心と記憶
「ミノーちゃん、起きてるでしょ」
ノックも無しに部屋に入ってくるなりこれだ。
実際、声をかけられた布団の中身は目覚めている。しかし反応は無く、身動ぎ一つ無い。
「寝てるときの息じゃないもん」
どうやら小さな息遣いを聞き分けているらしい。
それもそうか、頭の上に付いた大きな三角の耳は如何にも良くものが聞こえそうだ。
しかしミノーは反応を示さない。
結果的には同じ事だが、無視を決め込んでいる訳では無い。
ただどの面下げておはようと言えば良いか分からないのだ。
はっきりと覚えている。
今にして思えばどうしてあんな事をしたのか理解できない程だが、自分は今目の前に居るであろうルヨを含む、身近な人を三人とも殺そうとした。
元々真面目な性格などしていないが、変な所で敬虔な感性の持ち主だ。
布団の中では後めたい思考が堂々巡りし、頭に引っ張られた体は返答一つ出来ずに停止していた。
「ミノーちゃん……」
しかし時間は流れるもので、それだけ待たせる人には悪いだろう。
考えの纏まらない内に、何とか言葉を絞り出す。
「ごめん……」
「……うん、良いよ。起きて、お兄ちゃん達の所行こう?」
ミノーは小さく身動ぎするが、却って塞ぎ込むように丸まる。
まだ平静を保つ事すら難しい。心の整理というものがついていないのだ。
道理が判別出来ない程に混乱しているのも事実ではあるのだが、それもミノーの勝手な理由には違いない。
「ミノーちゃんね、ずっと目が覚めなかったの。
せっかくまた会えたのに……お兄ちゃんもベンソンさんも本当に心配してたんだよ」
「……」
それでも、ミノーは動けない。
心配されていた。ルヨの口から確かにそう伝えたれた、それは事実だろう。
しかし、怖い。
ルヨの言葉を信用していない訳では無いのに、どうしても彼らの面と向かうのが怖かった。
「ごめん……」
ただ、やっとの事で捻り出された言葉は懺悔。
「ごめんね……」
そして、拒否。
しかし、これには流石のルヨも黙ってはいなかった。
「〜〜ッもう!ボクにばっかり謝ってもしょうがないでしょ!
ちゃんと自分で起きて、お兄ちゃんとベンソンさんに大丈夫だって言って!」
「でも……」
「もう船出ちゃうよ!
お兄ちゃん達ずっと帰ってこれないのに、ミノーちゃんの事心配したまま出発するんだよ!?」
「……えっ?」
(船が……出ちゃう?)
布団の中から間抜けな声を上げ、それから数拍の後、理解が追い付く。
ルヨは『ずっと目が覚めなかった』と言った。
つまる所、ファルガナ法国行きの船の出港日は今日。
その日、船が出る直前になってからミノーは目を覚ましていたのだ。
その事実は衝撃を以ってミノーの濁った思考を吹き飛ばす。
その人にしては珍しくも、考えるより先に体が動いていた。
「えっ、あ、あれ!?ミノーちゃん!?」
布団を蹴っ飛ばして起き上がると、何やらルヨから驚きの声が上がる。
が、それを尻目にミノーは何故か自分と一緒にベッドの上で転がっていた鉄傘を手に取り、窓から空へ踏み出した。
「出発は……第三港だったはず」
ミノーは記憶を手繰るが、肝心の第三港が何処にあるのか分からない。ここは第一港の街だ。
ミノーは咄嗟に活気付く道端に降り立ち、目が合った通行人に食い付く。
「第三港はどっちですか!」
「え、あっち……です……」
「ありがとうございます!」
ミノーは人目も憚らず、鉄傘と黒髪を陽の光に輝かせながら空へと駆け上がって行った。
「え、今のって黒鉄……だよな?」
「お、おう、あの黒目黒髪に鉄の魔剣、間違い無いだろ。けど……」
「……」
「……」
「なんか……思ったより小さかったな」
ミノーは通行人が指差した大体の方向を頼りに、第三港と思しき場所へと辿り着く。
