英雄の父娘
ジア・ニーラス西の湖畔の街ロワイテス。
ジア・ニーラスにおけるの最大にして中心の街だ。
この街は東から登る朝日と湖面の照り返しの光を受け、ジア・ニーラスのどの街より早く目覚める。
その希望の光はロワイテスの人々の目と心を覚まし、一日の活力を呼び起こす。
美しい自然の光に照らされた人々は、明るみに満ちた街を努めて保っている。
故に、この街は美しい。
しかしその日、未だ希望の光は見えなかった。
ジア・ニーラスの領主であるオルトシンクはふと、手に持つ書類から目を離し、窓の外に目を向ける。
外は昼間だというのに薄暗く、雨の打つ音が執務室にまで響いていた。
「御心が晴れませんか」
「……」
「どうか、毅然としておられますよう。
お父上もそれを望んでおいでです」
「……うむ」
秘書の男は言うが、やはり気になるものだ。
今、領軍と冒険者の精鋭が魔獣の力を確かめる為に威力偵察を行なっている。
一度は魔獣により壊滅的な被害を受けた。
教訓、というよりは覚えているのだろう。魔獣の恐怖を。
各方面の対抗策は迅速かつ慎重に行われている。そう、これで良い。
……良い筈なのだが、落ち着いて居られるものでもなかった。
「……此度の魔獣は、我が父の仇とは違う」
「……」
「嵐獣は撃退された。されども、それまでに失われたものはあまりに大きかった」
嵐獣は冒険者のベンソンとその仲間によって討たれた。
国としてはそれは湧いたものだ。何せ悲願の魔剣がこの国に顕現したのだから。
しかし現地の者にとり、嵐獣の襲来それ自体は悲劇でしか無かったのだ。兵どころか一般人にも犠牲が多すぎた。
故に現地の人々はベンソンを讃えたが、魔剣そのものを喜びはしなかった。憎き魔獣、それさえ居なければ魔剣も無かったが、失うものも無かったのだから。
魔剣を見ていたのは対岸の火事を見ていただけの者なのだ。
「今度こそは勝たねばならん」
前回、魔獣を撃退する事は出来た。だが負けだったのだ。何もかも。
前轍は踏まない。今回は慎重に事を運ぶつもりだ。ここまでは順調だ。被害が出る前に魔獣の存在を認める事が出来た。更に全体としての行動方針が定まった事により、無用な混乱も避ける事が出来る筈だ。
しかし本当の戦いはこれからだ。
今まさに、部隊が魔獣と接触している筈。
彼らは命懸けだ。領主たる彼もまた、自分に出来る事を尽くすつもりだった。
しかし、そんな彼の想いを嘲笑うかのように事態は動き出した。
遠雷のような、いや、そんな感じでは無い。ゴロゴロと空が転がるような音ではなく、一波のみの突き抜けるような衝撃が二度、響いた。
程なくして、オルトシンクの居る執務室に男が一人訪れる。それも酷く狼狽した様子で。
「しっ、失礼いたします!」
「何事か」
「冒険者ギルドより急報、ユクテスに魔獣襲来!」
「なんだと!」
オルトシンクは立ち上がり、窓の外を見やる。
やや小降りになった雨の先、湖が見える。その遥か左向こうは北の湖畔だ。
「……状況は」
「はっ、精鋭部隊は魔獣と交戦し、一時撤退。
一度振り切ってユクテスまで辿り着いた所、魔獣はユクテスまで追って来た模様です。
街が攻撃されておりますが、結界で持ち堪えて居ると……」
「今しがたの轟音、それも防げたのか?」
「……分かりかねます。先程の轟音、報せを受け取った後の事にございますれば……」
オルトシンクは奥歯を噛む。
ユクテスは冒険者ギルドの支部があり、冒険者の多い街だ。だが力のない一般人もそれなりに住んでいる。
直ぐ避難する事も叶わないかもしれない。
