声援が飛ぶ。
叫ばなければ殺されると思っている者もいたが、多くが心から魔神に対して叫び、喝采の声を送っていた。
この恐ろしい騎兵が、鬼どもを残らず駆逐してくれるのではないかと。
事実、この最下層には悪を打倒する都合の良い正義の味方などは存在しない。
相手が凶悪極まりない鬼であっても、それを圧倒的な力で蹂躙する、デスアダーという“巨悪”が存在するのみである。
「向こうで蟻どもが群れておるわ」
「ヒィィンッッ!」
流星号の速度が増し、レーシングカーのように轟音を残して駆けていく。
やがて、300程の配下を連れた、もう一人の将軍とかち合った。魔神の放つ異様な気配に、オーガ達からどよめきが起こる。
「ナンダ、ゴレ!」
「ニンゲン、ナノガ?」
「チガウ。コレ、ナニカガチガウ」
鬼どもが騒ぐ中、将軍はじっと魔神を見ていた。
これが只の人間であれば、オーガロードに睨みつけられただけで、金縛りにでもあって失禁してしまうであろう。
「お前ダな、弟を殺シたヤツはッッ!」
「?」
その言葉に、デスアダーが真顔になる。
そして、呆れたように口を開いた。
「うぬは、踏み潰した蟻の面を覚えているのか――?」
「ごろず……殺すッッッ!」
将軍が両手を翼のように広げ、力を溜めていく。
爆発的な力が両手に集まり、配下のオーガ達が怯えたように後ずさる。それは、オーガロードが所持する能力、《岩窟砕き》の両手版。
弟が放った一撃も破滅的であったが、これは優に二倍の破壊力があるであろう。
「粉々……ニ……ん?」
将軍が前に目をやると、そこにデスアダーの姿はなかった。
それどころか、頭上から深い影が差す。
「うエ……飛……プギィィィッッ!」
上空に飛んだ流星号が、そのまま将軍を踏み抜いた。巨大な蹄が真っ先に頭部を粉々にし、そのまま体を真っ二つに引き裂く。
強烈な摩擦熱でも発生したのか、四散した血溜まりにはブクブクと泡まで浮かんでいる。
「――そんなスローでは、蚊も殺せんわ」
デスアダーの全身から、全てを飲み込むような黒い闘気が溢れ出す。
この世界では戦士や騎士などの“アタッカー”が闘気と呼ばれるものを身に纏い、身体能力を強化したりする。その闘気の色によって、強弱が分けられていた。
即ち、白→青→黄→緑→赤→黒である。
人間に到達しうる最高のカラーは黄色であり、それより上は存在しない。当然、デスアダーが纏う闘気は神をも殴り殺すであろうう――最凶の“黒”である。
「蛆どもが我が前に立つなど、烏滸がましいわ――ッ!」
魔神が蝿でも払うように手を振ると、オーガの群れに破滅的な“黒の闘気”が叩き付けられた。食らった鬼達はひとたまりもなく、肉も骨も溶け果て、気付けば地上から鬼の群れが煙のように消えてしまっていた。
時間にして一秒あったのか、どうか。
最下層で好き放題に暴れてきた300もの鬼が地上から消滅し、その驚愕の事実はすぐさまギガンテスへと伝わった。
「流星号、駆けよ。御方の勇姿を眼に焼き付けねばならん――!」
「~~~~ッ!」
流星号が力強く大地を蹴り上げ、一路、東へと向かう。
そこでも一つの戦いがはじまろうとしていた。超高速で跳び続けた一向が、巨大集落へと近付きつつあったのだ。
(何だ、これは……)
一郎の眼下に広がるのは幾つもの大きな川と、そこに蠢く人の群れ。何千人居るのかは分からないが、大きな網などを使って魚を掬い上げているらしい。
その姿は疲弊しきっており、今にも倒れそうな者までいる。
「ここが、巨人の棲家か」
上空から一郎らが降り立つと、そこで働いていた人間達がざわめきだす。
突然、空から現れたのだから無理もない。だが、そんな小さな声を吹き飛ばすような地響きが近付いて来る。
「はわわっ! ギガンテスがきちゃいましゅ!」
「お、王子……ほ、本当に大丈夫なんですよね……? 大丈夫って言って!?」
オネアは生まれたての小鹿のように震え、ミリは恐怖のあまり、最後の方は素で叫んでいたが、一郎はそれには答えず、無言で川の中へ入っていく。
膝を付き、苦しそうにしている少女を見てしまったからだ。
その少女の右手は、肘から先が――無かった。
怪我でも負ったのか、食われたのか、どちらにしても酷い状態である、
「ここでは、そんな状態でも働かされるのか」
「えっ、あ、あの……」
「――長い悪夢だったな? 良く頑張った」
――星月夜の聖誕祭
一郎が気障な言い回しで魔法を唱えると、上空から雪と共にソリに乗ったサンタが現れ、キラキラとした祝福の光を降らせる。少女の体にあった無数の傷が消え、驚くべき事に、欠損した右手が元に戻っていた。
「え……えっ!?」
それは第七魔法と呼ばれる、人類には到達し得ない領域の力。サンタが降らせた祝福の光は、少女の右手をもう一度、生まれ変わらせたのだ。
「う、うそ……食べ、られた……手が……」
「嘘じゃないさ。その手はもう、何だって掴み取る事が出来る――今日も、明日も、明後日も、だ」
(ジャンプの主人公か、馬鹿野郎!)
