削れた命
「なんだ坊主、一人で依頼か?」
シレッドが昨日帰ってきた山の中を遡っていると、横から声がかかった。
また足元も気にせずにぼんやりと歩いていた彼である。ともすればそこに人が居た事にも全く気が付いていなかったので、どきりと声に驚く。
シレッドに声をかけたのはベンソンだった。
「えっ、あ、を、は、はい!」
不意に声をかけられて驚いたところに、二段構えでその声の主が超有名人。
彼のおつむが返答できただけ合格点である。
「そうか、あまり一人で山など入るものではないぞ。儂が言うのもなんだがな」
これは日本でもそうなのだが、山は結構危ないのだ。
見通しの効かない山林。道に迷えば遭難。
触れば危険な毒草や毒茸に毒虫。
高低差のある地形に滑りやすい足元。
そしてこちらの世界には日本には居ない様な獰猛な野生動物まで居るのだ。
シレッドが昨日何かに追いかけまわされたのも、記憶に新しいなどというものではない。
「ベ、ベンソンさんなら大丈夫じゃないっすか?嵐獣だってぶった切ってやったんすよね?」
「ふむ、まあ、あの時は運も良かったのだがな……む、少し下がっておれ」
そう言ってベンソンは茂みに向き合い、腰に下げた双剣を抜いた。
何事かとシレッドが疑問に思った時、そこから白い大蛇が飛び掛かってきた。
白蛇だ。その名の通り真白の鱗に大人の胴程も太い巨体。それが宙を舞っていた。
だが、ベンソンは既に飛び掛かる白蛇の下に潜り込んでいた。
そして一気に体を回旋させ、その勢いで双剣を振るう。
「うわあっ!……え?」
シレッドが白蛇に驚きの声を上げた頃には全て終わっていた。
白蛇はベンソンに輪切りにされ、地面に横たわった。その赤い眼からは光が失われていた。
「随分と湖畔近くまで降りて来たようだな」
ベンソンは二つになった白蛇を見ながらなんでも無い様に言うが、シレッドは空いた口が塞がらなかった。
白蛇を初めて見た彼にとって、その白い巨体も、その巨体の割に機敏な動きも驚きに値する。だがそれ以上に、気付けばその白蛇を斬り伏せてしまっているベンソンの実力の方が驚きだった。
「すっげえ……」
やっと絞り出した言葉はこれだった。
これが、超級冒険者。その二つ名の通り嵐獣を狩り、そして嵐獣に認められた者。
その証である双剣は血糊も付けずに銀色の輝きを放っていた。
「さて、こいつを運ばねばならんが……」
二つになった白蛇。巨体は大人の胴程も太く、長さも15メートルを超えていた。
人の一人や二人で持ち帰れるものではない。
「あ、俺人呼んで来ますよ」
「いや、坊主は自分の依頼を済ませておけ。始末くらいは自分で付けるものだ」
そう言ってベンソンは街に戻って行った。
シレッドも今日は依頼を受けていた訳では無かったが、ここは言葉に甘える事にした。
シレッドは昨日の滝までやってきた。
川辺に立ち辺りを見渡すが、あの姿は見えない。昨日彼女が座っていた岩にも、影すら見えなかった。
シレッドは背嚢から毛布を引っ張り出し、大声で呼びかけた。
「おーい!ミノー!居ないのかー!」
呼びかけても返事は無い。
「おーい!」
やはり返事は無い。河原には、ただ滝と川の流れる音だけが響いていた。
その時、背後の茂みから草を分ける音がした。
その音に背後を振り向くと、目が合った。
昨日見た灰色では無い。それは先程見た赤色……白蛇だった。
「ッ!」
白蛇は滅多に人の前に姿を現すものでは無い。その筈が運の無い事に、立て続けに遭遇してしまった。
いや、この場合には立て続けであった事が幸いしたのかもしれない。シレッドの足は竦む事なく、直ぐに動き出す事ができたのだから。
「うわっ!」
白蛇が飛び掛るが、間一髪で躱す事ができた。シレッドは滝壺の側、すぐさま駆け出した。
その時、手に持っていた毛布が岩に引っ掛かり、音を立てて裂けてしまった。
借りていたものだったが、今は気にしている時では無い。
シレッドを完全に獲物と捉え、音少なく、それでいて素早く這う白蛇。
シレッドは昨日の様に一心不乱に駆けた。
ミノーはまた水の中で過ごしていた。口と鼻を空気の塊で覆い、水面を下から眺めながら。
(さて、どうしようかしら。街への出入りは仕切られているみたいだし、こっそり侵入しようにも結界塔があるんだよね。
ぶっちゃけ街への出入りなんて、この辺はそこまで厳しくないと思うんだよね。
ブルーニカに初めて来た時にはリーサーさんがお金を出してくれたけれど、あそこって何気に国境近かったし。多分あれで厳しい方だと思うんだけど……。
お金が要るとしたら、どうしよう?外でお金を稼いでから堂々入ろうにも……この世だとみんな結界の外に出たがらないのよね。当然、結界の外にお店を出すような人も居ない訳で。体を売る(労働力的な意味で)事もできない訳。
まあ、あたしも野生動物に襲われて死にそうになった事はあるし、そりゃ安全な所に居たいのは分かるんだけどさ……あれ?なんの話だっけ?
