戦争屋の足跡
一夜明け夕方、ミノーがルヨの膝の上で地図を眺めていると部屋のドアがノックされた。
「にゃ?」
「はーい、ちょっと待ってくださいね」
展開していた地図とマーカーを手帳に戻す。
魔獣さえ倒す魔法使いとして知られているミノーと言えども、これらは空魔法というチートでも無ければ説明し得ない代物なのだ。
人に見られて良いものでもない。
ともあれ、パッと片がつく。
ミノーはルヨの膝から立ち上がり、ドアを開けた。
「失礼します。領主様よりご案内……を……」
二人の過ごす宿の部屋を訪ねたのは小綺麗な中年の男。案の定、ウェイナリアからの遣いだった。
が、挨拶を最後まで言い切る事なく、困惑に固まる。
「は……あの、失礼、お部屋を間違えた様です」
そう言って遣いの男は部屋を出て行った。
「……あっ、そっかあ……勘違いさせちゃったか」
しばらくして再びドアをノックする音。
「度々申し訳ありません、冒険者ミノー様、ルヨ様のお部屋はこちらでは……」
遣いの男が戻って来るが、彼の目には聞き及んでいた容姿の人物は映らなかった。
前もって聞かされていた、自分が案内する人物の容姿は黒髪黒目の小さな女の子と黒髪碧眼で長身の獣人の女性だった筈。
しかし部屋に居たのは白髪碧眼の小さな獣人の少女と、同じく白髪碧眼で長身の獣人の女性のただ二人。
そこには【黒鉄】も【烈風】も居なかった。
「すみません、紛らわしかったですね。私がミノーです」
かと思えば、こちらを見上げていた獣人の幼女が打ち明けた。
その小さな手には蒼銀のプレートを持って見せている。確かにそれは超級冒険者だけに与えられる特別なものだ。
「は、これはとんだご無礼を……」
「いえいえ、そんな……」
これで彼を責めるのは酷というものだ。何せミノーとルヨは、自分達の印象からできるだけ遠ざける為に変装をしているのだから。
多少想像力に乏しいところはあるが、基本的にミノーは臆病で慎重な性格なのだ。
その思考が辿り着く所、【黒鉄】と【烈風】が戦争屋と敵対している事、或いは、戦争屋と敵対しているレフテオエルと結託する事などが相手に知れるとなると拙いのだ。
今の所、連中から見たミノーらはただの力だけ持った一般人であり、相手に警戒されていないという状況は好ましい。
そしてこちらが主だった理由なのだが、【黒鉄】の父であるベンソンと【烈風】の兄であるライが連中の思惑を阻止しようと動いている。これでもし【黒鉄】と【烈風】が連中から敵として認識されようものなら、その身内が敵と見なされない方がおかしいというもの。
それは彼らの仕事の妨げとなる。
故にここから先、ミノーとルヨは正体を隠して行動する。
その結果が、『謎の獣人傭兵姉妹』という設定の変装という訳だ。
ちなみにルヨの耳を隠すのは難しいし、カラーコンタクトレンズというおっかないものを着けさせるのも忍びなかったのでルヨの変装は髪の色を変えるに留まっている。
変化には乏しいが、その為に容姿をルヨに似せて如何にも姉妹といった形にしたミノーと、ニコイチで見せられるかが勝負だろう。
違和感の無い狼耳は空魔法素材によるミノーの自信作だ。
万全ではないかもしれないが、最善は尽くした。
ミノーは今一度自らを奮い立たせ、眼鏡をかけて会談の場へと赴いた。
「ミノーちゃん何それ」
「酔い止め眼鏡」
馬車で戦闘不能になった前轍は踏まない。
結局、ミノーは無事に会談の場へと辿り着いた。
ジア・ニーラスでは馬車の揺れに尻と頭を散々に痛めたものだが、今回は酔い止め眼鏡とルヨの膝で万全の状態だ。
一方のルヨは全くの無傷だが、そもそも魔剣を呑み込んだミノーと肉弾戦で互角以上に渡り合う強靱な肉体の持ち主である。馬車でどうにかなる器では無い。
「なんなら撥ねられても平気そうだよね」
「うん!」
平気なのかよ。
「あいやおっかね(あら怖い)」
そんなミノー達を背に、『何この子たち怖い』と思っているのは案内している男の方だ。しかし仕事はきっちりこなす。
「こちらへ」と促された先は大きな建物。
木造家屋の多いレフテオエルにあって珍しい煉瓦造りの立派なものだが、問題はそこでは無い。
大きさもこの世界で見たものとしては最も大きいだろう。そしてその建物からは、一際高い塔が聳えていた。
「結界塔?」
レフテオエルは平時、たった一つの結界塔しか作動していない。
湾内に点在する複数の港町から成る大領地レフテオエル、その全てを見渡す大結界塔。
レフテオエルの中心がここだった。
「レフテオエル領館でございます。一つの大結界の下、各町との流通が円滑に行えるレフテオエルは機能の大半をこの領館に集約させる事により、効率的に運営しております。
最重要施設である結界塔も、ここで管理しているのですよ」
「なるほど」
「領主の住まいでもあります」
(どアウェーです本当にありがとうございます)
ウェイナリアはこちらを随分と警戒しているようではあるが、まあ、ミノーとしては敵ではないと分かっているのだ。
胃の辺りがもやもやとして喉が乾く程度の緊張はしているが、別に何か無茶を頼む交渉という訳でもない。
レフテオエルに求める協力は敵の情報、それだけで十分だ。多分だが、ポンと渡してくれるのでは無いだろうか?
