空の支配者
ブルーニカの東の道は人通りがほぼ無い。
この世界に生きる人々は安全な結界の外にはなかなか出たがらないが、そこに二人しか居ないのはそればかりが理由ではない。
特に公国の人間がこの先に用がないというのが大きいだろう。ブルーニカを東に抜ければ、その先は仮想敵エディンフェル帝国、そして最強の魔獣の住処である緑の高台。
人も近寄らない脅威というのは決して良いことでは無いが、今のミノーとルヨには好都合だ。
「ルヨちゃん、飛ぶよ」
「うん」
ミノーは人目がないのを良いことに空魔法の足場に乗り込む。続けてルヨも乗り込んだ。
「じゃあ、いくよ」
ミノーの合図で半透明な足場が動き出す。万が一にも振り落とされないようにと少しずつ加速した足場は、地面から離れ行く。
二人は風を受けても余裕のある速度で緑の高台へと登って行った。
「わぁ……」
目を輝かせ、感嘆の声を上げるのはルヨだ。
眼下を流れる大地と、少しずつ影を縮める城塞都市。横合いには海原や高山も見えた。
「危ないよ、あんまり端っこ寄っちゃだめ」
「ん♪」
ミノーに注意されて素直にその場に留まるも、ルヨはご機嫌な様子だった。
尤も、景色を堪能しているのはミノーも同じなのだが。
だがこの時、ミノーは完全に失念していた。自分がこの世界にやってきて、直ぐに起こった出来事を。
これから赴くのは、あまりに強大な力に支配された領域であるという事を。
「ッ……」
痛みを感じたのは台地を目前とした時だった。事ここに至り、ミノーは気がつく。
緑の高台にはある一定の風しか吹かない。それは空龍がその領域を丸ごと支配し、力を及ぼしているからだ。
そこで、ミノーが魔法を使おうとすればどうなるだろうか。二人を乗せて運ぶ半透明の足場もまた、ミノーが気体を固めて生成したものだ。
ミノーは足場を、台地を目指して動かそうとする。空龍の風は、領域内の気体全てを巻き込み、一つの流れになろうとしている。
「くっ……」
「ミノーちゃん?」
「大丈夫……」
異変に気付くルヨ。ミノーは取り繕う事もままならない。
ミノーは足場に更に力を込めるが、風は次から次へと吹き付ける。濁流の中で真水を守ろうとしているようだった。
「(駄目、勝ち目が無い!)」
緑の高台は直ぐそこにあるのに、とても届きそうもなかった。
それでも墜落という結末だけは避けなければならない。ミノーも今更死んでやるつもりは無かった。
「ルヨちゃん!」
ミノーが指差す先、緑の高台ーーその崖に伸びる細い道。かつて四人で下った道だ。
「あそこまで!」
「とべるっ!」
一拍の間も置かずルヨはミノーを抱え、ありったけの減圧と共に足場を蹴った。
「……ッ!」
ミノーはルヨに命運を託し、急加速の反動に耐える。
風を切る音に思わず閉じてしまった目を開ける。
ーー崖面がいろいろアウトな速度で目前に迫ってきていた。
「ーー!」
「にゃ」
力を振り絞り、空を一瞬だけ水に変える。
勢い余って崖面に衝突しかけた二人は一瞬浮遊し、なんとか崖道に着地する。
ルヨはミノーを下ろし、二人は道端に座り込んだ。
「がんばりすぎちゃった」
「よくがんばりました」
「……えへへへ」
「んははは」
何はともあれ、ルヨのおかげで助かったのだ。ミノーはもっとがんばりましょうの評価を付けてやる気はない。
道のりも大分短縮できた。目的地は目前だ。
「ちょっと歩こっか」
「うん」
立ち上がる二人。
しかし、終わりでは無かった。
響いたのは鳥類を思わせる、甲高い何かの鳴き声。
耳をつんざく様なそれは警鐘となり、背筋を凍りつかせる。
そして黒い影が姿を現した。
ミノーがこの世界で初めて目にしたもの。あの時はただ落下する中、ほんの一瞬しか目にしなかった。
だが、今ははっきり見える。
影を思わせる体色はまさに黒。陽の光をまばらに反射するそれは硬質な鱗だ。
長い首に、胴からは大きな翼と後ろだけの脚。そして長い尾のシルエットをしならせながら、それは飛翔していた。
彼らが何故存在し、何のためにそこに居るのか、それは誰にも分からない。そう言われる存在の中で最強と目される、緑の高台の主。
「空龍……」
そして、ミノーは恐怖した。
空の王者の黒い眼が、確かに二人を捉えていたからだ。




