雷炎
へんたいおまたせしました…
雪よ、鎮まりたまえ…(腰痛)
三日月型のレフテオエルの湾の一角、月夜の下、領軍の人々が忙しなく動き回る。
そこは領軍の拠点の一つであり、保有する船舶が集まる軍港区間だ。
しかし、今そこが領軍で活気付いているのはそればかりが理由では無い。今まさに、領軍の艦隊が出撃しようとしているからだ。
そこには領軍以外の人影も三つ居た。
「船ってそんなに早く出航できるんですか?」
素朴な疑問を呈する最も小さな人影はミノーだ。
変装により、相変わらず白狼の獣人の姿をしている。
「沿岸防衛を目的とした部隊です。
奇襲攻撃への備えもあり、速やかに出航できる様にさせていますわ」
それに答える人影はこのレフテオエルの領主、ウェイナリアだ。
敵が目前と迫っていようともこの落ち着き様。元は敏腕の冒険者として鳴らした女傑である。
「わー、これ動くの?」
……これについては最早何も言うまい。
(ほんと可愛いなあ、この子。
思わず撫でたく……手が届かない。って、ルヨちゃん違う、抱っこ要求じゃないから〜)
幸せそうに笑うルヨとその腕に収まるミノーを見、ウェイナリアは微笑む。
「では、わたくし達は戻るとしましょう。
情報提供には感謝します。宿まで送らせますわ」
「え?」
珍しくルヨの腕から逃れられたミノーは疑問の声を上げる。
ここまでついて来たミノーだったが、その目的は迎撃の船に便乗しての助太刀だった。にもかかわらず、である。
「言いたい事は分からないでもありません。
しかし貴女方や、或いはわたくしの力で敵を殲滅しても意味が無いのですよ」
今回はミノーからもたらされた情報が無ければ、確かに完璧な奇襲だった。展開次第ではレフテオエルは大被害を被ったかもしれない。
しかし、既に状況は単なる好機と化していた。
言わば、これは見せしめであり、デモンストレーション。
レフテオエルの力、レフテオエル側に付けば手に入る力を、大公領に見せつけるための。
それをミノーやウェイナリアがみすみす潰してしまう事は無いのだ。
しかし……。
「けど、それで最善の結果は得られますか?」
ミノーは、納得しない。
「ええ、目的に対する最善にわたくし達は必要ありません」
「けどーー」
「貴女こそ最善を良く考える事です。
その欲張りを最善などと……努々思わぬ事ですよ」
「……」
「既に戦いは避けられません。
誰も死なない戦争など……そんなものがあればあの艦を造る必要も無かったのですよ」
「……」
「……聴こえていますよ。
貴女が忌避しているものは人の死そのものではないと」
「……何を、言ってるんですか?」
「やはり分かっていないのね。
事を済ました後、知りたければ教えて差し上げますわ」
ウェイナリアの言葉にミノーは更に疑問を募らせ、眉をひそめた。
しかし、だからと言って今どうする事もない。
一旦話を戻す。
「危ないとなれば直ぐに伝えてください。
こちらの実力で排除します」
「真面目な事ですね。良いでしょう、必要があれば直ぐに伝えますわ。
ですが、あの様子ならばこちらの勝利は堅いですね」
(またそれね……この人は一体何を知っているの?)
ウェイナリアは時折、何かを見透かしている。
これまでのやりとりから、ミノーにはそれが明らかだった。
初めて会った時から作った表情を見抜かれ、今もまた、あたかも遥か外洋に居る敵の様子が分かっているかの様な発言をしていた。
それは卓越した頭脳によるものとも、鋭敏な勘によるものとも考え難い。
ただ見た聞いた。そうとしか思えないものの言い方なのだ。
しかし、ミノーの逡巡、それすら見透かされてしまったのか
「それも、後ほど教えて差し上げますわよ」
ウェイナリアは上品に笑う。
その背後では月光に照らされ巨艦が動き出していた。
レフテオエルの沖合、一隻の艦が波を切り裂き、陸地へと舵を取っていた。
夜分の航行ではあるが、その甲板には見張り以外にも大勢の男が居る。彼らの体格が良い、その理由は各々が海の男として鍛えたからではない。
荒事で力を振るう為には、大きな体の方が何かと都合が良いものだ。
そんな彼らの表情は暗い。
かと言って悲壮な訳ではない。
薄暗い空の下、剣呑な笑みを浮かべるものがちらほらと居た。
「見えたぞ!レフテオエルだ!」
夜の風を受けて帆を膨らませるマストの上、見張りが声を上げた。
月光の下でも、レフテオエルの疎らな灯りが
彼らの目には映っていた。
見張りの声を受け、一人が楼に出る。
「いよいよだ!これよりレフテオエルに突入する!目標は領主の首だ!
