本当の気持ち
誰かが頭を撫でる感触に、ルヨは目を覚ます。そういえばと、随分と前から陽の明かるさを夢見心地に感じていた気がした。
「ルヨちゃん」
切れ長な瞳を動かすと黒髪のミノーが居た。ベッドの側に佇み、ルヨを覗き込んでいる。
「おはよっ♪」
ルヨは上体だけ動かし、抱きつくようにミノーを愛でる。やはりもふもふは堪らない。
しかし条件反射のようにじゃれてくるルヨに、ミノーは抵抗もしなければ表情も動かさない。そして、こういう時のミノーは大抵冷静ではない。
「ルヨちゃん」
「ん〜?」
「もう……あんなことしないで」
ルヨは手を止め、ミノーから離れる。
ルヨも惚けてはいるが、分かっているのだ。何があったのか。何故自分が知らないこの部屋で寝ていたのか。そして、どうしようもないミノーの事も。
「やだ」
とても単純で明解な拒否だった。ルヨちゃんらしいと言えばらしい。……けど、そういう訳にはいかない。こんな事、もう二度とあっちゃいけない。
「ルヨちゃん」
「むぅ」
あたしは今一度諭してみようとする。すると両手でぶみゃっと両頬を挟まれた。
「ミノーちゃん怖い顔してる」
いらっ。
「ルヨちゃん、真面目に聞いて」
両手を挟む手を空魔法で掴み、退ける。
「あのね、あたしはちょっとくらい死んだって大丈夫なの。だから、あたしを庇って倒れるようなことは絶対にやめて」
「やだ」
……この子、こんなに聞かん坊だったかしら?
「ルヨちゃん!」
「ミノーちゃん嘘ついてる。死んでも大丈夫なんて絶対嘘」
「嘘じゃない!空龍に叩き落とされても、背中を刺されても、魔獣に吹っ飛ばされてもなんともない!」
「痛いでしょ」
「ッ……」
「怖くない?」
「それは……」
その時、また襲ってきた……あの感覚。大地が迫り来る光景、暗闇の中でどくどくと流れ出す血液の温さ、血で溢れかえる肺、一瞬で背骨がバラバラに抉られる音……。
「あの人、すごい力だった。人なのに鬼熊よりずっと強い力で剣も折られちゃって、とっても怖かったよ」
「……」
「すっごい痛かった。立ってられなかったもん」
ルヨちゃんが言ってるのは死んだら生き返るとか、そんな事じゃなかった。そして、正しい。でも……
「うん……だから、やめて。ルヨちゃんがあたしのためにそんな事する必要ないよ……」
なおのこと、ルヨちゃんにはさせられない。命のやり取りなんて……。
「……もうっ」
「……え、きゃっ」
ちょっと視線を落としたせいで反応が遅れた。まあ、だからといって基本的に敵う腕力も無いわけだけど……あたしはぬいぐるみのような格好で抱きしめられた。
「ボクだって、またお兄ちゃんたちとみんなで笑えるなら戦えるもん。……でも、その時ミノーちゃんだけ笑ってないなんて絶対やだ」
「……」
「だから、笑おっ!」
「えっ、ひっきゃっははははははは!やめてルヨちゃあっははひひひひひひ…」
身をよじって逃れようとするけど、ちから、すばやさ、共にステータス負けして振り解けなかった。
「あはっ、ひー!ひー!はははっはは…」
「お兄ちゃんもベンソンさんも、ミノーちゃんに笑ってほしくて行ったんだよ〜」
ああ、そっか……みんなあたしと同じ……ううん、ずっと気付いてた筈なのに勇気が持てなかったんだ。
(あたしも……笑っていいんだ)
「あはっはっ、ひっ、ひーひひはははは…」
そろそろやめてルヨちゃん……笑い過ぎて……泣きそう。
臆病な人物だ。本来、レフテオエルと戦争屋との抗争沙汰への介入など、向いている筈もない。それでも『関係無い』と人に耳を貸さない様に、自分にすら耳を貸さずにここまで来た。
だがミノーもいい加減、自分の限界には気がついていた。
ここしばらく本当に色々な事があったとミノーは反芻した。この世界に逃げ出し、その身に余る大きな力を手にしてしまった。友とも家族とも呼べる、大切な人もできた。その二つの為に、本人が頭で理解しているよりもずっと無理をしてきた。
「はあ……んっ……」
ルヨの膝の上でくたびれたミノーは、静かに涙を流した。
「ルヨちゃん」
「うん」
「……帰ろっか」
「うん」
少しだけ、自分の事が可愛かったのだ。
ルヨの傷は既に完治していた。そもそも魔人という存在は非常にタフであり、それに今回は治癒師も加わったのだ。寝起きで幼女にじゃれつくくらい訳もない。
それでも大事をとって一日安静に過ごして今、ミノーはウェイナリアのもとを訪れた。
レフテオエルを見守る大結界塔に海風が吹く。そこには他に、誰も居ない。
「ウェイナリアさん」
「あの娘の傷は癒えた様ね。……では、言われた通りになさい」
ウェイナリアは背後のミノーを見もせず淡々と述べるが、次の言葉に振り返った。
「ありがとうございました」
その言葉の含意がルヨの事だけではないと伝わったからだ。
「少し、大人の貌になったかしら?」
「……いえ、全く」
ミノーは心底バツが悪そうに答える。思うところ、自分というものは見えてくれば見えてくるほど、どうしようもない。
「自分を知ることも大人になることですよ。それは勇気がいることですわ」
ウェイナリアは優雅な所作でミノーに歩み寄りつつ、再び口を開いた。
「わたくしも若い頃には恋をしたことがありますの。
旅先で出会ったその方は強く、逞しく、大胆でも、どこか繊細な方でした。わたくしはすぐに恋に落ちましたが、彼はただの腕の立つ冒険者。レフテオエルの娘という立場には釣り合いが取れず、わたくしもその恋は諦めていましたの。
ただある日、その彼がとても大きな功績を挙げました」
ウェイナリアは腰を折ってはその視線をミノーの高さに合わせ、笑う。
「わたくしは急いでレフテオエルに戻り、彼に婚姻を申し込んだわ。領主の地位を確約してね。……断られてしまいましたが」
「……それって」
もしや騙されたのだろうか。ミノーは今更にそう思った。
ウェイナリアは大抵の時、貴族の女性らしい上品で、どこか本性を包み隠した様なミステリアスな雰囲気の笑みを浮かべている。しかし、今は違った。勿論、傑物の意思を滾らせたあの剣幕でもない。
柔らかな、慈愛に満ちた笑みだった。そんな顔をされては流石にミノーにも分かる。ミノーはウェイナリアに守られたのだ。レフテオエルから逃す形で。
今までのミノーならば、今からでもここに残る決断をしていただろう。しかし、いつまでもそうという訳ではない。自分を想うウェイナリアの心ぐらいは、流石にもう分かるのだ。
「ずるい」
「ふふ、事が済んだら、またいらっしゃい」
人を信じる勇気も与えてもらった。
音の魔法使い編、これにて終了です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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