鋼の獣
ジア・ニーラス北部の山中。そこで四人の男達が進んでいた。
「良いか、不測の事態は無いに越した事は無いが、報告は正確にしろ。気をつけなければいけないのは魔獣だけじゃない。白蛇も居るんだからな」
先頭を進む三十代程の男が背後の部下に背中で念押す。
「しかし班長……魔獣なんて本当に居るんですかね……?」
四人の中でも若い一人が疑問を口にする。
いずれも山の中を動き回れる様な軽装だが、四人共に似たような装備を身に付けている。
四人は領軍の偵察だった。
「居ないかもしれん。だがもし本当に居たならばその存在を逸早く確認し、見極めて対策を講じねばならん」
若い隊員は尚も分かった様な分かって居ない様な顔をした。若い彼が産まれた時、嵐獣は既に去った後だった。
話を聞くだけでは、魔獣の脅威がその身に覚えが無くとも当然といえばそうである。
「しかし、嫌な感じです。この空……」
更に一人が続ける。
隊員達は一度空を見上げた。出発前から雲行きが怪しくなってはいた。しかしその空は灰色の曇り空から、黒い雨雲になりつつあった。嵐獣が襲来した時を思い出す様だった。
あの時、彼はまだ少年だった。だが二十年もの時が過ぎた今尚、彼の頭には忘れ得ぬ光景があった。
昼間だというのに薄暗い空。ごうごうと鳴る風の音。叩きつける雨の喧騒。迸る雷の閃光。
見慣れた家屋が風に薙ぎ倒された。その方向から誰かの悲鳴が聞こえた。
側にいた母親の、この世の終わりを見つめるような表情。
そしてその視線の先にあった、街を呑み込むジア・ニーラス。
見上げた黒い空は、彼にその光景を思い出させた。
二度とあってはならない光景だ。今度は自分が止めて見せる。そこに魔獣が居るなら必ず見つけ出すと、彼は決意を新たにした。
「ウィレイ、いつでも覗ける様に魔応石を入れておけ。4番の奴だ」
「はい」
若い隊員は背嚢からあるものを取り出す。
一つは長さが10センチ程の箱。
一つは長さ5センチ、幅3センチ程の木札。そこには留め金で同じ比に切り出された薄灰色の石が留められている。
若い隊員は木札を箱の横に細長く開けられた穴に差し込んだ。そして上に開けられた穴から中を覗き込んで確認する。
これで準備は完了だ。
「行くぞ。定期的に確認しておけ」
一行は再び進み出した。
「班長、あれを」
しばらくして、隊員の一人が何か見つけた。
四人が顔を向ける。
その方向は鬱蒼とした山林の中、不自然に木が生えていなかった。警戒感を醸しつつ、四人は静かに近寄る。
そして、目の当たりにした。
「なんという事だ……」
その周囲の山林は地面がめくれ上がり、大きな木々が薙ぎ倒されていた。
そしてその中に横たわる、無残な姿の白蛇の死骸。その死骸は何かの鋭爪に切り裂かれた様だった。
「は、班長……」
「どうした」
「ま、魔応石が……」
ウィレイが手に持つ箱。それは本来、明るい中で石が発光するのを確認し易いように造られたものだ。
だが薄暗い空の下、薄暗い山林の中で、その覗き穴から眩い光が漏れるのを見た四人は目を剥いた。
その時、人の喉では発音出来ない様な轟音が響いた。途轍も無く低い、腹に響く様な音だった。
ただ一つ、誰にも分かった。これは何かの声だと。
「ッ!走れ!散開してバラバラに逃げろ!」
最早疑いようも無い。化け物が……魔獣が近くに居る。
再び震え上がるような轟音が響いた。
走り出したウィレイはミシミシと音がした方を振り向いた。
葉が擦れ枝が折れる音が連続し、最後にズシンと木が倒れる音がした。
そこにウィレイは生まれて初めて魔獣を見、そして戦慄した。
木を薙ぎ倒したのは体長5メートルはあろうという巨大な虎だった。
しかしその巨体に体毛は無く、艶やかな光沢を放っていた。銀色の巨躯の中に、所々の金色。
(鋼の獣……!?)
黒い瞳がこちらを見、咆哮した。
ウィレイは心臓を鷲掴みにされたような圧迫感を感じ取る。
事ここに至り、ウィレイは失敗に気が付いた。
彼が手に持つ魔応石が入った箱。未だ眩い光を放つそれは、暗い中ではよく目立つ光源だったのだ。
直ぐに箱を投げ捨てたが時既に遅く、鋼の獣は既にこちらに狙いを定めていた。
明らかに金属で出来た体だというのにどういう訳なのか、魔獣は本物の虎の様な滑らかな動きで駆け始めた。
全身が金属の獣が一歩進む毎に大地が揺れる様な振動が起こり、草の根がめくれ上がる。
その足並みはウィレイよりも速かった。
やがて追いつかれる。
魔獣の牙が迫り、ここまでかとウィレイが諦めかけた時だった。
ゴォン!
