異世界と魔法
閉じた一重まぶたの先に光。轟音を伴い前から吹き付ける風を感じ、美濃 澄は意識を取り戻した。
吹き付ける風は強く、澄は風圧のあまり窒息感を感じる。
ここはどこか、何故かふらふらする。足も痛い。そう思いながらも手を動かして周囲を探った。地面は硬く、ごつごつとした感触が手に伝わる。
(ここは……岩山?)
そう思ったも束の間、天と地がひっくり返り、澄の体は宙に浮いた。
「なっ!」
状況を理解するより早く訪れた理解を超える出来事に目を見開く。そこには
(ーー飛龍?)
眼前には抜けるような青空と、急速にその姿を縮めていく黒い影があった。
「ーーーーーー!」
状況を理解した澄が声にならない悲鳴をあげる。そう、この世界に来るにあたって彼女は空を飛ぶ龍の背に出現し。振り落とされた。現在落下中である。
(何が『君次第』だよ!いきなり死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!こんな速度じゃあ◯ズーだってシー◯を受け止められないぞ!)
某アニメの名シーンを思い浮かべる。空からゆっくり降りてくる少女を少年が受けとめるシーンだ。だが今回はそうは行くまい。飛◯石のような代物を澄は持っていない。
なんとか視線を動かすと、迫り来る大地が見えた。
そして目覚めてから実に11秒、澄は再び意識を手放した。
◇◇◇
意識を取り戻した澄は思わず飛び起きた。かの状況から、自分が生きているらしい事に驚愕しつつ周りを見る。
(森?それとも林?)
どこか閑散とした木々に囲まれた辺り一面。周囲の状況を確認した澄ははっとして自分を確認する。
「道理で寒いと思った。何も着てないじゃない……」
すると目の前にひらりと黒い布が舞い込む。続いてボトンと音を立てて何かが二つ落ちてきた。上を見やるが何も無い。
「そんな事なら最初から着せてくれれば良いのに」
一人ごちる。落ちてきたのは黒いローブとブーツが一組だった。
辺りに誰が居るとは知らないが、日本人並みの感覚的に屋外ですっぽんぽんは恥ずかしい。澄は急いで身に付けた。
「お体にお変わりは……ございませんね。神様に飛び切りの美女にして〜とでも頼んでおけば良かったかしら」
澄の身体は日本に居た頃と何ら変わり無かった。あと四ヶ月で一九になる割に幼く見える日本人らしい風貌。低い背丈に凹凸の少ない顔である。
彼女の特徴と言えば、なんとなく長く伸ばした黒髪と一重まぶたの鋭い目……目を合わせた人は大抵視線を逸らすか睨むかをしてしまう。何かと誤解されやすい目付きをしていた。
「この前測ったのは159.5cmだったけどもう伸びないのかな……無理だよね……成長期終わったし」
本人はその目付きが多くの人の誤解を買ってきた事は知らない。そんな事より、さして気にもしていないコンプレックスである身長の方が重要だった。
「……どこへ向かおう」
それより更に重要なのはこれからの事である。
ほぼほぼ手ぶらの澄は一刻も早く身の安全を確保せねばならない。しかし、どこへ行けば安全で自分がどこに居るのかも分からない。
「川、川を探そう」
一先ず川を探す事にした。あるかは分からないが、人は水が無ければ生きられない事は知っていた。
(現地の人も井戸で賄ってるかも知んないけど……水が無いと駄目なのはあたしも同じだ)
◇◇◇
「ふんふ〜んふふ〜ん〜♪」
ゆっくりとした足取りで鼻歌を伴い木々の間を進む。
普段人前で鼻歌を歌ったりはしないのだが、誰もいないのをこれ幸いと好きな曲を口ずさむ。
「歌詞忘れた」
