屋根の上にて生きる
「合法ショタとはたまげたなあ…」
朝食の席、そう溢してミノーはサクサクとパンを口に運ぶ。こちらのパンは軽くて硬いラスクの様なもの。米で育ったミノーとしてはオヤツ感覚の主食だった。
「ゴーホーショタが何かは知らないが、驚いたのはこちらも同じだよ。ミノーは年下だと思っていた」
朝食の並ぶ円形のテーブルの向かいから言う犬耳少年。ただ一人脚の高い椅子に座り、くりくりとした目でミノーを見る。
ライは一八歳だった。日本でも合法である。ミノーは彼を十歳位だと思っていたが、見た目の割に分別が良く落ち着きがあり、それでいてしっかり者である。内面は一八歳以上だった。
(こんな可愛い子がスケベな本見てても問題無いのかあ……)
益体も無い事ばかり考えるミノーだが、納得できる感想だった。どう見ても違法だ。
「ゴーホーショタってなーに?」
正面から左に目を向けると、そこに座しているのは絶世の犬耳美女。端麗な顔立ちにすらりと長い手足。幾度となくミノーを窒息させた質量兵器は服の下からでも圧倒的存在感を放つ。
ルヨは一五歳だった。まさかの違法である。
「簡単に言うと可愛いの男の子って意味だよ」
「……お兄ちゃんはかっこいいもん」
まさかまさかのブラコン追加である。この兄妹のキャラの濃ゆさあまりにミノーは混乱してきた。
「ルヨちゃんはライ君の事が大好きなのね」
で、最後に右である。
(もうお腹一杯なんだけど……)
引率役のエルフの男性。彼もとい彼女の事をミノーは、エルフである以外は普通の男性だと思っていた。
「ミノーちゃんも、ライ君の居る前で可愛いって言っちゃうのはどうかと思うわよ?ま、アタシも気持ちは分かるけどネ」
ミノーにウィンクして見せるエルフの男。リーサーは乙女だった。
(もうやだこの三人……キャラが濃すぎて自分が誰だか分からなくなりそう)
頭を抱える彼女の名は美濃澄。三人からはミノーと呼ばれている。何故か苗字で呼ばれているが、その理由は……。
『お名前なんていうの?』
『美濃……むぎゅ』
『ミノーちゃんだね!ルヨだよ!よろしくね!』
名乗り切る前に質量兵器に口を塞がれ、苗字が名前になった。
後から訂正する事も出来たが、やめておいた。もしもこの世における苗字がやんごとなき方々しか持たないものだったら、妙な誤解を生む。
幸いにして、澄も家族以外には苗字で呼ばれる事が多かったので、そのまま呼んでもらう事にした。
ミノー。本人も別に悪くもないかとそのままにした。
「ははは、僕も自分がどう見えるかは知っているつもりだよ。ルヨもありがとう」
「えへへ」
「んふ、背伸びしない潔さ。ココロは男前ねえ」
(何よこれどうしたら良いの。ツッコミ役が足りな過ぎるぞこの空間。この世も怖いわー)
そしてミノーは白目を剥き、考えることをやめた。
◇◇◇
「……まるで意味が分からないわよ」
「ですよね、あたしも意味が分かりませんから」
眉間を押さえるリーサーと、それに苦笑いで答えるミノー。
朝食を終えて男部屋に集合した四人。ミノーはこれまでの経緯を話す。
それで理解が得られないのは決してミノーの説明が下手な訳でも、三人の理解力が足りない訳でもない。そもそもが気付いたら空龍の背に乗り飛んでいたというところから意味不明なのだ。
「しかしニホンとは聞いた事の無い国だ。どうやら空龍の背に乗り、途方も無い外界からやって来た様だね」
それでも冷静に話を捉えるライ。実にクールな性格とその愛らしい見た目とのギャップに、ミノーは余計に可愛いらしさを感じていた。
ライ本人はそんなこともつゆ知らず、ミノーに問う。
「……その国に、獣人は居るのかい?」
「居なかった。て言うか、空想上の生き物だと思ってたんだけど……」
(向こうの世ではまだ空想上のままだろうなあ。現実にしたって猫耳おじさんとか結構シュールなんだけど)
「そうか、居ないか」
(あれ、なんか残念そう。でも本当に居ないんだそれが。居たら大喜びしそうな人は居るけどさ)
「まあ、重要なのはミノーちゃんが居た国の事じゃないわ。まずはこれ、ね」
リーサーがミノーに差し出したのは麻袋の巾着。受け取ると見た目の割にずしりと重たい。
「何これ?」
開けてみる。……口紐を引いて閉じる。
「……何これ!?」
一言目は単なる疑問。二言目は動揺を含む疑問だった。
「何って、あなたが仕留めた獲物の代金じゃない」
(獲物……あいつか!あの熊助か!お前こんな高級品だったのかよ!?)
