衝突
空が白んできていたのは気がついていた。海峡を挟んで遥か先にある大陸も朝日に照らされ、はっきりとその輪郭を現していた。
やがてそこにも朝日が射す。黒い髪が日光を吸い、頭に鬱陶しいジリジリとした感覚が伝わる。
不愉快極まりない。というのは言い過ぎだが、とにかく鬱陶しいので空から降りて歩く事にする。昨夜泊まっていた筈だった宿も近いのだ。ちょっと位普通に歩いても良い。
建物の日陰を歩けばひんやりと澄んだ空気が心地良い。
しかししばらくすると背筋が小さく震える。寝ていないからか、寒気がするのだ。
こんな事ならさっさと宿に戻って休めば良かったかと思ったが、朝の道には既に通行人がぼちぼち居る。『魔法です』の一言で済む様な話ではあるのだが、目立ちたくないから背に携えた魔剣も幌に包んでいるのだ。今から空を歩く様な真似はしない。
さりとて、この体が訴える不調などなんの意味も無い。寝て起きてしまえば疲れどころか致命傷さえ元通りなのだから。
だから、この程度の事に割く意識はさっさと捨ててしまう。
無駄だからという訳でそうする程、ストイックな人間ではない。ただそうした方が楽だから、そうしたいだけだ。
無表情のまま、独り言も無く道を歩いて行った。
「で、朝帰りにはならんと言っておいて何をしておった?」
宿に戻ってみれば微妙に怒った様子のベンソン達に出迎えられる。
達、というのはどういう訳か、ライとルヨの兄妹も一緒に居たからだ。
で、ミノーは見つかるなりルヨの胸の中である。
朝帰りの理由よりも二人が此処に居る事の方が気になる。が、今は息も出来なければ喋れもしないので魔法を使う。
"なんで二人がここに?"
空を活字の形にして浮かべ、裏返してやる。
「ミノー、その前に言う事があるんじゃないかな」
ライの言う、言うべき事。なんとなくは分かる。分かるのだが、本当にそれなのかが分からない。
なんとなく自信が持てないのだ。
なかなかそれを表せないでいると、ミノーを抱き締める力が少し強くなった。
「本当に……死んじゃったかと思った」
(そっか……考える様な事じゃあなかったね)
"ごめんよ、心配させて"
「……もう無理はさせないよ」
(『させない』、ね……)
四人は宿の1階のレストランを兼ねた席に着いた。尤も、今は営業時間外なので他に人もない。
そこにはいつも通りの表情のベンソンと、落ち着き払った様子のライと、いつになく真面目な様子のルヨと、態と不機嫌そうな顔を貼り付けたミノーが居た。
「で、マスター、これはどういった事ですか?そこまでして、あたしに帰れ、と?」
「まあ、そうだな」
ベンソンはさも当然の様に答える。
「そうですか。まあ帰りませんけど」
ミノーもミノーで当然の様に答える。
「良いですね、簡単で。じゃ、これで話は終わりですね」
「いや、簡単じゃ無い話も付いてくる」
と、横から言うのはライだ。
ミノーはジロと目だけライに向ける。
「ミノー、君が何処から来たのか、一度本当の事をちゃんと話してくれないか?」
「んー、難しい系の質問?」
「いや、ありのままの事実を」
「それだったらちょっと前に話した通りだよ。
日本に居たはずなんだけど、気が付いたら空龍のーー」
「そういう事ではないよ。
その魔法とその体……君はどうして魔人になったんだ?」
(魔人、ねえ。あたしみたいなのを指してそう呼ぶなら、それは他にも魔人が居るって事だよね)
「それは知らないね」
「幼い頃の記憶が無いのかい?」
「あるよ?二歳の頃から。
けど、その魔人とやらになったと思うタイミングの記憶は無いね。あたしは日本に居た頃は魔女でも不死身でも無かったはずだし」
「空龍の背に居たまでの記憶が……」
「ライ君賢い子」
褒めるを口実にライの頭を撫でつける。
やはりもふもふは堪らない。
「それで、あたしが魔人だとなんでマスターを手伝わずに帰る事になるのかな?」
「それは……」
「まあ、帰らないんだけどさ」
「ミノー、話を聞いて欲しい」
「話しても変わりやしないよ。
興味無いし、あたしの【無理】は人より少ないからね」
「君だけの問題じゃない。
魔人とは本来僕と、ルヨの二人しか居ないはずなんだ」
(そっか、二人があたしと同じ魔人とやらだったのね)
「じゃあその問題もあたしがなんとかしてあげようか?ん?」
「無理はさせないと言った」
「あたしもさせたくないね」
その時、ミノーが見ていたのはライではなくベンソンだった。
「ミノー、あれは最初から一人で受けていた依頼だ。お前が気にする事は無い」
「いいえマスター、あなたいざとなれば命かける気ですよね」
「何故そう思う」
「ユクテスであたしが来なければ、死ぬ気だったでしょ」
「あればかりは止むを得ん。街にはまだ人が居ったのだ」
「そりゃそうですよね。でも今回の依頼もそうだって分かってますよね。
究極魔法を模倣されたらどうなるか、教えてくれたのはマスターですよ?」
「ならば、儂が連中に遅れを取ると思うか」
「さあ、どうでしょう。分かりませんね」
「相手の生死を問わぬならば容易い仕事だ」
「その言葉は確かに嘘じゃあないと思います。でも信用はなりません」
「なんだと?」
ベンソンは鋭くミノーを睨む。
元々が優しい顔つきなどしていない。むしろ威厳の塊の様な人物だ。
凄まれては臆病なミノーも内心では怖い。が、それさえ消し去り無表情で続ける。
「信用なりませんよ。あたしだって強く無いのに、あたしより弱いなんて」
「成る程な」
「だから「なめるなよ?」マスター……?」
「お前が儂をどう思っていようと構わんが、甘い。
ミノー、お前は甘いのだ。そしてお前はそれすら分かって居らん」
「甘いって……マスター、あたしは本当の事を」
「まあ本当ではあろうな。だがそれはお前の甘い見通しと甘い考えであって事実では無い」
「……」
「そのまま先に進めばお前はまた苦しむ事になるぞ」
「苦しんでも……それでも、望むようにやるだけです。
望まず逃げたあの時とは違います。魔剣だってあります。
だから」
ミノーは真っ直ぐにベンソンを見た。
「あたしと戦って、あたしが勝てばマスターは依頼から手を引いてください」
「儂が勝てば」
「……帰ります」
彼女は、未だ何も変わっていない。
故に、未だ孤独なのだ。
お待たせしてすまねえ……




