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空の魔法使い  作者: テルヒコ
英雄が生まれた湖
25/61

望まぬ力、望まれる力

 砂鉄の刃が振り回される。

 それをベンソンは持ち前の高機動でもって躱し、時に双剣で刃を砕く。

 決して凌ぎきれない程ではない。十分に時間を稼いだ後は高速機動で一気に離脱すれば良い。

 しかしその一方で、なかなか攻撃を当てられない鋼獣は苛立ちを募らせていた。

 徐に鋼獣が砂鉄を形成する。

 今度は先程とは違って短い槍。むしろ長い矢を思わせる形だ。

 そして矢が射出された。

 飛び道具かと警戒したベンソンだったが、見てみればその攻撃に困惑した。

 その矢は決して高速ではなく、山なりの放物線を描きゆっくりとベンソンに落ちてきたのだ。

 ベンソンは全ての矢を難なく躱す。

 しかしその時、地面に突き立った矢から白煙が上がる。一拍の後、全ての矢が火を上げて炸裂した。




 ベンソンは爆発の白煙に乗じ、高速機動で一気に離脱していた。

 すんでのところで矢の爆発からも逃れていたが、完全に回避する事はできなかった。

 しかし砂鉄の塊や爆熱による傷が軽微で済んだのは、似たようなものを見た事があったからだった。


「……助けられたな」


 ヒンデンブルク号の悲劇……という変な名前の魔法。ブルーニカでミノーがベンソンに見せた爆弾だ。

 鋼獣の攻撃はどう見ても遅い、拍子抜けするような勢いの矢だった。それなのに、その攻撃から明確な殺意をベンソンは感じていた。

 剣で弾く迄もなく躱し切ったそれは、突然白煙を上げた。

 その時思い出した。ミノーに手渡されたあのガラス玉。手に収まる程の大きさの球を敵の拠点に投げ付け、大きな扉を吹き飛ばしたあの魔法を。

 即座に最大限の機動で以って退避し、生き延びる事が出来た。

 何はともあれ、ベンソンはユクテスの街を目指す。爆発で鋼獣もベンソンを見失ったのだろう。鋼獣は追ってくる様子も無い。

 他の精鋭部隊の連中が逃げる時間も十分に稼げたはずだ。

 結果、負傷者は出たが犠牲はゼロ。

 ある程度の敵の能力と、有効な攻撃手段の情報も手に入った。作戦は大成功と言って良い。

 しかしそれでも、ベンソンの表情は晴れなかった。

 鋼獣の能力は分かった。だが、その力に対する策が彼の頭には無いのだ。

 一つに斬撃も刺突も効かない鋼の体。それだけならば大質量の攻撃が通用すると分かった。

 しかし、魔弾魔法を扱える様な戦闘系の魔道士は少ない。なんなら攻城兵器でもあれば良いが、動き回る鋼獣に当てるのは至難だ。

 更に周囲の砂鉄を自在に操り、攻防に使うあの力、厄介だ。射程が非常に長く、攻撃にも防御にも自由度が高い。現に魔弾魔法も幾度か砂鉄の壁に阻まれていた。

 そして、最後の矢の攻撃。突然白煙を上げたと思えば、爆発した。如何に軍勢でかかろうとも、部隊にあの矢が降り注げばその被害は大きなものになる。

 確かに作戦目的は達せられた。だが、それでもベンソンは鋼獣の実力に危機感を募らせていた。


「ミノー、もしお前が居たなら……」


 ふと、今日の命の恩人を思い出す。元はと言えば、その人を探しに故郷に戻って来たのだ。

 ベンソンは口にした言葉の続きを頭の中で取り消す。

 もし本当に彼女がジア・ニーラスに居るのだとしても、魔獣との戦いに参加させる訳にはいかない。

 何故なら、ミノーはそれを望みはしないだろうと、ベンソンは分かっているのだ。

 あの時、ミノーは自分を化け物と言った。成る程確かに、今となってはその意味がベンソンにも理解できた。

 しかし残念な事に、彼が答えに辿り着いたのはミノーがブルーニカを去った後だった。

 そしてここにミノーが居ると分かった。だが、僅かな差ですれ違った。

 彼女はまだ自分という化け物に追われ、彷徨っている。

 優しい娘だ。臆病で強がりな。故に自分という恐怖を他人の前に出せない。

 だが、ベンソンには約束があった。化け物でも何でも面倒を見てやると、ベンソンはミノーにそう言った。ベンソンは、ミノーの居場所は責任を持って取り戻して見せると誓ったのだ。