補足して首級を上げる迄には領軍が出張って来るだろうが恐れる事はない!
俺達には陣がある!新鋭の艦もだ!
相手は【安息の地】のぬるま湯に浸かり切った腑抜けの軍、物の数ではない!
誰が支配者に相応しいか、奴らに見せつけてやれ!」
恐らくは指揮官であろう男の演説に甲板が沸き立つ。
後は一方的な戦いで蹂躙し、邪魔者を消してしまうだけ。そんな簡単な仕事が彼らの仕事の筈だった。
「ぜ、前方に艦!途轍もなくデカい奴です!」
見張りが叫び上がるまでは。
それからものの数分の後、艦は阿鼻叫喚の地獄と化した。
最初は絶好の鴨だと思った。
海戦の基本は敵艦への体当たりか、敵艦へ乗り込んでの白兵戦だ。
彼らの駆る新鋭の艦というのはやや小振りながらも足が速く、有利な位置を確保する為に造られたものだ。
更に体当たりに耐える為に強力な結界を搭載し、魔法陣による風魔法を利用した操船をする機構の他、魔法陣と併せて運用する為の工夫が随所に施されている。
レフテオエルの巨艦に対し体当たりを避け、魔法陣の遠距離攻撃によって一方的に撃破できる筈だった。
それが蓋を開けてみればどうか。
魔法陣を持つ新鋭艦が、魔法陣を持たぬ艦に遥か遠方から一方的に撃たれている。
「畜生!なんなんだよ!なんなんだよアレは!?」
遥か遠方の巨艦が月夜に火を噴き、雷鳴を鳴らした。
そして文字通り間を置かず、艦の直ぐ側に水柱が上がる。飛沫が結界に阻まれ、水の壁が出来た。
「馬鹿野郎!魔弾魔法なんぞにびびってんな!撃ち返せ」
阿鼻叫喚の中でも一部には伝わったのか、甲板からちらほらと魔法が放たれる。
しかし具体的な指揮もなく疎らな撃ち方、更に射程も足りず、貴重な魔法陣を用いての攻撃は虚しくも海面に堕ちるばかりだった。
そうこうしている内に遂に、巨艦の雷が艦の結界を捉えた。
雷鳴とほぼ同時、艦を爆音と衝撃が突き抜ける。
彼らの頬を遮るものの無くなった海風が撫でる。
あまりの衝撃に、甲板は静まり返った。
「勝て……ない……」
呟いたのは一人だっただろうか。
それを皮切りに、艦は更なる阿鼻叫喚に包まれた。
最初は楽観的で、それでいて暗い音色だった。
次に聴こえてきたのは少々の驚きと、少しは困惑の間抜けな音色も混じっていただろうか。それでもすぐに楽観的なものに戻った。
その次は、跳ね上がる様な驚愕。燃え上がる様な怒り、苛立ち。
そこへ……これがどうも形容し難い。だが、彼女には分かる。これは恐怖だ。後悔だ。哀しみだ。
これまでも様々な音を聴いて来たが、取り分けこれらは聴いていて気分が悪い。
似て非なるものだが、ガラスを鉄釘で引っ掻いた音を聴かされたなんてものではない、不快な気分だ。
しかし、耳を塞ぐ訳にはいかない。
ある時から、次第に音が消え始めた。
一つ、二つ、まとめていくつか、音が次々と消えた。
やがてものの数個だけの音が残り、それらも失われつつあった。
「……終わりましたか」
その目に見ぬ敵の最期を聞き届け、ウェイナリアは瞑っていた目を開けた。
正直、これを一人で受け止めるのは辛いものがある。
あれは地獄だ。ものの例えでもなんでもない。
炎の咆哮が人に恐怖を与え、鉄の雷が人に絶望を与える。
その雷鳴を、悲鳴を、ウェイナリアは細大漏らさず聴き続けた。
手を下したのは自分ではない。それでも、その地獄は自らの命令一つで巻き起されたのだから。
その地獄はこの先、数えられぬ程に引き起こされるのだから。
それは近代、地球に於いても暴威を振るった大量破壊兵器。砲火器だった。
それが実戦で振るわれた時どの様な結果がもたらされるのか。地球人には歴史から明白なれど、この世界ではウェイナリアですら想像を絶するものがあった。
だが、その死神を手放す事は出来ない。