だからと言って見捨てる事など出来ない。しかし今から増援を送り出した所で間に合うものか。
加えて魔獣の力の全容は接触した精鋭部隊しか知らないのだ。魔獣の力を知らぬままに挑んで壊滅した前例がある。
それも魔剣持ちであるベンソンを含む部隊が撤退したと言う。つまり魔剣持ちですらその場で魔獣を撃退する事は出来なかったと見るべきだろう。
そして、対策の無いままに戦力を追加しても返り討ちに遭うのは明白だった。
(しかし……)
「……住民の避難を優先だ。軍団長に伝え、救援の部隊を編成させよ。無用な交戦による消耗を控えるように」
「はっ、失礼します」
とは言ったものの、状況は厳しい。
オルトシンクは再び窓に向かう。雨で霞んだ湖上の向こうにユクテス。そこを魔獣が襲っている。
最悪の事態も予想された。
しかしその時、霞みの向こうから眩い光が見えた。
魔獣の攻撃かと思ったその時、光に遅れて今日一番の大地まで震えるような衝撃が届いた。
「何が起こっているのだ……」
あれが魔獣の攻撃ならば、如何に結界とて耐えられるものではない。
にも関わらず、彼の胸の内は不安よりも困惑の色合いが強い。自分でも不思議だった。
気が付けば雨は完全に上がり、陽の光が窓際に立つ彼に射していた。
というのが、ミノーが鋼獣を撃退した日の事だ。
鋼獣撃退の報はその日の内にジア・ニーラス全体に伝わった。当然、そこを治める領主にも逸早く伝わる。
そして鋼獣が撃退されて三日が経過したその日、領主の城(というか屋敷)に鋼獣を撃退し、魔剣を授かったという者が来る運びとなった。
ユクテスに滞在しているらしいその討伐者に迎えの使いを出した。今日の事は勿論事前に伝えてある。そろそろ到着する頃だ。
オルトシンクも今回の魔獣の討伐者には興味があった。
その人も最初は何の冗談かと思ったものだ。
何処からともなく現れた少女が超級冒険者のベンソンに加勢し、殆ど二人で鋼獣を仕留めてしまったなどと。それもとどめを刺したのは少女の方で、魔剣も授かったと言うではないか。
勿論、今回その者を呼び出したのは表向き礼を述べる為だ。
彼女の協力あってこそ、魔獣の襲来という最大級の災害を犠牲無く乗り越えられたのだから。領としての損害も、ユクテスの結界が破られた位のもの。
領主としては年甲斐もなく飛んで跳ねて喜びたい位だ。礼は言っても言い切れないというもの。
が、それはそれとして、それを成し遂げてしまった人物が如何程の者か。気になるものは気になるのだ。
わくわくと邂逅を待つ領主の耳に、部屋のドアをノックする音が響く。
「入れ」
「失礼いたします。超級冒険者ベンソン様、並びに討伐者のミノー様がご到着なされました」
「うむ、通せ」
「ですが、その……」
「何か問題が?」
「どうやら道中の馬車に酔ってしまわれ……加えて、随分と緊張しておられる様子でして、その……とても人と話せる状態では……。
ただ今、客間にてお休みいただいております」
「……」
「……」
「……落ち着いてからで良かろう」
「はっ、ではそのように」
(……そのような事もあるか……いや、魔獣に打ち勝った者もやはり、人なのだな)
オルトシンクはここに至り、夢から醒めたような気分になる。
どうやら自分でも気付けない程に舞い上がっていた様だ。
彼も領主という自らの特別な立場を自覚しているが、それでも自分は一人の人間だった。
それなのにベンソンや、まだ見ぬ討伐者の少女ことを、どこか人間離れした存在だと思っていた。……いや、そのように期待していたのだ。