耳がおかしくなりそうな衝撃と共に、鋼の獣が何かに弾き飛ばされた。
咄嗟の出来事にウィレイはつい足を止める。
「止まらない!逃げて!」
その声に従い、ウィレイは急いで逃げ出す。
声がした方を向けば人が居た。
薄暗い中では顔も良く見えなかった。顔を向けたのは一瞬だったが、その時、確かにウィレイは美しく靡く黒い光に見惚れていた。
なんとかウィレイはユクテスまで辿り着いた。街に入ると、別々に逃げた他の三人が待って居た。
四人は冒険者ギルドに協力を頼み、偵察の結果を手紙の形で領軍本部、並びにジア・ニーラス冒険者ギルド本部へ伝えた。
四人はユクテスの領軍駐屯地に留まった。本部への詳しい報告は明日になる。既に全員が疲労困憊だった。
駐屯地で借りた客間で、ウィレイは先程の事を考えていた。
聞こえてきた声は少女のものだった。ついその場から自分だけ逃げ出してしまったが、彼女は無事だろうか。
それに、多分にその人が助けてくれただろうが、あの全身金属の魔獣を一体どうやって弾き飛ばしたというのか。
謎だった。
「……綺麗だったな」
ただ一つ、美しく靡いた黒い髪が彼の頭に残っていた。
一夜明け、ジア・ニーラスの重要人物が西の湖畔の街にて一堂に会していた。
長机が並ぶ広い部屋の中。
冒険者ギルドからはジア・ニーラスギルド長並びに各支部長。更に一級並びに超級冒険者。商業ギルドも同様、ギルド長並びに各支部長と大店の長。農業、漁業を始めとした産業の各町村の幹部。領軍団長に加えて将官などなど。そして領主。
他にもジア・ニーラスに於いて相当の役目を持つ人物が選り取り見取り勢揃いだ。
その中には勿論、ベンソンの姿もある。
この席に於いての議題は無論、存在が明らかになった魔獣への対策だ。
雨降る中で緊急の会議にも関わらず、欠席はほぼ無かった。この場には嵐獣の脅威を目の当たりにした世代が多い。
この光景を見ただけで、魔獣という存在が如何に恐れられているのかが分かる様だった。
「では、始めるとしよう」
やがて領主が開始の音頭を取る。最初に昨日魔獣を発見した四人の報告から始まった。
とは言っても魔獣を発見した位置、全身が金属でできた巨大な虎という外見、人より速く走れる事。今の所、それしか解って居なかった。
「……それだけか?」
報告が終わると、声が上がった。一人の男性が立ち上がり、続ける。
「全く領軍が聞いて呆れる!せっかく魔獣を見つけたのにただ逃げ帰って来るなど!
それでは魔獣がどのような脅威を秘めていて、どのような被害が出るか分からんではないですか!
それをただ人より足が速いなどと……人より足の遅い魔獣が居るなら私が知りたいくらいだ!」
所々にそうだと賛同の声が上がる。
「つまりお主はこの四人に死んで来い、そう申すか」
それに対し口を開いたのは領軍団長だった。
「なっ、そうは言っていない!」
「いや、同義だ。
知らぬとは言わせんぞ。魔獣の恐ろしさを。
確かに我が軍はブルーニカやレフテオエル領軍に比べ、精強とは言い難い。
だが決してひ弱な者達では無い。その我々が一度は壊滅したのだぞ。たった一体の嵐獣によって」
「……」
「そもそも此度の偵察は魔獣の存在を確認する為の偵察だ。
此奴らが妙な気を起こして魔獣の怒りを買っていたならばどうだ。もし嵐獣なら一人残らず消し炭であったぞ。
四人全員が無事に魔獣の居場所を持ち帰る事が出来たのは僥倖であったと言うべきだ」
そこで追求は終わった。それ以降、各方面の対策は恙無く決定された。
しかし大方の対策が決定された所で、領主が口を開いた。
「して、魔獣の情報はこれから如何にして集めるものか?
相手の力も知れぬまま、最初から全力を挙げてしまえば嵐獣の二の舞。
かと言って、半端な戦力でかかっては死にに行けというものだ」
これに答えたのはまたも領軍団長だ。
「無用な被害を出さずに敵の力を引き出させる必要がございます。その為、精鋭にて編成した部隊を威力偵察として充てる所存であります」
「ふむ」
「ついてはベンソン、力を貸して欲しい。
嵐獣の脅威は皆が知るところだが、嵐獣と戦って生き残り、今尚戦える者は少ない。
お主の力が必要だ」
「承知しました」
ベンソンは言葉少なく了承すると、立ち上がり頭を下げた。
ここで会議は解散となる。
降りしきる雨は強さを増していた。
シレッド君にライバルですかねぇ(棒)