 例え、その正体が……。

 ともあれ、これでベンソンは余計に死ねなくなった。鋼獣は倒す。ミノーも見つけて連れ戻す。

 ベンソンはその覚悟を新たにした。




 ベンソンは部隊と合流し、ユクテスに辿り着いた。

ボロボロになって戻った精鋭部隊に、街中はちょっとした騒ぎになった。

 部隊は領軍の駐屯地に場所を借り、手当を受けた。そこには軍医の他、町医者やフロミアの他、治癒魔法師も駆けつけていた。

 医者が各人の傷の状態を確認し、外傷を治癒魔法師達が塞いでいく。そんな中、ベンソンを診るフロミアが難しい顔をしていた。


「……随分と無理をしたね?」

「無理をせねば生き残れんかったからな」


 ベンソンの体は戦いで受けた傷こそ少なかったが、双剣の力を使った反動が蓄積されていた。

 ベンソンの双剣は、人には物理的に不可能な動きを可能にする。しかしベンソンが一気に加速する事は、それこそ車に跳ねられて人が飛ぶのと物理的に同じ事であり、急停止は壁に激突するのと物理的に同じ事になる。

 だからこそ、いつもは加減しながら力を使っていた。しかし、状況が許さなかった。圧倒的な力を持つ魔獣を相手に生還する為に、ベンソンは無理な機動を連続して行っていたのだ。


「まったく良い年して馬鹿をするもんだねえ」

「全くだな。だが儂を治療しなければ無理はできなくなるぞ?」

「随分と意地の悪い事を言うようになったじゃないか。

【-- - - - ---- --】内部治癒」


 フロミアは魔法を使った。青い光がベンソンの全身に浸透し、体内の損傷を治す。


「とりあえずこれで動けるだろう。外傷は出来るだけ治るに任せな」

「助かる」


 ベンソンは礼を言うが、フロミアは首を振る。


「礼を言われる様な事じゃないよ。

全く情けないじゃないか。こんな白い頭した男を無理に動けるようにして、戦場に送らせるだなんて。

それなのに、今はこうするのが最善なんだから。

……私達はベンソン、あんたに戦ってもらう他無いんだよ」

「……」

「……どうしていつも、あんたなんだろうねえ」

「……すまん」


 二人はこれ以上何も言わなかった。

 その時、凄まじい重低音の咆哮がユクテス全体に響いた。




 街に響いた轟音。それはつい先程まで部隊の全員が耳にしていた咆哮だった。


「まさか……今の音は……」


 ベンソンは双剣を取り、すぐさま外に出る。

 危機を報せる鐘の音が響き、街中が騒ぎになっていた。

 突然、雨が止んだ。だが、空はまだ黒い雨雲に覆われていた。


「ベンソン殿、これは……」

「結界か」


 普段、塔は侵入者に対する探知の結界しか展開していない。その塔が結界の種類を切り替えた。雨水も入ってこれない様な障壁へと。

 それの意味する所は……。


「どうやら奴の怒りを買ってしまった様です。

直ちに伝令を出してください。街の各方面に招集と、他の街へ応援要請を」

「わ、分かりました」

「それと、攻城兵器の類があれば……」

「……嵐獣襲来の直後に配備されたバリスタがあります。

近頃は訓練ですら使わず放置されていたものですが、まだ使える筈です」

「今の所、奴に通用するのは大質量の打撃のみ。

魔弾魔法の使い手が少ない今、使えるものは使うべきです」

「ええ、直ちに用意させます」


 その時、街の東側から爆発音が連続して届いた。


「奴め、もう来たか」


 まだ街に被害は出ていない筈だ。雨雲の下、街の中は未だ雨が止んでいた。

 しかし結界塔も、そう何時までも耐えられるものではない。このまま攻撃を受け続ければやがて稼働力は尽き、結界は維持できなくなる。

 最早猶予は無かった。


「ベンソン殿、何処へ!?」


 ベンソンは答えずに駐屯地を後にする。その足は街の東側へと向いていた。

 彼はベンソンを引き留める事が出来なかった。

 ベンソンが何をしに行ったのかは分かっている。しかし如何にベンソンと言えども、一人で正面から鋼獣と戦って勝つ事はほぼ不可能だ。

 そしてベンソンが倒れれば、最終的に鋼獣を撃退する事が困難になる。

 だが今ここでベンソンが赴かなければ結界は突破され、鋼獣は街に踏み入る。住民の避難どころか、行動方針さえも定まっていないこの街にだ。

 彼は死地に赴こうとするベンソンを引き留め、この街を切り捨てる事が出来なかった。

 彼は奥歯を噛み締め、怒りに震えた。

 威力偵察を行う精鋭部隊の指揮官に任ぜられておきながら、自分が出来たのは全く基本的な指示ばかり。作戦の内容と言えばほぼベンソンの力が頼りのもの。だがそうする事が最善だったのだ。