(さて、川を目指すなんて言ったけれど…大体こんな起伏の無い地形に川なんてあるのかしら?早くも失策かな?まあ、どの道どれかの道には進まなきゃならなかったし?気楽に……は無理だよねえ。食料無いし。龍が居るような世界では身の危険や貞操の危機なんか沢山ありそう。身を守るにしたって前の世界でも格闘技なんてものはやって無かったし。あたしか弱い女の子。ハタチ過ぎるまでは女の子……)
本人は身の安全が確保された訳でも無いにもかかわらず、呑気なものだった。
頭では分かっているようだが、実感というものが全く無かったのだ。
その時ふと、澄の頭につい先ほどの記憶がよぎる。
「魔法ねえ…」
『名付けて空魔法!一点物よ!』
謎の存在の言葉を逡巡する。
超常的な力でこの地に連れて来られたのは間違いない。そしてあれが言うことが本当なら、同じように自分に何かしらの力を与えてくれたらしい。
「てかそれって所謂ゲームとかで良く出てくる風魔法じゃないの?」
あれは『そのうち分かる』と言って、それが何なのかを教えてはくれなかった。
だがミノーもテレビゲームというものを嗜んだ事はある。
空、空気、風といった安直な連想だが、これはつまりそういうことができるのではないかと、当たりをつけた。
左に佇む一本の木。手頃な枝を見繕う。
「ちょっと失礼しますね。エアカッター!なんつって痛ッたあーーーーーー!?」
冗談半分に左腕を振りながらそれらしい事をしてみた澄は、直後に襲った腕の激痛に耐えかねて屈み込んだ。
(ななな何だ何だ!痛ったい!てか熱っつい!)
まるで肩から小指の先まで巨大な焼鏝を当てられたような痛みにとうとうその場にへたり込む。右で左を抱え込み、脂汗と大粒の涙を滲ませながら熱を伴う痛みが引くのを待った。
「ッはあっはあっはあっ……ふうーっ」
ようやく痛みが引いた後も澄の体は震えていた。前の世界ではこれに勝る痛みを経験した事の無い澄は心底恐怖した。呼吸と気持ちは整ったが、体はまだ伴わない様だ。
下を向いた状態からジロと前に目を向ける。見たものが人でなくて良かった。これだと見られた者は据わった目で凄まれているようにしか思えない。
さておき、そこには地に落ちた枝。その切り口は直径3cm程度とそう太くはない。とは言え、滑らかなそれは相当鋭いものに両断されたようだ。
「ははっ……おっかない……ふふふふっ」
生まれて初めて使った魔法は枝一本切り落とすのに対し激痛のあまりしばらく身動きが取れなくなると言うおおよそ使い物にならない代物だった。だが澄の胸に込み上げて来たのは笑いだった。
これまで何も持たないと思っていた自分。立派に会社を切り盛りする父と、立派に旦那を支える母の間に生まれた。その後ろ姿が彼女の劣等感を更に加速させた。
それでも愛を享受して育って来たであろう自分に両親を恨む資格は無い。何もできない自分はこのまま世に押し潰されてしまうのではないか。そう思っていた。
だがこの世界は違う。使い物にならなくても、自分には力がある。そして自分の興味を引く存在……魔法がある。
世界の本質は元いた世界と何ら変わっていない。にも関わらず、彼女の生き方はここから変わって行く。
◇◇◇
のだが、それは今では無い。
時は流れてその夜、澄は未だ森の中だ。
「おばけとか出ないだろうな」
元々、澄は人と過ごす方では無かった。というか人に興味の無い澄は大学に入るなり即ぼっちになった。だが今は夜の森に一人、それも空腹である。
(こんなひもじい思いは初めてだね。貧困ヴァージン?いや、別にそんな追い込まれてないか。……まだ)
澄は興味の薄い事に対し無気力であるーー生きる上で必要な事でも。睡眠や食事は別に好きでは無い。眠くなる事、腹が減る事、その本能に従わなければならない事が煩わしかった。
「さてねえ……腹は減るし眠くもなる。どっかその辺に魔王を倒す旅をしている勇者でも居ないかなあ……居ないよなあ……」