手放せば、別の死神が自分達を地獄に引き摺り込む。
「嫌な話ですわ……本当に」
二つの死神は既にこの歴史の中に産声を上げた。
ウェイナリアは自らが領主という立場である以上、死神に取り憑かれたままに生涯を終えるだろう。そして、その子も、孫も。人の世が滅ぶまで死神が消える事はない。
この地上に鉄と雷の地獄を生み出し、その地獄を未来永劫子々孫々に見せ続けるであろう事実。
その重圧にまともに向き合い、耐えられる人間など居ようか。
居れば超越者。既に人間ではないと、ウェイナリアはそう思った。
大領地レフテオエルの領主という地位、更に自身の強力な能力も相まって、ウェイナリアは人からしばしば、ある一つの高みに位置する人間と見られる。
しかし、本人からすれば何という事は無い。
立場故そのように演じている部分はあるが、人並みに好き嫌いもあれば悩みもコンプレックスもあるし、人並みに恋だってした事もある、ちょっと年の行った若作りのおばさん。
本人からすれば自身とはそういうものだ。
そんな一人の人間でなにもかも受け止めるのは難しい。『逃げる事はできなかった』と、領主という立場にこじつけてしまえば幾分気も楽なものだ。
領主という立場は苦悩を伴うが、同時に逃げ道でもあった。
「ベンソン様……貴方もそうなのでしょうね」
ミノーから聞いた話だが、ウェイナリアの見立てではベンソンに課された使命は相当に困難なものだ。
それもたかが3等級の冒険者一人を連れて行くよりも、ミノーさえ居たならば大きな助けになった筈だ。
だが、ベンソンはミノーに苦難を背負わせようとはしなかった。それも父親代わりという側面から見れば、ある意味は当然である。
人の強さは必ずしも個人の自由意思によるものではない。
人が持つあらゆる側面。
ウェイナリアは領主なればこそ死神の業を背負い、ベンソンは父なればこそ自ら苦難に挑む事が出来る。
(ですが、そのように考えることが出来ない子も居ますわね)
真面目だが、馬鹿だ。馬鹿真面目だ。
性格なのだろう。
たまたま得られただけに過ぎない力にどこまでも自身で責任を持とうと、義務を持とうと、抑えようとしていて……誰に言われた訳でもないその重責に押し潰されそうな、軋む音。
成る程それは、ベンソンだって苦境に連れ出したく無い筈だ。
だからウェイナリアもまた、音を閉じ込めた。【烈風】の聴覚は馬鹿に出来ないからだ。
先程から焦りの音色を滲ませながら駆けてくる部下の音が……その元凶から発せられる音にも気付いていた。
「当主様!」
「負けましたか」
「ッ!……申し訳ありません」
「いえ、少々見くびっていた様です。わたくしが出ましょう」
裏切り者とは言え息子を殺すのだ。
幼子にその様な仕事、させてやる事は無い。
この先、恐らくウェイナリアは領主として人の道を外れる。
ならば人として最後の仕事をしようと。ウェイナリアは一人、歩みを進めた。
「……ミノーちゃん、音消えたよ」
「ん、了解。マーカーも動いてるし、追いかけるよ」
しかし、ミノーはウェイナリアの考えを読んでいた。
なんとなくだが、ミノーもウェイナリアという人物を知りつつあった。
先の会談で、二人に引き下がるという選択肢を与えたその優しさ……ベンソンと何処か似ているのだ。
ならば、同じ事をするだろう。
また『関わるべきではない』だ。それもベンソンの様に馬鹿正直ならばわかりやすいものだが、ウェイナリアの場合は『関わるべきではない』事柄を教えもしないだろう、と。
「そこまで分かってて、見て見ぬ振りは出来ないよねえ」
しかし、そこまで分かって居ながら人の意を汲むという事は出来ない。
馬鹿真面目と言うには、些か独善が過ぎるのだ。