そうだ、お金。要は結局お金も無しなんだよね。
身分証無し&お金無し。これで街に入ろうってね……。もう御免で済めば警察はいらないレベルの話だよ。
うーん、参ったなあ。だからと言ってあたしがどこの誰とも……。
……?)
微睡みながら思考をしていたミノーは目を覚ました。
体が痛みを訴えた。展開した空魔法に力が加わり、魔法が剥げた痛みだ。
ミノーは何かあったかと訝しみつつも、目が覚めてしまったので一度上がる事にした。
浅瀬に着いたミノーは水面から体を起こす。今回は予め髪を後ろで一つに纏めておいたので、前回の様にやたらと髪がまとわりつく事も無い。
が、前髪はそうもいかないので手で退ける。
「……何やってんだい全く」
鋭い一重まぶたが見つめる先には白い大蛇と、その大蛇に滝壺を背にして追い詰められた昨日の少年が居た。
判断を間違った。
昨日欝蒼とした山林の中で追い回された彼だから、そこを避けようとして岩原を逃げた。これで一先ず、相手の姿は認められる。昨日の様に見えない相手に延々と追い回される事も無い。
が、逆に自分の逃げ場も制限してしまった。元々この滝には用がなく、あまり地形に詳しく無かったのも災いした。
最終的には滝壺を背にして追い詰められる形になった。
「くそっ」
いっそ飛び込むかという考えが頭をよぎる。万が一にも生き残れるかもしれない。
だが昨日そこに落ちた身だから分かる。急流渦巻くそこに飛び込めば最期、上がってこれないかもしれない。
だが目の前の大蛇に、碌な武器も持たない自分では歯が立たない。
迷っている内に、白蛇が鎌首もたげた。
追い詰められた獲物を前に、嬉しそうに舌をチロチロと出す。
シレッドの恐怖が絶頂に達し、目に涙が滲んだその時、白蛇の頭が落ちる。
頭を失った長い胴は弛緩し、その場に崩れ落ちた。
助けられたと理解するまで、シレッドはしばらくその頭を見つめていた。
「ミノー……」
その人と初めて逢った場所……滝壺の浅瀬に彼女を認めた。
またその人に助けられた事になんだかほっとした様な、恥ずかしい様な、嬉しい様な。シレッドは複雑な気持ちになる。
ミノーは初めて逢った時と同じ格好で、同じ少し呆れた様な目でシレッドを見ていた。
次の瞬間、ミノーはその場で糸が切れた人形の様に崩れ落ちた。
シレッドはすぐさま滝壺の浅瀬に駆けつける。
「ミノー!」
幸いにして水を飲んではおらず、息もあった。
だがいくら呼びかけても意識が戻らない。
自分ではどうしようもない。ユクテスまで運んで誰かに診てもらわなければ。
だが運ぶにしてもこんな格好ではと思ったところで、シレッドの手には毛布があった。
岩に引っ掛かけて破れてしまったと思っていたが、見直して見れば全くの無傷だった。
シレッドはミノーを毛布に包み、ユクテスまで運んだ。
街の入り口では緊急という事で直ぐに通された。
ミノーは結局、シレッドが部屋を借りている下宿の空き部屋に寝かされた。
冒険者に部屋を貸す下宿。中でも、その下宿屋の管理人は医学の心得があったのだ。
今朝の恰幅の良い女性の事である。空き部屋に寝かせたミノーの様子を一通り診終えた管理人をシレッドが訪ねた。
「フロミアさん、ミノーは……」
「シレッド、正直にお答え。あの娘はどこで拾ってきたんだい?」
「え?えと……」
シレッドはフロミアにミノーの事を話した。ミノーに二度助けられた事、変わった様子は無かった事。
フロミアはシレッドの話を聞き、難しい顔をする。
「妙だね……」
「な、何が?」
「シレッド、手を出しな」
シレッドが言われた通り右手を差し出すと、フロミアがその手首を乱暴に掴み、ミノーの首に持って行った。
「なっ」
シレッドは戦慄した。ミノーの首からシレッドの手に伝わる感覚。確かにミノーの首には脈が通い、生命の鼓動をシレッドに伝えていた。
しかしその首筋は、まるで水の様に冷たかった。
「分かったろう?人間はね、しっかり食べてたらこんな風になりやしないんだよ。多分ずっと何も食べてないよ。
それなのに、身体だけは健康そのもの。普通食べなかったらそれだけ体が痩せ細る筈なのに、この娘はむしろ発育が良いくらいだよ。
……こんな事、普通はあり得ない」
フロミアの言う事はシレッドにもなんとなくだが分かった。だが重要なのは……。
「ミノーは……大丈夫なんすか?」
「分からない。正直生きているのが不思議なくらいさ。
だから、覚悟もしときな」
覚悟。シレッドはその意味を奥歯で噛み締めた。
ミノーはただ、静かに眠っていた。
やべえよ…やべえよ…
誤字脱字ばっかだよ…