それはさておきと思考を切り替える。
(なんでさっきの魔法ーー仮称エアカッターの発動。あの腕の痛みはなんだろう……なんともないみたいだけど)
昼に魔法を使い激痛を訴えた澄の左腕。冬を越えた色白のそれは外見上何も変わってはいない。あくまで外見上である。
(受けた痛みは神経によって脳に伝えられるんだよね。てことは……)
「魔法使い過ぎて神経ズタズタ……最悪脳みそクルクルパーなんて事に……」
妄想の域を出ない最悪の結末だが、途端に怖くなる。もしもそんなリスクが魔法に存在するならば……いや考え過ぎかもしれないが、とても使い物にはならない。
しかし彼女はそうならない事を祈りつつ、敢えて一つ試してみる事にした。
「多分あの魔法……強過ぎたんじゃないかと思うんだよねえ」
(その……なんか気とかチャクラとか霊圧とか不思議な力がデカすぎて体が耐えられなかった的な。だからこうしよう。基本は大事、初歩の初歩の初歩的な魔法を一つやってみよう)
「よし、魔法2号。君の名前は【小さな旋風】だ」
そう言って両手でコップを持つような形を作り、イメージする。
「おお?」
両手の平が白熱灯に照らされたようにジリジリと熱を持つ。そして風を感じる。今度の魔法は先の様な激痛には至らない。そしてしっかり風は起こった。
「成功?だねえ!成功でしょ!」
思った通りだった。やはり先程の激痛は、力の使い過ぎが原因だったのだ。
これ幸いと、ミノーは更に試してみる。
「もうちょい大きくなーれ」
恐らくイメージするだけで良いのだが、わざわざ口に出してみる。すると風は勢いを増し、手の平の熱も上がる。
「なんかまだ大丈夫そうかな?けどこれーー」
『これじゃあ使い道がない』……そう言いかけて何かに気付く。
(何あれ?なんか落ちてる。てか光ってる)
その光は白くて真っ直ぐだった。小さなな光源だが、暗闇の中のせいかよく目立つ。
あれは何か。気になり、手の平の風を解いて立ち上がろうとして。
「……消えた」
あれは何か。澄はますます疑問を募らせ、首をひねる。そして数拍の後、閃いた。
澄はもう一度手の形を作り、【小さな旋風】を起こした。
「ほほー。やっぱりそうか」
先程と同じ場所に光が見えた。どうやら魔法を使うと光る何かのようだ。
立ち上がり、その光る何かを手に取ってみるべく【小さな旋風】を右手の人差し指に移してーー
「痛い痛い痛い痛い痛い!」
仮称【エアカッター】を使用した時の痛みが指先に走り、澄は慌てて【小さな旋風】を発散する。
澄は痛みの余韻に指先を押さえ、またしても屈み込む。
しかし、これでまた一つ分かった。
「め……面積ですか……?」
つまりはこうだ。両手の平では白熱灯に照らされた程度の魔法も、指先一つで扱おうとすれば片腕でエアカッターを使う程の痛みを伴うというのだ。
(じゃあさっきのも踏まえると、威力を落としつつ出来るだけ全身を使えば体への負担は少ないって事かな)
「なんとかなりそうっと、そうだそうだ」
右手の平に【更に小さな旋風】を起こす。合わせて再び地に落ちたそれは光を放ち始めた。
空いた左で拾い上げる。それは長さ5cm、幅3cm程度の小さな焦げ茶色の木の札。恐らく人の手によって滑らかな手触りに、角は丸く整えられていた。そして土台の木札と同じ比に揃えられた薄い光源が四つ隅を金具で固定されている。
(なにこれ?よく分かんないけど、人がここを通ったって事で良いんだよね)
人工物がある以上、そこを誰かが通ったのだろう。しかしそれ以上の事は何も分からなかった。
とにかく日中森を歩き回った澄は疲れていた。何時ひと段落付ける事が出来るかも分からない。気休め程度に木の根を枕にして寝る事にした。