あらゆる船が横付けされて並ぶ桟橋の中に、一際立派で丈夫そうな船を見つけた。
まだ帆の畳んであるマストには冒険者ギルドの旗が掲がる。
乗りかかる筈だったファルガナ行きの船で間違い無い。
ミノーは桟橋に降り立った。
船の前では冒険者ギルドの制服に身を包んだ職員が数人、乗船客の列を取り仕切っていた。
列の中にベンソンとライの姿は無い。
もう船に乗り込んでしまったのだろうか。
「ミノー、か?」
すると、背後から困惑混じりの高い声がした。
「!……ライ君」
振り向けばやはりその人だ。
「やっぱりそうか。でも、その姿は……?」
ライは驚き混じりの表情で歩み寄り、ミノーを覗き込んだ。
そう、どういう訳か、今はライの方がミノーより背が高い……いや、今ミノーはライより更に小さな齢十にも満たない様な……幼女の姿をしていたのだ。
「ライ君、あの……あ……」
今更になって言葉に詰まる。
思えば勢いのままに飛び出しては来たものの、心の整理や云々は全くなっていなかった。
そんな今になって焦る幼女を見て、ライは小さく笑う。
「良かった、どうやら元気そうだね。
それに、成る程その姿……魔剣を呑み込めば成長して、魔剣を作り出せば退行するという訳か」
そう言ってライは魔剣を取り出した。
その小さな手に持つのは、小さな手帳。
空魔法と鋼魔法、そしてミノーが心と呼ぶもの……彼女の記憶の限りが詰め込まれた、世界初の魔人による魔剣だ。
ミノーが携える鉄傘もまた、彼女に合わせて小さな物へと変化していた。
「ライ君……ごめんね」
徐に、ミノーは謝り出す。
「どうしてだ。君はもう何度も謝ったろう?」
が、結局黙る。
どうして、と言われたら様々な感情があっての事だが、何かが違う。
どうしてそこで謝罪の言葉が出てくるのか……それは間違いなのだが、正しい言葉が喉元でつっかえた様に出てこないのだ。
「起きて来たかと思えばこれか、全くお前という奴は……」
「マスター」
ライに続いてベンソンも姿を現わす。
二人のやり取りを見ていたのか、またまた一変したミノーの様相を見てか、呆れた様な顔でミノーを見やる。
「お前が謝るのもまあ分からんでも無いがな、あれはお前ばかりが悪いのではない。
儂も……お前には応えてやれなんだ」
「そんな、マスターが謝る様な事じゃ……」
尚も変なところで強情なミノーに、ベンソンは肩を竦める。
「だからお前は偉そうだと言うのだ。
自分一人で何でも出来て当然で、自分で成せぬからとそうやっているなど……何様のつもりだ」
「でも……」
「お前も、いい加減分かっておるのだろう。必ずしも自分だけで事を成す必要は無い。互いの為にな。
……礼だ、ミノー。こういう時に言うのはな」
「あ……」
不遜な性格。故に分かって居なかった。
それは実に自分に正直で、頑固なものだ。
答えを自らの外に求めず、それでいて自らの外の事にまで手を伸ばしていた。
そんな人物が、心から人に礼など述べた事があろうか。
「あ、あの……えー……」
何故だろうか、言うべき事は分かっている筈なのに、また別の問題でなかなか言葉が紡げない。
しかし時間が経つ程に気持ちは高まり、つい先程も口にしたばかりのただ一言を妙に意識してしまう。
だが、出かかった言葉を呑み込んでしまう事は出来なかった。
「あ……ぁりがとう……」
顔を真っ赤にして視線を彷徨わせながら覚束ない発音でやっと口にしたミノーの礼を、ライはニコニコと笑いながら、一方でベンソンは見ていられないと言った様子で明後日の方を見ながら受け止める。
「どういたしまして」
船はベンソンとライを乗せ、港を離れる。
桟橋ではルヨが元気一杯に大手を振って船を見送る。
ミノーはその横で、小さな溜息を空に溶かしていた。