オルトシンクは済んでのところで思い直す事ができた。彼はこれから会う者達に何か失礼な事でも垂れる前に気付けて良かったと、息をつくのだった。
そしてその頃。
実はミノーは生まれて初めて馬車に乗り、前の世程整備されていない道を進む馬車にまんまとしてやられていたのだ。
加えてそこそこ小心者。権力者(ミノーの偏見による補正付き)を前にする前に緊張のあまり、車酔いの吐き気に吐き気を重ね掛けする結果となっていた。
「うぷっ……ごくん」
「無理して飲まんでも……吐けばよっぽど楽だと思うぞ」
そしてベンソンもまたミノーの体調に付き合わされていた。
取り敢えずと屋敷の客間に通されたベンソンとミノー。
ベンソンはともかくとして、ミノーの顔色は優れない。というか普通に悪い。
車酔いの吐き気は治まったが……いや、まだちょっと気持ち悪かった。
尤も、気分が優れないのは車酔いや移動の気疲ればかりからではないのだが。
「そこまで気負う事も無いぞ。領主とて貴族だが、儂らとて冒険者だ。向こうもそれは分かっておる」
ミノーはこめかみをぐりぐりと押さえながら目でベンソンをジロと見る。
どうも吐き気だけでなく頭も痛いミノー。痛みに耐えて眉間に力が入ると、ただでさえ良くない目付きが一層酷くなる。
本人にそんなつもりは無いが、顔色も悪ければ目付きも悪かった。
見られるベンソンはと言えば威圧耐性スキルが随分と高いのか、なんともない様子だが。
「でも何喋ったら良いんでしょう……。とても答えにくい事だってありますし」
領主という人間に対して話し辛いのは、単に相手の地位の高さという訳では無い。
現に本人そんなつもりは無いが、案外不遜な性格なので領主と会う事それ自体は何とも思っていなかったりする。
問題は昨今のサブカルチャーよろしく異世界出身という出自と、生物としては魔獣に近い我が身だ。
(言えるかそんなこと)
「だから話は考えて来たではないか」
「そうですけど……うーん、まあ良いです」
一応、ベンソンと口裏合わせて表向きの設定を考えてある。
ただでさえ魔剣持ちになって面倒事が舞い込むようになるのだ。更に馬鹿正直に素性を明かしてもお互い幸せにはならない。
堂々嘘を吐くのもあまり気の進むものでは無いが、仕方のない事である。これで良いのだ。
「頼りにしてますよ、お父さん」
用事はさっさと済ませて帰ろうと、ミノーはベンソンと二人、席を立つ。
ミノーがもう大丈夫というので、いよいよ顔合わせとなった。
「呼び立ててすまぬな。
ここの領主をしている、オルトシンク・テナン・ニーラニオスだ」
「冒険者のミノーです」
と、ミノーは一応丁寧に頭も下げておく。礼儀など知らないが、無礼にして良いという訳では無いだろう。
「良い、楽にせよ。ベンソンも、魔獣との戦いの直後だというのにすまぬな」
「いえ」
と、短く答えるベンソン。今日はミノーの引率だ。
三人は立ち話もなんなので席に着く。
「ミノー嬢は気分が優れないのであったな。色々と話も聞いてみたかったが、手早く要件だけ済ませるとしよう」
実際ミノーの顔色は良くない。日本人並みの肌色は、浅黒いベンソンの横に並ぶと尚更白く見えた。
「此度の魔獣襲来、其方達の働きで一切の犠牲も無く魔獣を撃退できた。
この地に住まう民を代表し礼を言う。ありがとう」
そう言って領主は頭を下げる。
ミノーは反応に困る。
「いえ、戦う力を持つ者として当然の事をしたまでです」
と、ベンソン。
(わあマスター、そんなテンプレートみたいな。あっ、あたしもなんか言わなきゃ?)
