白蛇の警告
ベンソンがギルドに戻ると、その姿を認めた受付嬢の一人がカウンターの奥に引っ込んで行った。
それを見たベンソンが訝しんでいると、代わりにユクテス冒険者ギルド支部長のラグロックスが出てきた。
「ベンソンさん」
「ラグロックス、何かあったのか?」
「白蛇が出ました」
「何?その白蛇はどうした」
「幸い、遭遇したのは2、3級で組まれた五人パーティーだったので、連中がその場で仕留めて持ち帰って来ました。負傷もありましたが軽傷です。
ですが……目撃情報があった所とは大分離れています。
まさかとは思いますが……」
「儂もたった今、北北東で白蛇に出くわしたばかりだ」
「……そうですか」
ラグロックスはやはりという様に、それでいて深刻に顔をしかめた。
白蛇が滅多に人前に姿を現さないのは理由がある。彼らの住処は山の奥深く。人がそうそう訪れる事のないような場所に居るからだ。
故に普通なら、白蛇と遭遇するという事は人が彼らの領域に踏み入るか、彼らが人里近くに迷い込むか二つに一つである。
だが例外として、かつて同じ事があった。
「居るな」
「あの時と同じ……くそっ、なんでまた此処なんだ……!」
白蛇を脅かす存在。生物として、より上位の存在に追われた彼らが挙って押し寄せた事があった。
そして今の状況も、その時と同じ。
「奴らがなぜ存在し、なんのためにそこに居るのか。それは誰にも分からん。それが魔獣というものだ」
かつてジア・ニーラスに襲来した魔獣。
嵐獣は黒く、大きな狼だった。
山中奥深くに潜んでいた白蛇を追い立て、ついにその姿が人の目に留まった時には、既にその力が猛威を振るっていた。
嵐の力を操る獣は湖の水位を上げ、多くの人が住処を追われた。嵐の高潮だ。
更に暴風雨に落雷が吹き荒れ、方々に被害は拡大した。
そして嵐獣の討伐が領軍と冒険者の総力を挙げて行われた。結局多大な被害と犠牲を出し、嵐獣は撃退された。
討伐は叶わなかった。
「直ぐに西の湖畔の本部に伝えろ。
……もしもあの時、もっと早く奴の存在を感知できて居たならば……」
全てが後手だった過去の襲来。
追い立てられた白蛇に食われた者。ジア・ニーラスの氾濫から逃げ遅れた者。魔獣の力も知らぬまま挑み、散った者。
忘れよう筈もない凄惨な過去だ。前轍を踏む訳にはいかない。
その日、ジア・ニーラス全域に警戒が敷かれた。
住民へは街からの外出を控えるよう通達され、領軍並びに冒険者ギルドを挙げての情報収集が始まった。
各組織も、魔獣の来襲に備えての対抗策を取り始めた。
この各方面の対応の早さは見事と言う他無い。
……いや、皆怖いのだ。かつてジア・ニーラスを襲った悲劇の爪痕は、人々の心に恐怖として刻まれていた。
それはベンソンが英雄になったその日から二十年が経過した今尚も。
夕方になり、ミノーは目を覚ました。
目に入った見慣れない風景に、彼女は咄嗟に上体を起こす。
「ここは……?」
シングルサイズのベッドで大半が占められる狭い部屋だ。いつの間にか着ている服もいつもの空魔法製では無い、こちらの世界で作られたものだ。
ミノーは記憶を手繰ったが、どうにも中途半端な所で途切れていた。
水の中で考え事をしていた。水から上がってみれば、昨日会った少年が白い大蛇に襲われていた。良くもそうピンチに陥るものだと思いながら、助けてやった。
大蛇の首が落ちたのを見届けて……そこで記憶は終わっていた。
「……死んだの、かな?」
思えばどうにも体の節々の調子が良い気がする。
ミノーが死んで生き返った時には、まるで生まれ代わった様に体調が全快するのだ。
その時、キィと音を立てて部屋のドアが開いた。開けたのは先程助けた少年だった。
「ミノーお前、良くなったのか?」
(そうか、あたしはこの子の前で死んで……死んで……)
その時、ミノーの頭に記憶が蘇った。
同時に背筋が冷え、喉の下が熱を帯びる。
ズキズキと痛む背中、肺が自分の血で溺れる感覚。
(どうして、あの時の事なんか)
血流が穿たれ、溢れかえる肋骨の内側の感覚。
