手放せないもの
お ま た せ
やあ、久しぶり。
うん、久しぶり。
おや、今度は驚かない。前はあたしが30秒かけて優しくなだめてあげたのに。
20秒だよ。優しくもなかった。
よく覚えてるね。変態。あれから-- -……じゃない、半年くらい経ってるのに。
物覚えは悪いけど、物忘れもしないからね。それに用事があってあたしをこの世界に飛ばしたなら、放置はない……いつか接触してくると思ってた。
んん〜悪くない。ほんと自己完結だけは良くできるよね。
で、何の用?言っておくけど戦争屋とはもう関わらない。お前みたいな魔物が魔方陣の乱用で困っていたとしても、あたしは助けられない。
ほほーこりゃ驚いた。魔法の仕組みに気づきつつある。……でも違うよん。あんなの減るもんじゃ無いしね。
じゃあ何。
うん、何にしようか。
……はあ?
いやいやなになに、あたしも君にお願いがあって呼び出したのよ。今ここでお願いごとをするつもりだったんだけどね、気が変わっちゃった。
なんで。
あたしにも色々あるのよ。だから決めた。宿題を出すよ。君に。
……。
【安息の地】について、考えておくこと。いいね?
その理由は。
そこから全てが解っちゃうよ。答え合わせはもう差し迫ってる。……それじゃ、またね。
目を覚ますと、見飽きたような馬車の中だった。
往路と違って急がない旅というのも、存外時間がかかって疲れるものだ。
暑い季節を越え、空は日に日に過ごしやすく、やがて冷たくなる。夏のレフテオエルを発って今、公国の東には秋が訪れていた。
思わず眠りにつく快適な馬車の旅を提供していた膝の上から降り、外を覗く。膝の持ち主であるルヨはまだ寝ていた。
小さな窓の中に、高い壁が見えた。
数人の同乗者の足を避け、走る幌馬車の外に踏み出す。ミノーは半透明な足場からはっきりと、外壁を見つめた。
初めてそこを訪れた時と相変わらない、距離感を狂わせるような巨大な壁。忘れようもない、城塞都市ブルーニカの外壁だ。
走る馬車の側に立つミノーは何も言わず、しばらくそうしていた。
鋭い一重瞼の下、映っていたのは巨大な壁だけではない。その背後にそびえる台地をも、瞳は映す。
やがて日は傾き始める。馬車は暗くなる前に外壁の内側へと姿を消した。
太陽は早くも外壁の下に沈み、街は早々に薄暗く陰る。これもまたブルーニカの名物である。
そんなことさえ懐かしさを感じつつ、ミノーはルヨと二人、東へ向けて街を歩いた。
東の空に明るい星々が浮かび上がる頃、二人は意中の場所にたどり着く。
盾の前でクロスした剣と杖。いかにも分かりやすい冒険者ギルドを示す看板の下、ミノーは扉をくぐった。
依頼票が鋲で留められた壁、年季と共に汚れと傷を蓄積した机の列には冒険者がちらほら、過去に職場としたカウンター、そしてその隣にある調理場と繋がるカウンター。
記憶のまま、何も変わってはいなかった。
そして、受付カウンターの奥に居る白猫の獣人。その人も。
形容しがたい、じんとした気持ちを抑えつつ、ミノーはその人へと歩みを向けた。
受付の終わった時間に近づいてくる人影にアネットは、先ずルヨに気付いた。
「あなた……!」
そして一拍の後、小さな人影に気付く。
記憶にある姿とは違う。が、黒く艶のある長髪も、起伏の少ない容貌も、鋭い一重瞼も、その人のそれだった。
「ただいま……アネゴ」
そして、自分を呼ぶその言葉も。
数拍の間を置き、アネットはカウンターから飛び出してはミノーを抱きしめた。
「けふっ」
あまりの勢いに、ミノーから息が溢れる。しかし、ミノーはアネットの為すがままにされた。
あまりに強く抱きしめるものだから、アネットの気持ちは痛いほど伝わるのだ。
「ごめんねアネゴ……すぐ帰ってこなくて」
「本当よ、バカ……!あなたって子は……」
「うん……」
ミノーは動く腕を小さく動かし、アネットを抱きしめ返す。謝る以上にはこれしかできなかった。
「ありがとうアネゴ。マスターにあたしが生きてるって教えてくれて」
「うん……」
「ずっと待っててくれてありがとう」
「ゔん……うっ、うわあぁぁぁぁ……」
アネットは人目も憚らず泣き出す。ミノーは背に手を回し、自分が引き起こした涙をただただ受け止めた。
自分を思って涙を流してくれる人、それすらも臆病さ故に投げ出そうとしていた。そのせいで自分自信が苦しみ、目の前の大切な人すらも泣いている。
アネットを抱きしめる手に力が入る。小さな手で、非力な腕で、力の限り。
今度こそは絶対に手放さない。
本当は大切な人の涙を受け止めてあげたい訳ではなく、そう思っているのかもしれない。その思いもまた、本質的にはその人の為という訳ではないのかもしれない。
ミノーは未だに分からないで居る。
だがそれでも、自ら離れるという選択肢はもうミノーには無かった。
アネットが泣き止むまでただひたすら、ミノーはそうしていた。
西の外壁に沈んだ陽が東の外壁を超え、夜が明ける。冒険者朝早しと言えども、ギルドはまだ開かない。
そのギルドの前、ミノーとルヨは見送りを受けていた。
「昨日の今日でもう出るのね」
アネットは未だ腫れの引かない目で二人を見る。朝には弱い彼女だが、それだけ大切な人という事だ。
「うん、距離がちょっとあるから早めに出ないと。用事も早く済ませたいの」
依頼に挑む為に海を渡ったベンソンやレフテオエル領主のウェイナリアからはブルーニカに戻れと言われていたが、別件で戻れというのが一つ。
側に立つルヨの兄であるライからは、一度彼らの故郷である緑の高台に行って欲しいと言われていた。
一度はそれを『興味ない』と突っぱねたミノーだったが、冷静に考えれば必要な事だ。
「これはちゃんと自分の事だから、行かなきゃならない」
魔人。
例え首を切られようが胴を引き裂かれようが全て元に戻る不滅の体。詠唱も陣も必要ない、他とは一線を画する魔法。この二つを持ち合わせる、魔獣の力を持った人間。
緑の高台に住まうエルフ達が、その答えを持っている。
ミノーはそれを知らねばならない……いや、今のミノーは知りたいのだ。『興味ない』と一蹴した、自分の事すらも。
「そう……」
アネットは理解を示してくれるが、その表情はどこか悲しげだ。
戻ると言って戻らず、戻ったと思えば今のこれ。アネットの面持ちも無理からぬ事だった。
しかしミノーも、それは一応なんとなく分かっては居るので、敢えて真面目な顔をつくる。
「今度は絶対戻るから」
「……うん」
アネットはミノーの言葉と面持ちに表情を緩める。
一方で、ミノーは内心で溜息をつく。
人の表情を読むのと、如何にも自然な表情筋はささやかな自分の特技だ。
勿論、口にした言葉に嘘はない。
それでも、なんと不誠実な特技だろうと、それを使ってしまう自分も含めて嫌になってくる。
アネットと別れ、ブルーニカの東の外壁を出た所で本物の溜息を空に溶かす。
「ミノーちゃん元気ないね」
しかし、耳の良いルヨにはしっかり聴こえていたようだ。
「んー……元からそんなに元気な人間じゃないね」
未だに、ミノーという人物はままならない。