口から勝手に飛び出すキザな台詞に、一郎は心中で転げまわっていたが、少女は右手の感触を確かめるように、恐る恐る一郎の頬へと手を伸ばす。
その指が頬に触れた瞬間、フードの下から覗く、エキゾチックな黒い瞳が少女の心臓を撃ち抜いた。
「おっ……王子……様……」
「――あぁ、君を救いにきた」
(嘘付けッッ! 名前も知らねーだろ!)
一郎が盛大に突っ込んでいたが、川を波立たせるほどの地響きが後ろから近付いてくる。遂に、この階層を支配するギガンテスが現れたのだ。
「貴様、何処から現れた……西の騒ぎは、お前が原因かッ!」
普段は泰山の如き巨人であったが、今日ばかりは焦った様子であり、怒りを露にしていた。自らの両手であったオーガロードが、二体とも消滅するという異常事態を前にし、流石に平然としていられなかったのだろう。
「人間、こっちを向け! 西で一体、何をした!」
巨人が威圧を籠めて叫ぶと、周囲の住人達は次々と悲鳴をあげながら土下座していく。ギガンテスは一度激怒すると、一国を粉々にするような暴力を振るうのだ。
ゆったりと一郎が振り返ると、そこには山のような巨人が立っていた。
大きな一つ目に、頭には一本の角。
体には毛皮らしきものを纏っており、手には巨大な棍棒を握っている。まさに、階層を支配するボスに相応しい、風格と暴力を備えた魔物であった。
「何をした、ね。逆に聞くが、貴様らはここで何をしている――?」
「俺はこの地の王! 一番強い! 何をしようと勝手だ!」
「なるほど、強ければ何をしても構わんのだな?」
「何を当たり前、の――グギャァァァァぁぁぁッッ!」
一閃。
ギガンテスの右手が斬り落とされていた。
肘から先がゴトリと地面に落ち、巨人が痛みにのた打ち回る。一郎の右手には、何時の間にか銀河の星剣が眩い光を放ちながら握られていた。
「お前の言を借りて、好きにしてみたが――中々に気分の良いものだな?」
「ぎ、ぎざっま……手、俺の偉大な手、ガァァァァァァアアアッッ!」
「この少女は片手を失っても働いていたが、お前は痛がるばかりか」
――随分と弱虫なんだな?
その言葉に、ギガンテスが猛然と立ち上がる。これ以上、人間如きに侮辱されるなど、巨人としての誇りが許さなかったのだろう。
左手に持った棍棒を振りかぶり、一気に一郎へと叩き付ける――!
「人間如きがぁぁぁぁぁぁああああッ!」
破滅的な威力を秘めた棍棒であったが、それが一郎の体に触れる事はなかった。
そこに立ちはだかったのは、一本の指。無造作に突き出された人差し指に、巨人の棍棒が止められたのだ。
巨人がどれだけ力を籠めてもピクリとも動かず、最後には圧力に耐え兼ねたのか、棍棒が粉々に砕け散る。
「こん、な、馬鹿な……! 脆弱な人間が、ありえない!」
「脆弱、ね。お前がどう思おうが構わんが……」
「俺は、俺は……この地の王! 鬼も、人間も、永遠に支配する王だッ!」
「永遠、ね――――その理想を抱いて溺死しろ」
口から飛び出した、赤い弓兵的な台詞に一郎が七転八倒する。
しかし、周囲に居る最下層の住人達からすれば、その姿は何処までも凛々しく、放たれる言葉も全て洗練されたものばかりであった。
「あれは、誰なんだ……?」
「とんでもなく強いぞ! 上の有名な冒険者の方に違いない!」
「私達を救いに来て下さったんだわ!」
「それよりも、ユメ……お前、手が……」
「王子様が治してくれたの! 王子様のお顔、凄く格好良かった……っ!」
「お、王子だって!?」
住人達が混乱する中、後ろの三人も固まったままの姿でいた。
強い、などと言うレベルではない。
完全に人間離れしていた。
「あの魔法は何……? 剣も、ちっとも見えなかった……」
ミリが自信を無くしたように項垂れる。
彼女も冒険者のランク的には駆け出しとはいえ、腕の立つ剣士であり、それなりに自信を持っていたのだ。
