理不尽を灼き切る
油断をしていた訳では無かった。
だがベンソンは威力偵察に参加し、鋼獣の相手を殆どその一手に引き受けていた。
その際に負った肉体内部の負荷は治癒魔法によって一先ずは動けるようにされた。
しかし外傷は勿論、疲労も溜め込んだままの連戦だ。如何に歴戦の超級冒険者とて、既に限界だったのかもしれない。
それ故にか、ベンソンは気がつけなかった。
鋼獣の長い尾の銀色が白煙を上げていた事に。
ドォン!
鋼獣が体ごと回しながら太い金属の尾を横薙ぎにする。
その動きを見切っていたベンソンは身を屈めて躱そうとするがその瞬間、鋼獣の尾そのものが炸裂した。
「ぐうッ!」
ベンソンは爆炎から弾き飛ばされるように吹き飛び、鋼獣から離れた所にごろごろと転がる。
「ッ!マスター!」
思わずミノーが声を上げる。ベンソンはなんとか無事な様子だ。爆発に合わせて高速機動で離脱したのかもしれない。
しかしその声で、尾が中程から吹き飛んだ鋼獣の眼はミノーを睨んだ。
鋼獣は地面を抉りながらミノーに向かって駆け出した。
「!」
ミノーもそれに気がついた。
しかしベンソンや鋼獣に気を取られていたその時、強い風が吹いた。
「いッ、やば……」
両足分で展開していた空魔法が剥げた。
魔法を薄く伸ばし過ぎたか、想定外の力に空魔法が耐えられなかったのだ。
しばらく両の足は使い物にならない。危機が迫るも、ミノーはその場にへたり込んで立てなかった。
そして目の前に鋼の牙が迫る。
「ミノー!」
瞬間、ミノーは腕を引かれた。
ゴオォン!
鋼鉄の顎口が凄まじい衝撃を上げて閉ざされる。しかしそれは空気を噛んだだけだった。
「君は」
ミノーの腕を引いたのはシレッドだった。
だが鋼獣の黒い眼は獲物の動きを追っていた。
その瞬間、シレッドは何かに弾き飛ばされた。
弾き飛ばされる直前、鋼獣が鋭い爪の付いた前脚を振りかざして来るのが見えた。
だが鋭爪を受けた感じではない。それもそのはずだ、彼は爪ではなく柔らかな魔法に弾き飛ばされた。
そして、弾き飛ばされて宙を舞う視界の端に、赤く染まったそれが見えた。
鋼獣の鋭爪はミノーの背を抉り、その人もまた弾き飛ばされていた。
その場に居た誰もが息を呑んだ。
少女をその場から救おうとした少年は何故か無事な様だが、その勇気も虚しく、少女はあの巨大な質量を持った鋭爪の一撃をもろに受けた。
背を穿たれながら吹き飛ばされた少女はうつ伏せになって動かない。赤く染まった背を雨に打たれながら横たわっていた。
今回の魔獣襲来で初めての犠牲者が年端もいかない少女。その人は魔獣に対抗し得る力を持っていたはず。
あの化け物を止める術が失われた事に、誰もが絶望を感じた。
しかし、突然その体が動いた。
その背の傷は、とても動ける様なものではないはず。というより、自らの力で動いている様子でも無い。
見えない何かに押し上げられ、吊り上げられるように、少女は体を起こした。
黒い瞳が辺りを見渡す。
ベンソンを、少年を、街を、鋼獣を。
そして問題無しと見えた。
ミノーは魔法を全て解いて、意識を手放した。
ミノーは再び崩れ落ちる。その手には何も無かった。
それは鋼獣の体内にあった。
空魔法により高空から抽出され、凝縮された球。
それが空魔法の拘束から解き放たれ、在るべき場所へと移動を開始した。
負の電荷一つ一つが、正の電荷しか持たない奇妙な雲へと向かう。その時、障害物にぶつかった。
障害物は電子の移動を阻害する。しかしその間にも、後続の電子が次々と殺到してきた。
抵抗に対する電流に、障害物は次第に熱を持ち始める。
その物質はどれほど電気が流れにくいか。それを示すものとして電気抵抗率がある。この電気抵抗率の値が大きい程電気は流れ難く、小さい程流れ易い。
我々が一般的に電線などで使う銅やアルミニウムはこの値が比較的小さい。銅で0.017μΩm、アルミニウムで0.028μΩm程だ。