そこまで気負う事も無いだろう。
(……でもアウェー嫌だなあ……あの場で吐かせとけば良かったなあ……)
「わあ、村のよりずっと大きいよ」
ナーバスな思考が見え隠れし、微妙な表情をしているミノーはルヨの様を見て心を落ち着けた。
その時ルヨが耳をピクリと動かし、後ろを振り向いた。
「待っていましたよ。二人共」
ルヨに遅れること数拍、ミノーも振り向く。
と、そこにはウェイナリアの顔があったものだからミノーは心中でぎょっとする。
なでなでもふもふ
「まあ」
ウェイナリアは昨日と同じリアクションで、どこか爛々とした目でミノーの頭を撫で回した。
「まさか獣人にも変装できるのですね。とても可愛いわ」
「あ、そいが(あ、そうですか)」
などとやっていると、今度はひょいと持ち上げられる。
弱い脇を持たれて抱き上げられるものだから、また変な声をあげてしまう。
「どうしたのルヨちゃん」
「むう」
軽々とミノーを腕に抱えたルヨは油断ならないといった様子でウェイナリアを睨む。
どうやらルヨが苦手な人物らしい。
しかし、一方のウェイナリアはそれが分かっているのかいないのか、何処吹く風で笑う。
「まるで姉妹ね」
(まあ、そう見えるように変装したからね)
「だって、お姉ちゃん」
その時、ルヨに電流走る。
「ミノーちゃん」
「ん?」
「これからボクのことはお姉ちゃんって呼んでも……」
「親しみを込めてルヨちゃんと呼ばせてちょうだい」
「むーっ!」
「むくれないでよ……」
(こんな可愛い姉が居てたまるか)
そんな二人を眺め、ウェイナリアはあらあらと微笑む。
ミノーが感じていた重い雰囲気は、既に霧散していた。
案内を受け、三人は領館に踏み出す。
大きな建物だが、その中でも結構な数の人とすれ違う。
ここぞとばかりに、ミノーはすれ違う人々にマーカーを付けていった。
(空魔法、便利)
手帳に新たな添字を増やしながら、ミノーはつくづく便利な自らの魔法を反芻した。
空魔法。ものが気体ならばなんでも出来る。
気体の動きを操作して風を起こし、雷を起こす。いつもやるように、ただの大気を液体のように重くしたり、性質を全く別のものにする。
マーカーを使い始めるまでミノーが扱う空魔法は、【操作】と【変質】だった。
だが、なんでも出来るのだ。空魔法の可能性はまだ広がる。
ミノーが新たに目をつけた空魔法の使い方。それは【定義】だ。
それが何かは実に単純。
魔法に名前を付けるのだ。
名前、とは言ってもそれは識別名ーー所謂IDだ。
これにより、ミノーは魔法を使って魔法を使う。
例えばある魔法をAとする。このAを使い、『Aが◯◯なら〜』や『Aに対し〜』のように魔法で魔法を構築する事が出来る。
つまり魔法のプログラムだ。
ミノーが最近多用するマーカーという魔法もそうだ。
空魔法の因子を気付かれないように人に取り付ける。そのマーカーの水平方向への移動を観測し、地図に合わせて出力する事で、あらゆるものの現在地を確認していた。
チートにも益々磨きがかかっている。
などと言っている間にまた一人、マーカーをつけられてはプライバシーを消し飛ばされた。
(そこ行く人にもぺったんこ〜♪あたしのお胸もぺったんこ〜♪)
当のチートを使う幼女の見た目をした魔人はそれが分かっているのか居ないのか、随分と気軽に使っている様子だが。
そんな事がありつつも、いよいよ会談が始まる。
通された会議室にはミノーとルヨとウェイナリアの他、既に三人が待ち構えていた。
「紹介しますわ。三人はわたくしの部下です」
ウェイナリアによりその三人が紹介される。
一人は白い口髭をたたえた老人。レフテオエル領館館長のウォーラス・ネストス。
見た目には優しげな雰囲気を出しては居るが、その実レフテオエルを運営する官僚達の長だ。ウェイナリアと共にレフテオエルの舵を切る人物である。
要注意。
「よろしくお嬢さん方」
「「よろしくお願いします」」
一人は左目を眼帯で隠した中年男性。レフテオエルに拠点を構え、【海蛇の鱗】と呼ばれる裏ギルド、そのギルドマスターのデフェイル。
レフテオエルが裏ギルドを抱え込んでいたのはミノーとしても驚くべき事だった。