巾着の中身は金だった。金は金でも、金色と銀色の金だった。こちらの貨幣価値は分からない。だが金貨だ。生まれて初めて見る金貨だ。安物であるはずがない。
「フォーネン金貨5枚と大銀貨3枚と銀貨6枚ね。特大の大物で、それも頭を一突きで仕留めてあったもの。良い腕には良い値が付くわ」
特大の大物とは、緑の高台でミノーを襲ったあの鬼熊だった。下界には生息しない巨大な種で、その中でも成熟した個体。凶暴で力も強く危険な獣だが、どうも好き者にはその素材が高値で売れるそうだ。
ただでさえ狩るのには腕利きが必要だが、それを状態良く狩るのは更に困難である。そこを魔法で眉間を一突きに倒してしまったのだ。損害は眉間の毛皮と頭蓋骨だけ。素材の品質は第一級である。
持ってきた毛皮だけでも日本円にして50万円以上の値がついたとの事だった。
(ありがとう熊助。敬礼)
そしてミノーがご馳走になっていた謎のお肉も、例の熊のものらしい事も、ここで知ったのだった。
(美味しかった。合掌)
「それで、問題はこれからどうするかよねえ」
「ですよねー」
流されるままにこの場に至るミノーだが、これからどこでどう生きていくのか。
何はともあれ、それから一月が経過する。
◇◇◇
この街の朝は他所よりも僅かに遅い。この街の名物とも言える高い外壁は朝日を遮り、背の低い建物、或いは壁の近くに建てられた建物に陽の光が届くのは後になる。
それも僅かな差でしか無いのだが、その事を知った彼女は街の中程にあり、尚且つ高い場所に居を構えていた。
壁を越えた朝日を顔に受け目を覚ます。
「さすがにまぶしい……」
手で影を作り陽の光を遮る。早く起きれるからと東向きの屋根にしたが、流石に毎朝鬱陶しいので反対側にしようかと独り言ちる。
ミノーが目を覚ましたそこは、三角屋根の上だった。
そんな所に住む彼女だが、魔法があるので問題無い。屋外で過ごす位訳ないのだ。それなのにわざわざ金を払って屋内に寝泊まりする事も無い。
白い浴衣の寝巻きに身を包んだ彼女も、これから仕事というのにそのまま出る訳にはいかない。着替えるべく懐から手帳を取り出す。パラパラとページをめくり、目当てのものを探す。こう晴れた日だと朝は少し冷える。長袖も欲しい。
幾枚かのページを切り取り、それを見ながら着替える。
浴衣は煙の様に揺らめき、忽ちパーカーと短パンに形を変えた。しばし逡巡すると、パーカーはクリーム色に、短パンは紺色に染まる。
短パンはもう少し薄い色が良いかと思った途端、色が透けて下着が露わになってしまった。慌てて紺に戻す。仮に愚か者限定でも見えない服など御免だ。
切り取られたページは霧散し、その残滓は手帳に吸い込まれていった。
手帳をパーカーのポケットに入れながら立ち上がる。ふと、足下が寂しいのに気がつく。
あくびをしながらもう一度ポケットから手帳を取り出す。どうせ直ぐに着替えるのだし、下駄で良いかとページを探す。
とりあえずこれでいいと、手帳を再びポケットに突っ込む。
屋根の端まで歩き、下を確認する。四階建の屋根の上。地面までの距離、実に約15メートル。
危険な位置に通行人が居ないのを確認し、飛び降りる。