しかし今回、鋼獣の体はそこまで電気を流し易い性質をしていなかった。6%のアルミニウムと4%のバナジウム、残りがチタンで構成された合金。その電気抵抗率は1.702μΩmにも及ぶ。
銅の100倍にも及ぶ抵抗を受け、電子はその移動速度を緩める。そして緩めた分は別のエネルギーに変換された。
主に光と熱だ。
白熱電球が光るのと同じ仕組みだ。そして、過剰な電力をつぎ込まれた電球の運命は想像に難く無い。
空を丸ごと分離して精製された莫大な電力を前に鋼獣の巨躯は……あまりにか細いフィラメントに過ぎなかった。
鋼獣が眩い光となる。
ジア・ニーラスの対岸まで届かんという閃光と共に、その巨躯は灼き切れた。
凄まじい閃光と鼻先が焼けそうな熱を感じ、その直後、これまた凄まじい衝撃にシレッドは一瞬意識を失った。
意識が戻るとツンと鼻をつくような臭いがした。
目を開くとまだ視界がチカチカと点滅している。辺りもどうやら白い靄がかかっているようだ。
「ん……」
その視界の端を大きな影が過ぎる。
シレッドは咄嗟に体を起こした。
「なっ……」
鋼獣がシレッドの横を通り過ぎて行った。
その姿は虹色の外皮も元の銀色になり、傷一つ無い。更に中程から吹き飛んだ筈の尾も元の長さに戻っていた。
呆然とするシレッドが鋼獣の歩む先に目を向ける。そこには地に伏したまま動かないミノーが居た。
「ミノー!、ッ!?」
シレッドはすぐさま立ち上がって駆け出そうとするが、後ろから誰かに肩を掴まれた。
「坊主」
「なっ、ベンソンさん!?」
「大丈夫だ」
ベンソンに焦りの色は無い。
鋼獣はゆっくりとミノーに向かって歩いていった。
負けた。
……それで?
望み言え。
……あんまりふざけた事言わないでよ。
俺はこういうもの。巫山戯てない。
ふざけてるよ。人を襲って、街を襲って、人を殺して。それで負けたから望みを言えって?ならなんで来たんだよ!望むものなんて、お前が居なければ……!
……似てないな。
何が!
アイツとも俺とも似てると思ったけど、違う。やっぱりお前らはよくわからない。
何に似てるっていうの。
どうでも良いこと。けどお前の望みは分からない。
だからこれやる。
……。
それで望み叶えれば良い。
……お前は何なの?
知らない。知る必要も無い。
俺はただそうするからそうする。ここに居るからここに居る。
それだけ。
「……お、終わった、のか?」
「ああ、終わった」
鋼獣は何処へやら去って行った。
いつの間にか雨は上がり、雲間からジア・ニーラスに日の光が差し込んだ。
「坊主、フロミアを宿に呼んで来い。
……ついでにそれも宿に持って行け」
「あっ、は、はい!」
シレッドは横たわるミノーの側に置かれたそれを手に取る。いざ持ってみると見た目よりもずっと軽い事に驚きつつも、シレッドは首を傾げる。
「……なんだこれ?」
シレッドには何なのか分からなかったが、それは和傘というものだった。ただし骨組みどころか、石突から胴に至るまで全てが銀色の光沢を放つ金属で出来ていた。
シレッドはとりあえず鉄傘を抱えるようにして持ち、フロミアの所へ急いだ。
シレッドが去った後、ベンソンはミノーの前で膝をついてその様子を見つめた。
鋼獣に抉られた背中。巨大な質量を持った巨大な鋭爪の斬撃。間違いなく致命傷だ。
だが、既にその背から血が流れる事は無い。
どこからともなく集まった煙の様なものが傷を埋めつつあった。
やがて大きく抉られた傷は全てが埋まり、裂かれた服の間からは傷痕一つ無い背中が見えた。
「ミノー、お前もそうなのだな」
彼らが何故存在し、何のためにそこに居るのか、それは誰にも分からない。
その力を持つ恐怖故に、ミノーはブルーニカを去ったのだ。
「……よく、頑張ったな」
ベンソンはミノーを抱き上げ、ユクテスに足を向ける。
二人は歓声を以って出迎えられた。