「父が無事で良かったです」
「父……とな?」
と、唐突なミノーの発言に領主困惑。
「血は繋がっておりません。ブルーニカで引き取り、ギルドで働かせておりました」
「ほう、ベンソン其方の娘であったか」
ここで【ミノーの出自設定:ベンソンの娘ですが何か?】を明かす。
流石に実の娘というには色々無理があるので、ブルーニカで引き取ったという事にした。
(結局出自が明らかじゃない?気にした所でなんの得も無いよ)
「父娘揃って魔剣持ちとは恐れ入る。して、それが……」
領主はミノーの横に視線を向ける。
ミノーが携えた鉄傘の魔剣だ。
「お持ちになってみますか?」
精一杯の丁寧語で鉄傘を差し出してみる。
「良いのか?では……」
領主は鉄傘を受け取ると、やはり他の人と同じ驚きの表情を浮かべる。
「軽いな。ううむ」
如何にも重厚な金属の塊だが、予想外に軽い。
領主は更にまじまじと鉄傘を観察し、感嘆の声を上げる。
見た目と矛盾する質量。上質な布の様にしなやかな鉄の紙。恐ろしく精巧な作りの骨組み。
確かに人の手により作り出されたものではない。
じっくりと満足行くまで鉄傘を眺め、ミノーに返す。
「貴重な体験であった。感謝する。
……魔剣を手にしている以上は、魔獣をその手で仕留めた事は疑い様も無い。
如何にして魔獣を仕留めたものか、敢えて聞きはせぬ。
しかし魔獣を仕留める程の力に魔剣が加わっている事実は既に周知のもの。
その力、活かす道は多いが……」
ミノーにも予想できた話の流れだった。
(ああ、まあ、そうだよね。戦争とかイクサとかウォーとか……。ああ、頭が痛い……)
「儂は戦いをさせるつもりはありません」
しかし、答えたのはベンソンの方だった。
「ミノーは魔獣にも対抗できるだけの力を持った魔道士ではあります。しかし、偶然にも魔法書を顕現させたに過ぎません。自ら望んで手にした力でなしにです。
元々荒事など出来ぬ性格です。それに、まだ子供ですので……」
(マスター……)
「……そうであるな。魔道士で魔剣持ちであろうとも、子供を戦場に送り出すなどあってはならぬ。
……すまぬな、ミノー嬢も疲れておろう。暫し休んでから帰ると良い」
そこで話は終わった。
帰り道。またも馬車に揺られながら、ミノーは動かしたくない筈の頭でついつい考えていた。
マスターはああ言ってくれた。けれど、あたしの力は実際、戦いでは本当に役に立つ。
いや、役に立つどころじゃないか。何せあたし一人で魔獣二匹分だもんね……。
空魔法、実はこれ魔獣の力と同じものでしょう。鋼獣は金属を操る力。見た事無いけど、嵐獣は暴風と雷の力。どっちも陣も詠唱も無い。空魔法と同じ。
寧ろ、体が魔獣だから空魔法が使えるようなものなんじゃないかな。
まあ、それは今は良いや
問題は、魔獣の力丸ごとと鋼獣の鉄傘。これが必要になったらどうしたら良いんだろう。
戦いなんて嫌だ。死なないけれど、殺されたく無い。逆に殺したくも無い。どころか、人が殺されるのを目の当たりにするのだって御免こうむる。
でも、あたし程都合の良い戦力もなかなか無いと思う。
自惚れとかじゃなく、普通に強いし。
ある人の代わりに戦えば、その人の死を肩代わりだってしてやれる。あたしが死ぬ事は事もなし。それで救われる命だってあるのだ。
今のあたしは超級冒険者。申請した次の日には蒼銀のプレートを渡されたよ。
冒険者ギルドの重要ポストでまんまと徴兵逃れ。
けど、そこから逃げて良いのかな?
現に鋼獣と戦ったから自分も、マスターも、今があるのに。
……駄目だ、わからなくなってきた。
「おい、ミノー?」
隣からベンソンの声が聞こえるが、ミノーには返事をする元気も出ない。
「……熱があるな」
ミノーはそのまま朝まで寝た。
寝て起きれば全快する便利な体だ。尤も、中身は違う様だが。