普通ならただ落ちて死ぬ所だが、魔法があるので問題無い。黒く長い髪を朝日で輝かせながら、水に投げ込んだ石のようにゆっくりと空中を沈む。
地に足を付けた所で振り返る。そこがもう職場の入り口だ。扉の上の看板を見やる。盾の前でクロスした剣と杖が描かれた看板に蜘蛛の巣がかかっていた。
本当は朝に蜘蛛をいじめるのは良くないけどと言いつつ、魔法で取り払っておいた。縁起よりも清潔感が大事だ。
満を持して扉を潜る。
依頼票が所狭しと鋲で留められた壁、年季と共に汚れと傷を蓄積した机の列、今日の職場であるカウンター、そしてその隣にある調理場と繋がるカウンター。
そこでは早くも調理に取り掛かっている人物が一人。
ここでは朝食の営業はしていないが、希望する従業員分の賄いは出る。そこで彼女の朝食も作られている。
「おはようございます」
「おうミノー。うむ、若い娘の脚は眩しいな」
挨拶に応えたのは浅黒い壮年の男性。短い髪は全体に白く染まっているが、料理の為に袖を捲り上げて露わになっている腕はミノーの脚程太い。それでいて筋張っていて贅肉など見て取れない。ガッチリとした肩幅と筋肉は色々と現役を匂わせる。
「マスターセクハラ〜。アネゴまだ起きてないですか?」
「アイツはまだ寝ておるだろう。顔洗う前に起こして来い」
「あらら、ちゃんと手加減してあげなきゃ」
「アホ抜かせ。アイツもお前さんも下手したら孫の歳だぞ。良いから行って来んか」
言われてミノーは受付カウンターの向こう側のドアを潜った。三階の一室にアネットは居る。ドアをノックして呼びかけるが返事が無い。ならばとミノーは手帳を取り出す。
こっそりと鍵の諸元をコピーしておいたのだ。ページを破り取るとそれは煙の様に揺らめき、忽ち鍵の形をとった。
躊躇い無く鍵を穴に差し込み回すと、カチャと入室許可の音が出た。用済みになった鍵をポキリと折る。二つの塊は霧散し、手帳に吸い込まれた。
ドアを引いた中は小物の置かれた小さな卓と、部屋の大半を占めるシングルサイズのベッド。丸まった毛布からは白い脚がはみ出ている。
「アネゴ起きてー、ご飯よー」
毛布の塊を揺すり声をかけるも、反応は芳しく無い。昼間の鈴の転がる様な美声とは対照的な低い呻き声が返って来る。
一瞬唇をへの字に曲げたミノーだったが、直ぐに深い笑みに変わる。ちょっとしたイタズラを思い付いたのだ。
手帳を取り出し、昨日作ったばかりの新しいページを切り取る。直ぐに手帳はポケットに戻し、両の手を前に出して拍手の構えを取った。ページは二つに分かれ、両手の平にその形をとる。
二枚一組の円盤。黄金色の光沢を放つそれはシンバルという楽器だった。これをどうするかは知れた事。
バシャアァァァァァァアン
「きゃあああああ!?」
けたたましい音に、毛布の塊からはみ出る脚の主が飛び上がる。
「おはよ、先行ってるねー」
撤退は迅速に。シンバルを手帳に戻すと、水場で顔を洗い歯を磨き、ホールに戻る。そろそろ朝食ができる頃だ。
「あんまり怒らすなよ。おっかないからな」
どうやら聞こえていたようだ。
こうして今日も一日が始まる。
空魔法「なんでもしますから!」
ミノー「ん?なんでもするって言ったよね?」