眼帯もそうだが、濃紺色のボサボサの髪に無精髭とはまた、如何にもな人物が出てきたものである。海賊と言われても違和感は無いが……。
要注意。
「デフェイルだ。……ジア・ニーラスではラグの奴が世話になったらしいな」
「ラグ……ラグロックスさん?」
「ああ、弟だ」
「ラグロックスさんが?」
「そうだ」
「はえー」
一人はレフテオエルの軍装をかっちりと纏った、こちらも年配。レフテオエル領軍少将のジーガ・クレストン。
少将だけに、領軍のトップという訳では無い。だが、彼の役割は上級参謀。
むしろこの場には相応しい切れ者を、ウェイナリアは喚び出したのだろう。
要注意。
「紹介に預かったジーガ・クレストンだ。……遠くから見た事はあったが、今日は変装しているのかね?」
どうやら領軍関係者と接触しているところを見られていたらしい。
それもそうか、ウェイナリアだってミオレフと話しているところを狙ったように来たのだ。
「はい、あんまり私がここに居るとは敵に知られたくないので」
さて、これで六人揃った訳であるが……。
(全員要注意だよふざけんな)
アウェーどころではない、相手はガチの編成で来た。
「事は半年程前に遡ります」
挨拶を終え、全員の着席から一呼吸置き、ウェイナリアは話し始めた。
フォーネン公国は年々脅威を増す隣国、エディンフェル帝国に対し、備えを進めていた。
特に最前線ブルーニカが中心となって備えを急いでいたが、前線から最も遠いレフテオエルも暇では無かった。公国でも指折りの有力領であるレフテオエルは他領へ支援増援を送り出していたのだ。
しかしそれもひと段落。城塞都市ブルーニカの建設に送り出した人材も帰還し、レフテオエルの忙しさもまともになってきていた。
「そんな時分ですな。大公領から新兵器の購入を打診されたのは」
ウォーラスは打診と言うが、それは半ば命令だった。
大公領が強引にレフテオエルにそれを買わせようというのも頷けたもので、新兵器は正に戦いを変えるものだった。
それは魔力を与え、簡単な合図をするだけで発動する魔法陣。ミノーとベンソンがブルーニカで相対したものだ。
「兵科として安定せぬ魔道士とは違い、より多くの魔法をより多くの人間が扱える。
あれ一つ一つの戦術的価値は並みの魔道士一人一人よりも高いであろうな」
ジーガが用兵側としての見解を語るが、ミノーもそれは分かる。たったの数種類の魔法をたったの二人が扱っただけで、ミノーも一度殺された。
その恐ろしさはちょっとしたトラウマになったレベルで身に染みている。
しかし、それならば何故レフテオエルは今の状況にあるのか。
ミノーには解せなかった。
「ですから、わたくしも悩んだのですよ。値段に見合った高額な買い物をするか否か」
「でも買わなかった。何故ですか?」
「考察を重ねた結果、危険だと判断したのですよ」
「危険……?」
ミノーがウェイナリア達と会談を進めている頃、夕日の映える港の一角に人影があった。
線の細い人影はつかつかと迷いなく歩いて行く。
「ん?」
その日の仕事を終えて我が家に帰ろうという男が人影に気がつく。
男は眉毛を捻って怪訝な顔をした。『こんな所に女が何の用か』と。
その近辺は海伝いに輸送された物資を集積しておく区画で、近くには倉庫位のものしか無い。
そこで仕事をするのは力仕事に向いた男か、でなければ商人ばかりだ。
しかし、どうも見ない顔だ。であれば観光客だろうか。珍しいものだが、居ない訳では無い。大方、夕日でも見にきたのだろうか。
だが、暗くなるとこの辺りは人通りが極端に少なくなる。このご時世に街で生きられなくなるような事をする奴がそうそう居るとは思えないが、馬鹿はたまに居るものだ。
「おい、そこのアンタ」
「……何か」
「この辺はじきに誰も居なくなる。暗くなる前に帰んな」
「……ええ、直ぐに退散するわ」
言うことを言って男は帰路についた。
しかし女はその背を見送り、再び進み始めた。
やがて目的の場所に辿り着く。
笑みに口元を歪める女の眼下には丸太が数本、海に浮かんでいた。
「大領地レフテオエルと言えども、不用心な事よねえ」
女は桟橋から丸太の上に降り立つ。
その手には一枚の魔法陣。
「転移」
女の影はその場から消えた。