 その事を彼は不甲斐なく思っていた。

 そして今だってそうだ。

 ベンソン一人に戦わせ、自分はただ部下に指示を出す事しか出来ない。

 もし、自分がベンソンと共に魔獣に立ち向かった所でやれる事は無い。部下の仕事(死体処理)が一つ増えるだけだ。死体が残るならまだ良い方かもしれない。

 だから、今は自分に出来る事をするのが最善なのだ。

 彼は駐屯地の中に戻り、ベンソンが言ったように部下に指示を出し始めた。




「……という訳で、ここに居る者は住民避難の際の護衛を兼ねてロワイテスまで行って貰う。以上だ」


 駐屯地ではその場に居た精鋭部隊に指示が下されていた。

 領軍のみならず冒険者も含めて編成された部隊だが、未だ指揮権は彼にある。

 ここに居る部隊の者は貴重な戦力だ。彼らを中心として再起を期する為、住民と共に一度退く事になる。尤も、そこには一人足りないのだが。

 しかし、そこに疑問を呈する者が居た。


「あの、ベンソンさんはどうしたんすか?」


 部隊の誰でも無い、フロミアの手伝いで偶々そこに居た冒険者の少年、シレッドだった。


「ベンソン殿は……時間を稼ぐ為に魔獣と戦っておられる」

「えっ、ひ、一人でですか?」

「……そうだ」

「そんな、おかしいっすよ!」

「シレッド、よしな」


 フロミアが引き留めようとするが、シレッドは続けた。


「ここに居る全員でかかっても倒せなかったんでしょう!?

なのに一人でーー」

「おい」


 その時、部隊の冒険者の男がシレッドの服の胸倉を掴んで引き寄せた。


「何分かったような口利いてんだ?」

「おい、よせ!」


 他の冒険者が肩を掴んで止めようとするが、その手を振り払って男は続ける。


「俺達はなあ、一級冒険者のパーティーとして奴の力を見る為に部隊に参加した。

人に言う事じゃねえが、それなりに努力して力付けて、あの人を除けばここらで一番の冒険者としてやってきたつもりだ。

だがあの化け物にはそんなもん関係ねえ!

ああ、なんにも出来なかったよ!

結局あの人に全部押し付けて逃げ帰ってきただけだ!

ここに居る誰も、あの化け物とはまともに戦えなかった!あの化け物と戦えんのは、同じ化け物の力を使えるあの人だけなんだよ!

それともテメエがアレを止めれんのかよ!?」


 男はシレッドを放した。彼が怒っているのはシレッドの言にだけではない。自分もまた、ベンソンの力にはなれない。

 彼だけではない。部隊の皆が、誰よりも悔しいのだ。


「奴には剣も矢も効かん。奴に通用するのは数少ない魔法と、当たるかも怪しい攻城兵器だけだ。

今は自分に出来る事をする他無い」

「自分に出来る事……」


 シレッドは数拍の後、走り出した。




 街の東側には魔獣が居る。シレッドは街の北から結界を抜けた。

 そこから東に向かって川を目指す。

 途中、魔獣の姿が見えた。巨大な鋼の虎が、黒い砂を操って誰かと戦っていた。

 黒い砂が矢となって打ち上げられ、爆発し、たった一人で戦う男を追い詰めていた。

 それを見たシレッドは強く握った拳を振り、川の上流を目指した。

 自分は、非力だ。それでも何も出来ない訳では無い。

 それさえ叶わないかもしれないが、叶ってもどうにもならないかもしれないが、何もせずにただ逃げる事だけはしたくなかった。ただベンソンを一人死なせる事はしたくなかった。

 自分の居場所を失いたく無かった。

 だから、彼は道を遡った。助けを求める為に。




 初めて逢って助けてもらった後、彼女はその岩の上でぼんやりと川を眺めていた。

 そして今再び、シレッドはそこに彼女を見つけた。


「ミノー」


 雨に濡れたまま俯いたその人は首を小さく動かし、目でシレッドを見る。


「頼む、助けてくれ」


 彼女は視線を下に戻す。その目は意味を失っていた。


「ミノー」


 尚もシレッドはミノーに乞う。


「魔獣が街を襲ってる。

ベンソンさんが一人で戦ってるんだ」


 その言に、ミノーは反応を示した。


「……マスターが?どうして……」

「……あの人、ブルーニカで冒険者が一人死んだ責任を取らされて戻って来てたんだ。

ここは、あの人の故郷だから」

「そんな……」


 ミノーの表情に変化があった。悲痛で、悔しげな表情だった。


「頼む。いくらベンソンさんでも、もう保たないんだ」

「……あれ(・・)と戦えって言うの?」

「……俺じゃあ、魔獣とは戦えないんだ」


 自分でも情けない話だった。

 刃向かったところで、自分では魔獣の歯牙にもかからない。戦って、街を守るなど以ての外だった。

 しかし、今シレッドに出来る事はこれしか無い。目の前の少女に頭を下げて、代わりに戦ってもらうしか無いのだ。


「頼む!このままじゃベンソンさんが死んじまう!

俺も、みんな居場所が無くなっちまう!」

「……ッ」

「だからーー」

もういい(・・・・)……」


 ミノーはその場でゆっくりと立ち上がった。


「あたしが、やるから」


 シレッドは下げていた頭を上げてミノーを見る。

 その様子でシレッドは悔しげに、申し訳なさげに顔を歪めた。

 黒い髪に黒い瞳。ミノーの本当の姿にそうなったのでは無い。彼女の頬を伝う雫が雨では無いと、彼にも分かったからだ。

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