「あんな魔法も、見た事がないでしゅ。腕を、戻しゅなんて……」
回復を担う魔法や、薬などは幾つかあるが、欠損した人体を元に戻すようなものなど存在しない。そんな都合の良い魔法があるとすれば、それは魔法などではなく、“奇跡”とでも呼ぶべきであろう。
「一郎さん、凄いです! ギガンテスの目玉、必ず刳り貫きますからねっ!」
ピコだけは不穏な事を口にしていたが、懊悩している一郎の耳には入らなかった事が幸いである。
時を同じくして、遥か上空でも透明化した魔神が下の光景を見つめていた。
「むぅ……聞いたか、流星号ッ! 御方の尊き唇から紡がれる、宝石のような煌く言霊の数々を! 何と絢爛豪華なる事よ!」
「ヒッッヒィィン!(御方、格好良い! そこに痺れる、憧れる!)」
「我も、見習わねばならぬわ」
「ヒッッヒィィン!(ご主人は雄々しい方が似合う)」
遥か上空で魔神が騒いでいたが、眼下でも新たな局面を迎えつつあった。
この地獄のような環境から抜け出すべく、一郎が全力で敵を滅するように動き出したのだ。鼓動と火花も強く連携し、周囲に大魔力の嵐が吹き荒れる。
暴風のような魔力にローブが妖しく揺らめき、ギガンテスの足元に巨大な魔方陣が浮かび上がった。そこから溢れる無慈悲な力に、巨人が慌てて叫ぶ。
「ま、待て! そうだ、この地を分けて統治しよう!」
一郎はその叫び答える事はなく、おもむろに左手を突き出す。その指が軽やかに鳴らされた時、ギガンテスの肉体は恐るべき大魔法に包まれた。
――絶対零度の氷結撃
足元の魔方陣から無数の氷撃が突き上げ、ギガンテスの体が次々と上空へと跳ね上げられていく。最後はその巨体が結晶の中へと閉じ込められ、集落に巨大な墓標が出来上がった。
その圧巻の光景に、周囲が音もなく静まり返る。
数百年に渡って鬼達を支配し、人間を蟻のように酷使してきた首領級の魔物が、気付けば動かぬ彫刻となっていた。
それだけでも驚愕の出来事であったが、周囲に次なる衝撃が走る。
刹那、一郎の拳がその氷結を打ち砕いたのだ。粉砂糖の如き氷の結晶が降り注ぐ中、艶やかな言葉が紡がれる。
「――ドブネズミに、墓標は要らんな」
まるで、映画の1シーンのような光景に後ろの三人が歓声を上げる。
集落の住人達も我に返ったように騒ぎ出し、大地が揺れるほどの喧騒に包まれていく。残った鬼達は、首領の敗北に慌てて集落の奥へと退却していった。
(ふぅ、終わったな……色んな意味で)
ようやく解放されたのか、一郎がホッと一息つく。
しかし、一郎に休む暇はなかった。右手にはミリが巻き付き、左手にはオネアが、背中にはピコが、何故かユメと呼ばれた少女まで足に絡み付いている。
「王子、超絶格好良いぃぃぃぃぃぃっ!」
「王子しゃま、私の事も閉じ込めてくだしゃい! 拉致監禁束縛、何でも受け止めましゅ!」
「一郎さん、最高に格好良かったです! でも、一郎さんの好物の目玉がっ!」
「王子様、頂いた手で御奉仕しますっ!」
「ちょっ、離し……ってか、最後の娘は何言ってんの!?」
戦いが終わった後も地上は大変な騒ぎであったが、上空からそれらを見守っていた魔神も、両目から滝のような涙を流し、歓喜の声をあげる。
「流星号、見たか! 御方の華麗なる勇姿を!」
「ヒヒィィン!(あれは濡れる! 孕む!)」
「一刻も早くこの地を平らげ、全ての世界を御方に捧げねばならん――!」
「ヒヒィィン!(ご主人、奥に餌が逃げていった)」
「うむ。まずは蟻どもを掃除し、この地に御方の偉大さを讃える銅像を建立せねばならぬわ」
「ヒヒィン!(GO! GO!)」
本人が聞けば「冗談じゃない!」と叫ぶような内容を上空で二人が(?)嬉々として繰り広げる。
こうして、最下層を支配してきたオーガ達は僅かな時間で消滅した。一郎達が次に向うのは、ゴブリンが支配する二階層。
そして、目指すは人間が支配する――三階層である。