(いやだ、怖い)
吐き気にも似た咳。目の前に広がった赤。生暖かい鉄の味。
(嫌だ)
ミノーは動悸を感じ、息が早くなる。
「お、おいミノー?」
苦しい。怖い。溢れる。悍ましい。痛い苦しい「おい!しっかりしろ!」赤い。怖い嫌だ嫌だ。煩い。痛い。痛い。熱い。怖い。気持ち悪い。怖い。熱い。赤い。煩い。「どうしたんだい!」鉄の味。生温い。苦しい。痛い。嫌だ。死にたくない。「ミノー!」煩い苦しい怖い怖いマスター痛い苦しいごめん「おい!」苦しい白いまた死ぬ煩い熱い熱い逃げる死ぬ悲しい死なない「ミノー!」
「もうやめてよ!放っておいてよ!」
自分で放った叫びにも似た訴えの声に、ミノーは我に返った。
全く気付かなかった。いつの間にか、その場には恰幅のいい女性が居た。
「あ、の……すみません……」
「いいや、あんたも大変だったんだろう。しばらく一人で落ち着きな。
……シレッド、おいで」
いつの間にか部屋にいた恰幅の良い女性と少年は部屋を辞した。
いつもは自分を消して感情を流し、心の平静を保つ事ができた。
しかし、今は一瞬の内に感情に飲み込まれてしまった。消すべき自分も分からぬ間に。
不意に自分は今どんな顔をしているだろうと、ミノーはそんな事を考えた。今となっては空魔法で鏡を作る事もできたが、とても見る気にはならなかった。
ミノーの部屋を辞した二人は食堂へ足を向けた。
「すんません、俺、あんな事になるなんて思わなくて……」
椅子に座したシレッドはテーブルに両の肘をつき、その手で頭を抱えながら言う。
どうやら先程のミノーの反応を殊の外気にしている様だ。
「いいや、人の過去なんて、誰彼に分かるもんじゃないよ。
かわいそうにあの娘、よっぽど恐ろしい目に遭ったんだろうねえ」
フロミアは両手に持ったカップの片方をシレッドの前に置く。中には温かいお茶が淹れてあった。
「恐ろしい目?」
「何があったかは知らないけど、あの娘の顔を見れば分かるさ。……怯えていたんだよ、あの娘は」
「……なんか、思い出す様な事があったって事?」
「そういうこと」
そうは言っても、部屋に入って声をかけた途端にあれだ。思い当たる節が全く無い。
シレッドは困惑しながらお茶をすすった。
その時、玄関扉の開く音がする。
足音が一つ、ゆっくりと食堂に向かって来た。
「……おや、久しぶりじゃないか。ベンソン」
「久しいな、フロミア。息災か?」
シレッドは思わず二度見した。いい加減不意打ちには慣れたのか、お茶は吹かずに呑み込んだ。
「な、なんでベンソンさんが……」
「おう、昼間の坊主か。
なに、部屋が空いておれば儂もしばらく借りようと思ってな」
「空いてるよ。危ないとこだったね。さっき一つ埋まって最後の一部屋さ」
「ふむ、新人か?」
「……いや、どうだろうね?プレートは持っていなかったけれど」
「冒険者ではない……黒目黒髪の小娘か?」
「いや、違うね。
……シレッド、あの娘の名前、なんていったかい?」
「ミノーだよ」
「……坊主、そいつは今ここに居るのか?」
瞬間、ベンソンの目が真剣なものに変わる。
シレッドはその剣幕に一瞬気圧されたが、不意に疑問が湧き上がった。
「えっ、と、あの、ベンソンさん」
「なんだ?」
「あいつの事、聞いてどうするんすか?」
「探しておる」
「なんであいつを探してるんですか?」
「……それを儂が話す事は……彼奴が一番望んでおらん」
「……シレッド、大丈夫さ。
ベンソンあんたも、あの娘を悪い様にする気は無いんだろう?」
「ああ」
フロミアがその場を取り成す。シレッドもベンソンがミノーに害意が無いと分かったので、なにも言わなかった。
「ぐほっ!?」
フロミアがシレッドの背を「やるじゃないか」と言って叩くいた。
今絶対本気でやったろと、シレッドは恨めしそうにフロミアを見る。
三人はミノーが居る部屋に赴く。
「ミノー」
シレッドが呼びかけて部屋をノックするが、反応は無い。
「入るぞ」
ゆっくりとドアを開く。
しかし、そこにミノーの姿は無い。もぬけの殻だった。




